第25話 禁忌
かつての指導者、霞治郎に弓を引く形となった大地。
霞治郎は我を忘れる勢いで大地に憤る。
「こっちよ、大地」
翼に誘導され、大地は後退していった。本来のターゲットである霞和哉を守るために。
「“せ――か――い――せ――――ンンンンン”ッ!!」
悪鬼の如く猛り狂った霞治郎は、感情の制御を失ったまま甲高い声で喚き散らす。
同時に暗黒球を放ちながら、周囲に破壊の限りを尽くしていった。
暗黒球の超重力により建物を構成する建材は球形に抉り取られ、超高圧に圧縮された後に反動で爆散していく。三半規管を揺さぶるほどの衝撃波と、それに続く粒子と化した物質が周囲に舞い散る。
霞治郎の放つ攻撃は、大地や翼のそれとは異なり、ほんの僅か掠っただけでも確実に不条理な死をもたらす。
実戦経験の足りない大地には無論のこと、無数のシミュレーションを経験してきた翼にとってもかつてない恐怖となり、圧倒的なまでの精神的圧力としてのしかかっていた。
不吉な化合物の粉塵を纏いながらゆっくりと二人へと迫る殺人鬼、霞治郎。
大地も翼も応戦するものの、攻撃は霞治郎の周囲に浮遊する特異点に呑まれてしまう。
後先を考えないその暗黒球は建物の支柱を無残に食い散らかし、支えを無くした構造物はそこかしこでヒビを走らせ、崩壊を予感させる。
「このままでは、身動き取れなくなってしまう……。大地、屋上に行かないと」
「わ、わかった!」
恐怖と絶望に支配されそうになりながらも、翼は懸命に志気を繋げ、階段を探す。
「こっち!」
破壊された壁面の向こうに見える階段へと駆け込んでいった。
一瞬振り返る大地。だがその光景に背筋が凍りつく。
「えッ!?」
ただでさえ背の高い霞治郎社長の姿が、この時は何倍にも巨大に見えてしまうのだ。
背後に闇のオーラを背負いながら、霞治郎は二人に迫り来る。
彼の周囲に浮遊する暗黒球のせいで、その姿がまるで幽霊のように揺らめいて見えてしまう。
「ブッ殺してやるゼエエエエ、“ホワイト・メア”もろともナアアアアアア――ッ!!」
「――ッ!」
脚の震えを抑えながら、大地は急かされるように上階へと駆け上がっていった。
翼が非常ドアを原始物質の放出で破壊すると、二人は屋上へと転び出た。
「時間を稼ぐしかないわ!」翼声を震わせた。「あの暗黒球は、無限には出せないはずだから」
次から次へと放出する暗黒球には、相応のエネルギーが必要なはず。
このように考えなしに連続して放っていれば、集中力を切らすのは時間の問題だ。
かつて“ホワイト・メア”と対決した大地のように、今の霞治郎はあまりにもパワーに頼りすぎた、無策この上ない戦いを展開している。ならば戦いを長引かせればいいだけの話。
「二手に分れて、挟み撃ちよ」
「わかった。やってみる」
二人は距離を取り、迫り来る敵に備える。
ほどなくしてテロリスト霞治郎の長身が階段室から姿を見せ始めた。
最初に壁面から二つの暗黒球が姿を見せたかと思うと、次の瞬間には建材が超重力によって一気に食い荒らされていく。僅かに残された瓦礫も、その重力によって宙を舞い、やがて暗黒球へと引き込まれていった。
浮遊したままの暗黒球は、ゆっくりと霞治郎の周囲を周回しながら大地と翼を窺う。
「なんなのよ、あれ……っ!?」
屋上に現れた霞治郎の姿がモニターに映し出される。
女科学者はその光景に絶句していた。
「……こ、これは一体……ッ!?」元暗殺者集団“ノース・リベリオン”の主任研究員、西台高志も同じように驚愕していた。
霞治郎が自身の周りに展開させている暗黒球。
科学者である二人には、その異様な光景がまったく説明できないでいた。
それというのも、コンクリートの建材を噛み砕くほどの重力が目の前で浮遊しているのに、すぐ近くにいる霞治郎本人が安全でいられるはずなどあり得ないのだ。そこまで強力な重力であれば、とっくに術者を引き寄せて圧殺しているに違いないのだから。
「――斬ッ!」
「――破っ!」
大地と翼が左右から同時に攻撃を放つ。
二人の攻撃魔法は、暗黒球の付近に至ると急速に軌道を転じ、その内部へと吸い込まれてしまっていた。
「クークックックック……」
やたら長い人差し指をクルクルと回転させながら、悦に入る。
霞治郎が展開させている暗黒球は極限まで重力が強いポケット・ユニバースから洩れ出る力である。だがそのポケット・ユニバースにはもう一つ、この宇宙にはない特徴があった。
それは空間次元の数が大きいという点である。
それも四次元、五次元どころか九次元にもなる空間だ。
それら余剰次元空間が極小規模にコンパクト化され、霞治郎の周囲を埋め尽くしているのだった。そのサイズはプランク長=10のマイナス66乗メートル。考えられる長さの最小単位である。
重力の伝わり方は距離との関連性を持っている。
人類が存在している三次元空間、即ち四次元時空において重力は距離の二乗に反比例する。これはつまり重力が二次元の面=球体の表面積として広がっていると解釈することが可能だ。
では、空間次元数が増えるとどうなるのか。
重力はより強く距離の影響を受けるようになっていく。
四次元空間においては距離の三乗に反比例し、五次元空間においては距離の四乗に反比例する。そして霞治郎が展開させているのは九次元空間における
そのような余剰次元の特性を活かしながら、霞治郎は大地と翼を追い込んでいるのだった。
「なんとも便利なチカラジャないカ、茜ク……ン?」
言いながら霞治郎は周囲を見回すが、そこには誰もいなかった。
とっくに自分に追いついているものと思っていた茜がいないことに、一瞬不思議そうな表情を浮かべるが、治郎はすぐにそんなことを忘れてしまう。そして再び怒りの感情を思い出す。
「…………殲」
おもむろに放たれた霞治郎の暗黒球。
大地と翼はスピードでもってこれを回避。と同時に再び攻撃を放つ。
「――斬ッ!」
「――破っ!」
二人の反撃が相手に届く手応えはなかった。
大地は翼に視線を向ける。バイザーに覆われた瞳の色を窺うことはできなかったが、彼女の意図は伝わってきていた。
攻撃に効果は見込めない。しかし、それでも時間の消費はできるはず。
大地は集中力を一瞬でも切らさないように自らに気合を入れ直し、慎重に、しかし瞬時の判断に従って霞治郎が放つ暗黒球を避けていった。
「グゥガガガァガガガガガガ」
突然壊れた機械のような奇声を発しながら、霞治郎が膝をついた。
それは、翼が考えていた以上に早く訪れた消耗だった。
「今よ」躊躇わず原始物質を放射する翼。「――破っ!」
超重力の特異点が威力を失っていたせいで、攻撃はテロリスト霞治郎に着弾。
そのやたら細長い体躯が弾け飛ぶ。
「やったわ! もう一度、――破っ!」
空中を舞う霞治郎に向けてさらに放射。長身が空中で翻弄されていった。
宙で何度も弾かれてから、やがて霞治郎は床面に落下。大袈裟な音を立てながら背中からバタリと倒れると、その動きが止まった。
「……やったか?」
視線を霞治郎に固定したまま大地が訊ねる。だが翼は無言で攻撃の構えを取ったまま。
「クハ……ハハ……ハハ……」
周囲に響くのは低く不気味な笑い声。
地上百メートル近い屋上にあって、その笑いがからみつくように耳朶を打つ。
霞治郎は、ホルスターからある物体を取り出していた。
それはペン型の注射器。
そして仰向けになったまま、自らの腕に乱暴に刺す。
「ヒャーハッハッハッッハ」
一転して甲高い笑い声を上げると、霞治郎は何事もなかったかのように立ち上がり、
「森羅万象を混沌に帰す、冥府の特異点…………殲」
先ほどまでと変わらない勢いで、再び暗黒球を放出し始めるのだった。
「なんてことを――っ!」
管制室では女科学者が思わず絶叫して立ち上がっていた。
信じられない光景にわなわなと瞳を震わせる。
テロリスト霞治郎が自らに打ち込んだのは禁断の劇薬。
肉体的にも精神的にも取り返しのつかないダメージを与えるが、その代償として超人的な集中力をもたらす、メタンフェタミン系の合成ドラッグに違いなかった。
かつて厚生労働省は量子デバイスを効率的に動作させる方法を研究していた。
心に強いトラウマを持つ人間に匹敵するだけの強烈な集中力を実現する方法はいくつか考えられたが、その中でとあるメタンフェタミン系の合成薬が他を圧するスコアを叩き出したのだ。それは、ただでさえ致命的な害をもたらす覚醒剤をさらに凶悪にした死のドラッグ。効果と引換えに人生そのものを破壊してしまう禁忌のドラッグとして、この研究は凍結されたはずだった。
「なぜ――っ! そこまでして!? 」
時に妖艶な笑みを浮かべるものの、基本的に感情を表に出さない女科学者が、怒りに柳眉を吊り上げる。
考えたくもないことだが、同じドラッグが十代の少女にも使用されていのだとしたら――
「ぜ、絶対に許されることではないわよ、霞治郎!」
* * * * * * * *
パワードスーツの郷を相手に、激しい近接格闘術で戦いを有利に進めていく茜。
「そのパワー、マトモじゃねえな。茜、なにしやがった!?」
郷の問いに対して、茜はゆっくりと顔を向ける。
瞳を覆うバイザーの下、両の頬を真っ赤な血の涙が伝い落ちていた。
「正義を為すのよ……」
抑揚の欠落した口調で茜は語った。
普段の茜からは信じられないほどの冷たさが周囲の空気を張りつかせる。
「だから、手段なんて選んでられない――っ!」
茜はホルスターからペン型の注射器を取り出すと、左肘の内側に突き刺す。
「後には退けない後には退けない後には退けない後には退けない後には退けない……」
「まさかッ!」絶句する郷。「テ、テメエ! ドラッグキメてやがったのかよ――ッ!!」
「えっ、そんなぁ!?」衝撃に息を呑む舞。
「集中力を得るためにドラッグを使うって話は聞いたことがある。だが、それじゃあテメエ、廃人になっちまうじゃねえかよッ!」
「そんなこと、どうだっていいっ!!」
注射器を投げ捨てた茜は、再び右腕に高圧電流を帯びさせる。
「ウチは正義を為すのよっ! たとえアンタたち二人を敵に回したって――っ!!」
血の涙を滴らせながら、茜は郷に襲いかかる。
正義を為す――官僚貴族を打ち倒すという妄執に支配されて。
茜は思い出す。
中学二年の夏。自殺があった公園で霞治郎社長と出会った日のことを。
ヘンな格好の人というのが最初の印象だった。
だが、奇妙な動作を取りつつも語ってくる霞治郎には強烈な説得力があり、茜はあっという間に信奉者となっていった。
ことの起こりは2000年代。
バブル経済の崩壊後、この国はいつまでも復活の糸口を掴めないでいた。
官僚、即ち中央省庁の総合職員たちは超高学歴を持つ頭脳明晰な存在である。そして環境の変化には敏感で、何よりも保身に長けている。そんな彼らは1990年代からの国の流れを俯瞰して、ある結論に達していた。
この国に明るい未来はないという結論に。
この国は茹でガエルのようにゆっくりと衰退していき、この流れを止めることはできない。
ならばどうするべきか?
結論は自ずと導き出される。
視線を世界に転じると、格差の激しい国はどのような場所なのだろうか。
米国という例外を除けば、基本的に貧しい国ほど格差は激しくなる傾向にある。それは、数少ないリソースを奪い合わざるを得ないからだ。そしてリソースが少なければ少ないほど闘争は過酷なものになり、搾取は苛烈になっていく。最下層の人間が生命や健康の維持すらできなくなる一方で、支配者層は湯水のごとく無駄遣いを続けている。国の富というリソースが少ないからこそ支配者はそれを死守し、僅かな余りであっても他者に渡そうとしなくなるからだ。
口に出さず、従って表だった議題もないままに、しかし聡明な官僚たちはそんな未来図を予期していた。それは避けられない国の運命なのだ。ならば、何を成すべきか。結論はただ一つ。自分たちの待遇の確保である。元より公僕などという概念などない。それは単なる建前の話でしかない。
第一に大事なのは自分たちの属する組織=省庁の維持拡大である。
第二には自分たち自身の待遇である。そこにはOBたちの処遇も含まれる。
そして第三に、彼らは自分たちの子女を守ることを選んだ。
タイミングのいいことに、“教育改革”とやらのおかげで学校の入学試験におけるペーパーテストの比重は下がる一方だった。学力よりも人物本位、やる気重視、可能性の考慮といった一見すると理想的な方針は、同時に裁量の余地を与えるものでもあった。人間性や可能性を重視するはずの入学試験はやがて家柄重視、コネ重視の情実選考へと変容していった。官僚たちは、それが社会問題にならないよう巧妙な手を打ち続けてきた。
まずはメディアを押さえること。記者クラブメディアへのリークを通じて、自分たちの言いなりになってくれる政治家は“政策通”と持ち上げ、行政改革を志向する政治家は“政策オンチ”扱いして悪評を広めた上でプライベートの汚点も暴露していく。そういった部分においても官僚組織が絶大なる情報力を持っていることは、あまり知られていなかった。しかし風評被害的にバッシングされて政治生命を失った政治家は枚挙に暇がなく、その多くが改革派でもある。メディアはこの手の個人攻撃が大好きなので無条件で飛びついてくる。なにしろそういったスキャンダルは数、即ち視聴率や発行部数が稼げるのだ。
マスメディアを手なずけた後にすべきはネットメディアの制圧だった。これは官僚たちにとって厄介な問題だったが彼らはネットの弱点についてもよく把握していた。まずネットはその匿名性故に信憑性が欠けることが多々あるという点だ。災害や大事件といった社会の混乱時にそれを助長させて喜んでいるかのようなフェイクニュースの数々。頻繁に発生する海外発のコンピュータウィルス。金銭狙いの悪質なハッキングやフィッシングサイトといった詐欺行為。近隣の大国のみならず同盟国からも仕掛けられてくる絶え間ないサイバー攻撃。そのような脅威が表面化するたびに既存メディアを利用して、ネットの脅威を声高に叫んでいった。大手メディアはその流れに乗っかりつつも、同時にネットにおける影響力を高めていった。やがて総務省は二十一世紀初頭の電波行政と同程度のコントロールをネットビジネスに対して持つに至った。
そのようにして、官僚を監視する眼は悉く塞がれていき、彼らの特権は公然の秘密として庶民から遠ざけられていった。
あとはやりたい放題だった。
自らの特権を保持し、世襲化させる制度を確立していく。
同時に少しずつ、まんべんなく国民から富を搾取していく施策や省令を発動していく。
そのための規制は自分たちがいかようにも決めることができた。
彼らは低所得者層に眼をつけ、一部“民間”がおこなっていた貧困ビジネスを取り上げた。
財政赤字を理由に年金や生活補助の金額を減額する。
しかし、現物支給によって生活の“質”は政府が保証する。
莫大な借金で建設した巨大団地に低所得者層を移住させ、補助金や助成制度を用意して福祉を充実させるように見せかける。しかしその裏では低所得者層が受け取るべき補助を天引きしていき、そのリターンで肥え太っていく。
社長が教えてくれた、この社会体制の不条理。
それを打破するためのただ一つの手段、それは彼ら官僚貴族を一人ずつ殺害していくという実力行使。
いかな官僚であっても、自らの命が危険に晒されればさすがに顧みるはず。
人殺しを肯定することはできない。しかしここまでしなければこの社会は何一つ変わりはしない。
いや、社会のためだけではない。
誰よりも大切な、大地という少年のため、その未来のために――公正で開かれた社会を築かなければならない。
「タイセツな大地クンのために、未来を変えていこうジャないカ?」
その言葉が、茜の心を打った。彼女の生き様を決定した。
――ウチは……そのための捨て石になっても構わない!
茜はいつしか固く決意していた。
この社会に変革をもたらす――他ならぬ大地ただ一人のためだけに。
「守らなくっちゃいけないのよっ! これまでしてきたことを、人殺しまでしてやってきたことを、ウチは守らなきゃなんないのよっ!!」
肉体制御のリミッターが外れたかのように、驚異的な勢いで茜は郷を圧倒していた。
単純にパワーだけではない。
怨念にも似た強烈な感情が、想念が、彼女を突き動かしているのだ。
対して郷の目的は茜を救うことであって、打ち倒すことではない。
気持ちでも、格闘力でも圧されきってしまう。郷は後手に回るしかなかった。
「でやあああああああああ――っ!!」
半狂乱とも言える雄叫びを上げながら、鍛え上げられた肉体が郷のパワードスーツに襲いかかる。
「ぐは――ッ!!」
爆音に吹き飛ばされるかのように、郷はあっさりと弾け飛んでいた。
許容範囲を遥かに超越する衝撃に、外骨格パワードスーツは不気味な吃音を立て、吹き飛ばされた後も電流が全身にまとわりつく。
割れた壁面が砕け落ちるその下で、郷のパワードスーツは無情にも沈黙してしまっていた。
「そ、そんなぁ……っ!」
為す術なく見守っていた舞は、力なく呟くことしかできなかった。
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