第26話 負けられない

 官舎の屋上に立ち、高笑いを上げているのはテロリスト霞治郎。

 何かを誇示するように周囲を見まわすと、ゆっくりと口を開く。

 合成ドラッグで取り戻した集中力でもって、大地と翼に死をもたらすべく。

 不気味に唇の端を吊り上げながら、死の詠唱を始めるのだった。

 その瞬間――

 胃の腑を突き上げるような爆音が轟き、大地と翼は自分たちが五機の攻撃ヘリコプターに囲まれているのを知った。

『伏せて――っ!』

 女科学者の絶叫がデバイスから響いてきたその瞬間、攻撃ヘリコプターは霞治郎目がけて攻撃を開始する。

 対戦車用のミサイルを次々とブチ込むと、コックピット真下の機銃からも一斉射撃。

 すぐ近くにいる二人の犠牲すら厭わない攻撃であった。

 爆音に全身を押さえつけられて、伏せた状態から身動きができない大地と翼。

 その頭上で機銃砲が火を噴き、対戦車ミサイルが立て続けに発射されていく。

 もはやテロリスト霞治郎を人間と扱っていない、正真正銘の軍事行動である。

『ちょ――っ!! 子どもがそこにいるのよっ!!』

 女科学者の叫び声は、対戦車ヘリの火器が放つ爆音にかき消されてしまう。

 もうもうと煙る爆心地。

 鼓膜をつんざく爆音により、聴覚が麻痺を起こす。

 だが、噴煙はすぐに治まり、その中心部には弛緩した姿勢で立つ男の朧気な姿。


 霞治郎は、嗤っていた。

 何とも愉快そうに軍の無力さに哄笑を響かせる。己の力に酔いながら。

 ミサイルによる攻撃を何発も受け、数え切れない機銃の砲撃に晒されたというのに、その周囲はまるで何もなかったかのようにきれいなものだった。

 火器によるダメージは、その一切が暗黒球に吸収されてしまったのだ――その爆発による衝撃まで含めて。

 今、霞治郎の周囲二メートルの範囲で複数の暗黒球がゆっくりと周回していた。

「さてと。こんどはコッチのターン……かナ?」

 霞治郎は億劫そうに右手を上げると、掌を払うように動かす。

 まるで体にまとわりつく蚊でも追い払うかのような仕草。

 直後、暗黒球の一つが加速を開始し、空中のヘリコプターに引き寄せられていく。

 パイロットが悲鳴を上げる暇すらなかった。

 ヘリは一瞬にして圧壊し、ビー玉ほどの小ささに押し潰されていく。

 カーボンファイバーでコーティングされたローターブレードも、アルミ合金で強化されたボディも、それどころか操縦士や砲撃手の肉体までもが一点に凝縮され、おぞましい化学反応を起こす。

 そして、一瞬の静寂の後、全てが凄まじい勢いで粒子となって拡散していった。

 反動が生み出す衝撃波で他のヘリコプターは制御を失い、激しく空中で揺れ動く。

 拡散した微粒子状の物質が空を覆い、一瞬だが太陽の光を黒く覆い隠す。

 霞治郎は、その様子を嗤いながら、別の暗黒球をヘリコプターへ向かわせた。

 察したパイロットは慌てて回避を試みるが、時既に遅く――一秒とかからずして人体とヘリコプターは不気味な化合物へと変性させられていった。

「ヒャーハッハッハッッハ」

 歓喜の高笑いを上げながら、霞治郎は一機、また一機とヘリコプターを消滅させていった。

「強い……強すぎる」

 絶句する大地。

 霞治郎と自分たちでは、処理能力が桁違い。

 まったく歯が立つ気がしないのだ。


* * * * * * * *


 郷のデバイスがデコヒーレンスを起こしたことを確認すると、茜はそこで舞に眼を向ける。

「アンタはとっとと失せなっ!」

 まるで他人とも言える茜の雰囲気。余りにも冷淡な物言いに舞は衝撃を受ける。

 たった二人しかいない身内である茜の変貌は、舞にこれ以上ない動揺を与えていた。

 動揺の激しさに、少女の全身は硬直し、一切の動きを拒絶してしまう。

 舞から戦意が消失したことを見て取ると、茜は踵を返す。

 そして、霞治郎が進んでいった先を眼で追い始めるのだった。

 次に為すべきことに思いを馳せる。

“ホワイト・メア”を無力化し、霞治郎の逃亡を手助けする――

 まだまだ官僚貴族への戦いは継続させていかなければならない。

 もちろん大地は連れていく。これまでのように一緒に戦っていくのだ。

『すぐに逃げるんだ。君一人ではとてもじゃないが、今の豊島茜には勝てやしない』

 恐怖に凍りついていた舞は、茜の台詞と滝山隊長からの指示に従いそうになっていた。

 思考が告げていた。逃げるべきであると。

 しかし、彼女には分かる。分かってしまう。

 ここで逃げてはすべてを失うのだと――

 大好きな茜姉ぇを、そしてその隣でふんわりと笑う大地兄ぃまで、すべて失ってしまうのだ。

 ガタガタと震える脚を、恐怖に早鐘を打つ鼓動を、焦点の定められない瞳を、痺れたように感触が消えた両腕を――全て無視して。

 両目を閉じながら、それでも懸命になって声にならない叫び声を茜の背中にぶつける。

「あ、茜姉ぇ!」

 全身を包囲する恐怖に飲まれそうになりながらも懸命に抗い、舞は茜と対峙する。

「茜姉ぇを、行かせないよぉ」

 極度の緊張と恐怖。そのせいで息苦しささえ感じる中、舞は声を張り上げる。

『バカな、新田舞!』ヘリから懸命に声を上げる滝山。

「アンタになにができるっての!?」

 言うと同時に茜が掌底を見舞う。

 突然の攻撃に、舞は背後へ吹き飛ばされてしまう。

 ボディスーツの補正作用をもってしても不可避の高速であった。

 グフッと体を折り曲げたまま、痛みに悶絶する舞。

 小柄な身体を震わせながらも、指を組んだ両手を胸元に引き寄せ、祈るように頭を垂れる。

「大地兄ぃの時は失敗しちゃったけどぉ」舞は強烈な決意をここで滲ませた。「今度はぜったいにやってみせるよ、――エンタングルメントぉ!」

『なんだって!? 』滝山は絶句。『ダメだ、そんなことしては――』

「ええぃ、うるさいんだからぁ」舞は言って通信機能をオフにする。「茜姉ぇを止めるのは、これしかないのぉ――っ!!」

 かつて大地を相手に試みて失敗に終わってしまった精神同調=エンタングルメント。

 今、茜が装備しているのは大地や舞と同じ双方向型の量子デバイス。

 原理的にエンタングルメントは可能である。

 だがドラッグの影響により尋常でない力を発揮する茜に対してのそれは、無謀のひと言に尽きた。

 舞はしかし、華奢な体を震わせながらも、懸命に恐怖に立ち向かう。

 大地とのエンタングルメント失敗は、舞にとって忘れられない恐怖体験になっていた。

 それはトラウマをもたらしたと言っていいほどのショックだったのだ。

 舞はそんな恐れに震えながらも茜の精神への侵入を開始する。

 怖くて、不安で、心細くて。

 でも今こうしなければ大切な存在を失ってしまうから。

 大地兄ぃも茜姉ぇも失ってしまうのが分かるから。

 それだけは、イヤ。絶対にイヤっ!

 だからここで逃げちゃダメ――っ!!


「いいかげんにしなっ、舞!」

 茜は近接戦闘を試みるも、今度は辛うじて回避されてしまう。

 それは、ボディスーツの補正機能によるものだけではなかった。

「まさか、ウチの攻撃を読んでるっての!?」

 既に一部ではあるが、舞は一瞬の間を利して茜の脳内へと侵入を果たしていたのだった。

 刹那に成し遂げた精神同期。フォアヘッド型を操る膨大な処理能力があってこその芸当である。それも茜の変貌という精神的な衝撃を乗り越えての発動。

「舞だって――っ、舞だって負けられないんだからっ!!」

「そう……なら――っ!」

 茜の中で舞の存在が急速に敵と化していく。

 もはや彼女は大切な身内ではなくなりつつあった。

 そんな心の変節をエンタングルメントによって繋がった舞ははっきりと感じ取ってしまう。

 舞は、溢れ出しそうな涙を懸命にこらえ唇を噛む。心の痛みに耐える。

「舞は――、」自分に対して本気の戦いをしかけてこようとしている茜を正視した。「舞は、負けられないんだから――っ!」

 舞の決意に茜は、本気で戦う以外にないことを知る。

 直後、彼女の身体はこれまで磨きをかけてきた近接格闘術を発動する。

 考えるのではなく、動く。

 予測するのではなく、知る。

 見るのではなく、読む。

 聞くのではなく、捉える。

 メタンフェタミン系の合成ドラッグによって拡張された集中力が、その攻撃力をバーストしていく。華奢な舞など瞬殺するはずだった。が――

「な――っ!」

 茜は驚愕に眼を瞠る。

 あり得ないことに、その攻撃すべてが空回りしていたのだ。

 格闘戦に関しては完全にド素人である舞が、こともあろうに自分の攻撃を躱している!

「舞、アンタいったい――!?」

 視界の向こうで舞は肩を揺らしていた。

 ようやく――舞は一筋の希望を見出していた。

 格闘戦で茜に勝てるなど、最初から考えてもいなかった。

 だが、精神侵入を果たし、茜の攻撃を読むことができれば、回避だけは何とかなる。

 それに、ボディスーツによる補正効果も加わり、反応がブーストされる。

 そして、舞は茜を斃す必要などないのだ。

 そもそも舞と、そして郷は茜を救うためにこの場所へ来た。

 舞がするべきこと、それは――防御一辺倒でも時間を稼ぐということ。

 ドラッグによる一時的な集中力を使っている以上、茜はいずれ失速する。

 そしてそれは戦闘を強制終了させるほどの反動をもたらすのだ。

「茜姉ぇに勝てないのは、舞だって知ってるよぉ。でも、負けない。負けられないのっ!」

「じょ、上等よ、舞――っ!」

 真っ直ぐに撃ち出された右拳と、それに続く左の掌底。

 それを紙一重で躱していく舞。

 相手の意図が丸裸であるが故の回避運動。とはいえ、体力差は圧倒的。

 普段から近接格闘に磨きをかけていた茜の膂力からすれば、舞の強度など赤子も同然。

 ほんの一瞬でも気を抜いてしまえば、一撃で勝負が決してしまう。

 そのことを認識していた舞は、ひたすら逃げに徹しながら茜との同期を高めていった。

 危険と知りつつもエンタングルメントのプロシージャーを継続。茜のデバイスが展開する量子暗号を悉く解読していき、浸透度を深めていった。

 ひたすらに時間を稼ぐ。

 一つは茜のドラッグによる集中力が切れることを。そしてもう一つは、

「つかまえたよぉ!」

 無限に続く茜の同位体の中に、それぞれの舞が溶け込んでいく。

 より深く茜の精神に入り込むことで、その攻撃を把握するべく――

『やめるんだ、新田舞!』聞こえないと知りつつも、滝山は絶叫せずにはいられない。『ドラッグに支配された豊島茜と同期したら、君の方が危険だ! 人格が崩壊するぞ!!』

 滝山は歯噛みする。

 何故こうも自分は無力なのかと。

 何故、生命を危険に晒して闘っているのは、本来笑っているだけでいいはずの少女なのかと。

『頼むッ! 逃げてくれ、死なないでくれ――ッ!!』

 無情な叫びが空しく響く。だが、肝心の少女にその気持ちは届くはずもなかった。

「舞は、舞は、茜姉ぇを止めるんだからっ!」

 同期率は一足飛びに危険域へと近づいていく。

 舞はエンタングルメントを力業で深めていったのだ。

 より深く茜の内部に入り込むために――

「――――えぇっ!!」

 直後、舞の視界が激変する。周囲は不吉な赤色を帯び、静止しているはずの物体が、生命を持っているかのようにグニャリと奇妙な動きを見せ始めたのだ。

「な、なに? この気色悪い光景はぁ――っ!!」

 普段の愛らしい声が打って変わって、低く乱暴な色を帯びていった。

「こ……、こんな景色を茜姉ぇに見せてたってのぉ、あの社長がああああっ!」

 エンタングルメントの成功と同時に、茜の猛々しさが舞の精神に影響を及ぼしているのだった。

「許せない……、もうぜったいに許さないんだからぁああああ!」

 暴力的なオーラを全身に纏って、舞は茜に立ち向かう。と同時に、

「てか、いつまで寝てんのよ、“ハイドロ”のばかぁああああ――っ!!」

 倒れたままの郷をどやしつけるのだった。

 激しい吐き気に唇を歪めながら、舞は茜に向かって進んでいく。

 対する茜も攻撃の手を緩めない。拳を、蹴りを、情け容赦なく舞に浴びせかける。

「これ以上邪魔したら、舞でも許さないよ」

「上等よぉ、茜姉ぇ! てかさっきから攻撃しまくりじゃないのよぉ!」

 肉体的な不利を抱えつつも、舞は茜とやり合っていく。

 エンタングルメントが進行してしまった結果、舞には自分と茜の強さの区別がつかなくなっていたのだ。

 茜の繰り出す激しい近接戦闘を凌ぎつつも、一方でドラッグの影響による猛烈な吐き気に襲われる。極限状況に耐えながら、舞は茜との同期を維持していった。

 今、舞には茜の胸中がはっきりと見えていた。

 ――革命を、正義を為さなければならない。

 ――たとえ全員を敵に回しても、大地のために。

 ――だから、負けるわけにはいかない。

 ――これまで戦ってきたこと。社長の言葉。変えなければならないこの世界。

 ――いい社会にして、大地を守っていかなければならない。

 ――大地のために、希望の明日を築いていかなければならない。


 だが舞は、茜の心象風景に流されることはなかった。

「ちがうっ! ちがうよ茜姉ぇ――っ!!」


 ――初めて大地と出会った時のことは、今でもよおく憶えてる。

 ――赤い髪が綺麗で、優しそうな男の子が同じハウスに入ってきた。

 ――こんな弟がほしいって、ずっと思ってた。

 ――大切にしよう。可愛がってあげよう。守ってあげよう。一目でそう決めた。

 ――でも、大地はいつまで経ってもウチに心を開いてはくれなかった。

 ――代わりに、後から来た翼という少女に心を許していった。

 ――許せなかった。悔しかった。受け入れられなかった。

 ――でも、翼はいなくなった。大地を捨てたのだ。だから、これから先はウチだけ。

 ――ウチだけが大地を守ってあげる。甘やかせてあげられる!


「だ、か、ら! それじゃ大地兄ぃは救えないんだよ茜姉ぇえええええ」

 舞の回し蹴りが茜の肩口を捉える。タイミングも速度も完璧だった。

 いかに軽量級の舞とはいえ、その渾身の一撃は茜を吹き飛ばすに充分な威力があった。

 爆音を立てながら壁に激突した茜は、激痛に息を詰まらせる。

「茜姉ぇ、倒れて――っ」

 舞は空中に飛翔。必殺の蹴りを茜の量子デバイスへ向かわせる。

 たった今受けた衝撃で茜の運動能力は極端に落ちていた。

 そしてその回避動作も完全に予測している。

 絶対的な優勢を確信すると、舞はここで方針を変える。

 このまま一気に茜の量子デバイスを破壊し、戦闘力を奪い去るのだ。

 茜の動きを完全にコピーした美しく力強い蹴りが繰り出されていく。

 エンタングルメントが為し得た、見事な蹴り技であった。

 神速の弧を描く舞の踵が茜の量子デバイスにヒットする、その刹那、

「――っ!!」

 茜の頭部が微かに動き、紙一重でその攻撃を躱していたのだ。

 次の瞬間、茜の掌底が舞の腹部に突き刺さっていた。

 驚愕する間もなく、舞は床に崩れ落ちる。

 すべては一瞬にして、無情にも立場は逆転。

 茜は俯いた状態からゆっくりと顔を上げる。

「ど、どうして――!?」舞は驚愕の声を洩らす。

 茜とのエンタングルメントは継続されたまま。

 なのに、その思考がまるで読めないのだ。

 茜の視界情報はまったくのブランク。その聴覚情報も無音。

「どいうことなの、茜姉ぇ!?」

 舞の言葉にも無反応。

 そして舞はようやく知る。

 茜は思考そのものを遮断していたのだ。


 普段から鍛錬に鍛錬を重ねてきた茜。その不屈の精神力が生み出した、それは常識外れの集中力であった。そして合成ドラッグの残り火を使って、無我の境地に到達していたのだった。

「――っ!」

 まるで動きが読めないまま、舞は茜の攻撃を喰らう。

 五感すべてを断ち切った茜は、意思を持たないままに、本能だけで舞に攻撃を加えていく。

「はあああああああああ――!」

 バーサク状態。反射に従って低い姿勢を取ると、茜は舞の両脚を掴み取った。

 そのまま体を回転させ、ハンマー投げのごとく舞の軽い身体を投げつける。

 紙切れのように投げ飛ばされた舞は、床面を派手に転がりながら全身を打ちつけ、仰向けに倒れてしまう。

 床面を蹴り、高く飛翔。

 躊躇という概念は微塵もなかった。

 茜は舞へ向かってトドメの一撃を加えるべく、その無情なる拳を振り下ろしていった。

 

 次話8月14日掲載予定です。

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