第2話 出会い

 レンは僅かにほくそ笑む。


ドラゴンの幻覚とは俺らしいな……)


 現実にドラゴンが居ないのは知っているし、絵本に描かれたドラゴンに憧れたのは幼い頃の話だ。

 ドラゴンと言えど幻覚と分かれば恐怖は感じなかった。レンはこれが自分の最後かと、かじかむ口を動かしドラゴンに話しかける。


「お前はなんでこんなところにいるんだ? 一人で寂しくないのか?」


 ドラゴンは唸るような声を出すだけで応えてはくれない。もしかしたら応えているのかもしれないが理解できなかった。

 幻覚なら日本語で応えて欲しいと思うが、それは我が儘かと諦めることにした。


「もういいや、散々歩いて限界だ」


 レンは大の字に手足を伸ばし、そのままドラゴンを見上げて独り言のように呟いた。


「俺はここで死ぬんだろうな……」


 色んな思いが脳裏を巡る。

 後悔がないと言えば嘘だ。


(本当はまだ死にたくない。やりたいことも沢山ある。彼女だって欲しいし、両親に恩返しもしたい……)


「死にたくない。生きたい……」


 漏れた言葉は生への執着だ。

 ドラゴンは虚ろな瞳のレンをじっと見つめて、徐ろに自分の腕を爪で僅かに切り裂いた。

 鱗のせいで傷は中まで殆ど到達していないのだろう。赤い血が時間をかけてジワリと滲み、傷を伝って一滴の血がレンの口に流れ落ちた。

 レンは朦朧とする意識の中で、暖かい滴が口に流れ込むのを感じ取る。暫くするとかじかんでいた手足に感覚が戻り、同時に意識が回復してくる。

 レンは地面に手をついてゆっっくり起き上がり、指の感覚を確かめるように、手を開いては握るを何度か繰り返した。

 失われていた感覚は全て戻っていた。寒さは嘘のように感じなくなり、体は登山前の万全な状態よりも、更に力が漲っている。

 レンは改めてドラゴンを見上げた。

 圧倒的な存在感と息づかい。

 意識がはっきりした今だから分かる。


(このドラゴンは現実だ)


 レンは血の味を確かめるように自分の唇に触れた。


(口に残る血の匂い……。ドラゴンが俺を助けてくれたのか? その前にどうしてドラゴンが日本にいるんだ?)


 考えても謎は深まるばかりで答えは出ない。

 ドラゴンが唸るように声を出す。先程までは唯の唸り声だが、今は何を言っているのか頭の中にすんなり入った。


「まさか適合者が人間とはな。長く生きると面白いこともあるものだ」


 突然の声だが恐怖はなかった。

 ドラゴンから敵意を感じないためか、レンは自然と口を開いていた。


「適合者? 何のことか分からないけど、お前が俺を助けてくれたことだけは分かるよ。お前は命の恩人だな。いや、竜だから恩竜なのか? とにかく本当に助かったよ」

「変わった人間だ。ドラゴンが怖くないのか?」

「お前は命の恩竜だからな。それに俺を殺す気なら、わざわざ助けたりはしないはずだろ?」

 

 ドラゴンの口元がニヤリと歪んだ。


「ふ、もっともだな。我の名はグラゼル・ロード・ドラゴン。全てのドラゴンを束ねる竜王だ。グラゼルと呼ぶことを許そう」


 ドラゴンと言う言葉を聞いてレンは笑みを零す。

 幼い頃に絵本で見た、或いは少年時代にゲームで知ったドラゴンが目の前に居る。その奇跡の出会いにレンの心は弾んだ。


「俺の名前は蓮川レンだ。よろしくなグラゼル」


 グラゼルは「うむ」と鷹揚に頷き返す。


「ハスカワレンはどうしてこの場所に来た? ここは人間が簡単に来れる場所ではない。見たところお前のの力は脆弱だ。とても自力でたどり着けるは思えん」


 レンは腕を組んで考え始める。

 どうしても言われても遭難したからとしか言い様がなかった。偶然迷い込んだ洞窟にグラゼルが居ただけである。

 何よりフルネームで呼ばれるのはちょっと嫌だ。


「それよりグラゼル、俺のことを呼ぶときはレンでいいよ。フルネームで呼ばれるのは慣れてないんだ」

「分かった。それで? レンはどうしてこの場所に来た」

「それは――」


 レンは簡単に説明を始めた。

 登山サークルで雪山登山に来たこと。

 急に天候が悪化して猛吹雪に見舞われたこと。

 山から滑落したこと。

 寒さを凌ぐために彷徨ったこと。

 偶然この洞窟に辿り着いたこと。

 全てを聞き終えたグラゼルは、まじまじとレンの服装や持ち物を眺めた。


「どうやら時空の裂け目に落ちたようだな。地球からの渡航者か……」


 レンはグラゼルの話し方に違和感を覚えて眉間に皺を寄せる。


「どう言うことだ?」

「言葉の通りだ。この場所へ人間が歩いて来ようものなら、優に半月以上はかかる。二日で来れる距離ではない。お前は地球から来たのではないか?」


 地球に住んでいるのだから、地球から来たのは当たり前である。

 県や地名、地域を聞かれるならまだしも、地球と言う大きな括りで聞かれるのは、レンにとって始めてのことだ。

 自ずと話が見えてくる。


「地球に住んでいるんだ。当たり前だろ?」

「やはりか……。レン、お前がいま居るこの世界は、地球とは異なる世界、ヴァルハラだ。かつて地球と同じく作られ、地球とは異なる進化を遂げた世界だ」


 レンは小さく溜息を漏らす。

 よく考えれば初めから分かることだ。目の前にドラゴンが居る時点で、別世界――異世界――の可能性は視野に入って然るべきだ。


「ヴァルハラ。異世界と言うことか……」

「その通りだ。もちろん地球と同じく人間もいるが、進化の過程で異なる種も多く産み落とされている。地球は人間が支配しているが、この世界は必ずしもそうとは限らない」

「グラゼル、俺は地球に帰りたい。家族や先輩が心配しているはずだ。地球に帰る方法はないのか?」


 レンは無理だと分かっていた。

 ほいほい異世界間を行き来できるなら、ヴァルハラのことは地球でも世界的に報道されているはずだ。


「レン、帰る方法はないのだ。今までこの世界に迷い込んだ者はいるが、帰ることが出来た者は一人もいない」

「そうだろうな……」


 答えは予想できていたとは言え、はっきり言われると気分が落ち込んだ。もう二度と家族に会えないと思うと、レンはその場にへたり込み力なく俯いた。

 問題はそれだけではない。

 山から脱出する方法が無いことだ。僅かな行動食は残っているが、歩いて半月の距離を移動するのは、あまりに無謀すぎた。

 レンが絶望に打ちひしがれていると、グラゼルがじっと見下ろしていた。


「レンよ、お前に頼みがある。聞いてくれぬか?」


 今のレンに選択肢はない。現状を変えることが出来るのはグラゼルだけだ。

 レンが頷くとグラゼルは話し出す。


「実はな――」


 淡々と語るグラゼルの言葉をレンは黙って聞いていた。


「――という訳だ」


 静かに聞いていたレンは口を開く。


「早い話がお前の後を継いで竜王になれと言うことか?」

「そうだ。私には唯一愛した雌がいたが、最後の時まで子は出来なかった。そして私の寿命はもうじき尽きる。お前がこの場所に来たのも何かの縁だ」

「世継ぎが出来なかったとしても、他にもドラゴンが居るんじゃないのか? どうして俺なんだ……」

「力のあるドラゴンには全て接触したが、私の血を受け入れた者は誰もいなかった。単純に竜王になる素質がないのだ」

ドラゴンで駄目なら、人間の俺に素質があるはずがないだろ?」

「覚えていないのか? お前は私の血を受け入れた。ドラゴンの血は適合する者が飲めば全てを癒やす薬になるが、適合しない者が飲めば猛毒になる。特にドラゴン以外の種族が飲めば、一瞬にして死を招くほどだ」


 レンとしては笑えない話だ。


「お前は死ぬかも知れないと分かった上で、俺に血を飲ませたと言うことか?」

「何れにしても死にかけていた。問題はないはずだ。本当に適合するとは思わなかったがな」


 グラゼルの口元がニヤリと歪んだ。

 悪い笑みだ。


(恩竜と言ったのは前言撤回だ。こいつ俺が死んでもいいと思って血を飲ませたな。結果的に助けられたが、感謝するのはもう止めよう……)


「一つ聞きたい。竜王になれば山を下りることが出来るのか?」

「愚問だな。お前はこの私の適合者だ。私の力の全てを余すこと無く与えることが出来る。山が邪魔なら吹き飛ばせばよいだけの話だ。もっとも、お前の体に私の力が馴染むまで、どれ程の時間を要するのか見当もつかんがな」


 笑い声を上げるグラゼルにレンは溜息を漏らす。

 グラゼルが凄い力を持っているのは何となく理解できた。山を吹き飛ばすと言っている時点でもう化け物だ。

 

「高らかに笑っているところ悪いんだが、力が馴染むのに時間が掛かるなら、直ぐに山から出られないだろ?」

「心配するな。私の従者がどうにかしてくれる。お前は命令すればよいだけの話だ」

「まぁ、それなら……」


 レンの当面の目的はこの劣悪な環境からの脱出にある。

 従者がどのような存在か分からないが、助けてくれるのであれば何でもよかった。下山後の生活については助かった後に考えればよいのだ。

 後のことに気を回しすぎても、山を下りられなければ全て水の泡である。そのためレンは目先のことを最優先で考えていた。

 頷くレンを見てグラゼルは口元を引き締め、グッと身を乗り出し顔を近づける。レンは真剣な眼差しを向けられて、さも嫌そうな顔をした。

 ろくな事じゃ無いと判断したからだ。


「レン、私の従者に合わせる前に約束して欲しいことがある」

「……それは俺に約束できる事なのか? 最初に言っておくが、無理難題を叩きつけられても約束は出来ないからな」

「簡単なことだ。お前にドラゴンを束ねて欲しい。気性の荒いドラゴンが、互いに殺し合いをしないようにな」


 レンは眉間に皺を寄せる。

 余りにも説明が不足していて、超難関クエストを出された気分だ。


「漠然と束ねて欲しいと言われても困る。もっと詳しく教えてくれ。お前が束ねろと言うからには、ドラゴンを従える方法があるんだろ?」

「竜王の言葉にドラゴンは逆らうことが出来ない。お前が命令すればよいだけの話だ」

「……それだけ?」

「それだけだ」

「簡単すぎないか?」

「だから簡単だと言っただろう」


 レンはグラゼルの様子を窺うが、とても嘘を言っているようには見えなかった。何故そう思うかは分からないが、何となく分かるとしか言い様がない。

 恐らくはグラゼルの血を飲んだことに起因するのだろう。ドラゴンの言葉が理解できるのも、急に寒さを感じなくなったのも、それしか原因は考えられなかった。


「はぁ~、分かったよ。ドラゴンには喧嘩をするなって言えばいいんだろ? 約束するよ」


 グラゼルの頭が少し下がり、「助かる」と感謝の言葉が口から漏れた。


「それともう一つ、お前に伝えておきたい事がある」

「今度は何なんだ?」


 レンは半ば投げやりに返事を返すが、次のグラゼルの言葉を聞いて表情を一変させた。


「レンよ。私はお前に力を与えて命を落とす」


 聞きたくなかった言葉だ。

 レンはグラゼルを殺してまで竜王になりたいとは思わない。ましてや相手は命を助けてくれた恩竜だ。


「分かったグラゼル。じゃあこうしよう。俺はお前の命を奪ってまで竜王になろうとは思わない。だから従者に頼んで俺を山の外に出してくれないか?」

「言ったはずだ。私の寿命はもうじき尽きると。その時に竜王が居なくては困るのだ。もし竜王の座が空席になることがあれば、私の従者が竜王の座を巡り殺し合いを始める。それこそ最後の一体になるまでな……」


 悲しげに俯くグラゼルを見てレンは肩を落とす。


(竜王の力を与えるのはそれなりの理由があると言うことか。少なくともグラゼルは自分の従者のために命を捧げようとしている。自分のことしか考えてなかった俺よりずっと立派だ……)


「……言いたいことは分かったよ。乗りかかった船だ。ドラゴンのことは任せてくれ。お前の意思は俺が継いでやるからさ」


 グラゼルの口元が綻び言葉が弾む。


「そうか、そうか、引き受けてくれるか。これでドラゴンの未来は安泰だ」


 高らかに笑い声を上げるグラゼルにレンは苦笑する。


「大げさだな……」

「お前の気が変わらん内にここを出るぞ。その荷物も持っていくのだろ?」


 グラゼルが見ていたのはレンが地面に置いたリュックだ。


「当然だ。ちょっと待ってくれ」


 レンがリュックを背負い直すと、グラゼルはリュックをレンごと摘まみ上げた。自分の手の平に乗せ、天井を作るように指を軽く曲げている。


「じゃあ行くぞ」


 グラゼルが羽を広げて大地を蹴る。洞窟全体が鳴動し、大気が激しく荒ぶった。レンは引き飛ばされないように、グラゼルの太い指にしがみついている。

 洞窟を通り外に出るのかと思いきや、グラゼルは真上に飛んで、一撃で天井を突き破った。一瞬にして外に出ると、グラゼルはゆっくり翼を羽ばたかせた。

 上空は風が吹き荒れていたが、今のレンにはそよ風にしか感じられない。猛吹雪の中でも遠くまで見渡せ、心なしか視力も上がっているように見えた。

 山脈の切れ目に巨大な城が見えてレンは目を凝らす。

 城は光る鉱石で出来ているのか、真っ白に輝いて見える。グラゼルが城の前に降り立つと、それに呼応して城門が開かれていた。

 城の中はグラゼルが余裕で通れるだけの空間が広がっている。城の大きさも計り知れない。日の光が差さない暗雲の中にあるのに、なぜか城の中は光で溢れていた。

 幾つもの巨大な扉を潜り抜けた最奥では、あたかも水晶で覆われた煌びやかな空間が広がっていた。東京ドームが何個入るのか見当もつかない大きさだ。

 正面の奥には玉座を模した巨大な台座があり、その前で四体のドラゴンが頭を垂れている。

 白いドラゴンが二体と黒いドラゴンが二体だ。

 見たところ玉座の間のようで、グラゼルは台座の上に乗ると目の前にレンを降ろした。

 同時に黒いドラゴンの一体が、頭を下げたまま謝罪の言葉を口にした。


「出迎えもせず申し訳ございません。急なお戻り故、玉座の前に集まることしかできませんでした」


 男の声だ。


「よい。私が城に入ってから気が付いたのだろ? 玉座の間に集まっているだけでも良しとしよう。流石は私の従者だ」

「勿体ないお言葉」

「私は最後の時を一人で過ごそうと思っていたが、やはり気が変わった。城に戻ってきたのは他でもない。新たな竜王をお前たちに紹介するためだ」


 四体のドラゴンは一斉に顔を上げてレンを見た。

 玉座の間に入ってきた時から気配で存在には気が付いていた。なぜ人間を城に連れて来たのか謎だったが、グラゼルの言葉で全てを理解する。

 

「お言葉ですがグラゼル様、よもや人間を――」

「異論は許さん」


 男の言葉を厳かな声が一刀両断にする。

 四体のドラゴンがレンに睨みを利かせるのを見て、グラゼルはやれやれと話し出す。


「無駄だ。お前たちの殺気でもレンは殺せん。此奴は既に私の血を受け入れている。それが何を意味するのか、お前たちはよく知っているはずだ」


 四体のドラゴンは憎々しげにレンを眺めるばかりだ。

 レンもまたドラゴンを見て顔をしかめる。


(これが殺気か……。確かに言われて見れば嫌な感じがする。こいつら俺を助けるどころか殺す気満々だな)


 レンは振り返りグラゼルを見上げるが、グラゼルはニヤリと笑うばかりだ。


「改めて紹介しよう。新たな竜王となるレンだ。私は今から力の全てをレンに与える。よいなお前たち、これからはレンに従いよく尽くすのだ」


 グラゼルの言葉で更に強い敵意がレンに向けられる。

 ドラゴンから見れば人間は劣等種だ。その人間に従うことは屈辱以外の何者でもない。

 四体のドラゴンは憤りを感じるが、竜王グラゼルの言葉は絶対だ。少なくともグラゼルが生きている間は従う他ない。

 四体のドラゴンが無言で頷くのを確認して、グラゼルはレンに語りかけた。


「レンよ。今からお前はレン・ロード・ドラゴンと名乗るがよい。竜王の力を受け継いだ後、目の前に居る古代竜エンシェントドラゴンに新たな名を与えよ』

古代竜エンシェントドラゴン?」

「そうだ。古代より生きるいにしえドラゴンのことだ」

「グラゼルもそうなのか?」

「私は世界の創世記に生まれたもっと古い存在だ。お前に言っても分からんだろうがな」

「何となく分かるよ。グラゼルの方が長生きしてるって事だろ?」

「まぁ、そんなところだ」


 笑みを浮かべるグラゼルにレンは真剣な眼差しで一つ尋ねる。それは少し気になっていたことだ。

 

「なぁグラゼル。俺はお前の力を譲り受けたら、やっぱりドラゴンの姿になるのか?」

「レン、姿形は些細なことだ。当面は人間の姿で過ごすことになるだろうが、お前が望めば何れはドラゴンの姿になることも可能だ」

「それを聞いて安心したよ。俺は人間として生きてきたし、人間の姿の方が生きやすいからな」


 どう生きるかはそれぞれだ。

 グラゼルはレンの生き方に口を挟むつもりはない。ただ約束を守ってくれるだけでよいのだ。

 グラゼルの顔に真剣味が帯びる。


「レン、私が消えた後、古代竜エンシェントドラゴンはお前を殺そうとするだろう。だが心配するな。胸を張れ、前を見ろ、お前は今から竜王になるのだ。威厳を持って接すれば、必ずドラゴンは応えてくれる」


 声は古代竜エンシェントドラゴンにも聞こえているが、グラゼルはお構いなしだ。真っ直ぐにレンを見つめて強く訴えかけている。

 不思議とレンも古代竜エンシェントドラゴンのことは気にならなかった。

 グラゼルの血がそう思わせるのか、古代竜エンシェントドラゴンは自分に従うと確信があったからだ。

 レンがじっと見上げると、グラゼルの瞳が優しく微笑んだように感じた。


「そろそろお別れだ。僅かな時間ではあるが、お前と過ごした時間は有意義なものだった。レン、ドラゴンことは頼んだぞ」


 レンが静かに頷くのを確認すると、グラゼルはニヤリと笑い体が輝き出す。

 グラゼルの体は光の粒子となり消えていき、代わりにレンの体を暖かい光が包み込んだ。髪の色が金色に変わり、ゆっくり開いた瞳も黄金に輝いている。

 光が完全に消えるとグラゼルの姿はどこにもない。玉座の上にはレンだけがポツンと立っていた。

 ほんの一瞬の出来事だ。

 余韻に浸る間もなく、古代竜エンシェントドラゴンの敵意は激しさを増す。

 唸り声を上げながら台座に近付き、今にもレンに襲いかかろうとしていた。明らかな殺意を感じるが恐怖はない。それどころか今では親近感すら覚える。

 レンは古代竜エンシェントドラゴンを見据えながら、グラゼルの言葉を思い出す。


(胸を張れ、前を見ろ、威厳を持って接しろ、か……)


 レンはリュックを下ろして「ふぅ」と息を吐いた。

 迫り来る黒い古代竜エンシェントドラゴンを睨み付け、そして厳かに口を開いた。

 

「お前は誰に牙を剥いている。私はグラゼルの力を受け継いだ竜王だぞ?」


 古代竜エンシェントドラゴンの動きが止まる。

 レンを爪で切り裂こうとするも本能がそれを拒んだ。自分の行動を否定するかのように体が強ばり、頭の中では全力で警鐘が鳴り響く。

 レンの眼前に迫る黒い古代竜エンシェントドラゴンから、怒気を孕んだ男の声が聞こえた。 

 

「貴様なにをした! 強制言語か!」

「何だそれは? 私は普通に話しているだけだ」


 実際にレンは強制言語は使えない。

 強制言語は自分より弱いものを強制的に従える言葉だ。

 何れは使えるようになるだろうが、体にグラゼルの力が馴染んでいない今は、特殊な力も使えなければ、身体能力も普通の人間と大差なかった。

 他の三体の古代竜エンシェントドラゴンは直ぐに全てを悟る。

 竜王の声がドラゴンの魂に干渉したのだと。しかも、その干渉力は全盛期のグラゼルに匹敵する。

 レンの声は古代竜エンシェントドラゴンの魂に響き、誰が従うべき主かを教えていた。

 嘗てない魂の高鳴りに、ある者は胸を踊らせ、ある者は高揚感に全身を震わせる。

 レンの耳に女の声が聞こえた。


「止めなさい。貴方にも分かっているはずよ」

「認めるしかないでしょうね」

「自分の本能に素直に従ったら?」


 レンは後ろの三体に視線を移した。


(後ろの三体は女、いや雌か……) 


 爪を向けていた黒い古代竜エンシェントドラゴンにも分かっていた。

 何より本能が絶対に逆らうなと訴えかけている。瞳を閉じて気持ちを落ち着けると、硬直していた体は嘘のように動いた。

 目の前の人間を主と認めた証だ。

 頭に鳴り響く警鐘は消え、逆になぜ殺そうとしたのか疑問すら覚える。

 程なくして一歩下がり膝をついた。


「数々のご無礼お許し下さい。我ら古代竜エンシェントドラゴンは、新たな竜王様に絶対の忠誠を誓います」


 レンは努めて威厳を持って話す。


「今回は許す。それと私のことはレンと呼ぶがよい」

「はっ!」

「さて、グラゼルも言っていたが、お前たちに名を与えようと思う。異論はないな」

「異論ございません」


 他の三体の古代竜エンシェントドラゴンも後ろで頷くのを確認し、レンは古代竜エンシェントドラゴンの名前を考えた。

 真っ先に思い浮かんだのは、この世界の名前がヴァルハラと言うことだ。ヴァルハラとは、地球では北欧神話の主神オーディンが住む宮殿の名前である。

 幸いレンはゲームの影響で神話にも少しは詳しい。

 友達のいないぼっち生活の賜物だ。


(この世界の名前がヴァルハラだからな。それに関連して神の名前を付けてもいいかもな……)


 目の前にいる古代竜エンシェントドラゴンは黒と白が二体ずつ、さらに雄と雌に分け適当な名前を考える。

 先ずはこの中で唯一の雄で、黒色の古代竜エンシェントドラゴンに視線を向けた。


「お前の名はカオスだ。以後、裏切りは許さん」

「はっ! レン様の寛大なご配慮に感謝いたします」


 次に黒い雌に視線を向ける。


「お前の名はニュクスとする。私に全てを捧げよ』

「慈悲深いレン様に私の全てを捧げます」


 残りは白い雌が二体だ。レンはその内の一体に視線を移す。


「お前の名はアテナだ。私に忠誠を誓うことを約束しろ」

「偉大なるレン様に絶対の忠誠を誓います」


 レンは最後に残りの白い雌に視線を向けた。


「お前の名はヘスティアとする。生涯私に尽くすのだ」

「レン様に生涯尽くすことを誓います」


 四体の古代竜エンシェントドラゴンは、頭を垂れて服従の意を示している。

 もはや敵意や悪意は感じられない。

 後はここから何をするかだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る