第27話 還るんだ!

「ヒャーハッハッハッッハ」

 テロリスト霞治郎は、己の強さを誇示するように不気味な哄笑を響かせる。

 暗黒球のもたらす強烈な重力は何機もの攻撃ヘリコプターを一瞬にして圧砕し、瘴気を放つ不気味な化合物の粉末に変じさせていた。

 その力の源泉は極限まで重量定数の大きいポケット・ユニバースから流入してくる超重力。

 それがタイニー・ブラックホールと化して近づく物体すべてを特異点の中に押し込めていったのだ。

 だが、一気に能力を使いすぎたのか、霞治郎はふいによろめき、倒れそうになってしまう。

 そして再びペン型の注射器を取りだし、自らの腕に突き刺していった。

 だらしなく口を開き、天を仰ぐ。

 再び充満していく集中力を感じながら歪んだ愉悦に身を任せ、薄気味悪い笑い声を洩し続ける。

「クッ、どうしたら……」為す術なく唇を震わせる大地。

 そんな大地の怯えに目ざとく気づくと、霞治郎は嗜虐的な笑みを浮かべていた。

「ヒャハハハハ……。ここまでかナ“世界線”?」

「……!?」

「圧倒的な力の差に、ビビッてるんジャないかナ?」

 言葉を出せない大地に、霞治郎は見透かしたように嘲笑う。

「いい加減、諦めちゃいナヨ!」あまりにも軽い口調で、そんなことを口走る。「でないと、死んじゃうヨ?」

「クッ」

 そこで霞治郎は思いついたとばかり声音を変えるのだった。

「今なら許してあげるからサ、こっちに戻って来なヨ」

「だ、誰が、オマエなんかにッ!」

「フーン?」霞治郎は不機嫌そうに口を尖らせた。「そんな生意気なコト言うのは、“世界線”らしくないよネ。……これはオシオキが必要かナ?」

 言うと同時に暗黒球を大地の足下に向けて何発も放っていった。

「うわああああ――!」

 怒濤の勢いで放たれる暗黒球は、次々と大地の足場を削っていく。

「ヒャーハッハッハッッハ、踊レ、踊レ、“世界線”よォオオオオオ!」

 屋上の床面は攻撃のたびに崩落を起こしていき、大地と翼を追い込んでいった。

 放たれた暗黒球はそこで消滅することはなく、宙に浮いた状態で二人を取り囲んだまま。

「な――ッ!」

 誘導されるように二人が追いやられていったのは、支柱に支えられている狭い範囲。

 周囲は空隙と化し、その場を埋めるのは超重力の特異点。

 霞治郎は二人を包囲すべく、さらに暗黒球を繰り出してくるのだった。

 二人の立つ足場が時空の歪みに引き摺られ、不気味な周期で揺れだす。

 鉄骨に支えられたコンクリートの塊が悲鳴のような吃音を立てながら、崩壊を始めていくのだ。

 少しでもバランスを崩したが最後、待ち構えるのは超重力の井戸の底。

「大地、しっかり――っ!」

 大地の頭を過ぎり始めたのは、数々の犠牲者たちが迎えた最期の瞬間についての報道だった。

 周囲にある物質ごと一点に圧縮され、生命を成していた痕跡すら完璧に喪失した物質となった後に周囲に爆散していったという、おぞましい虐殺の現場。

「ヒャーハッハッハッッハ、どうだァ? ビビッてンじゃネエのか、“世界線”よオオオオ?」

 哄笑を響かせながら、霞治郎がパチンと指を鳴らした。

「その女を突き落としたら、テメエの命だけは助けてやんゼ」

「な――ッ!」絶句する大地。「そんなこと、するわけねえだろうがッ!」

「へえええ、まだ言うかナ? なら、テメエが死んだら、茜はさぞかし悲しむだろうなァ?」

「あ、茜姉ぇ……!?」

 茜の名に、大地の闘争心は一気に萎んでしまう。

 今この瞬間に舞と郷が抑えているはずの茜。

 もし自分が死んでしまったら、茜姉ぇはどうなってしまうんだ?

 大地の弱点を的確に突いたことを確認すると、霞治郎は満足げに口端を歪ませた。

「テメエの大好きな姉ちゃんと一緒に、死ぬまで働かせてやるヨ。だからこっちに来ナ」

「…………」

「テロリストとして、このオレ様に従うんだヨォオオオオオ!」

 霞治郎は暗黒球のパワーを一段階ブーストさせていった。

 強烈な重力は光をねじ曲げ、大地は霞治郎の姿を視界で捉えることもできなくなってしまう。

 一瞬にして完全な静寂が支配する世界に落とされた二人。

 見る見るうちに狭まっていく足場。

「大地……?」

「ああ、分かってる。アイツが言ってるのは全部ウソなんだって。でも……どうすれば」

 ギリギリと歯噛みする大地。

 翼は大きく息を吸い込むと、覚悟を決めたように声を出した。

「大地、こちらの処理スケールを高めないかぎり、勝機はないわ」

「処理スケール?」

「霞治郎が使っているのはデュアル型の量子デバイス。脳の前頭葉と大脳辺縁系の処理を並列でおこなうことでローカルなネットワークを築いているはず」

「う、うん」

「だったら」バイザーの向こうで翼は眦を決する。「それと同等、いいえ、それ以上のネットワークで対抗するしかないわ」

「でも、どうやって!?」

 周囲の通信状況はほぼ壊滅状態だった。茜が官舎に侵入する際に破壊し尽くしていたのだ。

 大地たちがネットワークを構築するとしても、繋がっているのはヘリコプターの滝山たちだけ。仮にそれが利用できたとしても、舞も郷も大地たちに協力するどころではないはず。

「あたしたちだけで、ネットワークを作るの! 組織にはそんな技術があったよね」

『ちょっ、高島ちゃん……?』 通信を紛れ込ませてきたのは管制室にいる女科学者だった。『あなたいったいなに言いだしてるのよ!?』

「先生?」

『それってまだ実験すらしてないじゃないのよ!』

「大丈夫です、先生」翼は毅然とした声で応えた。「大地とならうまくいくはずですから。なんだってできますから!」

 女科学者の隣で声を震わせたのは、元主任研究員の西台高志。

『そんな、もしかして……あれを?』

 女科学者は戦慄に表情を強張らせていた。

『そうよ。高島ちゃんはやろうとしてるのよ、エンタングルメントを……!』


* * * * * * * *


「クソッタレが――ッ!!」

 茜に吹き飛ばされたまま動けないでいる郷は、いまだかつてない無力感に苛まれていた。

『てか、いつまで寝てんのよ、“ハイドロ”のばかぁああああ――っ!! 』

 投げつけられてきたのは、舞の容赦ない怒鳴り声。

「クソッ、分かってんだよ、オレだって――ッ!!」

 茜の異次元とも言える強さに圧倒された郷は、一時的に気を失ってしまい、またその量子デバイスも強制停止=デコヒーレンスを起こしていた。

 時間をかけてデバイスを再起動させることには成功したものの、しかし肝心の外骨格パワードスーツがピクリとも動こうとしてくれないのだ。

「クソが! 動け、動いてくれ」

 どれだけ願っても、パワードスーツは反応してくれない。

 パワーの源となる駆動系がやられていたのだ。

 だが、そこで指を咥えて舞と茜の戦いを見守っているわけにはいかなかった。

「負けられない、負けられない、負けられねえんだよこのオレはよおおおお」

 郷は絶叫する。神にもすがる願いをもって。

「動け、動け、動け、動け、動け、――動いてくれよ、コンチクショウ」

 奇跡を信じて機械に絶叫する。

 と、その思いを受け止めるように、パワードスーツは起動音を響かせる。

「そうだ、動け――ッ!」

 よろよろとだが、立ち上がりかける。

「よし、待ってろ、舞!」

 そうして一歩を踏み出そうとしたその瞬間、

 これまで聞いたこともなかった低周波音を洩しながら、油圧式の可動装置が無情にも力なく出力を下げてしまう。

 郷はその場で前のめりに倒れるのだった。

「動けええ!」絶望と無力感に侵されながらも、郷は声を絞り出す。「動け、動いてくれよ! ここで立ち上がらないで、いつ立ち上がるんだよ。いつ戦うんだよおおおお!」

 それが最後の足掻きだったのか、機械は無情にも静止したまま。

 頼もしいはずの油圧駆動のパワードスーツは、それ以上は動く気配をまるで見せようとしない。

「ダメか、ダメなのかよ……」

 頭を下げる郷。そして声を押し殺す。

「クソッたれが。……諦めるしかねえのかよ」

 押し黙る。

 と、意識の向こうから二人の少女が戦う音が無情にも響いてくる。

 舞が弾け飛び、床面を転がる痛々しい地響きがどこか遠くで鈍く聞こえる。

「ハア……ハァ……ハア……」

 自分の荒々しい呼吸音だけが、やけにはっきりと耳朶に届いていた。

 華奢な舞が、持てるすべての力を使って強靱な茜に立ち向かったのだ。

 リスクを厭わず、茜の精神に侵入を果たし、エンタングルメントをやり遂げた。

 たった二人しかいない大切な身内。その一人である茜の変貌を直視させられて心が張り裂けていたはずなのに。

 それでも大切な存在を守るために、なけなしの勇気を振り絞って茜に立ち向かったのだ。

 それに対して自分は、機械が壊れたというだけの理由でその場で固まっているというのか?

 それでいいのか?

 それが、桐丘郷という男の生き様なのか?

「クソが…………だったら――ッ!」

 カッと眼を見開いた郷は、拳を固める。

 そこで大きく息を吸い込んだ。

「だったらよぉおおおおおおお――ッ!!」

 郷はパワードスーツを強引に脱装していた。

 右腕、左腕のパーツを外し、両脚を固定しているバンドを解除する。

 金属の塊に過ぎなくなってしまったその装置を、脱ぎ捨てるかのように打ち捨てる。

 そうしてようやく生身の状態で立ち上がることができた。

「クッ……こんなもの」

 そして、量子デバイスを乱暴に取り外すと、床に叩きつけた。

「うおおおおおおおおおおおおおおお」

 腹の底から絞り出すように気合いを入れる。

 デバイスを取り外したことで、ボディアーマーは補正機能を失い、体がやけに重く感じられた。だが、郷はそんな不利など気にもかけずに捨て身の爆走をしていく。

 床を踏みしだき、よろめきそうになりながらも駆け抜ける。

「うぉおおおおおおおお――――あ――か――ね――――ッ!」

 茜の名を絶叫しながら、郷は仰向けに倒れている舞の目の前に躍り出ていた。

 交差した両腕で、舞にトドメを刺すべく放たれた茜の雷拳を受けきるのだった。

「ぐぁあああああああああああ!」

 壮絶な打撃を受けながら、それでも倒れることなく、両眼をカッと見開く。

「なにがなんでも、オメエらを守るうううううううううう!」

 五本の指を限界まで広げた掌を、茜へと伸ばしていく。

「――っ!!」

 鬼神のごとき郷の気迫に、茜は無我の境地から引き剥がされてしまう。

 目の前で起きている事態を把握する間もなく、闘争本能が反射を起こしていた。

 茜は無意識のうちに電撃を再放射。

 歴戦の猛者でも即座に失神してしまうほどの電圧が郷の全身に絡みつく。

 だが郷は茜に手を伸ばし続ける。

 格闘に応じるのではなく――

「はああああああああ――っ!」

 電流の威力を極限まで上げていく茜。ドラッグの影響で正常な判断力を失ってしまった彼女には、加減を制御する余裕など微塵もなかった。

 しかし郷は耐える。

 刈り取られそうな意識を、首の皮一枚で辛うじて繋ぎ止める。

「誰も――」

 血反吐を吐きながら、郷は震える声を絞り出す。

「誰も、死なねえ……んだよ。全員、生きて……、無事……に、還る……んだよ」

 

 遠のきそうな意識の中――郷は追憶の中にいた。

 あれは三月の下旬だった。

 赤い髪の、いかにも頼りなさそうな少年が会社に入ってきたのだ。

 訊くと自分と同じ中卒だという。

「(……そのわりには、なんか弱っちょろそうなヤツだな)」というのが最初の感想。

 あんまりイジメとかがある会社じゃないけど、ちょっと心配だな。

 こいつは、ちゃんと面倒見てやんないとダメかもしれねえな。

 そんなことを思いながらも、ふいに笑いがこみ上げてきた。

 後輩らしい後輩って茜くらいしかいないもんな。

 もっともアイツはケンカっぱやいから、心配する必要なんてこれっぽっちもなかったけどな。

 でも、あのヤロウはちょっと不安だな。

「しょうがねえな……」言いながら舌打ちをする。しかし楽しげに。


 だが、翌日知っちまった。

 茜と肩を組んで歩いてくるあの新入りを。

「(……おいおいおいおい、ちょっと待てよ!)」

 茜の身内が入ってくるという話は聞いていた。それも株式会社クリーン・スイープの新入社員としてだけではなく、暗殺者集団“ノース・リベリオン”のメンバーとして。

 ということはあれか?

 あのひ弱なヤツが、同志になるってことか?

「(……イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ、そりゃねえだろ?)」

 どう考えても、あれは人を殺せる人間の眼じゃなかった。

 いかにも弱っちょろい臆病者の表情だ。

 男のオレでさえ、つい守んなくっちゃって、思っちまうほど情けねえ負け犬の顔だ。

 そんなヤツを実戦に投入したら――?

 結果なんて考えるまでもねえ。

 ソッコーでやられちまうに決まってるだろうが!

 そうなったら、公安の連中に頭を潰されちまって……

「(……ダメだダメだダメだダメだ!)」

 死なせるわけにはいかねえんっだよ。

 失うわけにはいかねえんだよ。


 こんなふうになっちまったのは、いつからだったかな?

 周りから誰かがいなくなると、

 何かがなくなると、

 いや、それどころか周囲の風景が少し変わったくらいでも、

 ひでえ喪失感に襲われちまうようになったのは……

 身が切り裂かれて、はらわたが引き千切られたように感じちまうようになったのは……

 やたら口うるせえオヤジが死んじまった時からか?

 大人しくて気が弱いオフクロが毎日夜中まで働くようになった時からか?

 ムリヤリ団地に引っ越しさせられて、仲間を全員失った時からか?

 分からねえ……

 でも、はっきりしてることはひとつだけ。

 オレが、オレ自身がこの手で守んなくっちゃならねえってことだ。

 だから、

 そのためにやれることは、ゼンブやる。

 とことん背負い込んでやる。

 限界なんて知ったこっちゃねえ。

 ゼンブだ。

 ゼンブゼンブゼンブゼンブゼンブ――ッ!!

 オレに関わる全員を、この手で守ってやるんだ!

 

「……あ……か……ね…………」

 現実に立ち返った郷を待っていたのは、茜の連撃。

 周囲を眩い光線がバチバチと弾け飛び、鋭い衝撃音が鼓膜を通して脳を揺らす。

 郷のボディアーマーがバラバラとはげ落ちていった。

 それに連れて加速していく身体的ダメージ。

 皮膚を焼かれ、全身の筋肉が激しい痙攣を起こす――計り知れない激痛の濁流だ。

 精神まで灼き焦がす電流に晒されながらもそれでも郷は前進を続け、ついには茜を捉えていく。

「――っ!!」

 誰も死なない。

 全員で生きて還る――それも笑いながらだ!

 決して譲れないその決意が、あと一歩を押し出してくれた。

 背中を蹴飛ばしてくれた。

 郷の掌が、いっぱいに拡げた五本の指が、茜の肩口にようやく届いたのだ。

「あかね、あかね――――――――ッ!!」

 右手が、そして左手が茜の両肩を掴んでいく。

 その瞬間、茜の電撃が自身の身体に返っていった。

 雷撃に全身を激しく痙攣させる二人。

 郷は全神経を掌に集中させていた。

 この手は絶対に離さない。

 なにがあっても決して手放さない。

 そして、舞を信じる。

「頼んだぞ、舞――ッ!!」

 茜に吹き飛ばされた舞は、しかし意識を繋いでいた。エンタングルメントを保っていたのだ。

 途切れそうな意識の中、舞は更に集中していく。

 全身に受けた打撃のせいで、もう立ち上がることはできなかった。

 おまけに高圧電流を受けている茜のダメージそのものが全身を揺さぶり続けている。

 だが、仰向けの状態から辛うじて頭を起こし、必死に右手を前に伸ばす。

「舞だって、舞だって――」

 吐血に喉を詰まらせながらも舞は意識を集中させる。

 そして、この瞬間に茜の脳内によぎってしまった言葉を捕まえる。

 か細い声で、しかし毅然とそれを声に出す。

「デバイス、強制――停止ぃ――」

「――っ!?」

 茜の量子デバイスは、その意思を茜のものと判断した。

 そして自らの機能を停止させていくのだった。

「舞、よくやった……」

 息も絶え絶えにそう言うと、郷は茜のデバイスを取り外し、そのまま床に落とす。

「ど、どうして……」

 集中力を切らせた茜は、そこで電池が切れた機械のように言葉を途切れさせてしまう。

 ドラッグの力でかろうじて保っていた均衡が、ブツリと断ち切られてしまったのだ。

 郷はそんな茜を抱き留める。フラフラになりながらも茜を守る。

 真っ赤に充血した眼を見開いたまま、茜は既に意識を失っていた。

 その口端からドス黒い血が流れ落ちていく。

「バカが、こんなになりやがって……」

 鍛え上げられているはずの茜の上半身は、しかしやけにか細く、軽く感じられた。

「いつも言って……るだろ? 全員……無事に……生きて還る……んだ、茜」

 掠れた声でそう口にすると、郷は豪快に倒れ込んだ。

 茜を庇いながら。

 大切な存在を包み込むように、背中からバタリと。

 同時に舞も意識を切らしていった。

「大地兄ぃ……」と呼びながら。


次話、最終回は8月15日掲載予定です。

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