第29話 竜王国14

 レンの姿を見つけたヘスティアが嬉しそうに話しかけた。


「レン様、今日はお早いのですね」

「ああ、ニュクスが転移門トランスゲートを完成させてくれたからな。もしかして、いつもこんなに早く集まっているのか?」

「当然でございます。レン様をお待たせする様なことがあってはなりません」


 ヘスティアはさも当然のように答えた。周囲に視線を向けるとみな頷き合い、自分たちにとってこれが当たり前であると主張している。

 レンは一時間以上も遅刻した日のことを思い出し、罪悪感でいたたまれなくなる。毎日こんなに早く来ているなら、あの時は一時間半以上も待っていたと言うことだ。

 レンは申し訳なさそうに、そっと自分の椅子に腰を落とした。だが、どう考えても流石にこれは早すぎる。


「ヘスティア、こんなに早くから集まる必要はない。いつも何分前に集まっているんだ?」

「二時間前でございます。もう少し前から集まった方がよろしいでしょうか?」


(はぁあぁぁぁ? いや、聞き間違いかも知れない……。きっとそうに違いない。頼むから間違いであってくれ!)


「すまない、よく聞き取れなかった。もう一度言ってくれ」

「二時間前でございます。やはり遅すぎですわよね。今度から三時間前にいたしましょう」


(馬鹿か! 一日のうち何時間食堂にいるつもりだ! お前の常識はどうなっている! 可笑しいと思わないのか?)


「ヘスティア、それはお前が決めたのか?」

「はい、その通りでございます。私はこのような一般常識には精通しておりますので」


 ヘスティアは胸を張ると自信満々に答えた。自分の言っていることは正しいと疑う様子もない。レンは常識の持ち主と思っていたヘスティアの言葉に愕然となる。


(二時間前行動が常識だと? 今回のことで良くわかった……。ヘスティアはどうしようもないくらい非常識だ。もしかしてドレイク王国でも、ヒューリを二時間前に待機させていたんじゃないだろうな? 相手は一国の王だぞ? とにかく二時間前行動は絶対にダメだ! 三時間などもっての他だ!)


「ヘスティア、二時間前は早すぎる。食事の時間に皆いればよいのだろ? ならば五分前行動にしよう」


 レンの言葉を聞いたオーガストたちが、まるで救いの神が現れたかのように瞳を輝かせる。


(お前たちも苦労してるんだな。さっき頷いたのは、ヘスティアの顔を立てるためか)


 しかし、ヘスティアも簡単には折れない。自分の意見が正しいと言わんばかりに反論を始めた。


「いけません! 今日のようにレン様が早く食堂に入られることもあるのです」

「私が皆を少し待つくらい問題はな――」

「問題大有りです! レン様を待たせる者は死んだ方がましです! いえ、寧ろ私が殺します!」


 レンはヘスティアのあまりの剣幕に耐えかね、縋るようにニュクスとアテナに視線を向けるが、何故か二人ともそうだと頷いている。


(この二人にも常識がなかったな……)


「ではこうしよう。私は食事の時間よりも必ず遅く食堂に入る。これなら問題はないはずだ」

「ダメです! レン様が気を使われるなどあってはなりません!」


(なんて頑固なんだ。しかしどうする? 二時間前行動なんてアホなことを認めるわけにはいかない。なにか適当な褒美を与えて黙らせるか? 指輪は――全員に与えるから褒美にはならないだろうし。何でもするとか言ったら、結婚してとか言われそうで怖いしな。取り合えずいろいろ試してみるか……)


「ヘスティア、五分前行動に直してくれたら頭を撫でてやろう」


 ヘスティアは小首を傾げて考える。


(うん、全然だめだ)


 レンがそう思ったのも束の間。言葉の意味を理解したヘスティアが満面の笑みで迫る。


「いま直ぐ! いま直ぐに! 五分前行動にいたしましょう!」

「そ、そうだな。食堂には五分前に来ればよい。これはあくまで心構えだ。遅れても罰則等はないものとする』


 レンが話している間にも、ヘスティアが頭をぐりぐり差し出してくる。


(だから! お前たちは何でそんなに圧が強いんだよ!)


 レンはヘスティアの頭を抱えて優しく撫でてやる。普通に撫でているだけだが、まるで天にも昇るような心地よさがヘスティアを襲う。

 恍惚の表情で身悶えるヘスティアを見て、ニュクスとアテナも動き出す。


「レン様、私たちも五分前行動は納得できません」


 アテナの言葉で振り返ると、そこには何かを期待するような、にやけ顔のニュクスとアテナが立っていた。


(そうか……。三人を納得させないといけないのか……。あとニュクス、頼むから涎は拭いてくれないか?)

 

 レンは早々に諦めた。結局、三人を納得させるには頭を撫でるしかないのだと。


「分かっている。順番に頭を撫でてやろう」


 了承を得ると次にアテナが頭を摺り寄せてくる。同じように頭を抱え、長い髪をすくように撫でる。アテナの顔はだらしなく緩み、身悶えさせながら喜んでいる。

 次にニュクスへ視線を向けるが――どうしても涎が気になった。


「ニュクス、涎が垂れている。拭いたらどうだ?」

「お気になさらずに、このままでかまいません」


 ニュクスはにやけ顔を通り越して鬼気迫る顔で訴える。


(俺が気にするんだよ! 涎はお前なりのマーキングのつもりか?)


 レンはニュクスの顔にたじろぎながらも、頭を抱えて撫でてやる。身悶えして喜んでいるのは二人と同じだが、不気味な笑い声がそれに混じる。


「ぐふ、ぐふふふふ……」


 余りの恐怖で身の毛がよだつ。


(笑い方が怖すぎるだろ!)


 見下ろすと胸の中ではレンの匂いをニュクスが必死で嗅いでた。

 レンの体臭を吸い込むように、何度も大きく深呼吸している。衣装には涎がべったりと付き、大きなシミを作っていた。


(ひぃぃぃぃ! は、早く離れないと!)

 

「も、もういいだろ?」


 ニュクスを強引に引き剥がそうと手で押すがびくともしない。ならばと全力で押すが全く離れない。


「ニュクス! もう終わりだ!」

「まだでございます。もう少し、もう少しだけ……」

「ニュクスだけ長いのはずるいです」

「そうね。私たちもレン様を堪能いたしましょう」


 アテナが不貞腐れていると、ヘスティアが余計な提案をしてくる。二人は視線を合わせて頷くと、レンの左右から抱きついた。


(いやダメだから!)


 レンが語気を強める。


「いい加減に三人とも離れろ! 私に嫌われたいのか!」


 流石にこれ以上は無理と判断したのか、三人は名残惜しそうにレンの体を手放した。ニュクスの唇からは銀色に輝く糸が伸び、レンの衣服へ繋がっている。十分に満足したのか、その表情に鬼気迫るものはなく、逆に艶っぽい雰囲気を醸し出していた。

 あろうことか、ニュクスはこのとき軽く絶頂に達していた。誰にも気付かれなかったのが不幸中の幸いである。

 席に戻るニュクスたちを見てレンは深い溜息を漏らした。

 

(これから更にヘスティアたちに指輪を渡すのか? もう勘弁してくれ……)

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