第5話 ドレイク王国1
茜色に染まる雲海にヘスティアは飛び込む。
一瞬で周囲は真っ白に染まり冷たい空気が肌を刺激する。雲海を息つく間もなく抜けたその先の大地は、微かに陽の光が差込み夜の帳が落ちようとしていた。
徐々に高度を下げていくヘスティアの後をカオスたちが追従する。大地の草木がはっきりと目に映り、目を凝らした先には街が見えた。
ヘスティアは街の上を大きく旋回すると広場に降り立つ。
幾人かの
続いてカオス、アテナ、ニュクスと次々と降り立っては姿を変え衣服を身に纏う。
周囲を取り囲むように平伏する
(これが
肌は鱗で覆われ背中から翼を生やし、お尻からは尻尾が覗いている。
まさに、人の形をした小さな竜だ。
鱗の色は様々だが、男女問わず力強さを感じる逞しい体躯をしている。
身に纏う衣服には細かな刺繍が施され彩り豊かだ。周囲を見渡すと、建物の扉には細工や装飾が施され文化の高さが
遭難したことで着ている防寒着は薄汚れ、背負っているバッグも所々ほつれている。とても
レンが自分の衣服に視線を落として見比べていると、無情な言葉がカオスから投げかけられた。
「レン様、折角の機会です。この者たちにもレン様のお言葉を聞かせては如何でしょうか?」
(なんだと……。唯でさえ見窄らしい格好で恥ずかしいのに、これは何の罰ゲームだ)
しかし、このまま黙っているわけにもいかず、レンは溜息を漏らしたいのを堪えて口を開く。
「私が新たな竜王、レン・ロード・ドラゴンである。みな楽にするがよい」
長い静寂のなかレンは動揺する。
態度には出さないが心臓は激しく脈打ちまともに思考が働かない。
レンは自分の理解が及ばない中、自分のなりに静寂の原因を考察する。
そして出た答えは……。
(まずいな。あまりの見窄らしい竜王の姿に泣き出す者までいる。このままでは竜王の威厳が損なわれる。なんとかしなくては……)
縋るようにカオスを見ると、「どうだ」と、言わんばかりの満面の笑みを浮かべ、
(何が嬉しいんだ此奴は……。嫌がらせなのか?)
後ろを振り返るとニュクス、アテナ、ヘスティアもカオスと同じように自慢げに笑みを浮かべていた。
レンは泣きたくなるのを堪えながら思う。
(此れからどうすればいいんだ?)、と。
数分前。
上空を旋回する
(あれは今朝お会いしたヘスティア様。しかも
その思いは伝染するかのように、多くの
案の定、中央広場に
御伽噺の類いではあるが、力ある
しかし、それはあくまで御伽噺の中での話だ。集まった
しかも、まだ分からないことがある。
「レン様、折角の機会です。この者たちにもレン様のお言葉を聞かせては如何でしょうか?」
(レン様?)
「私が新たな竜王、レン・ロード・ドラゴンである。みな楽にするがよい」
普通に話しているだけだが、竜王の声は周りを取り囲む
平伏す
(あの方が
神に祈りを捧げる信心深い信者のように――。
街の上空を大きく旋回したヘスティアの姿は城の衛兵の目にも止まり、その情報は直ぐにヒューリにも届けられていた。広場から駆けつけた
それを聞いてヒューリは馬車を走らせた。
自ら飛んだ方が早いのだが竜王を歩かせるわけにはいかない。
逸る気持ちを馬車の中でグッと堪えると、瞳を閉じて心を落ち着かせた。どんなに頑張っても馬車はこれ以上速く走れない。
ヒューリは竜王に失礼の無いようにと、身だしなみを再度整える。
一緒に乗る従者も緊張のためか無言のままだ。
広場が近づくにつれ緊張でヒューリの手が震え出す。
(今からこんなことでは不味い……)
ヒューリは拳に力を入れ固く握り締めると、気合を入れるように自分の頬を殴りつけた。
鈍い音が馬車の中に響きわたる。
目を見開き驚く従者を横目に、「なんでもない」と、一言だけ告げ自分の手に視線を落とす。
震えは止まっていた。
大丈夫、そう自分に言い聞かせてヒューリは近づく広場に視線を向けた。
(とにかく失礼のない様にしなければ……)
その頃レンは広場の中央でどうしようか途方にくれていた。
竜王のために予め用意していたのだろう。レンの前に置かれた椅子は、事も有ろうか一目で玉座と分かる豪奢な椅子だ。
其処に見窄らしい男が座るのだからばつが悪い。
レンは泣いている
馬車はレンの目の前で止まると二人の
豪奢な衣装を身に纏った大柄な
馬車から降りたのは、ヘスティアが待ち望んでいた人物だ。
「ヒューリ、出迎えご苦労です。こちらにおわす御方が新たな竜王、レン様であらせられます」
ヘスティアは労いの言葉を送ると同時にレンを紹介する。
ヒューリは豪奢なマントを
「お初にお目にかかります、レン竜王様。私はこのドレイク王国の国王、ヒューリ・ルボルトスでございます」
レンは
豪奢な衣装はまさに王に相応しい作りで、身に付ける装飾品も意匠を凝らした素晴らしい物ばかりだ。宝石やアクセサリーの価値がわからないレンでも、高価なものだと一目でわかる。
「私のことはレンと呼ぶがよい。ヘスティアのことは知っているな。他の三人はカオス、ニュクス、アテナだ。私ともども暫く世話になる」
レンは三人に視線を向け順次紹介していく。互いに紹介を終える頃には、陽は完全に落ち辺りは闇夜に包まれていた。
竜王の声を聞き感動で打ち震えていたヒューリだが、暗闇の中で竜王を待たせていることに気付くと、直ぐに馬車へと案内する。
「直ぐに城までご案内いたします。どうぞ馬車にお乗りください」
近くで見る馬車には、外側に細かな彫刻が施され、宝石も埋め込まれていた。扉を開けると中は見かけよりも広く、足元には絨毯が敷き詰められている。
「カオス、私の荷物を持て」
足を踏み入れるとふかふかの絨毯の感触が心地よい。
椅子に腰を落とすと程よいクッションが体を包み込み、天井には光りを灯す道具が備え付けられ、馬車の中を明るく照らしていた。
レンに続いてカオス、ニュクス、アテナ、ヘスティア、最後にヒューリが乗り込む。詰めるともっと乗れるのだが当然そんなことはしない。乗れない従者の男が残念そうに馬車の傍で佇んでいる。
最後にヒューリが乗り込むのを確認すると馬車は城に向かって走り出した。
レンは気になっていたことをヒューリに訪ねる。
「ヒューリ、城に風呂はあるか?」
「風呂でございますか? 当然ございます。我々は水浴びしかしませんが、他種族との交流もございますので、城や貴族が滞在する貴賓館などには全て備え付けております」
(風呂があって良かった。山を登ってから何日も風呂に入っていないからな。体中が汗でベトベトして気持ち悪い。とにかく風呂に入って布団で寝たい)
「城に行ったら先ず風呂に入りたい。準備をして欲しい」
「畏まりました。すぐにご用意いたします」
「それと風呂上がりに着替える衣服も用意してくれ」
「はっ! そちらもご用意いたします」
(これで少しは落ち着けるはずだ……)
レンは胸を撫で下ろし、移動する馬車からぼんやり町並みを眺めた。
街は街灯で照らされて、行き交う
(もっと原始的な世界かと思ったが、思った以上に街が整備されているな)
「レン様、何か気になられたことがおありでしょうか?」
物珍しそうに外の様子を覗うレンにヒューイが尋ねる。
「いや、街の至る所に明かりを灯し、文明が高いと驚いていたのだ」
「そのような事でしたか。各国が交流し、情報を交換し合うことで、互いの技術を高めあった結果です」
「結構じゃないか。お互い切磋琢磨し競い合う。悪いことではないからな」
「そうなのですが、最近は他種族との関係も悪化しておりまして……」
途端にヒューリの顔が曇り俯いてしまう。
釣られてレンも顔をしかめた。
(何か深刻な事なのか? 世話になるんだ。俺に出来ることなら力になりたいが……)
「力になれるかもしれん。話してみよ」
ヒューリはどうしようか戸惑いながらも話し始めた。
「この国の東には荒野が広がっております。数百年前までは緑あふれる豊かな土地で、その土地を巡り四つの国が争いをしておりました。四つの国とは北の国ノイスバイン帝国、東の国エルツ帝国、南の国サウザント王国、そして西の国、我がドレイク王国でございます。各国がその豊かな土地に陣地を築き、どの国も一歩も引き下がりませんでした。戦いが長きに渡ったことで、豊かな大地は踏み荒らされ、魔法で焼き尽くされました。結果、土地は荒れ果て生物は姿を消し、死の大地と呼ばれるまでになります。奇しくも豊かな大地が無くなった事で停戦協定が結ばれ、死の大地は不可侵領域と定められました。この争いから数百年、互いの国は国交を結び共に発展してきたのです。しかし、数ヶ月前から北のノイスバイン帝国が我が領内に侵攻し、食料を強奪するなど困っております。まだ小競り合いで大きな被害は出ていませんが、これからどうなることやら……」
(もしかして戦争か? 滞在先で戦争なんて冗談じゃない。話し合いでどうにかすればいいのに……)
「話し合いには応じないのか?」
「使者は幾度となく送ったのですが取り合ってもらえず。最近では送った使者が戻ってくることもございません」
(相手はやる気満々かよ。勘弁してくれ……)
「何故この国なんだ? 他にも隣国はあるだろうに」
「確かに我が国の他にエルツ帝国が隣接しております。しかし、ノイスバイン帝国とエルツ帝国の国境沿いには山脈があるため、大軍で攻め込むのは難しいのです。それに我が国は豊かな大地に恵まれております。ノイスバイン帝国は近年の天候不順で食糧難が続いておりますので、実りある豊かな土地が喉から手が出るほど欲しいのです」
「食糧支援で何とかならないのか?」
「恐れながら、一時的な食糧支援は我が国でも行いましたが、恒久的に行うことは不可能です。それはノイスバイン帝国も承知しているからこそ、近年の侵攻なのでしょう」
レンは馬車の天井をぽかんと見上げた。
(よし、お手上げだ。何も聞かなかったことにしよう)
「レン様、丁度よい土地が見つかって何よりです」
(カオスは何を言っているんだ?)
「丁度よい土地だと?」
「はっ、その通りでございます。不可侵領域なる土地です。誰の土地でもないのですから、レン様の土地といたしましょう」
(……いや、どう考えてもダメだろ。カオスは頭が可笑しくなったのか? それに死の大地と呼ばれる荒野だぞ? 生活をするには金が要るんだ。グラゼルの財宝だって無限じゃない。実りが期待できなければ収入を得ることが出来ないじゃないか)
「それは問題があるのではないか? そもそも荒野を手に入れてどうするつもりだ」
「ヒューリ、不可侵領域は四カ国によって定められた。つまりそれ以外のものは出入り自由、そうだな?」
「その通りでございます」
「レン様、この通り我々には何の問題もございません。他の国が入れないのであれば、レン様の土地にしても問題ないでしょう。もちろん、土地は
(……そんなゴリ押し無理だろ。しかも土地を再生だと? 言っている意味が分からん。お前は何をする気なんだ)
「少し無理があるのではないか? 他の国が黙っているとも思えん」
「ご安心ください。歯向かう国は後顧の憂いがないよう全て殲滅いたします」
カオスのあまりな発言にレンの顔が引き攣る。
(どうやら今のカオスに言葉は通じないらしい)
「ヘスティア、お前はどう思う」
「はっ、妙案かと存じます」
(本気か? お前までそんなことを言うのか?)
「アテナ」
「カオスにしては中々良い案かと」
(ぐっ! 何故だ!)
「ニュクス」
「レン様が滞在するドレイク王国以外は、今のうちに滅ぼした方がよろしいかと」
(聞いた俺が馬鹿だった……。ヒューリが呆れているじゃないか。もう知るか、どうにでもなれ)
「カオス、全てお前に任せる。但し、ドレイク王国の国益を損なうような真似はするな。それと出来ることなら穏便に済ませろ」
「畏まりました」
(どうやら
レンは深い溜息を吐くと、脱力感に襲われ背もたれに寄りかかる。
柔らかいクッションが優しく背中を包み込み、その柔軟な感触と
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