第37話 ノイスバイン帝国7
テーブルの左右にはヴェルニューとセルゲイが座り、ホフマンはオヴェールの護衛のため横に佇む。部屋に居るのは僅か四人だが、今後の方針を決めるには十分な面子だ。
誰もが今後どうするのかと皇帝の言葉を待っていた。
「よく集まってくれた。先ずはこちらの人的被害だが、ヴェルニュー侯どの程度か分かるか?」
「私が見た限りでは死んだ者は一人もおりませんでした。部下の報告でも死者は確認されておりません。信じられないことですが……」
「死人がいないか……。この中で誰か死人を見た者はいないか?」
セルゲイとホフマンに視線を移すが、二人とも首を横に振り否定する。オヴェールは「そうか……」と、一言告げて額に手を当て考え込む。
自分が生きていると知ったときは奇跡とばかり思っていたが、いま思えば違和感しかなかった。29万もの人間が20キロも流され、一人も死者が出ないのがよい証拠だ。
「陛下、確かに死んだ者は確認されておりませんが……」
ヴェルニューは言葉を詰まらせる。
脱走した兵士が多数いることを、いま話してよいものか躊躇っていた。しかし、現状を正確に把握するためにも、何れは伝えなくてはならないことだ。
脱走者が出るなど国の恥だが、ヴェルニューは迷いを振り切るように下唇を噛みしめた。
「脱走する民兵が多数出ております。如何いたしましょうか?」
顕著に顔に出たのは騎士団長のホフマンだが、民兵を責めることはできない。専門職の騎士とは違い、無理やり徴兵された民兵は戦闘経験のない者ばかりだ。
軍を壊滅させる魔法を見せられては、逃げ出す兵士がいても仕方ないと言えた。それにヴェルニューは民兵と言ったが、実のところ騎士の中にも逃げ出す者は出ている。
戦いの訓練を受けた騎士でさえ逃げ出しているのだ。今まで畑を耕していた民兵が、壊滅した自軍を見て何を思うかは一目瞭然である。
ヴェルニューの問いかけに、オヴェールは暫し悩んで徐ろに口を開いた。
「あの様な魔法を見せられては仕方ないだろう。脱走の件は不問とする」
「よろしいのですか?」
「我が軍はもう戦うことはできまい。また同じ魔法を使われては、勝てる見込みはないからな。兵士たちが無事ならそれでよい」
「ですが魔法を放ったのは国境に現れた者たちではないでしょうか? ドレイク王国と無関係の者であれば、交渉次第で戦いを避けることが出来るのと思うのですが……」
「
オヴェールは悲痛な面持ちで心の内を打ち明かす。
誰もが口を噤み部屋の空気が重くなる。確かに丘の上の第三者を抜きにしても、現状ではドレイク王国に勝つのは難しいと思われた。
特に魔法に詳しい魔術師たちは、あの膨大な水の魔法を見て怯えきっていた。徴兵された一般の魔術師の中には、民兵に紛れて逃げ出した者までいる。そのことを知っているからこそ、誰も意を唱えることができなかった。
「陛下、ドレイク王国への対応はどうするおつもりですか?」
「先ずは使者を送り負けを認める。その後でどのような要求をされるかは検討もつかん……」
部屋の中が水を打ったように静まり返る。
ノイスバイン帝国の未来は、もはやドレイク王国のさじ加減一つで決まると言っても過言ではなかった。
賠償金の支払いに食料の確保。
上級貴族のヴェルニューは様々な思いを巡らせるが、最も深刻なのは皇帝の処遇だ。
少なくとも現皇帝は処刑という形で責任を取らされるだろう。それを思うと目頭が熱くなった。
部屋が静寂に包まれ四人が顔を伏せる中で、その静寂を打ち消すかのように宿の外から喧騒が聞こえた。
護衛のホフマンが窓から通りを見下ろすと、軍馬に跨がった兵士が宿の前に群がっていた。同時にドカドカ階段を上がる音が聞こえ、部屋の中に一人の人物が雪崩れ込んでくる。
「陛下!」
オヴェールはその人物を見て思わず立ち上がる。
「ライセル候、無事であったか!」
ライセルは跪いてオヴェールを見据えた。
「陛下もご無事で何よりでございます。このような結果を招いたのは、私にも責任の一端がございます。おめおめと生き恥を晒しに参ったのは、一重に情報を持ち帰るため。その後の処分は陛下にお任せ致します」
真っ直ぐ街まできたのだろう。衣服や鎧は軽く泥を払った程度で酷く汚れていた。
「ライセル候、先ずは席に着いて話を聞かせてくれ。全てはそれからだ」
「はっ!」
ライセルが椅子に腰を落とすと、遅れてゼファインも姿を見せた。共に同行しているのは、ライセルの護衛に付いていた五人の宮廷魔術師である。
「陛下、遅くなり申し訳ございません」
「ゼファイン侯も無事であったか」
「陛下もご無事で何よりです。この者たちも同席させてよろしいでしょうか? ライセル候に同行していた五人の宮廷魔術師です」
「構わん。それより早く話を聞きたい」
オヴェールの了解を得ると、ゼファインは空いている席に座り、五人の魔術師は自らの上司であるセルゲイの後ろに控えた。
「国境で何を見たのだ。あの
「いえ、それが……。国境にいた人物の話は信じられないことばかりで、どう考えても我々を騙しているとしか……」
歯切れの悪いライセルの言葉に何事かと固唾を呑む。よほど想定外のことでも起きたのかと、誰もが耳を傾けた。
「ライセル侯、何があったのか順番に話してもらえるか」
ライセルは息を整えると順を追って話し始めた。
国境にいた人物の名前と容姿。その人物がこの戦争を止めに入ったこと。見返りとして食料支援を行うと言ったこと。
話を聞いたオヴェールは瞳を見開いた。
「食料をくれるというのか?」
「それが信じられないのです。食料を何処で手に入れたか聞いたのですが、死の大地で量産していると言うのです。そんな馬鹿な話が信じらますか?」
先に部屋に居た四人は互いに顔を見合わせた。
死の大地は不毛の地、植物が育つはずがないからだ。毎年定期的に死の大地を観察しているが、植物を見たなど一度も報告をされたことがなった。
「死の大地でだと?」
「そうです。しかも、死の大地に国を作るから認めろと言うのです。もし本当なら頭がどうかしています。狂人の戯れ言としか思えません」
「それで、どうしたのだ?」
「一週間まてば食糧支援を行うと言うので、ドレイク王国の時間稼ぎと判断しました。それで攻撃を仕掛けたのですが――」
「やれやれ、それで失敗したわけか」
今まで静かに話を聞いていたセルゲイが口を挟む。その表情は浅はかな行動を取ったものだと呆れ果てていた。もっと話を詳しく聞いていれば、こんなことにはならずに済んだものを、と。
「だまれ!
ライセルは
必然的に魔術師で攻撃をしたのだが、その結果が今の有様だ。
魔法で相手に手傷すら負わせることが出来ないと知り、ライセルの目には全ての魔術師が不甲斐なく映って見えた。
「なるほど、その言いようだと相手に魔法を放ったわけか。お前たち使った魔法はなんだ?」
宮廷魔術師は全てセルゲイの弟子のような者で、誰がどの程度の魔法を使用できるか全て把握している。
ライセルは不甲斐ないと息巻いているが、同行した魔術師は才覚ある者ばかり、中には第5等級魔法が使える猛者が三人も含まれている。
後ろに並んだ五人の魔術師は、ライセルに馬鹿にされたことで、苦虫を噛み潰したように歯を食いしばっていた。それでも師であるセルゲイに視線を向けられ、徐々に平静を取り戻す。
「標的三人を巻き込むように、
「第5等級魔法で無傷か、やはり……」
「なにがやはりだ! 貴様はアレが何か知っているのか!」
ライセルがアレと呼ぶのは勿論ジュンのことだ。
怒鳴り声が聞こえてもセルゲイは一向に気にする様子がなかった。じっと俯き何かを考えては、時折「う~ん」と、唸り声を上げている。
無視されていると思ったのだろう。ライセルの手が腰に差す剣に伸びていた。
「私の質問に答えないか!」
立ち上がり睨みを利かせるライセルであったが、オヴェールが即座に
「ライセル侯、落ち着かないか」
「しかし陛下!」
「今は身内で言い争っている時ではない」
「……畏まりました」
「セルゲイ、お前は何か知っているのだろう?」
セルゲイの顔が僅かに持ち上がる。
「陛下、魔法の規模から見ても、相手が使用した魔法は恐らく神核魔法でしょう。ですが腑に落ちないことがございます。使われた魔法が神核魔法であるなら、なぜ我々が生きているのか分からないのです」
「神核魔法? 前にも呟いていたな、それは一体なんなのだ?」
「古代の文献には、神々の操る魔法と記されておりました。酷似する魔法があるのですが、もし文献の通りであれば、我々は間違いなく全員死んでおります。それがどう言う訳か死んだ者が一人もいない。文献で読んだ魔法の内容と少し異なるのです」
話を聞いていた魔術師がある言葉を思い出す。
「セルゲイ様、相手の魔術師は魔法を使う前に言っておりました。本来は水刃でバラバラにすると。今は殺せないから押し流すだけだと」
「使った魔法は覚えているか?」
「確か
「水刃を纏う津波。魔法の名前も文献に載っていた通りのものだ。間違いない、魔法を使ったのは海神リヴァイアサンだ」
「なにが海神だ! 馬鹿馬鹿しい! 我々は神を相手にしているとでも言うのか!」
ライセルの言葉はもっともだろう。
ノイスバイン帝国にも教会はあるが、それは人の心の拠り所として存在するだけで、実際に神を見た人間は誰もいないのだ。
誰もが怪訝そうに顔をしかめる。弟子の宮廷魔術師でさえも、訝しげにセルゲイの背中を見つめていた。
「セルゲイの言いたいことは分かった。最悪、相手の一人は神ということだな?」
「陛下! この老いぼれの言葉を信じるのですか!」
「そうは言っていない。相手を神と仮定すれば、これ以上悪くなりようがあるまい」
「確かにそうですが……」
話を聞いていたゼファインも皇帝の言葉に頷いていた。相手が神かどうかに関わらず、我々では勝ち目がないのは明らかだ。
問題は交渉を上手く進められるかどうかだが、もしライセルの取った行動で相手を怒らせていたら問題がある。
敵対されたら為す術がない。今までの話を聞く限りでは、相手は魔法一つでこちらを皆殺しに出来る。
他にもゼファインには気になることがもう一つあった。それは何処かで見覚えのある冒険者風の少女のことだ。
遠くから小型の望遠鏡で確認しただけだが、皇帝のオヴェールも一度は会っている人物だ。本人かは分からないが、万が一ということも考えられた。
「陛下、気になる人物がもう一人おります。私は遠くから観察していたので顔をはっきり見たわけではございませんが……」
「誰が居たというのだ?」
「SSSランクの冒険者、不滅のジャンヌ様です。40年程前に一度、我が国を訪れております。その時に陛下もお会いになられたはずです」
「馬鹿な……。どうしてこの大陸にジャンヌ殿がおられるのだ」
「もう一度申し上げますが、遠くから見ただけですので確証はございません。ですが風貌が似ておりました」
オヴェールは顔面蒼白になる。
不滅のジャンヌは1000年生きているとも噂される最強の冒険者だ。その功績は目覚しい一方で、ジャンヌの怒りに触れて滅ぼされた国も複数確認されている。
冒険者からは神のように崇められ、国からは国崩しと呼ばれて恐れられている存在だ。そのため怒りを買わないように、ジャンヌが赴いた国では、常に国賓待遇で持て成すのが当たり前になっている。
真正面からジャンヌの相手をするなど正気の沙汰ではない。国を滅ぼして下さいとお願いをしているようなものだ。
「……我々はジャンヌ殿の怒りを買ったかも知れぬということか?」
「魔法を打ち込んだのです。怒らない方がおかしいでしょう。それにジャンヌ殿であれば、魔法が効かないのも頷けます。
オヴェールは溜息を漏らす。これ以上悪くなるはずがない状況が更に悪くなる。それはまるで悪夢のようにオヴェールを苦しめた。
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