第34話 ノイスバイン帝国4

 ライセルとゼファインは馬にまたがると、魔術師と近衛騎士団を引き連れ国境の丘を目指した。離れていてもドラゴンの巨大な体躯がはっきりと視界に入り、ライセルの表情が険しくなる。

 付き従う近衛騎士団と魔術師も同じでドラゴンを睨むように見据えていた。


「まさかこれ程の大きさとはな……」


 ライセルの零した言葉にゼファインも頷いた。それは近づくに連れ見上げるような大きさになってくる。

 丘までもう少しというところで騎士の一人が警告を発した。


「ライセル侯、これ以上近づいては危険です」


(確かに襲われる恐れもある。これ以上近づくのは危険か……)


 ライセルは警告に従い馬を止めると、ドラゴンを観察するため目を凝らした。丘までまだ距離はあるが、はっきりと丘の様子が見て取れる。

 視界に飛び込んできたのは見上げるような大きさのドラゴン、次に捉えたのは人間の姿だ。


(人間だと!? 竜人ドラゴニュートではないのか?)


 ライセルはドラゴンの足下に佇む人間の姿を見て訳が分からなくなる。隣に視線を移せば、ゼファインも意味が分からないと、訝しげに三人を凝視していた。

 護衛の騎士や魔術師も困惑を隠せない。自分たちの敵は竜人ドラゴニュートではないのかと、ひそひそと話し声が聞こえてくる。


「どうするゼファイン侯?」


 問われたところで直ぐに答えが出るはずもない。相手が竜人ドラゴニュートであれば直ぐに敵だと認識できるが、よりによって人間である。

 現状では敵か味方かも分からないのだ。このまま観察して相手の真意を探るのが先決だ。

 そう答えようとした矢先、丘に立つ人間が手招きをしているのが見えた。直後にゼファインの脳裏に罠という言葉が過る。

 限定戦争と言えば聞こえは良いが、どんなルールを並べても行われるのは殺し合いだ。互の国が命運を賭けて戦うのに綺麗も汚いもない。いざとなったらどんな手段を用いても勝ちに来るはずだ。


「なんだ手招きしているぞ。来いということか?」

「罠かもしれん。これは戦争だということを忘れるな」


 ゼファインの言葉にライセルは顔をしかめる。ライセルとしては白黒はっきりさせるため、直ぐにでも丘に向かい真相を探りたかった。

 もとより駆け引きのようなことは得意ではない。良く言えば愚直でまっすぐ、悪く言えば単純馬鹿なのだ。

 多少危険でも、相手の懐に飛び込むのがライセルのやり方である。


「言いたいことは分かるが、こうしていても埒があかん。私だけ行って話を聞いてくる。ゼファイン侯は何かあったら直ぐに戻り陛下に知らせてくれ」


 ゼファインは諦めて溜息を漏らす。

 同じ貴族としてライセルの性格は熟知していた。手招きをされて遠くから眺めているような男ではないし、引き止めても何れ接触するのは目に見えている。

 ゼファインの口から出た言葉は一言だけだ。


「死ぬなよ」

「分かっている。護衛は半分連れて行くぞ」


 ゼファインは頷くしかない。護衛は全て連れて行っても構わないと思ったが、それで相手が警戒するのも困る。

 敢えて口に出すことはせず、ライセルの馬が駆け出すのを黙って見送ることしか出来なかった。

 馬の駆ける音が遠ざかると、ゼファインは丘の上に目を凝らした。

 万が一の時には情報を持ち返る大事な役目が残されている。丘に立つ人間の一挙手一投足を見逃すまいと、その視線は鋭く向けられていた。


 一方のライセルも近づきながら油断なく相手を観察する。視界に入るのは貴族風の男、ドレスを着た女性、冒険者風の少女。少女以外は武器を持っていないように見えた。


(丸腰でどういうつもりだ。ドラゴンがいるから安心しているのか? もし、あいつらがドラゴンを操っているとしたら……)


 ライセルは速度を落とて後方の魔術師に馬を並べる。


「お前たち、もし相手が我々の敵なら魔法で殺せ。あいつらがドラゴンを操っているなら、殺してしまえば全て解決するはずだ」

「よろしいのですか? まだ開戦前ですが……」

「構わん。相手は竜人ドラゴニュートではないのだ。言い訳は幾らでも出来る。これは戦争だということを忘れるな」


 魔術師たちは頷く。与えられた命令は戦争の行方を左右するものだ。杖を持つ手には自ずと力が入る。

 相手は僅か三人、それでも誰がドラゴンを操る者か分からない以上、打ち漏らすことはできない。それにドラゴンを操られてから魔法を放ったのでは遅過ぎる。それでは三人を殺しても、ドラゴンは襲いかかってくるかもしれない。求められるのは即座に三人同時に殺せる魔法だ。

 魔法の効果範囲と速度を考えれば、放つ魔法は人間が使える魔法の中でも上位に当たる第5等級魔法、雷撃サンダーボルトが最適と思われた。これなら着弾地点から雷撃が広がり、複数の人間を同時に殺せる。

 魔法の殺傷能力を考えれば一撃で三人とも殺せるが、魔術師たちは念には念を入れて目配せをした。

 幸い第5等級を使えるトップクラスの魔術師が三人も同行している。相手が魔法を回避、または防御が出来るとは思えないが、それも絶対とは言い切れなかった。

 魔術師は意思疎通を図り互いに頷き合う。決められたのは、同時に放つ魔法は雷撃サンダーボルトで数は三発ということだ

 ドラゴンの前までやって来る頃には、魔術師はそれぞれの目標を定め、丘の上に立つ三人を見据えていた。

 先頭に立つライセルは馬の速度を緩めた。

 三人までの距離は50メートルを切っている。間近に見上げたドラゴンの大きさに恐怖が込み上げるが、ライセルとて百戦錬磨の貴族だ。

 恐怖心弱みを見せるほど愚かではなかった。恐怖で引き攣った顔で交渉の場に臨めば、必ず相手に付けいる隙を与えることになる。

 同行している者も数々の修羅場を潜り抜けた精鋭揃い。流石と言うべきか、恐怖を押し殺しておくびにも出していなかった。表情を見る限りでは士気は高く、ライセルは問題ないと見るや更に馬を近づける。 

 20メートル、10メートルと距離が近づきライセルは馬を止めた。だが馬からは下りない。いざという時には何時でも逃げられるよう、馬の手綱はしっかりと握り締めている。

 ドラゴンが一歩踏み出すだけで牙や爪が届く距離だ。本来であれば直ぐにでも襲われる距離だが、ドラゴンはライセルを見下ろすだけで動く気配がまるでなかった。

 ドラゴンが動かないことが、三人の何れかに操られていることを暗に示していた。


(やはり、この中の誰かが操っているのか……)


 ライセルは確信する。この中にドラゴンを操る者がいると。

 貴族らしき男に、ドレスを着た女、冒険者風の少女。恐らくは男が代表者だろうと視線を向けるが、意外にも手招きをしていた少女が笑顔で一歩前に出た。


「私たちの話を聞いて欲しいっす」


 少女の言葉にライセルは不快な気分になる。

 初対面の相手に名乗りもせずに話すことは、貴族のライセルから見れば有り得ない事だ。しかも相手は服装を見る限り庶民である。だが相手が少女であることから直ぐに怒りを鎮めた。


(まさか名乗りもしないとはな。礼儀も知らぬ小娘では仕方ないか……)


 ライセルは自分に言い聞かせると、平静を装い明るく話しかけた。


「先ずは自己紹介をしよう。私はノイスバイン帝国の上級貴族、ブロスト・エイル・フォン・ライセル侯爵だ。そちらも名乗ってくれないか?」


 その言葉に少女は笑みを見せる。


「私はエイプリルっす。いやぁ、話の分かりそうな人で良かったっす」

「私の名前はジュンと申します」


 ジュンはドレスの両端を摘んで優雅に一礼する。その余りの美しさに一部の騎士たちが顔を赤らめていた。


「私の名はノーヴェ、以後お見知りおきを」


 ノーヴェは胸に手を当てると、洗練された動きで一礼した。その見事な仕草にライセルも思わず目を見張る。


(どうやら少女以外は何処かの国の貴族らしいが、何故こんなところにいるのだ。やはり今回の戦いに何らかの関わりがあると見るべきか……。それにしても、戦場になるであろう場所に、ドレスで来るとは正気の沙汰とは思えんな)


 ライセルがジュンの姿に眉を顰めていると、ノーヴェが交渉に立つため一歩前に歩みを進めた。


「私たちの要求は二つあります。一つはこの戦争を止めていただくことです」

「戦争を止めろだと? それはできない相談だ。我々にも事情がある」

「食料が不足しているのは承知しています。ですがご心配には及びません。私たちには、その不足している食料を支援する用意があります」


 突然の申し出にライセルは顔をしかめた。本当であれば有り難い申し出だが、今年は何処の国も食料不足と聞いている。他国に支援できる食料があるとは思えなかった。

 聞き間違えかと周囲を見るも、皆が一様に驚いている。


「どういうことだ?」

「どうもこうもありません。食料を支援するので戦争を止めて欲しい。そう言っているのですよ」


 話が本当であれば願ってもないことだが、上手い話には必ず裏があるものだ。他国の謀略とも考えられる。


「では、その食料とやらを見せてくれないか?」

「申し訳ないのですが、まだ準備の途中です。一週間、長くても10日後には用意できるでしょう」

「その言葉を信じろと? それにお前たちになんの得がある。タダで食料を支援する訳ではあるまい」

「それが二つ目の要求です。我々は近く新たな国を立ち上げます。その後ろ盾になって欲しいのです。既にドレイク王国はこれを了承しています」

「国を立ち上げるだと?」


 ノーヴェは両手を広げて表情を緩めた。これから立ち上げる国が、どれだけ素晴らしいかを妄想に浸るように語りだす。


「そうです! 国の名前は竜王国。偉大なる竜王様が治める国です。慈悲深い竜王様はおっしゃいました。友好的な者は他種族でも受け入れると、これほど寛大な王が未だかつていたでしょうか? 否! 竜王様に勝る者など、この世にいようはずがございません」


 ジュンとエイプリルも話に聞き入り、恍惚の表情を浮かべていた。当然とばかりに何度も頷いている。

 話について行けないのはライセルと護衛たちだ。ぽかんとして戸惑っている。


「……お前たちの要求は分かった。だが国を立ち上げるといっても場所はどうする。まさか我が国の領土を寄越せと言う訳ではあるまいな?」

「ご冗談を、そのようなことはいたしません。ここから南東にある死の大地と呼ばれる場所です」


 ライセルの顔つきが険しくなる。


(馬鹿な! 死の大地だと? あそこは不可侵領域だ。そこに国を作るということは、周囲を囲む四つの国を敵に回すことを意味する。それがどれだけ愚かなことか分からないのか? いや、先程こいつはドレイク王国は了承済と言っていた。我が国を取り込めば、敵は半分いなくなるのか。だが我が国とドレイク王国が後ろ盾になろうとも、もし残り二つの国が攻めてきたらどうするつもりだ。後ろ盾といっても国家樹立を認める程度、代わりに我々が戦うわけではないのだぞ。自殺行為もいいところではないか……)


「死の大地に国を作るということは、周囲の国を敵に回すのと同じことだ。本当に分かっているのか?」

「ですので、このように説得しているのですよ。ノイスバイン帝国は喉から手が出るほど食料が欲しいでしょうからね」

「悪いがお前の言葉は信用できん。それに僅かな食料では意味がないのだ。我が国がどれ程の食料を必要としているか知っているのか?」

「こちらで準備している食料は、ノイスバイン帝国の国民が、優に1年間は食べていけるだけの量です。問題はないはずですが?」


 ライセルは瞳を見開いた。


(馬鹿な! それだけの食料を用意できるはずがない。やはり罠か?)


「一つ聞きたい。食料を何処で手に入れるつもりだ」

「死の大地で量産中ですが、何か?」


 平然と答えるノーヴェの言葉を聞いて、ライセルは顔を手で覆い笑いを堪える。


(死の大地で量産中だと? ついにボロが出たか。あんな場所で作物が育つはずがないではないか。やはりこいつは嘘を言っている)


 ライセルは魔術師たちに目配せをして頷いた。ドラゴンを操られる前に三人を殺せと。

 三人の意識を魔術師から逸らすため、ライセルは挑発するように話を続ける。


「死の大地で? まさか、そのような冗談が聞けるとはな。国の話も出来の悪い作り話だ。もし本当なら、竜王とは頭が可笑しい変人ではないか」


 次の瞬間、魔法の準備を終えた魔術師が、三人同時に杖を突き出していた。


「[雷撃サンダーボルト]」

「[雷撃サンダーボルト]」

「[雷撃サンダーボルト]」


 稲妻がほとばしる音と共に、三つの雷撃サンダーボルトが三人を襲う。


「やったか!」


 ライセルは思わず声を上げる。

 しかし、雷撃サンダーボルトは三人に触れる直前、何事もないかのように霧散して消え失せた。周囲に雷が拡散することはなく、三人は平然と佇んだままだ。

 当然だ。

 ドラゴンは人間の姿であっても常に竜力ドラゴンフォースを身に纏っている。

 竜力ドラゴンフォースはよほど高めなければ目に映ることはないが、普段の微弱な竜力ドラゴンフォースであっても、人間が扱う程度の魔法で突破できるはずがなかった。

 しかも、竜力ドラゴンフォースは衣服を覆うように身に纏っているため、三人の衣服には傷は疎か汚れすら付いていない。

 仮に竜力ドラゴンフォースを突破できたとしても、竜肌ドラゴンスキンは衝撃や魔法に強く、傷つくことは滅多になかった。

 故にドラゴンは最強の種族なのだ。


(馬鹿な! なぜ魔法が消えた?)

 

 無傷のままの三人を見てライセルは驚愕する。それは魔法を放った魔術師も同じだ。まるで化物を見るような目で三人を見つめていた。

 この時ライセルは過ちを犯す。それは竜王のことを、頭が可笑しい変人と罵ったことだ。

 ドラゴンの逆鱗に触れることが何を意味するのか、ライセルはその身を持って直ぐに知ることになる。

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