大切なものは?
雨季
大切なものは?
1
頭が痛い。
そんな状況の中、Sはいつも通りの無表情で、こっちに顔を向ける。
「R、おはよう。」
もっと、別の言葉があるだろう。
「痛い・・・。」
床から起き上がって、Sの顔を凝視したが、それ以外の反応はなかった。
「ベッドから落ちたのに、それだけなの?大丈夫?とか、怪我はない?とか・・・。」
すると、Sはオウムのように、そう言ってきた。
「S・・・。」
Sとは、長い付き合いだ。
だから、こんな答えが返ってくるのは、わかりきっていた。
それでも・・・
「大切な物ってないの?」
僕は、毎日・・それこそ習慣的に、こんな愚問をSに投げかける。
Sはいつも、決まった返答をする。
「ないよ。」
僕はいつもその返答に救われている。
それで、僕たちの1日は始まる。
でも、今日だけはいつもと違った。
「ねえ・・・R・・・。」
それで終わるはずの会話が続いた。
「Rには、居るの?」
相変わらずの無表情でSは、動き出した時間の中でそう言った。
「ああ・・。」
脳裏に浮かぶ、真っ白な部屋。
感情があるなんて、馬鹿らしいと思う毎日・・・。
「考えてみると、僕にもそんな存在は居なかったね・・・。」
気がつくと、僕は部屋から出ていた。
そのうち、歩くのが嫌になって、長くて薄暗い廊下の真ん中で、立ち止まった。
「僕もSも・・・同じだ・・・。」
いくら取り繕ったって、同じ幼少期を過ごした以上、考え方は似たり寄ったりなんだ。
2
「悲しい現実から逃げたくて、少女はその不思議な扉を開けた。」
この物語の最後は、ありきたりだ。
「その開いた先には、見たことも無い、夢のような景色が広がっていました。」
だって、最後は現実世界に帰って、ハッピーエンドだから・・・。
「少女はそこで結婚をして、幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし。」
郷に入っては郷に従え・・・そうすれば、こんな僕でも生きていける。
「R、一人でにやけて、気持ち悪い。」
「K、僕がこの本を読んで、どう感じるかは勝手でしょ。」
閉じた本の背表紙をなでると、Kはその横に手を突いた。
「最後まで読んでない癖に・・・勝手なことを言ってるからよ。あと、ここは図書室よ。音読するなら、外でしてくれない?」
この前、一日中ここでTとバカ話をしていたが、クレームは一切ない。
だって、ずいぶん昔にこの場所で、生徒が不審な死を遂げて以来、立ち入り禁止だから。
「嫌なことでもあった?」
集団生活が基本のこの世界、一人になれる場所なんて、こことトイレぐらいだ。
だから、僕はこの場所を生活の拠点にしている。
「Rのそのデリカシーのないところが嫌い。普通、大丈夫?とか、真っ先に言わない?」
「そう見えないのに、そんなの言わないよ。」
Kはときどき、僕のもとやってきては、自分でも分からない、不快感を吐き出しにくる。
だけど、いつも吐き出されるのは、偽りの感情だ。
「その本の最後、少女は現実世界に帰って、幸せに暮らしたんだよ。」
「そうなんだ。Kだったら、帰りたいって思う?」
答えなんて・・・分かってる。
けど・・・聞かずにはいられない。
「私は、頭のおかしい奴だから、戻りたいなんて思えないよ。」
いつもなら、次は僕が話すターンなのに。
「だから、Yが死んでも悲しいって思わない。最低なやつだよ。」
初めて、Kが心の内を明かした。
今日はどこまでも、いつもと違うな・・・。
「それなら、Sだってそうだよ。」
だから、気が緩んだんだろう・・・。
「まあ、Rは私たちと違って、特別だからそう思わない・・・」
「僕だって、そうだよ。本当に、嫌になるよね。皆とずっと一緒に居たのに・・・そう思えない。」
全てが・・・
「自分の過去だって、わかるのに・・・何故か、他人の記憶に思えて仕方ないんだから。」
こんな気持ちを他人に告げるのは、初めてだから、Kの驚いた顔が新鮮だった。
「R・・・あんただけは、違うって思ってたのに・・・。」
この話題を続けるのが怖い・・・。
「さっき、僕のことを気持ち悪いって言ったお返しだよ。本気にされると、困るって・・・。」
だから、両頬をわざとらしく膨らませて、視線をそらした。
「僕だって当然、大切な人の一人や、二人・・・居るよ?給仕のおばちゃんとか、SにTやK・・・。」
嬉しそうな顔をしながら、Kは僕の頭を叩いた。
「やっぱり、RはRだな。こんな胸くそ悪い気持ちにさせて・・・。」
そんなKを見て、安心した。
3
「ただいま。」
返事なんか期待しないで、部屋の灯りを付けたのに、物音が聞こえた。
「お帰り。」
夕方は研究室に、籠っているはずのSが、部屋の真ん中に座り込んでいた。
「S・・・この書類の山、どうしたの?それに、その白衣・・・ここで、実験とかしてたの?」
Sは眠そうに目を擦っている。
「あと少しで、終わりそうだったから、持って帰ったんだ。」
「実験って・・・。そんな危険なこと、ここでしないでよ。」
普段は絶対にこんなことをしないのに・・・今日は、一体なんなのだろう・・・。
「大丈夫。もう終わって、一休みするだけだから。」
呑気に欠伸をする。
得体の知れない実験あとの、どこが大丈夫だ。
「一体、なにを研究してるの?内容次第では、もう一つ別の部屋を用意してもらうことになるんだけど・・・。」
この前、Sは暇つぶしにニトロを作成して、周りを騒がせている。
この男は、常識では考えられないことを生み出すことに長けている。
「ただの万能薬の作成だから。」
他の人が言えば、嘘くさいけど・・・。
「そんなの作って、どうするの?ここには、病気持ちはいないのに・・・」
すると、Sは僕に歩み寄った。
「Rのコンプレックスを解消するためだよ。」
Sが伸ばした指先が、僕の首に巻いてある包帯に触れた瞬間のことだった。
なんで・・・そんな裏切られたみたいな顔をするんだろう・・・。
「R・・・ごめん。」
伸ばしていた手を握りしめて、Sは視線を床に落としている。
その姿を見て、僕はSを強く拒絶したことを理解した。
「こ、こっちこそ・・・いきなり、ごめん。」
居づらい・・・。
「お、お風呂に行ってくるよ・・・。」
また、僕はSから逃げ出した。
4
いつ見ても、消えない・・・それどころか、濃くなっていく首の痣・・・。
鏡に手を突いて、その痣を隠すように左手を当てた。
「我ながら・・・女々しいと思うよ。」
足先に、使い古された包帯が触れる。
「でもね、僕はこれをおおっぴらにできるほど、強くない・・・。忘れたいんだ・・・。」
なんで・・・Sは気にしないんだ・・・。
僕や皆の感情を捻じ曲げた原因が、これだって知ってる癖に・・・。
いや・・・なんで僕とSだけ、過去の記憶が残っているのに、処分されないんだ。
他は処分されたのに・・・。
黒い痣を指先で撫でた。
「僕は・・・まだ・・・。」
あの日の実験から開放されたはずなのに・・・。
「いや、ここにまだ居る以上、まだ実験過程なんだ・・・。」
まだ、大海に居るって信じてる自分が、馬鹿過ぎて・・・笑える。
「R、ナルシストなのか?」
突然の声掛けに反応して、後ろを振り返った。
「驚いてるってことは、そうなのかよ・・・。」
呆れたと言いたげな顔をしたTの姿が見えた。
「最近、お腹周りの肉が気になってね。」
話したって、なにも解決しない。
それなら、最初から相談しない方がマシだ。
すると、Tは真剣な目をして、僕の体を見回した。
「話せないなら別にいいよ。」
普段、空気の読めない馬鹿なTのくせに・・・驚くじゃないか。
なんで、今日に限って皆・・・いつもと違うんだ。
「話せる時まで、待ってるから。」
Tは軽く手を僕の肩を軽く叩いてから、服を脱いだ。
「T・・・。」
僕はいつの間にか、風呂場へと向かうTを引き止めていた。
「何だ?」
SやKに聞いた質問・・・。
Tには今まで一度だって、したことがない。
だって、Kみたいに自分を慰めたくなかったから。
でも・・・こんないつもと違った日常、もしかしたら・・・決まり文句から、抜けられるかも知れない。
でも、怖い。
「Tの大切な人って、僕だよね!」
僕はなにを言っているんだ。
しかも、脱衣所で、男同士でこんなことを言うなんて・・・これじゃあ、愛の告白だ。
とうとう、僕は頭がおかしくなったんじゃ・・・。
「ま、また後で、答え聞かせてやるよ。ここだと、ほら・・・な?」
恥ずかしそうにTは頬を赤く染めた。
ですよね・・・。
周りに人影はいないけど・・・変な気持ちになる。
「あ、うん・・。ま、待ってるから・・。休憩所で・・・。」
穴があったら、入りたい!
あと、タイムマシンがあったら、数分前の自分の口を塞ぎたい!!
5
平常心で待てるわけがなかった。
あんな状況でも、さらっとなら行けたのに・・・。
こんな、改まった形で答えを聞くなんて、無理だ。
そんな意気地なしの僕は、休憩室を素通りして、自室の扉の前に立っていた。
「S・・・まだ、起きてるよね・・・。」
自分を騙したくて、大義名分を頭に思い描きながら、部屋に入った。
Sは、不気味な液体を手に持って、振り返った。
「R、ちょうどいいところに着た。」
Sの不気味な笑みを不快に感じた。
遠い昔を掻き出すような、薬品の匂いに、顔を歪めずにはいられない。
「さっきは、ごめん。」
間髪を入れずに、もう一回謝ると、Sは苦笑いをした。
「そんなに謝らなくていい。僕が、悪いんだから。それよりもR、やっと完成したんだ。」
Sは手に持っていた薬品を僕の前につき出す。
「な、なに?これ・・・。」
「これは、僕たちにかけた感情を補う薬だよ。R、苦しんでたからさ・・・。」
苦しんでる・・・。
「過去を・・・自分の物だって、認識できるの?」
Sは頷く。
それさえできれば、こんな僕だって、あの少女のように現実が恋しく思えるだろう。
こんな窮屈で、嫌なことしか身に起こらない世界から・・・救われるのだ。
「今日の僕は・・・おかしいんだ。きっと、そう遠くない未来、中途半端な人間もどきの僕は、きっと処分されるだろうね。」
Sから薬を受け取る。
6
結局、僕はTの答えを聞けなかった。
だって、みんな僕だけを残して、突然居なくなってしまったから・・・。
それから、幾分か年月が流れた今。
僕は真夏の公園で、Tによく似た少年にそれを聞いてみた。
「大切なもの?そんなの、金にごはんとゲーム・・・。」
熱心に、指を折り曲げながら瀧は言う。
大切っていうよりも、好きな物だな・・・。
「な、なに笑ってんだよ。人がせっかく、真面目に答えてるのに・・・。」
瀧は不機嫌そうに、両頬を膨らませた。
「瀧には、沢山あっていいなぁって思っただけだよ。」
「そう言う、涼はなんなんだよ。」
「僕?」
脳裏に、あの日過ごした仲間たちが思い浮かぶ。
昔はあんなに、この感情が大切に思えてたのに・・・。
今となっては、邪魔だ。
「世界の平和が大切だよ。だって、僕はヒーローだからね。」
傷つきたくないから、自分も騙すために、嘘を口に出した。
「馬鹿か。そんなの、なれっこないだろ。」
あ、あんなに馬鹿にするなって、言ったくせに・・・。
「瀧・・・酷いよ。せっかく、人が真剣に答えたのに・・・。僕、泣いちゃうよ?」
泣く真似をすると、瀧は溜息を吐いた。
「やめろ。気持ち悪い。」
心底嫌そうだ。
「酷いな・・・。」
こんな平凡な日常を楽しいと思うと、自然と笑みが溢れる。
「本当はさ・・・。」
蝉の鳴き声がやけにうるさい。
これじゃあ・・・瀧に伝わらないじゃないか・・・。
「でも、俺が一番大切に思ってるのは、涼だけどな。だって、学校の奴らと居るよりも、涼と一緒に遊んだ方が楽しいからな。」
ニカっと眩しいくらいの笑みを顔に浮かべて、僕が言えなかったことを言う。
ああ・・・そんなことを言われると・・・。
「な、なに泣いてんだよ・・・。高校生の癖に・・・。」
「汗が目に入っただけだよ。もう、僕は瀧よりも年上なのに、泣くわけがないだろ?」
ごまかすように、瀧の頭を両手でグシャグシャにした。
当然、瀧に怒られた。
7
吐き出す息が白いくらい、外が寒い。
そんな中、僕は瀧と一緒に年の終わりを、人気のない公園で過ごしている。
しかも、ジャングルジムの上で。
「寒い・・・。涼、なんでこんな所で、年越しなんだよ。普通、神社とかじゃないのか?」
歯をガチガチと鳴らしながら瀧は言う。
「だって、神社とかって人が多いし。ここなら、静かに星が見れていいじゃない。」
満点の星を指差しながら言った。
2011年の最後・・・。
せめて僕だけは、静かに最後のときを見守ってやりたかった。
祝うんじゃなくて・・・送り出してあげたい・・・。
「こういうのって、皆で新年おめでとってするもんだろ?」
僕は喜べない。
過去なんていらなかったんだから。
2011年は、2011年として死ぬんだ。
だから、聞いてみたくなった。
「瀧、年が変わることについて、どう思う?」
その答えをワクワクしながら会話のやり取りをした。
2011年は成長したから2012年になった。
それが瀧の結論だ。
瀧は何故か怒っちゃったけど、僕はその考え方がどうしようもなく、好きだと思った。
8
平成が終わった。
そう思って、僕は首を左右に振った。
そして、青く澄み渡る空を見つめた。
「終わったんじゃない。成長したんだ。」
誰も居ない、公園のジャングルジムに寄りかかる。
僕はもう・・・昔みたいにジャングルジムから飛び降りない。
もう・・・なかったことにして、未来を見続けるのは止めたんだ。
「瀧はやっぱり、すごいよ。僕が何十年もかかって、見つけたこの瞬間を・・・ずっと前から、自分の中に当たり前として、あったんだから・・・。」
目に涙が浮ぶのがわかった。
こう思えた瞬間が嬉しくて、仕方なかった。
平成や2011年は過去であり、記憶でもあり、僕の一部なんだ。
決して、関係なくない。
「S、もう逃げないよ。もう一回、話をしよう。」
どこまでも続く青い空に向かって、僕は手を伸ばした。
大切なものは? 雨季 @syaotyei
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