第38話 ノイスバイン帝国8

「お待ちください陛下! そのような言葉を鵜呑みにしてはなりません! 先ほど申し上げた通り、私が聞いた三人の名前は、ジュン、エイプリル、ノーヴェでした。ジャンヌやリヴァイアサンという名前はございません」


 ライセルの言葉にオヴェールが頷くことはなかった。

 ジャンヌは今までに何度か名前を変えている。リヴァイアサンに至っては、それが神か人間かなど問題ではなかった。たった一撃の魔法で全軍を殺せる。その事実だけで驚異なのだ。


「直接会って確かめる他ないだろう。何れにせよ戦闘を避けるためには、交渉をしなくてはならないのだからな」

「陛下、私もお供いたします。出来ましたら私の処分は、それまで待ってはいただけないでしょうか?」

「私はライセル候に罰を与えるつもりはない。話を聞く限りでは、相手の言葉を嘘と感じても仕方のないことだ。それより今は国の重臣を失うわけにはいかぬのだ。もし罪悪感があるのであれば、この国のために力を尽くして欲しい。それが私の望みでもある」


 ライセルの軽率な行動は、自国を敗北に招いた許し難い行為である。それだけにライセル自信も死罪を覚悟していたし、直ぐに処断されても受け入れる覚悟があった。

 皇帝の口から出た寛大な言葉に、ライセルは瞳の端に涙を貯めて頭を下げた。


「……陛下。このライセル、命が尽きるまでノイスバイン帝国に尽くすことを、お約束いたします」

「うむ。頼んだぞ」


 異を唱える者は誰もいなかった。

 ライセルの命の使いどころは此処では無い。丘の上に留まる第三者に対し、謝罪の意味で命を使う必要があるからだ。

 皇帝のオヴェールはそうは思っていないが、他の者は考え方が違っていた。

 勿論ライセル自身も、この場で処断されなかったことで、自分の命の使いどころを既に決めている。

 表向きのライセルの処遇も決まり、ゼファインは口を開いた。


「陛下、私もジャンヌ殿には40年前にお会いしております。本人か見極めるのにお役に立てると思います。交渉の場に同行させてはいただけないでしょうか?」


 ゼファインの言葉を皮切りに、セルゲイとヴェルニューも言葉を続けた。


「私もご一緒しますぞ。リヴァイアサンがどのような方か、直接この目で確かめておきたいですからな」

「誰か残る必要があるでしょう。交渉が上手くいくとも限りません。私は軍の再編を行います」

「分かった。それではライセル侯、ゼファイン侯、セルゲイは私と一緒に来てくれ。ヴェルニュー侯は軍の立て直しを頼む。国境までは距離があるため、翌朝の日の出前には出立する。それまでゆっくり休んでくれ」


 各々が部屋に戻ると、オヴェールは護衛のホフマンを下がらせ、部屋に一人だけ残っていた。組んだ指を額に当て祈るように俯く。


「軍の再編か……。無駄に兵を死なせるつもりはないのだがな。例え交渉が決裂しても、戦闘だけは避けなくてはならない。私の首一つで全て許されるとよいが、果たしてどうなることやら……」




 空が白み始める頃にオヴェールらは街を出た。

 早朝の冷たい外気で馬車のガラスが僅かに曇る。馬車は街にある中では一番上等な代物だが、それでもオヴェールが普段から使用している馬車に比べれば、数段見劣りした。

 他にも馬車は数台用意されており、そちらにはドレイク王国への使者が乗り込んでいる。メインとなる馬車に乗るのは、皇帝のオヴェールと上級貴族のライセル、同じく上級貴族のゼファインと宮廷魔術師のセルゲイ、この四人だけだ。

 馬車の周りを馬に乗った護衛が取り囲み周囲を警戒している。馬車の側には宮廷魔術師が付き従い、いつでも魔法を放てるように杖を握り締めていた。

 国境の丘が近づくにつれ緊張で空気が重くなる。馬車の中では各々が何かを考えるように静まり返っていた。護衛の騎士も無言で馬を走らせている。

 道中は馬車が泥濘みに嵌まることもなければ、魔物や野盗の類いも出てこない。怖いくらいに順調すぎた。

 予定の時間を大幅に短縮し、護衛の騎士から国境が間近であると告げられて、ライセルは馬車の小窓から厳つい顔を突き出し遠くを見つめた。そして怪訝そうに眉をひそめる。

 丘の上には大きな天幕が張られていたからだ。

 天幕の前にはドレイク王国の旗が立てられ、直ぐ側ではドラゴンの巨体が横たわっている。

 ドレイク王国の天幕が丘の上にあると言うことは、ドレイク王国は丘の上に陣を構えていると見るべきだ。


「陛下、あれはドレイク王国の紋章です。少し速度を落としましょう」


 オヴェールは小窓から遠くを眺める。確かにドレイク王国の紋章が見えるが、竜人ドラゴニュートが居ようと関係がなかった。


「かまわん。何れドレイク王国にも頭を下げることになるのだ」


 確かにそうだとゼファインも隣で同意する。

 既に騎士には降伏の旗を持たせているし、いきなり襲われることはないはずだ。個人的に気になるのは、ドレイク王国の天幕の隣にドラゴンがいることだ。


「やはり国境にいた者たちは、ドレイク王国の援軍なのでしょうか?」

「ゼファイン侯よ。今更そんなことはどうでもよいのだ。どちらにせよ頭を下げることに変わりはない。あとは覚悟を決めるだけだ」


 皇帝から伝わる緊張感に頷く他なかった。


「そうですな……」


 天幕に近づく馬の足音に気付いたのか、丘の上には三人の人影が現れていた。

 三人は馬車を監視するように見ているため、オヴェールは少し離れたところで馬車から降りて歩き出す。

 後に続くのはライセルとゼファイン、セルゲイの三人だけだ。

 皇帝が護衛も無しとは奇妙なことだが、目の前の三人と一匹の前では万の護衛がいても無いのと同じである。

 結局は皇帝を守り切れないのだから、相手に警戒をされないためにも、最初から護衛を置いてくる方が賢明であった。

 傾斜とも分からない緩やかな坂を登り、三人の姿がはっきり見える距離まで近づくと、オヴェールとゼファインは顔を見合わせ苦笑した。

 見覚えのある少女の姿は40年前と瓜二つ、何一つ変わっていなかったからだ。


(ジャンヌ殿、昔と変わっておらんな……)


 オヴェールは三人の前で足を止めた。同行しているライセル、ゼファイン、セルゲイの三人は、一歩下がった位置で従者のように控えている。


「私はノイスバイン帝国皇帝、ワイゼン・サルエス・ハルア・フォン・オヴェール。今回の戦争の件で話があって此処に来た。交渉できる立場でないと理解しているが、是非とも話を聞いて欲しい」


 待ってましたとばかりにエイプリルが嬉しそうに答える。


「やっとまともに話せる人が来たっすね。立ち話もなんだし、中に入ってもらってもいいっすよね?」


 エイプリルが視線を向けたのはジュンとノーヴェだ。


「私は別にかまわないわよ」

「私も立ち話は好きではありません。中で座って話しましょう」

「そんな訳なんで中に入っていいっすよ」


 怒っているかと思いきや、あまりに軽い口調で話しかけられ、オヴェールは呆気に取られて立ち尽くしている。

 見かねたエイプリルが天幕に入る直前で振り返っていた。


「なに突っ立ってるんすか?」

「す、すまん。いま中に入る」


 促されたオヴェールたちも、慌てて天幕の中に歩みを進める。 

 中に入ると天幕の奥には寝台が置かれ、中央にテーブルと椅子があるだけの簡素な作りになっていた。物が殆どないことから長居する気はないのだろう。

 勧められるまま椅子に腰を落とすと、それぞれ簡単な自己紹介を交わすが、確かにライセルの言葉通り、ジャンヌやリヴァイアサンという名は出てこなかった。

 だが余りにも似ていた。

 40年も前の出来事ではあるが、ジャンヌが国を訪れた日のことは今でも鮮明に覚えていた。

 一人の少女のために城の人間が忙しなく走り回り、当時は第一王子であったオヴェールも、頭を下げて挨拶をしている。


「エイプリル殿、貴方はSSSランクの冒険者、ジャンヌ殿ではございませんか?」

「おっ! 私のこと知ってるんすか? 確かにそうっすよ。でも今はエイプリルが私の名前っす。後で冒険者の認識票も変えないとダメっすね」


 エイプリルは首から下げている認識票を見せる。てのひらに収まる黒い金属の板には、持ち主の名前とランクが刻まれていた。

 ランクがオーバーSの認識票は特殊な金属で出来た物で、金属自体が入手困難なレア素材でもある。その金属を持っているというだけでも、一生遊んで暮らせる金になるし、武器として加工すれば鉄をも切れる剣になる。

 余りの希少価値の高さから、最高額の貨幣としても利用されているくらいだ。

 冒険者の認識票を見たオヴェールは、深く頭を下げ謝罪の意を示した。


「やはり、そうでしたか……。知らぬこととはいえ数々のご無礼お許し願いたい」


 オヴェールと同じように、同行した三人も頭を深く下げた。

 ライセルに至っては顔面蒼白で倒れそうになっている。姿を見たことが無いため仕方ないとも言えるが、かの有名なジャンヌとは思っても見なかったことだ。


「まぁ、別にいいすっよ」


 許しの言葉を貰いオヴェールは恐る恐る顔を上げた。

 エイプリルは和やかに笑い怒っている様子はないが、なぜ機嫌がよいのかは理解できなかった。

 オヴェールはそつなく笑みで返して場を繕う。

 一頻り謝罪が済むと、今度はセルゲイが魔法のことについて訪ねた。それは単に知識欲からくることだが、誰も止めはしなかった。

 29万もの軍勢を壊滅させる魔法である。今後の対策として知りたいと思うのは自然なことだ。


「つかぬ事をお伺いしますが、ジュン様がお使いになられた魔法は、神核魔法で間違いないのでしょうか?」

「神核魔法?」


 ジュンは初めて聞く言葉に首を傾げる。そんな魔法は知らないし、ましてや使ったことがないからだ。


(違うのか?)


 セルゲイの脳裏に一瞬だけ否定の言葉が過ぎる。だが納得が出来なかった。それほどまでに、ジュンが使った魔法が文献の内容と酷似していた。


「我々を飲み込んだ水の魔法のことです」

「あぁ、あれね。あれは神格魔法と呼ばれているの? 勝手に変な呼び方をされても分からないわ。これだから人間は……」


 人間は……、セルゲイがその言葉に敏感に反応する。それはつまり自分は人間ではないと言っているのと同じだ。やはり神なのかと更に質問を重ねた。


「人間はと言うことは、やはりジュン様は、海神リヴァイアサンなのですか?」

「あら? 貴方は私の昔の名前を知っているのね。もっとも、私は海神になった覚えは無いけれど、確かに勝手に神格化されて崇められた時代もあったわね。いま思えばいい迷惑だわ」

「……なるほど、人間が勝手に神として崇めていたのですな。では最後にもう一つよろしいでしょうか?」

「何かしら?」

「ジュン様が使った魔法は人間も使えるのでしょうか?」

「何を言っているの? 人間は使っているでしょ?」

「人間が使っている?」

「ええ、そうよ。あれはウォーターの魔法と原理は一緒ね。魔法に込める魔力が桁違いに大きいだけよ。そうね。人間の魔術師が10万人でウォーターを唱えれば、私の津波タイダルウェーブになるんじゃないかしら? 後はお好みで水を操るだけよ。水の刃で切り裂いてもいいでしょうし、水流で押し流してもいいんじゃないかしら?」

「……なるほど」


 取り敢えずセルゲイは頷くが、聞く限りではウォーター津波タイダルウェーブは全くの別物である。確かに一流の魔術師が10万人もいれば、津波タイダルウェーブと同じ量の水を生み出すことが出来るかも知れない。だが水の操作コントロールは別だ。

 手元から離れた魔法を操れるのは数秒が限界である。継続して水を操り続けることは人間には出来ない芸当だ。

 水の刃ウォーターカッターのように水の刃を飛ばす魔法があるが、あれは初めから刃状の水を飛ばしているだけで、飛ばした後のことはお構いなしだ。殆どの魔法がそうであるように、手元から――魔方陣から出る時点で魔法の形は予め決められている。

 それに引き換え、津波タイダルウェーブは膨大な水を生み出してからが本番だ。

 しかも、膨大な水を遙か上空に留め、一気に落下させることで速度と威力を倍増させる。更にその水の勢いを操作コントロールし、地上の全てを飲み込む魔法。

 次元が違いすぎてセルゲイは言葉がなかった。

 例え魔術師を10万集めて試したところで、水は上空に留めることが出来ず、じゃばじゃば地面に垂れ流すだけだ。

 恐らくジュンの認識では水を操れるのは常識なのだろう。そう思えばジュンの言葉も少しは理解できるし、神と人間の考えに如何に差があるかも分かる。

 最終的にセルゲイは聞きたいことを聞けて満足したのか、考えるように何度も頷いていた。

 対照的にオヴェールらは顔を曇らせ小さく溜息を漏らしている。

 ジュンという女性が伝説にうたわれる神であり、魔術師10万人以上の魔力があると聞かせれたのだ。

 到底人間の敵う相手ではないことを知り、溜息が漏れるのも仕方のないことだった。

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