第2話 行動的ビギニング

「……ってことは、皆も【典型】がないってことか?」

円卓に座り直した舟都は、4人に尋ねた。

「……何故に……?」

「だって、地下ここには【典型】を持たない人間しかいないんだろ?」

「……もしかしてだけど、舟都くん、アタシ達が丸腰で九龍に挑もうとしてるって思ってる?」

「えっ?」

「あはははは……舟都くん、意外と世間知らずな所あるんだねー」

流軌が困ったように笑う。

「オレらは【典型】を持ってる。【典型】を使って戦うなんざ初めてのことだからどこまで通用するか分からんがな」

「……」

舟都の表情が曇る。つい先程味方のように見えた4人が、また遠く、そして壁を挟んだように思われた。

「……じゃあ、何で俺を……?」

「決まってるじゃないですか」

癒依は間髪を入れなかった。

「舟都さんが、何よりも【典型】が強すぎることを憎んでいる。それが伝わったからです。そういう心を持っている人がいれば、チームっていうものは、折れたりしませんから」

「だからって……俺、何の力もないから……こんな所にいたって足手まといにしかならな」

「舟都」

健護の声が、舟都の弱音を止めた。

「お前がそんな調子なら、オレらは今すぐにここからお前を追い出す。さっきも言ったばっかだろうが。オレらの【典型】もどこまで使えるか分からないって」

舟都は口を挟むことが出来なかった。今のところ、喉の最前線には弱音しか用意出来ていなかった。

「例えばオレのは【堅牢の典型】。オレの身体の硬度はダイヤモンドの少し下。一見すると防御用としては完璧なように見えるが……」

健護は椅子から立ち上がると、右腕を伸ばし、ゆっくりと回し始めた。だが地面と腕が平行になった所で、その動きは止まった。

「オレは良くも悪くも。普通のヤツなら真上くらいまでは腕が上がるんだろうが、【硬化の悪癖】のおかげで、オレの身体はこんなにも硬い。……な?」

健護は改めて舟都を見た。

「使い勝手悪そうだろ? だから、まあ気にすんな。足手まといになったら、その時はその時だ」

肩身が狭そうに座る舟都の肩を、歩いてきた健護がポンと叩いた。舟都の【悪癖】を知ってか知らでか、優しいその手は舟都にすらも痛みを感じさせなかった。

「健護さんはまだいいじゃないですか」

癒依が頬を膨らませる。

「私なんて【治療の典型】ですよ、ただ傷の回復を早めるだけです。その点【悪癖】は【軽量の悪癖】……身体が軽すぎて、強めの風が吹いただけでも吹き飛ばされちゃいますから……ん?」

癒依の後ろに、アルカイックスマイルを浮かべた流軌が立っていた。

「癒依ちゃ〜ん?」

流軌は両手を握ると、癒依のこめかみにその拳を当ててグリグリと回した。

「身体が軽いとかマジで全女性の憧れなんだけど!? しかもそれが【悪癖】とか癒依ちゃん百点満点じゃん!? それをさも不便なことのように言うなーーー!」

「はわわわっ、る、流軌さん、痛いですぅ……」

「このこのこのーーー!」

見た目はボーイッシュだが、流軌は確かに女性だ。女性からすれば、体重が軽いなどということはむしろ【典型】とも言えるだろう。

「ま、まあ、流軌さん、落ち着きましょうよ……」

舟都がなだめると、流軌は諦めたようにため息をついた。

「……まぁ、アタシも似たような【典型】あるんだけどさ」

流軌が腰を下ろす。

「アタシのは【対流の典型】。見えてる範囲限定だけど、空気の流れを変えられるの。だから身体測定の時、アタシの上にちょっと上昇気流作って体重サバ読んだりしたっけなー……」

懐かしげに語る流軌を見ながら、舟都はそういう【典型】なら自分の身体を浮かせた方が早いのではないか、とツッコミを入れたくなっていた。

「でもさ、【悪癖】が酷くて……【畏怖の悪癖】。意味分かる? 要はものすっごくビビりなわけ」

「……はっ……!」

いつの間にか流軌の横にいた斬影が、スッと立ち上がった。

「いびゃぁぁぁ!!!??? ちょっと斬影くん、驚かさないでくれる!? 心臓止まるわホント……」

「……すまぬな……」

黒い布で覆われた斬影の顔が舟都の方を向いたのが分かったのは、布の隙間から見える目が舟都の目と合ったからだ。

「……拙者は【手刀の典型】……体側から刃を生やすことができる……だが【出血の悪癖】……つまり拙者の身体は出血量が多い……故に少しの怪我でも致命傷となる……」

「ま、そういうわけで、皆色々あるわけ。……舟都くんの【悪癖】もなかなかに大変だろうけどさ、そこはお互い様ってことで」

流軌の微笑みに、舟都は初夏のであるにも関わらず雪解けを感じた。この場所が地下であり、季節感がないからだろうか。

その時、部屋のドアがノックされた。

「ん? まだメンバーが?」

「うーん……メンバーって言うか、何て言うか……どうぞー」

流軌の言葉に、ドアが開く。

「よっ、まだ行かんのか?」

坊主頭にサングラス、ジャケットも黒ならシャツもズボンもカバンも黒。入ってきた男に、舟都は身構えた。

「何や、新入りか?」

「そうそう。癒依ちゃんが連れてきてね」

男は舟都をまじまじと見つめた。舟都は身体をガチガチにこわばらせ、背骨の真上を這う冷や汗も真っ直ぐに降りて行った。

「自分、名前は?」

「あっ、久保舟都……です……」

「そうか。ワイは十朱弾治とあけだんじ。正確に言うたらちょっとちゃうけど、情報屋やっとる」

「ど、どうも……」

弾治が差し出した手を握った舟都の手には、水たまりのように手汗が溢れていた。

「で、弾治さん、今日はどうしたんすか?」

他の3人は慣れた様子だった。恐らく、それなりに前からここにいて、弾治とも関係があるのだろう。

「いや、別に顔見せに来ただけでな。ワイら、ここに住んで今日で丁度50年やさかい。言うてもワイは生まれた時からここやったけどな」

「……左様か……もうそれほどの時が……」

今は西暦2143年。【典型】の存在が確認されたのが2043年であり、今年はそれから100年という節目の年だったが、【典型】を持たない者かれらにとってもまた節目の年であるらしかった。

「【典型】が見つかって、この国、いや、世界中の人間が一斉に検査されて、持つ者と持たん者に分けられて……この場所を作るまで、【典型】のない人はかなり辛い思いをしたそうや。でもそれを経験した人ももう少ない。せやから……早う楽にして欲しいんや」

「楽に……?」

強面な顔からは予想できない昔話を語り出した弾治に、舟都は感じていた威圧感を忘れて問いかけていた。

「そうや。……ホンマは【典型】で最初にふるいをかけた人間が悪いんやろうけど、でも九龍が総理になってから10年、外の世界ではより一層【典型】を持たん者が差別されてるらしい。コイツらは皆、その状況を変えるために集まってんや。けどまだ、九龍討ちの計画を練ってる段階で実際に何かしたって訳やない」

サングラスの奥の目の色が、少しだけ見えたような気がした。弾治の言葉はここにいる全員に向いていた。

「せやから……実は、早いとこ行動を起こして欲しいって思うとる。九龍を倒してこの状況が変わるなら万々歳やし、仮にダメやったとしても、やってみてからのことやからそれはしゃーないことやって受け入れられる。……うまく行くんか行かんのか、気を揉み続けてるこの苦しい状態が、実を言うと一番嫌やねん」

責めているわけではなかった。しかしそれでも「やらなければ」という心を駆り立てるのが、本当の言葉というものなのだろう。

「……皆」

「ん? どした舟都くん?」

「……宣戦布告のつもりで、一回やってみないか?」

「やるってそんな……いきなり言ったって、誰をどうやってとか、色々あるじゃないですか……」

「それなら、心配いらん。ええ情報があるんや」

弾治はカバンから、これまた真っ黒のパソコンを取り出した。

「憲民党副総裁の陣川郎央じんかわあきおって知っとるやろ? 九龍の右腕や。コイツの娘が今日、ホテルで結婚式をやるみたいや。娘の結婚式ってことで、陣川もええ気分になって油断しとるはず。どうや? 副総裁ってこともあるし、召し取ったらかなりの宣戦布告になるはずや」

「なるほどね……」

流軌は少し考えた後、弾治に尋ねた。

「その結婚式、披露宴は?」

「具体的な時間は分からんけど、まあ割と遅めになるやろ。今から準備して、ぼちぼち行ったら余裕持って着けるはずや」

「そっか……よし」

円卓から立ち上がると、流軌は叫んだ。

「皆、準備はいいか! ……もう5人もメンバーが集まった。計画を立てる段階はもう終わっていい。腐ったこの国を、この世界を、壊せ!」


流軌の言葉に腰を上げた5人は、エレベーターを使ってあの雑居ビルの1階に戻ってきた。

「癒依、弾治さんは来なくてよかったのか?」

エレベーターの扉が開くか開かないかのタイミングで、舟都が口にした。

「はい。弾治さんは【典型】を持ってらっしゃいませんし、情報屋の方ですから」

「下手にアタシ達と外に出て、弾治さんまで顔バレしたら商売あがったりでしょ?」

流軌が口を挟む。

「……うわっ、眩しいなやっぱ……!」

一足先に外に出た健護が声を上げる。舟都を除く4人にとっては、恐らくかなり久しぶりの直射日光だ。ほんの少し地下にいた舟都ですら目を細めた。4人が驚かないわけがなかった。

「……ホテルはあちらであったな……む……あれか……」

斬影が指さす先には、「聳える」という言葉のよく似合う高層ビルがあった。最上部には「首都ヴィーナスホテル」の文字パネルが日に照らされていた。

「あんな所で結婚式たあ、いいご身分だぜ全く」

「それを正すために来たんですよ、私達は」

舗道を歩く一行の影は濃く、その日は珍しく凪いでいた。

一方、ホテルでは披露宴が始まろうとしていた。

「先生とお近づきになれるとは、光栄です」

新郎の父親が、陣川に握手を求める。陣川は手を握りつつも、笑顔で応えた。

「いえ、先生だなんてそんな……その言葉は、九龍総理にこそです。……さ、もう始まってしまいますよ」

着席を促すと、陣川は娘の方を見た。50代も半ばに差し掛かると人は涙もろくなる。陣川の目には、晴れやかな涙があった。

「えー、では……」

そして披露宴が始まった。陣川は終始娘から目を離さなかった。

「続いて、新婦・櫻子さくらこさんのお父様でいらっしゃいます、陣川郎央さんからお話を頂きます」

拍手が鳴り響く。陣川はあくまでにこやかに、マイク前に立った。

「どうも、陣川です」

政治家としての陣川は、温厚な人物として有名だった。そのイメージのままに、陣川は優しい口調でスピーチを続けた。

「……と、何かと【典型】に恵まれた人生を、娘は送ってきた訳でありますが、私は本当に、この子を娘に持ててよかったと思っております。【典型】を持つ親同士からのみ【典型】を持つ者が生まれる。それはこの世界の条理です。娘がこんなに立派に育ってくれたということで、私もまた、恵まれているということを再認識できました」

スピーチも終盤に差し掛かり、そんな話をしていた矢先、バックヤードへと続くドアが、陣川の後方で開いた。それだけでは、気に留める者などいるはずもなかった。だが、そこから出てきた人間が忍者のような格好をしていたことに気づいた人間も何人かいた。

「……お命……頂戴致す……!」

陣川の背後に立った忍者は、右腕の側面に刃を生やすと、そのまま背中に真一文字に刃を入れた。

「がっ……!?」

陣川がよろめき、2、3歩前に歩いた所で、入ってきたその忍者・斬影が危険な人物であるとようやく気づいた。

「ちょっと失礼!」

ドアが開け放たれ、4人も会場に入った。それと同時に、混乱した参加者達は逃げ出し、陣川とその娘だけが残った。新郎も逃げ出していた。

「な、何だ貴様らは!?」

「……アンタ、【典型】に恵まれたとかどうとか言ってたでしょ? アタシ達、そういうの気に食わないんだよね。生まれ持ったものだけで人生決めちゃってさ」

陣川の背後にいた斬影も、4人の横に並んだ。

「……【典型】で人の価値を決めるような輩は許されん……従って少々手荒な真似をさせて頂いた……」

「くっ……警備兵!」

殺虫剤の効かない虫を睨みつけるような目になった陣川の声が響いたその刹那、4人の入ってきた扉には数十人の武装した男が立っていた。

「流石九龍、どこにでも分身してやがるな」

「分身?」

「……ああ、そういや言ってなかったな。この国にいる警備兵武装した警備員は皆、九龍のクローンだ。公表はされていないが、九龍は【複製の典型】。それで複製した自分を武装させて、警備兵にしてんだよ」

警備兵は一糸乱れぬ動きで銃を構え、5人に銃口を向けた。

「……此奴らを倒さねばならんようだな……」

「みたいですね……どうしますか?」

癒依の問いかけに、舟都は迷うことなく答えた。この悪を、差別を、正さなければ。屋敷の武器庫から持ってきた短槍を背中の鞘から抜き、右手を握り締めた。

「……どっちにしろクローンだ、1人残らず蹴散らせ!」

床を蹴り、5人が警備兵を目がけて跳ぶと同時に、警備兵が発砲する。

「ほいほいっと!」

しかし流軌の力により空気の流れが変わり、銃弾は見当違いの方向へ逸れてしまった。

「おっ、アタシのやつ割と使えるじゃん! ……まぁ今のやつかなり体力使ったけど……」

「……流軌殿……無駄口が多く御座るぞ……職務は迅速に……!」

両腕に刃を生やした斬影は、目にも止まらぬ速さで警備兵に接近すると、武装の弱い膝を的確に斬り断っていった。

「に、逃げるぞ!」

陣川は娘の手を取り、斬影が出てきた裏口を向いた。だがそこには健護がいた。

「何をしている、どけ!」

陣川が健護を力ずくで退かそうとするが、健護は当たり前のようにピクリとも動かない。

「チッ……!」

舌打ちと共に、陣川は拳銃を取り出した。そして構えると、まともに狙いを定めることもなく撃った。

「へっ、効かないなそんなの。俺は良くも悪くも体が硬いんでね」

健護の肉体は、弾を受け付けず跳ね返し続けた。わずかにかすり傷ができてしまっても、背中に手を当てた癒依がそれを消し続けていた。

「少しの傷でも、放っておかないで下さいね」

「分かってる。だからここにいるんだろ?」

「ふふっ、それもそうですね」

表には警備兵、裏には健護。ここは密室だった。

「舟都くん!」

風で自らの身体を浮かしながら格闘する流軌の声。

「コイツらはアタシ達が何とかするから、舟都くんは陣川をお願い!」

その名が呼ばれ、弾切れになった拳銃をなおも撃ち続けていた陣川が振り向く。舟都と目が合う。

「貴様……私を殺すのか?」

殺す。本当の意味ではそう使われないその言葉に一瞬たじろいだ舟都だったが、右手をもう一度強く握った。

「ああ……殺す。お前を、【典型】を!」

「そうか……なら、お前から片付けてやる。……ハッ!」

銃を捨てた陣川は、一つ叫んだ。その身体は毛に覆われ、爪と牙を有し、人狼となっていた。

「私は【人狼の典型】……私は一つの狼となって、貴様を討つ!」

陣川が飛びかかる。人のものでないその速さを避けられるはずもなく、横腹に切り傷をつけられてしまった。

「ふん……その槍は飾りか!」

さらに背中からもう一度切りつけられ、舟都は膝をついた。

「くっ……!」

「そんな弱さで私を殺そうとしていたとは……もはや愚か!」

「黙れ!」

「威勢はいいな。だが、弱い犬ほどよく吠える。消えろ!」

舟都の顔面に向けて爪が振り下ろされる。

「なっ……!?」

だがその爪は、短槍に阻まれていた。

「貴様、何故……!」

短槍も爪も、小刻みに震えていた。

「さあ……何でだろうな?」

舟都にも、突然どうしたのか分からなかった。陣川の動きからブレがなくなり、はっきりと捉えられたのだ。

「ふざけるのもいい加減にしろ!」

後ろに跳び、体制を立て直す陣川。もう一度飛びかかったが、今度傷を、それも致命傷を負ったのは陣川の方だった。

「があっ……!」

舟都の短槍は、陣川の腹を貫いていた。

切る大きさを間違えた焼き鳥のように、刺さったままピクリともしなくなった陣川を、舟都は一振りで短槍から抜いた。

「ひっ!」

陣川の娘は、そんな舟都を見て動けずにいた。舟都は冷えた眼差しで彼女を睨んだ。

「おい待て健護、コイツまで殺すのかよ?」

「そうですよ! この方は何もしてないじゃないですか!」

「だからだよ」

娘と正対した舟都は、神々しいまでの怒り故に、静かに、ただ静かに答えた。

「……舟都殿……何を……?」

「アタシ達は差別してるヤツを殺すだけでしょ?」

警備兵を片付けた斬影と流軌が、怪訝そうにその場から舟都を見つめる。

「……コイツは……【典型】を持ってるヤツは……生まれただけで偉くなってる。そんなの、許す訳にはいかないだろ」

舟都の手の先の鋭さは、娘の心臓を確実に見つめていた。

「お願いです……殺さないで……」

最後の希望をかけたその声は、まるで舟都の耳には届いていなかった。

「お願いですお願いですお願いですやめて下さいやめて下さいやめて下さい殺さないで殺さないで殺さ」


舟都の短槍が、2つ目の死体を作り出した。

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