第7話 ドレイク王国3
(それにしてもニュクスには参った。まさか風呂に入ってくるとは、恥じらいがないのか? 今は安らぎが欲しい。遭難してから一日が長く感じる)
レンは風呂に入りながら下半身の戦闘モードが解除されるのをじっと待つ。
風呂を上がってもニュクスが待ち構えているかと思うと気が気ではない。あの妖艶なニュクスに迫られたら、レンには我慢できる自信がなかった。
(逃げ出してカオスの部屋にでも転がり込みたいが……。ニュクスは護衛だから一晩中部屋にいるだろうし、気付かれずに逃げることは出来ないはずだ。カオスは我関せずで巻き込まれるのを避けていた。協力は見込めない。ヒューリは……、考えるまでもないことだ。
悩んでいる間にムラムラした気持ちは落ち着きを取り戻す。重い足取りで湯船から出ると最後にシャワーを軽く浴びた。
用意されているバスタオルで体を拭き、
レンは日本とイタリアのハーフということもあり、髪は以前から金色も混じっていたが、今のような金一色ではない。改めて鮮やかな黄金色の髪を見ると、自分が竜王になった実感が湧いてくる。
髪がしっかり乾いたのを確認し、置いてある衣服に手を伸ばした。袖を通すと心地よい肌触りで、風呂上がりの肌にも貼り付かない。細かな刺繍も施されていることから高価な生地なのが窺えた。
浴衣のような衣装の帯を締めて、レンは寝室への扉の前で足を止めた。ドアノブに手をかけると、恐る恐る扉を開いて部屋の様子を覗き込む。
そこにニュクスの姿はない、だが何処にいるかは予想がついている。
ベッドに目を向ければ、薄い天蓋越しに布団がモゾモゾ動き、布団の隙間からニュクスが顔を覗かせていた。
期待するような瞳でじっと見つめるが、当然それに応えるつもりはない。
(……はっきり言った方がいいだろうな)
「ニュクス、お前が私に寄せる好意は嬉しい。だが私たちは出会って間もない。お前が望むことは理解しているが時期尚早だ。今はまだ抱くことはできない」
ニュクスは薄いレースの衣装に身を包んでいた。
そのままベッドから這い出ると、レンの足元まで来て崩れ落ちるように絨毯の上に両膝をつき、レンの顔をじっと見上げている。
胸の位置で両指を組み、目の端に涙を浮かべながら縋るように口を開いていた。
「それではいつ、レン様のご寵愛を受けられるのですか?」
好意は嬉しいと言っているのだから嫌われてはいない。時間をかければいずれ抱いてもらえるだろう。
しかし、ニュクスには直ぐにでも抱いてもらいたい理由がある。それは邪魔なアテナとヘステイアがいるからだ。
竜王の妻の座を狙い、あの二人もレンに並々ならぬ思いを寄せている。いつ出し抜かれるか分からないため、不敬と分かっていても、ニュクスは早る気持ちを抑えられずにいた。
「断言することは出来ない。だが互いを知るためにも、数年の時間をかける必要があるとだけ言っておこう」
「数年――そんなに待ちきれません。お願いでございます。どうかご慈悲を」
「くどい! これは決定事項だ。今後この部屋の中央から先、ベッドがある奥に入ることは禁止する」
ニュクスはこの世の終りを迎えるような絶望の表情で涙を流す。
俯きながら、そしてゆっくりと立ち上がると、ソファのある場所まで下がり、棒立ちのまま動かなくなった。
(不味い! 泣かせてしまった!)
狼狽えながらも慰めなければと必死に考える。だが、恋愛経験が皆無のレンには、どうすればいいかなど分かるはずもない。
無い頭を絞り、やっと出てきたのはドラマでの一場面だ。
(やはりここはあれか?)
ドラマの場面を思い出し、ニュクスにそっと近づいた。優しく抱き寄せると、不意を突かれたニュクスは体を震わせている。
レンは勇気を振り絞り、慰めるように優しく語りかけた。
「ニュクス、お前のことを嫌っての発言ではない。むしろ大事に思えばこそ、時間をかけて愛を育みたいと思っているのだ」
レンの言葉にニュクスは目を丸くする。
大事に思えばこそ、愛を育みたい。その二つの言葉がニュクスの頭の中で何度も繰り返される。
見上げるニュクスの顔には、いつの間にか満面の笑みが浮かぶ。先程まで絶望の涙を流していた瞳からは、歓喜の涙が溢れ出す。
しかし、さらに泣き出すニュクスを見てレンは更に動揺する。
考るより早く自然と体が動いていた。
屈むように顔を近づけると、その頬に唇を押し当てゆっくりと離した。
ニュクスの目は大きく見開き瞳が揺れ動く。
(何とかしなければと思わずキスをしてしまった……)
レンにとっても初めてのキスだ。
ニュクスは顔を赤く染め潤んだ瞳でレンに
(どうにかなったか? それにしても、このままだと胸の感触が伝わってくる。ニュクスの姿も問題だ。着替えをさせて早く部屋を出た方がいいだろうな)
レンは落ち着きを取り戻すように努めて冷静に口を開いた。
「ニュクス、部屋を出るので着替えをしろ。その姿では問題がある」
今のニュクスは薄いレースの衣装を一枚羽織っただけ、見えてはいけないものが
「畏まりました。直ぐに着替えを行います」
ニュクスはチェストから衣装を取り出すと、おもむろに脱ぎ出し着替え始めた。
躊躇なく脱げるのはレンに裸を見てもらいたい。その一途な思いからなのだが、知ってか知らずか、レンは当然のように背を向けている。
ニュクスを伴い部屋を出ると、入口に控える使用人から声が掛けられた。
「レン様、ニュクス様、お食事のご用意が整っております」
「カオスたちはどうしている。もう向かったのか?」
「はい。もうお席に着いている頃だと思われます」
「そうか、それなら案内を頼む」
「承知いたしました」
食事と聞いたレンは腹を擦る。
(食事と聞いたら途端にお腹が空いてきた。ここ数日まともに食事を取っていない。行動食を僅かに食べていたが、お腹を満たすには程遠い)
案内されるまま城の中を歩く、部屋数も多く一人では自室に帰れそうにない。
使用人は立ち止まると「こちらでございます」と、一言告げ洗礼された動きで扉を開けた。
扉の向こうでは、既にヒューリやカオスたちがテーブルに着いている。促されるまま上座に座ると、料理が次々と運ばれてきた。
テーブルの上には所狭しと美しい料理が並べられ、食欲をそそる美味しそうな匂いが部屋の中に漂う。
当然のように傍には給仕の
「レン様、ささやかな食事でございますがお楽しみください」
レンの前には見たこともない豪華な料理が並んでいた。
肉を主体とした料理が多く、野菜は僅かに飾りとして添えているだけだ。
(凄いな! これだけ豪華な料理は見たことがない。食べるのが勿体無いくらい綺麗に飾り付けられている。食べ方すら分からない料理も幾つかあるし……)
「ヒューリ、初めて見る料理も多く私は作法を知らない。好きに食べさせてもらうが構わんな」
「当然でございます。作法など些細なことに拘る必要はございません」
(よし、お許しも出たし好きに食べよう。腹が減って我慢するのも辛い)
レンは幾つも並んでいるナイフやフォークから使いやすいサイズを選ぶと、それだけで黙々と食べ進める。
食事のマナーをヒューリたち
聞かれたらもちろん教えるが、聞かれもしない事を竜王に教えるなど、そんな失礼な真似は絶対に出来ないからだ。
カオスたちも各々自分の食べやすい食べ方をしている。ヒューリたち
レンは次々と料理を口に運んでいく。香辛料で味付けされたスパイシーな料理が多いせいか、食は自ずと進んでいた。
所狭しと並ぶ料理がなくなる頃には、お腹は十分に満たされて動けないほどだ。
(ふう、美味かった。こんなに食べたのは久し振りだ)
レンが食事に満足し人心地つくと、タイミングを見計らいヒューリが口を開いた。
「レン様、お願いがあるのですがよろしいでしょうか?」
(お願いか……。世話になっている恩もある。ここは一肌脱ぐか)
「何だ、申してみよ」
「はっ! 私の家臣にもレン様のお言葉を賜りたく。各地から呼び集めようと思っております。よろしいでしょうか?」
(えぇぇ……、正直嫌だ。全然よろしくない。言葉を賜るって何だ? 何を話したらいいのかも分からないのに、お偉いさんの前でどうしろって言うんだ。これは駄目だ。庶民にはハードルが高すぎる)
「却下だ。私は見世物ではない」
ヒューリが見るからに落ち込む。
悪いと思うレンだが、無理なものは諦めてもらうしかない。講釈を垂れる学すらないレンには無理な話だ。
無難にやり過ごそうとするが、カオスが横から口を出す。
「レン様、お待ちください」
レンからしてみれば良い迷惑だ。
(カオスまたお前か……。お前が異論を唱えると碌な事がないんだよ)
「何だカオス、申してみよ」
「レン様の御威光を高めるためにも、お言葉を聞かせることは非常に良いことかと」
何となく予想はしていた。カオスは良かれと思い言っているのだろうが、レンからすれば余計なお世話でしかない。
レンは他の三人に視線を向ける。もちろん助けを求めてのことだ。
「ヘスティアはどう思う?」
「私もカオスに賛成でございます」
「アテナ、ニュクス、お前たちもか」
「お言葉を聞かせるのは良いことかと」
「偉大なレン様に平伏する姿が目に浮かびます」
(はぁ~、やはりこうなるのか。この世界に来てからというもの、溜息をつく回数が増えた気がするな……)
「仕方ない。ヒューリ、日時が決まり次第私に知らせろ」
「レン様、ありがとうございます。家臣もみな喜びます」
ヒューリは深く頭を下げ感謝の意を示す。同時に部屋にいる
「今日は疲れた。誰か私の部屋まで案内を頼む」
傍に居た
城の中でレンを襲う者などいようはずがないのだが、それでもカオスたちは警戒を怠る気はないようだ。
部屋に入ると当たり前のようにニュクスも付き従う。
振り返るとアテナとヘスティアの視線が怖い。廊下からニュクスを睨みつけているのが視界の端に見えた。
レンが思うことは一つだ。
(頼むから早く扉を閉めてくれ……)
「ニュクス、先程話したように部屋の中央、ソファのある場所から奥に入ることは許さん」
「畏まりました」
残念そうに俯きながら、それでもニュクスは了承してくれる。
(これで大丈夫だろ。まともなベッドで寝るのも久し振りだ。早く寝て今日のことは忘れよう。面倒事は明日の俺に全て丸投げだ)
ベッドに入ると部屋の明かりを消してもらい布団の中に潜り込む。
布団にはニュクスの良い匂いが残っていた。目を閉じるとその匂いはより一層鼻腔を
疲れていたレンの意識は直ぐに薄れて闇に落ち、程なくすると、ニュクスの香りに包まれながら、レンは静かに寝息を立てていた。
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