大切なものは?

雨季

大切なものは?


頭が痛い。


そんな状況の中、Sはいつも通りの無表情で、こっちに顔を向ける。


「R、おはよう。」


もっと、別の言葉があるだろう。


「痛い・・・。」


床から起き上がって、Sの顔を凝視したが、それ以外の反応はなかった。


「ベッドから落ちたのに、それだけなの?大丈夫?とか、怪我はない?とか・・・。」


すると、Sはオウムのように、そう言ってきた。


「S・・・。」


Sとは、長い付き合いだ。


だから、こんな答えが返ってくるのは、わかりきっていた。


それでも・・・


「大切な物ってないの?」


僕は、毎日・・それこそ習慣的に、こんな愚問をSに投げかける。


Sはいつも、決まった返答をする。


「ないよ。」


僕はいつもその返答に救われている。


それで、僕たちの1日は始まる。


でも、今日だけはいつもと違った。


「ねえ・・・R・・・。」


それで終わるはずの会話が続いた。


「Rには、居るの?」


相変わらずの無表情でSは、動き出した時間の中でそう言った。


「ああ・・。」


脳裏に浮かぶ、真っ白な部屋。


感情があるなんて、馬鹿らしいと思う毎日・・・。


「考えてみると、僕にもそんな存在は居なかったね・・・。」


気がつくと、僕は部屋から出ていた。


そのうち、歩くのが嫌になって、長くて薄暗い廊下の真ん中で、立ち止まった。


「僕もSも・・・同じだ・・・。」


いくら取り繕ったって、同じ幼少期を過ごした以上、考え方は似たり寄ったりなんだ。




「悲しい現実から逃げたくて、少女はその不思議な扉を開けた。」


この物語の最後は、ありきたりだ。


「その開いた先には、見たことも無い、夢のような景色が広がっていました。」


だって、最後は現実世界に帰って、ハッピーエンドだから・・・。


「少女はそこで結婚をして、幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし。」


郷に入っては郷に従え・・・そうすれば、こんな僕でも生きていける。


「R、一人でにやけて、気持ち悪い。」


「K、僕がこの本を読んで、どう感じるかは勝手でしょ。」


閉じた本の背表紙をなでると、Kはその横に手を突いた。


「最後まで読んでない癖に・・・勝手なことを言ってるからよ。あと、ここは図書室よ。音読するなら、外でしてくれない?」


この前、一日中ここでTとバカ話をしていたが、クレームは一切ない。


だって、ずいぶん昔にこの場所で、生徒が不審な死を遂げて以来、立ち入り禁止だから。


「嫌なことでもあった?」


集団生活が基本のこの世界、一人になれる場所なんて、こことトイレぐらいだ。


だから、僕はこの場所を生活の拠点にしている。


「Rのそのデリカシーのないところが嫌い。普通、大丈夫?とか、真っ先に言わない?」


「そう見えないのに、そんなの言わないよ。」


Kはときどき、僕のもとやってきては、自分でも分からない、不快感を吐き出しにくる。


だけど、いつも吐き出されるのは、偽りの感情だ。


「その本の最後、少女は現実世界に帰って、幸せに暮らしたんだよ。」


「そうなんだ。Kだったら、帰りたいって思う?」


答えなんて・・・分かってる。


けど・・・聞かずにはいられない。


「私は、頭のおかしい奴だから、戻りたいなんて思えないよ。」


いつもなら、次は僕が話すターンなのに。


「だから、Yが死んでも悲しいって思わない。最低なやつだよ。」


初めて、Kが心の内を明かした。


今日はどこまでも、いつもと違うな・・・。


「それなら、Sだってそうだよ。」


だから、気が緩んだんだろう・・・。


「まあ、Rは私たちと違って、特別だからそう思わない・・・」


「僕だって、そうだよ。本当に、嫌になるよね。皆とずっと一緒に居たのに・・・そう思えない。」


全てが・・・


「自分の過去だって、わかるのに・・・何故か、他人の記憶に思えて仕方ないんだから。」


こんな気持ちを他人に告げるのは、初めてだから、Kの驚いた顔が新鮮だった。


「R・・・あんただけは、違うって思ってたのに・・・。」


この話題を続けるのが怖い・・・。


「さっき、僕のことを気持ち悪いって言ったお返しだよ。本気にされると、困るって・・・。」


だから、両頬をわざとらしく膨らませて、視線をそらした。


「僕だって当然、大切な人の一人や、二人・・・居るよ?給仕のおばちゃんとか、SにTやK・・・。」


嬉しそうな顔をしながら、Kは僕の頭を叩いた。


「やっぱり、RはRだな。こんな胸くそ悪い気持ちにさせて・・・。」


そんなKを見て、安心した。




「ただいま。」


返事なんか期待しないで、部屋の灯りを付けたのに、物音が聞こえた。


「お帰り。」


夕方は研究室に、籠っているはずのSが、部屋の真ん中に座り込んでいた。


「S・・・この書類の山、どうしたの?それに、その白衣・・・ここで、実験とかしてたの?」


Sは眠そうに目を擦っている。


「あと少しで、終わりそうだったから、持って帰ったんだ。」


「実験って・・・。そんな危険なこと、ここでしないでよ。」


普段は絶対にこんなことをしないのに・・・今日は、一体なんなのだろう・・・。


「大丈夫。もう終わって、一休みするだけだから。」


呑気に欠伸をする。


得体の知れない実験あとの、どこが大丈夫だ。


「一体、なにを研究してるの?内容次第では、もう一つ別の部屋を用意してもらうことになるんだけど・・・。」


この前、Sは暇つぶしにニトロを作成して、周りを騒がせている。


この男は、常識では考えられないことを生み出すことに長けている。


「ただの万能薬の作成だから。」


他の人が言えば、嘘くさいけど・・・。


「そんなの作って、どうするの?ここには、病気持ちはいないのに・・・」


すると、Sは僕に歩み寄った。


「Rのコンプレックスを解消するためだよ。」


Sが伸ばした指先が、僕の首に巻いてある包帯に触れた瞬間のことだった。


なんで・・・そんな裏切られたみたいな顔をするんだろう・・・。


「R・・・ごめん。」


伸ばしていた手を握りしめて、Sは視線を床に落としている。


その姿を見て、僕はSを強く拒絶したことを理解した。


「こ、こっちこそ・・・いきなり、ごめん。」


居づらい・・・。


「お、お風呂に行ってくるよ・・・。」


また、僕はSから逃げ出した。




いつ見ても、消えない・・・それどころか、濃くなっていく首の痣・・・。


鏡に手を突いて、その痣を隠すように左手を当てた。


「我ながら・・・女々しいと思うよ。」


足先に、使い古された包帯が触れる。


「でもね、僕はこれをおおっぴらにできるほど、強くない・・・。忘れたいんだ・・・。」


なんで・・・Sは気にしないんだ・・・。


僕や皆の感情を捻じ曲げた原因が、これだって知ってる癖に・・・。


いや・・・なんで僕とSだけ、過去の記憶が残っているのに、処分されないんだ。


他は処分されたのに・・・。


黒い痣を指先で撫でた。


「僕は・・・まだ・・・。」


あの日の実験から開放されたはずなのに・・・。


「いや、ここにまだ居る以上、まだ実験過程なんだ・・・。」


まだ、大海に居るって信じてる自分が、馬鹿過ぎて・・・笑える。


「R、ナルシストなのか?」


突然の声掛けに反応して、後ろを振り返った。


「驚いてるってことは、そうなのかよ・・・。」


呆れたと言いたげな顔をしたTの姿が見えた。


「最近、お腹周りの肉が気になってね。」


話したって、なにも解決しない。


それなら、最初から相談しない方がマシだ。


すると、Tは真剣な目をして、僕の体を見回した。


「話せないなら別にいいよ。」


普段、空気の読めない馬鹿なTのくせに・・・驚くじゃないか。


なんで、今日に限って皆・・・いつもと違うんだ。


「話せる時まで、待ってるから。」


Tは軽く手を僕の肩を軽く叩いてから、服を脱いだ。


「T・・・。」


僕はいつの間にか、風呂場へと向かうTを引き止めていた。


「何だ?」


SやKに聞いた質問・・・。


Tには今まで一度だって、したことがない。


だって、Kみたいに自分を慰めたくなかったから。


でも・・・こんないつもと違った日常、もしかしたら・・・決まり文句から、抜けられるかも知れない。


でも、怖い。


「Tの大切な人って、僕だよね!」


僕はなにを言っているんだ。


しかも、脱衣所で、男同士でこんなことを言うなんて・・・これじゃあ、愛の告白だ。


とうとう、僕は頭がおかしくなったんじゃ・・・。


「ま、また後で、答え聞かせてやるよ。ここだと、ほら・・・な?」


恥ずかしそうにTは頬を赤く染めた。


ですよね・・・。


周りに人影はいないけど・・・変な気持ちになる。


「あ、うん・・。ま、待ってるから・・。休憩所で・・・。」


穴があったら、入りたい!


あと、タイムマシンがあったら、数分前の自分の口を塞ぎたい!!




平常心で待てるわけがなかった。


あんな状況でも、さらっとなら行けたのに・・・。


こんな、改まった形で答えを聞くなんて、無理だ。


そんな意気地なしの僕は、休憩室を素通りして、自室の扉の前に立っていた。


「S・・・まだ、起きてるよね・・・。」


自分を騙したくて、大義名分を頭に思い描きながら、部屋に入った。


Sは、不気味な液体を手に持って、振り返った。


「R、ちょうどいいところに着た。」


Sの不気味な笑みを不快に感じた。


遠い昔を掻き出すような、薬品の匂いに、顔を歪めずにはいられない。


「さっきは、ごめん。」


間髪を入れずに、もう一回謝ると、Sは苦笑いをした。


「そんなに謝らなくていい。僕が、悪いんだから。それよりもR、やっと完成したんだ。」


Sは手に持っていた薬品を僕の前につき出す。


「な、なに?これ・・・。」


「これは、僕たちにかけた感情を補う薬だよ。R、苦しんでたからさ・・・。」


苦しんでる・・・。


「過去を・・・自分の物だって、認識できるの?」


Sは頷く。


それさえできれば、こんな僕だって、あの少女のように現実が恋しく思えるだろう。


こんな窮屈で、嫌なことしか身に起こらない世界から・・・救われるのだ。


「今日の僕は・・・おかしいんだ。きっと、そう遠くない未来、中途半端な人間もどきの僕は、きっと処分されるだろうね。」


Sから薬を受け取る。




結局、僕はTの答えを聞けなかった。


だって、みんな僕だけを残して、突然居なくなってしまったから・・・。


それから、幾分か年月が流れた今。


僕は真夏の公園で、Tによく似た少年にそれを聞いてみた。


「大切なもの?そんなの、金にごはんとゲーム・・・。」


熱心に、指を折り曲げながら瀧は言う。


大切っていうよりも、好きな物だな・・・。


「な、なに笑ってんだよ。人がせっかく、真面目に答えてるのに・・・。」


瀧は不機嫌そうに、両頬を膨らませた。


「瀧には、沢山あっていいなぁって思っただけだよ。」


「そう言う、涼はなんなんだよ。」


「僕?」


脳裏に、あの日過ごした仲間たちが思い浮かぶ。


昔はあんなに、この感情が大切に思えてたのに・・・。


今となっては、邪魔だ。


「世界の平和が大切だよ。だって、僕はヒーローだからね。」


傷つきたくないから、自分も騙すために、嘘を口に出した。


「馬鹿か。そんなの、なれっこないだろ。」


あ、あんなに馬鹿にするなって、言ったくせに・・・。


「瀧・・・酷いよ。せっかく、人が真剣に答えたのに・・・。僕、泣いちゃうよ?」


泣く真似をすると、瀧は溜息を吐いた。


「やめろ。気持ち悪い。」


心底嫌そうだ。


「酷いな・・・。」


こんな平凡な日常を楽しいと思うと、自然と笑みが溢れる。


「本当はさ・・・。」


蝉の鳴き声がやけにうるさい。


これじゃあ・・・瀧に伝わらないじゃないか・・・。


「でも、俺が一番大切に思ってるのは、涼だけどな。だって、学校の奴らと居るよりも、涼と一緒に遊んだ方が楽しいからな。」


ニカっと眩しいくらいの笑みを顔に浮かべて、僕が言えなかったことを言う。


ああ・・・そんなことを言われると・・・。


「な、なに泣いてんだよ・・・。高校生の癖に・・・。」


「汗が目に入っただけだよ。もう、僕は瀧よりも年上なのに、泣くわけがないだろ?」


ごまかすように、瀧の頭を両手でグシャグシャにした。


当然、瀧に怒られた。




吐き出す息が白いくらい、外が寒い。


そんな中、僕は瀧と一緒に年の終わりを、人気のない公園で過ごしている。


しかも、ジャングルジムの上で。


「寒い・・・。涼、なんでこんな所で、年越しなんだよ。普通、神社とかじゃないのか?」


歯をガチガチと鳴らしながら瀧は言う。


「だって、神社とかって人が多いし。ここなら、静かに星が見れていいじゃない。」


満点の星を指差しながら言った。


2011年の最後・・・。


せめて僕だけは、静かに最後のときを見守ってやりたかった。


祝うんじゃなくて・・・送り出してあげたい・・・。


「こういうのって、皆で新年おめでとってするもんだろ?」


僕は喜べない。


過去なんていらなかったんだから。


2011年は、2011年として死ぬんだ。


だから、聞いてみたくなった。


「瀧、年が変わることについて、どう思う?」


その答えをワクワクしながら会話のやり取りをした。


2011年は成長したから2012年になった。


それが瀧の結論だ。


瀧は何故か怒っちゃったけど、僕はその考え方がどうしようもなく、好きだと思った。




平成が終わった。


そう思って、僕は首を左右に振った。


そして、青く澄み渡る空を見つめた。


「終わったんじゃない。成長したんだ。」


誰も居ない、公園のジャングルジムに寄りかかる。


僕はもう・・・昔みたいにジャングルジムから飛び降りない。


もう・・・なかったことにして、未来を見続けるのは止めたんだ。


「瀧はやっぱり、すごいよ。僕が何十年もかかって、見つけたこの瞬間を・・・ずっと前から、自分の中に当たり前として、あったんだから・・・。」


目に涙が浮ぶのがわかった。


こう思えた瞬間が嬉しくて、仕方なかった。


平成や2011年は過去であり、記憶でもあり、僕の一部なんだ。


決して、関係なくない。


「S、もう逃げないよ。もう一回、話をしよう。」


どこまでも続く青い空に向かって、僕は手を伸ばした。


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大切なものは? 雨季 @syaotyei

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