第32話 ノイスバイン帝国2

 宣戦布告の内容は以下の通りであった。

 ドレイク王国の北は嘗てノイスバイン帝国が治めていた土地で、速やかに返還しなければ武力によって奪い返すというもの。

 言いがかりもはなはだしい。だが、今のノイスバイン帝国に体裁を保つ余裕はなかった。

 戦闘区域は国境の丘から半径8キロメートルの範囲とされ。村や街に被害を及ぼしてはならない限定戦争。

 ドレイク王国にとっても受けるしかない。飢餓に苦しむノイスバイン帝国の現状では、限定戦争を受けなくても必ず攻めてくる。何でもありの戦争になったら街や市民に甚大な被害が出るからだ。

 かくくして宣戦布告は受理され、互いに戦争に向けて走り出した。

 ノイスバイン帝国では直ぐに徴兵が行われて兵が掻き集められる。困窮していた辺境の村々では、これに積極的であった。しかし、対照的に余裕のある街では不満が漏れていた。

 皇帝のお膝元である帝都でも同じだ。街の住民が路地裏に隠れるように数人集まり、まさに愚痴を零していた。 


「聞いたか? 戦争が始まるってよ」

「ああ、まったく冗談じゃない」

「命をかけて戦うなんてまっぴら御免だ。他の国に移住できればな……」

「何処に移住できるっていうんだ? ドレイク王国は人間の移住を認めていない。エルツ帝国はたどり着く前に魔物に殺されちまうよ。それに他の国に移住できたとしても、耕す土地も無ければ商売の伝手つてもない。暮らしていけると思うのか?」

「……まったく、陛下は何を考えているんだ!」


 男は悲痛な叫び声を上げた。命の危険がある戦場に行くのは誰もが嫌に決まっている。単純に戦いたくないのだ。

 今回の戦争では商人や農民問わず、戦える男は総動員される。

 街中を慌ただしく駆け回り、兵士を掻き集める貴族たちに、男は路地裏の影から増悪の眼差しを向けていた。自分たちの招集も時間の問題だ。その恐怖が絶望感を増幅させる。悲嘆に暮れる男たちの会話に街の商人が割って入った。


「それでも食料を確保するためだ。仕方ないんじゃないのか? 辺境では餓死する村人が後を絶たないからな」


 愚痴を零していた男は訝しげな表情を見せる。


「餓死だと? そんなに切迫しているのか?」

「ここではまだ食料があるが、他所じゃ酷い有様だよ。特に辺境は酷い。このままでは餓死する村人が増える一方さ」

「そんなにか?」

「帝都だって他人事ひとごとじゃない。いつ食料がなくなっても可笑しくないはずだ」

「食糧不足はかなり前から知っているが、そんなに酷い状況なのか? あんたは商人なんだ。足りない食料は他国から買ってくればいいだろ?」

「今年は何処の国も不作で食料の値段が高騰している。例え高い金額で仕入れることが出来ても、この国で買えるのは一部の裕福な人間だけさ。それだって何時まで続くか分からない。裕福な人間がいつまでも裕福とは限らないからな。この国の現状では、とても商売が出来るとは思えないよ。陛下だって同じさ、毎年少なくない食料を他国から購入していたんだ。いつまでも国の財政が持つはずが無い。ついに金が底を突いたんだろうな」

「陛下にとっても苦渋の決断と言う訳か……」

「ドレイク王国とは今まで仲良くやってきたんだ。陛下だって本当は戦いたくないはずさ。大勢の国民を飢えから救うには、これしか方法がなかったんだろうな」


 商人の話を聞かされ男たちは何も言えなくなる。

 国が食糧難で苦しんでいることは以前から知っていた。現状を知ろうと思えば知ることは出来たはずだ。だが真実を知ることを恐れていたのだろう。都合の良い情報は耳に入るが、都合の悪い情報は聞き流していたのかもしれない。その結果が、無知と言う己の現状を表していた。

 経済の悪化した近年の帝都には、そんな人間が数多く存在する。現実から目を逸らし、国に対して反発することで自らを慰める人間だ。故に徴兵された民兵の士気は高が知れていた。


 宣戦布告が受理されて数日、開戦の日までもう間もない。

 開戦場所となる国境付近には着実に兵が集められ、夥しい数の天幕が幾つも並んでいた。

 投入されたのは帝国の正規兵5万、ライセルの私兵6万、ヴェルニューの私兵3万、ゼファインの私兵3万、魔術師2000、他に徴兵された民兵が12万。

 帝国内の警備も必要なため、一部の正規兵と他の貴族の私兵は、帝国領内の警備に当てられていた。

 国境に集まる兵士は総勢29万2000と凄い数だが、その内の半数近い民兵は殆どが飾りである。大規模な軍を動かすことで敵の戦意を挫く、あわよくば敵が早々に白旗を上げる事を狙った作戦の一つだ。

 そのため民兵が身に付けている武具は粗末な物で、木の板を繋いだだけの盾や、長い木の棒に包丁を巻き付けた槍などが殆どだ。

 ノイスバイン帝国にとっても、働き手を失うことは大きな痛手になる。オヴェールは初めから民兵を戦わせる気はなかった。だからと言って、そのことを民兵に伝えてはいない。民兵とは言え兵士だ。気が緩めば味方の士気が下がり、敵にも狙われやすくなる。

 何も知らない民兵たちは、自分の命を預ける武具の手入れを何度も念入りに行う。そしていよいよ軍の編成が行われた。

 ノイスバイン帝国の軍が大きく三つに動き出す。

 中央にはオヴェール率いる正規兵5万と魔術師800。右にライセルの私兵6万と魔術師600。左はヴェルニューとゼファインの私兵を合わせた6万と、魔術師が600だ。

 何れも魔術師を守るように陣形を組んでいた。

 極端に言えば、魔術師一人を四人一組で守るような陣形だ。通常の戦争であれば絶対に行わないような陣形だが、相手は空を飛べるドラゴニュート。

 魔術師を内側に固めても空から強襲されるため、魔術師が纏めて襲われないように個々に配置することにしたのだ。

 民兵は全てオヴェール率いる中央軍に配備されている。配備されていると言っても、後ろの方に引っ付いているだけだ。それでも数としての厚みだけなら、中央軍が最も分厚く見える。その中央軍に設営された一際大きな天幕では、戦略会議が行われていた。

 簡素な机が置かれた上座にはオヴェールが座り、集まった貴族や従者を見据える。宮廷会議で見せていた憔悴した姿はどこにもない。そこには覚悟を決めた皇帝の姿があった。


「いよいよ明日の夜明けとともに開戦となる。ドレイク王国の動きはどうなっている?」


 視線を向けられたゼファインが手元の紙に視線を落とす。そこにはドレイク王国の動きが書かれた羊皮紙があり、それを見てゼファインは訝しげな表情を作る。

 本当にこれで合っているのかと、まるで疑っているようだ。


「偵察部隊の報告ですと、数はおよそ1万。国境の小高い丘を挟んで野営の準備をしているようです」


 余りに敵の数が少なすぎた。読み上げたゼファインを見て誰もが怪訝な顔をする。


「それは伏兵がいると言うことか?」


 オヴェールの問いにゼファインは羊皮紙を見直す。


「申し訳ございません陛下。そこまでは報告にございません」


 伏兵がいるならそれに備える必要がある。表に見えている数を考えると、伏兵はかなりの数になると思われた。だがそれだけの伏兵をどこに隠しているかだ。


「まだ開戦には時間があります。これから兵が集まるのではないですか?」


 ヴェルニューの言葉に誰もが頷けない。

 開戦は明日の夜明けだ。果たして今頃やってくるだろうか? 本来であれば英気を養うため、前日は休養を取るのが一般的だ。

 今頃やって来ても、疲労で明日は力を出し切ることが出来ないのではないか? そう考えたオヴェールは首を傾げた。他の者も同様に、それはないと首を振る。

 既に時刻は昼を過ぎていた。長時間に渡る行軍の疲れを取るため、普通であれば前日の昼前には野営の準備を行う。

 暫しの沈黙のあとにライセルが口を開いた。


「国境付近には伏兵を隠す場所がない。であれば、これは我々をおびき出す罠ではないのか?」

「どういうことだ?」ゼファインが訝しげに尋ねる。

「早い話が待ち伏せだ。我々が攻め込み一当ひとあたりしたあと、相手は負けた振りをして撤退をする。先に進めば街道沿いに森もある。伏兵を配置するには打って付けの場所だ。そこまで我々を誘導し、隊列が伸びたところを横から分断する。後は逃げていた敵が反転し、陣形が崩れた我が軍を伏兵と共に襲う。これなら見えている敵が少ないのも頷けると言うものだ」


 ライセルの話す敵の策を皆が熟考する。

 確かに十分に有り得ることだ。伏兵は国境付近にいるとは限らない。むしろ奇襲しやすい場所に潜めるはずだ。それは一つの考えとして考慮すべきこと。皆が頷き感心する。


「ふむ。ライセル侯の言う通りだ。その策は考慮せねばなるまい。では敵が撤退した時、我が軍はどう動くかだ」


 オヴェールの言葉にまたもライセルが答える。


「陛下、相手が少数であるならば、全軍で群がっても混乱する恐れがあります。先陣は私の軍に任せてはもらえないでしょうか?」

「何か策があるのか?」

「はい。ドレイク軍が後退を始めた場合、我が軍はその誘いに乗り進軍いたします」

「なに? それではまともに奇襲を受けるというのか?」

「そうではございません。進軍はゆっくりと行います。それと同時に[不可視インビジブル]の魔法で身を隠した斥候を放ち、伏兵の場所を特定するのです。森に潜むなら格好の獲物。後は別働隊の魔術師を編成し、襲われる前に森ごと焼き払えばよいのです」

「だが敵の伏兵を発見できなかったらどうする? 簡単に見つかる場所には隠れておるまい」

「ご心配には及びません。如何に広大な戦闘区域と言えど、限られた場所であることに変わりはありません。その中に入る全ての森を焼き払えばよいのです。伏兵は火の手を見て逃げ出すでしょうが、運良く敵の近くに火を放てれば、数を減らすことも出来るでしょう。少なくとも森からの奇襲は受けなくて済みます」


 オヴェールの瞳が揺れ動いていた。

 森を燃やすと言うことは、森に住む魔物を平野に追い立てる行為と同じだ。予め決められている訳ではないが、暗黙の了解で禁止されている。

 言い出したライセルとて、それが何を意味するのか理解している。俯き迷いを見せるオヴェールにライセルは言い放つ。


「陛下、我々は勝たなくてはなりません。それがどんな卑怯な手であっても、たとえ他国からどんなそしりを受けたとしてもです」

「……分かった。ライセル侯に先陣を任せる」

「はっ! 必ずや勝利いたします」


 ライセルは自信に満ちた表情で胸を叩く。如何に身体能力の高い竜人ドラゴニュートであっても魔法に対する耐性は人間と変わりない。仮に空から奇襲を受けても、魔術師に攻撃が届く前に、魔法で撃ち落とす自信もあった。もし万が一に攻撃をすり抜る敵がいたとしても、一人の魔術師には四人の護衛を付けている。

 ゼファインは胸を張るライセルを見つめていた。

 確かに今の戦力なら十分勝てるのかもしれない。しかし、何があるのか分からないのが戦争だ。後悔しないためにも、使えるものは全て使う必要があった。

 ゼファインが考慮していたのは、本来は知られてはいけない秘匿された魔法の存在だ。


「陛下、我が国にも秘匿している戦略魔法があるはずです。それは使われないのですか?」


 魔法に無知なライセルとヴェルニューにとっては初耳であった。

 魔術師数人で発動させる戦術魔法なら聞いたことはあるが、戦略魔法と言う言葉を聞いたことがなかったのだ。

 ゼファインが戦略魔法のことを知っているのは、長く生きているからだけではなく、一重に魔法に造詣ぞうけいがあり、その手の文献を調査したことがあるからだ。

 魔法は大きく第1等級から第10等級に分けられるが、例外として複数の魔術師が同時詠唱で放つ魔法がある。それが戦術魔法と呼ばれる広範囲魔法だ。

 他の魔法より発動が遅く、魔術師の数も必要になるため、一般的には戦争でも使用されることが少ない。同じ魔力を消費するにしても、個別に魔法を唱えた方が、より早く、より多くの敵を殺せるからだ。

 戦略魔法と言う聞き慣れない言葉に、ヴェルニューがいち早く反応した。


「ゼファイン侯、戦略魔法とは一体なんなのですか?」


 正直なところゼファイン自身も詳しくは分からなかった。大昔に調べた限りでは、戦局を覆すほどの強大な魔法であるとしか文献には記されていなかったのだ。


「名前だけは知っているが、それがどのような魔法かは分からない。ただ我が国にも、戦略魔法と呼ばれる秘匿された魔法があると文献で読んだ事がある。陛下は勿論ご存知ですな?」


 ゼファインの視線がオヴェールの顔をしかめさせた。


「……確かに我が国にも戦略魔法はある。それは超広範囲に、それこそ今回の戦場全てに影響を及ぼす魔法だ」


 皇帝の言葉に一同が顔を明るくするが、答えたオヴェールの顔は対照的に暗いままだ。まるで戦略魔法など、何の役にも立たないと言わんばかりである。


「では、その魔法を使えば――」


 オヴェールは手を突き出しゼファインの言葉を遮る。首を横に振りそれは出来ないと仕草で示す。


「何故ですか陛下? 国が秘匿している魔法だからですか? 確かに広範囲に影響を及ぼす魔法は危険でしょう。しかし、我々には後がないのですぞ?」


 ゼファインの言葉に誰もが賛同するが、それでもオヴェールが首を縦には振ることはなかった。


「そうではないのだ。戦いを有利に進めることが出来るのであれば、私とて迷わず戦略魔法を使うだろう。だが我が国の保有する戦略魔法は、今回の戦いでは全く役に立たないのだ」


 顔を伏せるオヴェールを見て、一様に怪訝な表情が深まる。


「陛下、役に立たないとはどう言うことなのですか? 差し支えなければ戦略魔法のことを教えていただけませんか?」

「かまわんとも。知られたところで大した問題ではない。我が国が秘匿している戦略魔法とは、地上を濃霧で覆い視界を奪う魔法だ。先程も話したように、今回の戦場であれば全て濃霧で覆い尽くすことも可能だ。しかし、戦場を濃霧で覆っても不利になるのは我が軍だけだ。濃霧は上空には発生しないため、空を飛べる竜人ドラゴニュートには意味がないのだ」


 オヴェールは項垂れるが、本来この戦略魔法は濃霧を発生させるだけではない。戦略魔法の名に恥じぬ力を持っていた。

 魔法の名前は[狂気の霧クレイジーミスト

 濃霧を発生させると同時に、敵に幻覚を見せて同士討ちを行わせる魔法だ。更に方向感覚を狂わせ濃霧から逃げられなくする。仮に百万の軍勢がせめて来ても、相手が最後の一人になるまで同士討ちを行わせる。

 敵の数が多ければ多いほど真価を発揮し、大勢の雑魚を相手にするなら最強の魔法の一つだ。

 もっとも、長い歴史の中で人間がその魔法を正しく発動させたことは一度もない。12人の魔術師で発動されるそれは、ただの濃霧で終わってしまう。

 何故か? それは簡単である。少なくとも第8等級を行使できる魔術師が12人。この最低条件がクリア出来ないためだ。

 全世界で見ても第8等級を行使できる人間は数えるほどしかいない。そのためノイスバイン帝国に伝わる戦略魔法は、濃霧を発生させるだけの魔法としか認識されていなかった。

 当然オヴェールも魔法本来の効果を知らない。国に伝わっているのは劣化した魔法の効果だけだ。

 尋ねたゼファインは勿論のこと、この場にいた全ての者が表情に影を落とす。

 確かに使っても意味がない。意味がないどころか、濃霧に包まれた自軍が不利になるのは目に見えていた。視界の開けた上空から矢で攻撃でも受ければ敗北は必至だ。

 場の空気が重くなる中、それを払拭するようにライセルは豪快に笑い声を上げた。


「よいではないですか陛下。その戦略魔法が我が国にあるのが不幸中の幸です。他国には漏れていないのでしょう?」

「漏れていないはずだ。魔道書はずっと城の地下に封印されている」

「ならば何も問題はございません。状況が悪くなったわけではありませんからな」


 ライセルの言葉にゼファインとヴェルニューも続いた。


「確かに空を飛べるドレイク王国に漏れては一大事ですな。戦略魔法のことは聞かなかったことにいたしましょう」

「ゼファイン侯の言う通りだ。それに、このまま戦っても我々は十分勝てるだけの戦力を持っている。そうでしょう? 陛下」


 ヴェルニューの問いにオヴェールは僅かに白い歯を見せた。


「そうだな。別に状況が不利になったわけではない。これから戦いだというのに落ち込んでなどいられないな」


 オヴェールは自分に言い聞かせた。

 状況は不利になったわけではない。戦力差を見ても我々が有利なのは間違いないのだから、と。

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