第31話 ノイスバイン帝国1

 ノイスバイン帝国にじめっとした風が吹き込む。

 帝都カルニアの中央には、国の大きさを象徴するかのように、歴史ある石造りの巨大な城、シュレーバル城が聳え立っていた。

 大陸の中でも人口が多く、例年であれば数多くの行商人や旅人が行き交い、そこかしこから喧騒が聞こえて賑わっていた。

 大通りは活気で溢れて馬車の渋滞まである帝都が、今では人通りは少なく閉めている店も多い。街の中には痩せ細った野良犬が、僅かな食べ物を求めてぐったりしながら徘徊している。

 嘗ては栄華を誇っていた帝都は見る影もない。この状況を打開すべく、シュレーバル城の一室では、国の皇帝と、それを支える四大派閥の当主が顔を突き合わせていた。

 五人の男たちは憔悴した顔で議論を続ける。行われているのはノイスバイン帝国の命運を分ける会議。誰もが自分の意見を押し通すため正当性を主張した。


「本当にこれしか方法がないのか?」


 上座に座る皇帝が重い口を開いた。皇帝の名はワイゼン・サルエス・ハルア・フォン・オヴェール。綺麗に顎鬚を揃えた初老の優男は、豪奢な衣装の袖が汗で汚れるのもお構いなしに、額に滲み出た汗を手の甲で拭った。

 本来であれば覇気に満ちた表情が、今では痩せこけて目の下には隈が出来ている。連日に渡る会議で憔悴したオヴェールは、力なく集まった貴族を見渡していた。

 何度目になるのか数えるのが馬鹿らしくなるほど同じ質問の繰り返しだ。幾ら議論を尽くしても答えなど出てこい。

 オヴェールは全ての元凶である食糧難を恨めしく思う。

 ノイスバイン帝国では雨季の長雨により作物が育たなくなっていた。雨季と言っても本来であれば、多少雨が多い程度で、それは恵みの雨である。

 しかし、近年では様子が違った。雨季に入ると日の光を見ることが無くなり、多くの作物が生育不良に陥り、酷い時には実る前に腐ってしまうのだ。

 ノイスバイン帝国にとって食料の確保は急務だが、作物の不作が一年だけならまだしも、四年、五年と続いては国の財政が持つはずがない。既に国民の食料を買い支える資金は底を突き、辺境の村では餓死者まで出始めていた。

 状況を打開すべく一人の貴族から案が出される。それはドレイク王国に攻め込み領土を広げること。ドレイク王国の北は豊かな大地に恵まれており、一大豊作地とされているからだ。

 ノイスバイン帝国の北は海が広がり、隣接する国はドレイク王国とエルツ帝国しかない。その内の一つ、エルツ帝国との国境には巨大な山脈が立ちはだかり、大規模な軍は動すことが出来なかった。死の大地は不毛の地であるが故に実りは期待出来ず、下手をすれば他の三国を相手に争いにもなりかねない。事実上、ノイスバイン帝国が侵略できる国はドレイク王国しか残されていなかった。

 そして今まさに、ドレイク王国に攻め込むか否かの話し合いが行われていた。


「陛下! 恐れ入りますがもう時間がありません。こうしている間にも民は飢えに苦しみ、亡くなっているのですぞ!」


 声を荒げた男は40代半ばの偉丈夫だ。

 身なりこそ貴族だが、声は野太く、顔や体つきは歴戦の戦士のようにガッチリしていた。男は自国の皇帝を睨み、拳を握り締めて必死に今の現状を訴える。

 皇帝に対してもこれほど高圧的なのは、ノイスバイン帝国の中で最も多くの私兵を抱えているからだ。私兵の数は貴族の財力や領地の広さに比例し、それは貴族の力の大きさを意味する。

 男は四大派閥の一つを束ねる当主、ライセル侯爵だ。

 帝国領の中でも北にある最大の領地を持ち、貴族の中でも強い求心力のあるライセルだが、その広大な領地が今は彼を苦しめていた。

 ライセルが皇帝に急くのは領民を守るためだ。広大な領地を持つライセルは、それだけ多くの領民を抱えており、飢えで苦しむ領民の陳情が後を絶たなかった。

 実際にライセルは辺境の村で視察を行ったが、その光景は想像を絶していた。

 村人はあばら骨が浮き出るほど痩せ細り、備蓄している食料も無く、飢えで幼い子供までもが亡くなっていたからだ。

 国の財政と同じく、ライセルの個人資産は当に尽きかけていた。当たり前だ。不作で税収がまともに入って来ない中で、多くの私兵を養っていたのだ。金があろうはずがない。

 悠長に手段を選んでいる余裕はなく、ライセルはドレイク王国への侵攻を進言するが、その度に横やりが入り話が進まなかった。


「なにを馬鹿なことを! 今まで築き上げてきた、ドレイク王国との交友関係を壊すつもりか!」


 ライセルの向かいから一際大きな声が飛ぶ。真っ白な髪に多くの皺が刻まれた顔、その風貌からは長年培ってきた経験が滲み出ている。

 男はゼファイン侯爵で、その年齢は70を超える。帝国領の西側に領地を持ち、四大派閥の中では最高齢の当主であが、ゼファインの張りのある声は年齢を感じさせないほど覇気があった。


「では民に飢えて死ねというのか! どれほどの犠牲が出ると思っている!」

いくさを起こせばそれだけで死者が出る! なぜそれが分からん!」

「そんなことは当然だ! だが今年やり過ごせても来年はどうする! 再来年はどうなる! 雨季に起きる長雨は毎年のように続いている。このまま帝国の民が飢えて死ぬのを黙って見ているつもりか!!」

「長雨とて毎年起こるとは限らんではないか! ドレイク王国からは度々食料の支援も受けている。恩を仇で返すような真似をするのか! この恥知らずめ!!」

「なんだと! 貴様とて自分の領内が戦火に巻き込まれるのを恐れているだけではないか! この腰抜けめ!!」


 ライセルは顔を真っ赤にして机に拳を叩きつけた。一方のゼファインも一歩も引かない。年齢にそぐわぬ鋭い眼光で睨みを効かせる。

 両者睨み合い一触即発の状態が続いた。

 オヴェールは頭を抱える。このやり取りも連日のことだ。二人の意見はどちらも正しい。そしてどちらを選んでも犠牲はまぬがれない。このまま耐え忍んでも、もし来年も長雨が続いたら、そう思うとライセルの考えも仕方ないと言えた。だからと言って、ドレイク王国に宣戦布告をしても勝てる保証は何処にもない。もし負けるようなことがあれば状況は更に悪化する。

 他国に食糧支援の要請はしているが、どの国も不作が続いているため、今では要請は断られていた。余所の国でも自国の民を食べさせるため必死なのだ。


「ライセル侯、ゼファイン侯、どうか落ち着いてください! 陛下の御前です!」


 端正な顔立ちの壮年の男が二人の間に割って入る。

 帝国領の東を束ねる四大派閥の当主の一人、ヴェルニュー侯爵だ。

 年齢はまだ30代半ばで、この場に居る貴族の中では一番若いが、皇帝からの信頼は厚く、政治手腕も高く評価されていた。


「ヴェルニュー侯、お前もいくさには反対だったな」


 ライセルの言葉にヴェルニューは顔をしかめた。


「ええ、私は反対です。宣戦布告しても勝てる保証は何処にもありません。寧ろ負ける可能性の方が高いでしょう」

「何だと貴様! 戦う前から負けを認めるとは臆病風に吹かれたか!」

「ライセル侯、よくお聞きください。我がノイスバイン帝国の兵はドレイク王国の五倍はいるでしょう。数の上では圧倒的に有利です。しかし、竜人ドラゴニュートは高い身体能力を持ち、空を飛ぶことができます。馬よりも早く飛び、空から奇襲を行う相手に、勝つことは容易なことではありません。しかも、竜人ドラゴニュートの鱗は並大抵の矢では傷つけることができないのですよ?」

「いまさら何を言うかと思えば。そんなことは百も承知している。確かに竜人ドラゴニュートの身体能力は恐るべきものだ。だが魔法は使えないと聞いているぞ。それに比べ我が国内には魔術師が大勢いる。いかに頑強な鱗で守られていようとも、魔法の前ではひとたまりもあるまい」

「その魔術師とて無限に魔法を放てるわけではありません。どうか考え直してください」

「もう遅いのだ。そうであろうヘスラー」


 ライセルはギロリとヘスラーを睨んだ。

 ヘスラーは帝国領の南に領地を持ち、四大派閥を束ねる貴族の一人だ。

 年齢は40歳手前の恰幅の良い気弱な男で、本来であれば当主の器ではなかった。ヘスラー自身も当主になりたくてなった訳ではなく、ただ継げる者が自分しかいないため、なし崩しに当主にされたに過ぎなかった。

 派閥もそのまま受けついだが求心力はなく、派閥に所属する貴族にさえ陰口を叩かれる始末だ。

 しかも、当主になってからは降って湧いた食糧難。そんな中でヘスラーの派閥でも困窮する貴族が多数出たが、派閥内の貴族を助けるという選択肢はヘスラーにはなかった。

 派閥内の貴族の中には、他の派閥に助けを求める貴族もいたが、あろうことか一部の貴族が、ドレイク王国の街を襲い食料を奪っていた。

 ヘスラーが気づいた時には既に遅く。この事実を隠すため、ドレイク王国の使者は帝都に近づく前に追い返し、時には殺害まで行っていた。

 ドレイク王国の近辺を調べていたライセルの部下が、偶々その情報を掴み、今朝になってライセルの元へ届けられていた。

 ライセルに尋ねられて、ヘスラーの体は仰け反り顔面蒼白になる。椅子の背もたれがなければ、そのまま後ろに倒れていたかもしれない。

 思わせぶりなライセルの問いと、ヘスラーの変化を見て、誰もが何かあったと悟っていた。


「何かあったのだな?」


 皇帝の問いにヘスラーの心臓は跳ね上がる。緊張のため鼓動は高鳴り速度を増す。ライセルの態度を見れば全て知っているのは明らかだ。もう隠すことはできない。

 ヘスラーは震える手でグラスを掴もうと手を伸ばす。だが上手く掴めずグラスは床に落ちて粉々になった。それはまるでヘスラー自身の未来を暗示する光景であった。

 後ろに控える従者が手早く替わりのグラスを用意する。ヘスラー一人では満足にグラスすら持てない有様だ。

 従者に口元まで飲み物を運んでもらい一息つくと、観念したのかせきを切ったように話し始めた。


「実は――」


 その内容に誰もが怒りを顕にする。貴族が他国の街で略奪を行う、それは宣戦布告をしているのと同じことだ。

 相手に攻め入るにも必要最低限の礼儀がある。本来であれば大義名分を掲げて宣戦布告を行い、相手に場所と時間を示した上で戦いは行われる。しかも使者まで手にかける行為は、ドレイク王国のみならず、他の国からも強く非難される行いだ。

 怒りに満ちたゼファインの声が響き渡る。


「この恥知らずが! 派閥の貴族がドレイク王国の街を襲っただと? しかも使者まで殺すとは、なんと言うことをしてくれたのだ!!」


 怒声を浴びせられたヘスラーは、身を縮めて震え上がるばかりだ。

 オヴェールは事態の重さに項垂れていた。目の前のテーブルに視線を落としているが、瞳の焦点は合っていない。


(まさか使者まで手にかけるとは。他国に知れたらどんな難癖をつけられることか。ドレイク王国に勝利しても、他の国が黙っていないかもしれんな……)


 皇帝のオヴェールが口を開かないのを見て、代わりにゼファインが声を荒げる。


「此奴を牢屋に放り込んでおけ! 勝手にドレイク王国を襲った貴族も一緒にだ!」


 ゼファインは額に青筋を浮かべながら肩で息をする。深く息をして呼吸を整えると、最後にオヴェールの同意を求めた。


「よろしいですな、陛下」


 尋ねなくとも結果は出ている。だが処罰の相手は自分と同じ侯爵家の当主だ。ゼファインは処遇を決める権利を有していないため、皇帝の言葉は絶対に必要だ。


「仕方あるまい。その通りにせよ」


 皇帝の言葉で控えていた護衛が動き出す。ヘスラーは両肩を抱えられると、我を取り戻したのか必死に訴え始めた。


「離せ! 私は悪くない! 街を襲ったのは他の貴族だ! 離せ! 離さないか! 陛下、お助け下さい! 私は関係ないのです! ドレイク王国の街を襲ったのは私ではございません! 全ての責任は街を襲った貴族にあります! 陛下! 陛下!」


 必死に自分自身を擁護しているが、まるで子供の言い訳だ。

 どう考えても責任の一端はヘスラーが担っている。少なくとも隠蔽工作と使者の殺害、この二つはヘスラーの指示で行われている。

 終いには泣きながら弁明するが意味は無かった。


「この恥さらしを早く追い出せ!」


 オヴェールの言葉でヘスラーは扉の向こう側に姿を消す。

 事態を悪化させたヘスラーを庇う者がいるはずもなく、連れ出された扉には冷ややかな視線が浴びせられていた。


「なんということだ……」


 オヴェールは絶望していた。もう戦うしかないからだ。

 ドレイク王国の国王ヒューリが、街を襲われて怒りに震えている姿は容易に想像がついた。例えこちらから攻め込まなくても、相手が宣戦布告をしてくるのは時間の問題だ。


「陛下、どうされるおつもりですか?」


 ゼファインは悲痛な面持ちで尋ねる。戦争などしたくはないが、そんなことを言っていられない状況になってしまった。

 ゼファインの治める領地の一部は、ドレイク王国との国境に面している。もし攻め込まれるようなことにでもなれば、領民に多くの犠牲が出るのは間違いない。覚悟を決める必要があった。

 悲痛な面持ちのゼファインを見て、オヴェールは肩を落として小さく答える。


「戦うしかないだろうな……」


 暫くして戦に反対するヴェルニューが異を唱えた。


「本気ですか陛下? 全面戦争になればどれだけの被害が出るか分かりません。場合によっては、ノイスバイン帝国そのものがなくなる恐れもあるのですよ?」

「私も陛下と同じだ」

「ゼファイン侯、戦いに反対していた貴方まで……」


 ヴェルニューは一縷の望みをオヴェールに託す。


「どうかお考え直しください、陛下!」


 オヴェールは俯きじっと考えていた。国を守るためにどうすべきかを、何が最善であるのかを――。そして一つの考えが纏まり、顔を上げて反対するヴェルニューを見据えた。 


「ドレイク王国とは戦う。だが戦いは互いの領土を賭けた限定戦争にする。それならば国がなくなるようなことにはなるまい」


 限定戦争。

 数百年前に死の大地を作り上げた壮絶な戦い。その後に四カ国で取り交わされた盟約の一つ。当時の停戦協定にも盛り込まれ、今でも文章として残っている戦争の仕方だ。

 当時の戦いでは後方の街や城が襲われるのは当たり前。騙し討ちや人質を取るなど、それこそ何でも有りのやり方だった。多くの市民が犠牲になり、数え切れないほどの死者が出た。

 その時の教訓を生かし、今後この四カ国が武力で争うことがあるのなら、開戦時間と場所を決め、条件を設けた戦争。限定戦争にて決着をつけると、取り交わされていた。それは決められた戦場で、どちらか一方が降伏するまで戦い抜くというものだ。領土を賭けた限定戦争では、勝者は敗者の領土の一部を奪うことが出来る。


「限定戦争ですか? 確かにそれなら……。しかしドレイク王国は承知するでしょうか?」

「ドレイク王国とて受け入れるしかないであろう。何でもありの戦争になっては、被害は予想できないものになるからな」


 オヴェールは被害を最小限に抑えるために提案するが、限定戦争にも落とし穴はある。それはどちらか降伏するまで戦いが行われると言うことだ。どちらも降伏しないときは、一方が全滅するまで戦いは終わらない。

 もっとも、そこまで戦うのは馬鹿のすることであり、形勢が悪ければ被害が少ない内に白旗を上げるが普通だ。


「……やはり納得しかねます。如何に限定戦争とは言え、死者は途方もない数になるでしょう。陛下、本当にそれでよろしいのですか?」

「ヴェルニューいい加減にしないか! 陛下のお決めになったことだ!」 


 ライセルが声を荒げる。


「陛下が言っただろう。戦うしかないのだ。飢えに苦しむ民のためにも。私の領地では食料が底を突き、領民の我慢も限界に来ている。いつ暴動が起こっても不思議ではないのだ。私の領地だけではない。民が飢えているのは何処も同じだ。手をこまねいていては、我が国は自滅の道をたどることになる」


 ライセルはそれしかないと言い切るが、やはりヴェルニューは納得できない。


「本気で勝てると思っているのか?」

「勝てるではない! 勝つのだ! 陛下、我が国には2000を超える魔術師がいます! 宮廷魔術師には第6等級を使える魔術師もいると聞きました! それらを投入すれば必ず勝てます!」

「馬鹿な! そんなことよりも、ドレイク王国へ使者を送り謝罪すべきだ! 争いを回避することが最も重要ではないか!」


 オヴェールの答えは決まっていた。

 謝罪だけで許して貰えればよいが、こと国同士の揉め事でそんなことは有り得ない。それぞれの国にも面子がある。相応の金銭が要求されて然るべきだ。

 しかし、自国の財政では和解金を用意できないのは目に見えていた。仮に金銭を掻き集めて用意できたとしても、あとに残されているのは飢えとの戦いだ。それを思えば残された答えは一つしかない。


「ヴェルニュー侯、私も出来れば戦いたくはない。だが、このままでは我が国は何もせずとも滅んでしまう。分かってくれ」

「陛下……」


 斯くしてドレイク王国侵攻が決まる。それから数日後、ノイスバイン帝国からドレイク王国に宣戦布告がなされた。

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