第30話 竜王国15

 レンは大きく息を吐き、気合を入れ直すと声を張り上げた。


「聞け! アテナが魔道具を完成させてくれた。それを今からお前たちに渡す」

「ヘスティア、傍へ来て左手を出せ」


 ヘスティアは瞳を見開いた。ニュクスやアテナの指輪には気付いていたが、魔道具だと理解していたため、レンが嵌めてくれるのは予想外のことだ。

 レンは人間に近い考え方をする。そのためヘスティアも、人間の結婚については既に調べがついている。左手薬指に指輪を嵌めてもらうのは結婚の証。伴侶の証であると知っていた。

 ヘスティアは自分の左手を厳かに差し出す。しなやかな薬指に指輪が嵌められると、感極まり涙を流してレンに抱きついていた。


「これからも末永く、どうか末永くお願いいたします」


(えっ? 違うから? 結婚じゃないから。もう結婚するのが当たり前みたいな流れになってるけど、そうじゃないから。最初に魔道具って言ったよね?)


「結婚指輪ではない。会話のための魔道具だ。勘違いをするな」

「婚約指輪だそうよ」


 ニュクスが嬉しそうに自分の指輪を摩りながら追い打ちをかけてくる。


「婚約も結婚も同じようなものです。やはり初夜は三人同時でしょうか?」


 ヘスティアの言葉に三人の期待するような視線が集まる。狙った獲物は逃がさないと、レンから視線を外さない。


(初夜だと? 何を馬鹿なことを! いま手を出したらどんなことになるか。そんな危険を犯すわけがないだろ?)


「何度も言うが、指輪は会話のための魔道具でしかない。結婚は時間をかけて互を知ってから行うものだ。それまでお前たちを抱くことはない」

「でも何れは……」


 ヘスティアが懇願するような眼差しで見つめてくる。ニュクスとアテナもそれは同じだ。三人の圧に押されてレンもたじろいでしまう。


「分かっている。何れはな……」


 最後は消え入るような声だ。 


「さぁ、もういいだろ? 席に戻れ」


 命令に従い席に戻ったヘスティアは、指輪をかざしてまじまじと眺めていた。表情は恍惚に潤み、明らかに妄想の世界に浸っている。

 同時にオーガストたち上位竜スペリオルドラゴンが瞳で訴えかけていた。あんなものを見せつけられては我慢できるはずがない。

 自分たちにもと、じっと祈るようにレンを凝視している。


(そんなにこっちを見なくても渡すから! もしかして呪いか? 俺を見つめることで呪いでも掛けてるのか? もしそうなら怖いから勘弁してくれ……)


「オーガストを始めとする上位竜スペリオルドラゴンにも指輪を渡す。順番に私の元に来るがよい」


 それを聞いた上位竜スペリオルドラゴンは心の内で狂気乱舞する。互の顔を見合わせては、信じられないと笑みを零す。だがニュクス、アテナ、ヘスティアは面白くない。上位竜スペリオルドラゴンが自分たちと同等に扱われることが許せなかった。

 ヘスティアはレンの様子を窺いながら、気付かれないように隣に座るアテナに囁いていた。


「あの指輪、レン様が直接嵌めて差し上げる必要があるの?」


 アテナは顔をしかめるも本当のことは言えない。


「ええ、その通りよ」


 アテナの言葉にヘスティアは顔を曇らせた。何でそんなことを、そう尋ねようかと思ったが、その理由は聞かなくても分かる。

 自分たちがレンから指輪を嵌めてもらうには、そうするのが最も確実だからだ。

 ヘスティアとて、もし魔道具の製作を頼まれていたら同じ事をしたかもしれない。アテナを責めることはできなかった。

 目の前ではオーガストが跪き、真っ直ぐレンを見上げている。


「オーガスト、左手を」


 オーガストは言われるまま左手を差し出すと、その手は優しく持ち上げられ薬指に指輪が嵌められた。


「偉大なるレン様のご慈悲に感謝いたします」


 オーガストは自分も妻の一人に選んでもらえたと思っている。慈悲を与えられ妻に選んでもらえた。その思いを込めての発言だったが、レンには言葉の意味が理解できずにいた。


(慈悲に感謝? よく分からないが、まぁ勘違いをしてなければなんでもいいや……)


「そうか、これからも頼むぞ」

「お任せ下さい。生涯レン様を支えてまいります」


 オーガストの瞳からな並々ならぬ決意を感じる。その表情を見てレンは顔をしかめた。


(……勘違いしてないよな?)


 オーガストを下がらせると順次指輪を渡していく。オーガストに習い全員同じ言葉を返してくるが、やはりその瞳からは並々ならぬ決意を放ち、その度にレンをたじろがせた。

 唯一、メイだけは自由に振舞っている。何の事か良く分かっていないのか、適当に手を出し、嵌められた指輪をかざして喜んでいた。


「綺麗なの!」

「そうか、良かったな」

「はいなの!」


 メイは見せびらかすように指輪を掲げて走り回る。だが直ぐにフェブに捕まると、借りてきた猫のように大人しくなった。

 正確には後ろから首を鷲掴みにされ、強制的に大人しくさせられている。


(相変わらずメイの扱いが酷いな。小さい子には、もう少し優しくしてもいいと思うんだが……)


「フェブ、メイを離してやれ。メイも大人しく椅子に座るように」

「はっ! 畏まりました」


 解き放たれたメイは意気揚々と動き出す。


「レン様、ありがとなの」


 席に戻るとちょこんと椅子に腰掛け、いつまでも指輪を眺めていた。


(やれやれ、後は男性陣か。やっぱり俺が嵌めてやらないと駄目なんだよな? なんか嫌だ……)


 レンは再度覚悟を決める。

 くじけそうになる心を強く保ち、ディセを呼びつけた。


「ディセ、左手を出せ」


 ディセと呼ばれた少年は小首を傾げた。外見は15歳前後、ショートカットの金髪。貴族のような豪奢な衣装を身に纏い、優雅に振る舞うその様は本物の貴族のようでもある。

 実際、ノーヴェのように本当に貴族をしていたのかもしれない。端正な顔立ちの色白の少年は、不思議そうに左手を差し出していた。


「我々も左手でございますか?」


 ディセが何故? と訝しげに尋ねてくる。当然だ。レンとて立場が違えば必ず尋ねただろう。男同士で指輪を嵌められて喜ぶのは一部の人間だけだ。


「この魔道具は、私が左手薬指に嵌めてやらねばならんらしい」

「なるほど、そういう事でしたか」

「嫌だろうが受け入れてくれ」


 レンがディセに指輪を嵌めると、ディセは嬉しそうに否定する。


「嫌なことなどございません。この指輪に恥じることのない働きをいたします」


 笑みを浮かべるディセの表情を見たレンは複雑な気持ちだ。


(無理やり感謝させているようで申し訳ないな。男に指輪を嵌めてもらっても気持ち悪いだけだろうに。美味しいご飯を食べれば嫌なことは忘れるかも知れない。早く終わらせて食事にしよう)


 レンは半ば投げやりになると、残りのオクト、セプテバを呼びよせ指輪を嵌めてやる。そして全員に指輪が行き渡ると、今度は使い方の説明を始めた。

 指輪を渡しても使い方が分からなければ意味がない。ただの羞恥プレイで終わっては、レンの苦労が水の泡だ。


「指輪の使い方は簡単だ。話したい相手を思い、指輪に話しかけるだけでよい。試しにいま使うことを許す」


 直後、レンの頭の中に一斉に言葉が入ってきた。

 複数の言葉が重なり殆ど聞き取れない。


(ちょと待て! うるさい! 俺にだけ話しかけるな!)


「落ち着け! 私にだけ話しかけても指輪の効果は理解できないはずだ。後で他の者と会話をして、どのように聞こえるのかも確認しろ。それと私に対して指輪で会話をするときは、どうしても伝えることがあるときだけだ。それ以外での使用は禁止とする」


 全員がどうしてと言わんばかりに見つめてくるが、レンは説明するのも面倒になり、さっさと食事を始めることにした。


「私はお腹が空いている。指輪のことはこれくらいにして食事を始めるぞ」


 竜王を飢えさせるなどあってはならい。そう言われては何も言えなくなる。

 昼夜問わずレンと会話できる。そんな考えを抱いた女性陣の野望は、食事の前に敢えなくついえた。

 レンは皿に盛られた料理をナイフで切り取り、頭に入ってきた言葉を振り返っていた。気になる言葉もあり、一瞬だけ身震いがしたからだ。


(さっき頭に流れ込んできた言葉。抱いて欲しいと聞こえたが、あの声はニュクスだったよな? やはり一番警戒すべきはニュクスか。後はメイの声が聞き取れたな。ごはんと言ってた気がする。言われて見れば、料理を目の前にして食事を我慢するのは辛いことだ。他はしらん。俺は聖徳太子じゃないんだ。全てを聞き分けられるはずがない。皆が好意を寄せてくれるのは嬉しいが、あの調子で同時に話しかけられたら精神が可笑しくなりそうだ。もうこれで厄介事は終わったよな?)


 レンは胸を撫で下ろすが、一番の厄介事がまだ残されていた。

 ノイスバイン帝国はその動きを徐々に加速させている。既にドレイク王国への宣戦布告はなされ、開戦場所には兵士が着実に集まりつつあった。

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