第24話 対峙
反体制運動の機運は若年層、特に低所得者層の間で急速な高まりを見せていた。
扇動しているのは施設出身の、十六歳の美少女。
その武勇に相応しい、情熱的な瞳。鍛え抜かれた肉体。日焼けした肌と天然のカールがかかったショートボブ。
アマゾネスを彷彿とさせる少女は、貧困層のジャンヌダルクとまで祭り上げられていた。
もちろん、国民の多くは無差別大量殺人に反対していたし、非難する声が多かった。
しかし、物心ついてからずっと漠然とした不安を抱えてきた若者たちにとって、少女の発言がきっかけとなり、各地で暴動やデモが散発するようになっていった。
同時に、霞治郎という最悪のテロリストが神格化されてもいた。
財務省官舎の一室。
壁全面を覆う窓ガラスを背にして、霞和哉は腕を組み、背筋を伸ばした姿勢で立っていた。
その隣にいるのは量子デバイスとボディスーツを装着した翼。
翼は先ほどから何度も霞和哉の様子を見ているが、この財務官僚からは恐怖も緊張もまったく感じられなかった。
つい先刻、霞和哉は無差別テロの実行犯である霞治郎が自らの弟であることを公表していた。
官僚貴族に反旗を翻し、衝撃的な殺戮を繰り返すことで下民からの指示を得ていた反逆者にとって、その出自が明かされることはとてつもないイメージダウンとなるとの読みからだ。
結果は思った以上のものとなったが、これにはネットで押されっぱなしだった五毛党の加勢もあった。霞治郎の評価は一気に低下していく。
――なんだよ、結局ヤツも貴族のボンボンかよ?
――貴族同士のケンカにオレら下民が利用されてるってだけ?
そんな失望と落胆、それに憤りが反体制派の中で芽生え、燎原の火のごとく広がっていったのだ。
「来るでしょうか?」心配そうに問う翼。
「あれは自分をよく見せることに、異常なまでに執着している。逆に自分の価値を貶められると前後の見境がなくなるほど逆上してしまう。昔からずっとそうだった」
「だから、リストの最下位にあった霞さんを真っ先に殺しにくると――?」
霞和哉が、ああと応じた瞬間、
グゴゴゴゴと不快な低周波音を響かせながら目の前の壁面が圧縮し、球形の空隙が現出する。
爆縮の特異点がもたらす超重力が、建材を噛み砕きながら壁面を消去していったのだ。
「アーニーキイイイイイ――ッ!」
フラつきながら近づいてきたのは暗殺者集団“ノース・リベリオン”の元指導者。
頭頂部と後頭部にセンサを付けたデュアル型量子デバイスの装着者。
ここ数日で何十人もの被害者をこの世界から抹殺してきた無差別テロリスト、霞治郎である。
バイザーで両目を覆っているためにその表情を見ることはできないが、激昂に唇を震わせ歯を剥き出しにするその口元からは抑えきれない殺意が撒き散らされていた。
「よ~く~もおおおお~バラしてくれたなああああ、アーーーニーーーキーーー――ッ!」
対する和哉は微動だにしないまま、ゆっくりと口を開く。
「正体を明かされて怒り心頭といったところか」呆れたように溜息をつく。「まったく昔からなに一つ成長がないな。いや、貴様に成長などあり得んか」
「その上から目線もこれまでダァアアア――ッ!」
霞治郎社長は暗黒球を右手から放出。まっすぐと兄和哉へと向かわせる。
「――戟っ!」
すかさず翼が原始物質の放射によるシールドを展開。暗黒球を防ぎきることはできないが、その軌道を逸らすことには成功した。
暗黒球は背後のガラス窓に円形の穴を開けると、そのままの勢いで官舎の外へ突き抜ける。
直後、凄まじい空気の流れが巻き起こり、翼を飲み込もうとしてくる。
やがて爆縮=インプロージョンの暗黒球は空気を含む様々な物質を吸収した後に臨界点に到って破裂。凄まじい爆音とともに今度は暴力的な勢いで衝撃波が返ってきた。
間一髪の攻防。だが兄和哉は身動き一つ取らない。取れなかったのではなく、取らなかったのだ。
「なんて胆力なのっ!」息を呑む翼。
――これが、指導者の器!?
危機にあってこれ以上なく冷静。翼の動きを予測し、動かないことを選択していたのだ。下手に避けようとしたら、むしろ暗黒球に吸い込まれて命を落としていたはず。
すぐそこまで迫っていた死の影をあっさりと無視して、和哉は実の弟を冷静に見やる。
「その威力……。ドラッグの力を借りたか。相も変わらず後先を考えられないのだな」
むしろ哀れむような口調で呟く。
「テンメエエエエ」
激昂した霞治郎は再び暗黒球を兄和哉に投げつける。
「――戟っ!」
再び放出される翼の原始物質。その奔流が強烈な超重力に干渉し、辛うじて暗黒球の向きを変えることができた。
だが、それで精一杯。そこまでが限界。
少しでも気を抜けばシールドごともっていかれそうになってしまう。
これ以上ない戦力差に、翼は気が遠くなってしまいそうだ。
「ダメ、気持ちで負けちゃダメ」だがそこで自身を叱咤する。「お義父さんとお義母さん、なにより大地を守るんでしょ!?」
自分の両頬を引っぱたき、気合いを入れ直して再びシールドを展開。だが、どう活路を拓いていいのか、まるで見当がつかない。
激情を撒き散らすテロリスト霞治郎の背後から、黒装束の少女が姿を現してきた。
日焼けした肌と、鍛え上げられた体躯の少女。
“幻影”こと豊島茜が翼に向けて干渉波を撃ち放つ構えを取り、呪文を口にする。
「不確かなるかなその在処、朧気なるかなその移ろい……。いずこに、いかように、されど宜なるかな……」
分かってはいたことだが、一対二ではあまりにも分が悪い。
背後で仁王立ちしている霞和哉を庇いながらも、翼は思考を回らせる。
――一体、どうすれば?
* * * * * * * *
「双方向型の量子デバイスなんて、よく思いついたものね?」
ホルモン過剰な女科学者が、西台高志の耳元で甘く囁いた。
「あ、その……」
不器用で無骨な元主任研究員は思わず顔を赤らめてしまう。女性に対する耐性に欠けているのだ。そんな彼の反応を楽しみながらも、女科学者は言葉を続ける。
「それに精神同調=エンタングルメント? これには驚かされたわよ、西台くん?」
「そりゃ、どうも」
「いったいどうやって開発したのかしら?」
「ソフトウェアについては社長がやっていたので自分にはなんとも」
「そうだったの? でもハードウェアはあなたの担当なんでしょ?」
「まあそうですが」
「じゃあ、霞治郎が使ってるあのデュアルタイプもあなたが?」
「あれは本当に実験的に、ただ繋げただけなので。まさか実際に動かせるとは思ってもみなかったので」
「へえ?」女科学者がジットリとした視線を西台に向ける。「ということは、ウラがあるってことかしら?」
「間違いなく――」西台は即答する。
そしてその可能性について考えを巡らせる。
「考えたくもない手段ではありますが――」
「それって、もしかして……?」
都心の上空を疾駆するヘリコプターからの映像が、二人の前で表示されていた。
高速ヘリに乗って、霞和哉の居室へと急行している大地たち。
上空の冷たい空気を全身に受けながら、待ち構える戦いに誰もが緊張を隠せないでいた。
会社から押収されていた予備の外骨格パワードスーツを装備した桐丘郷は座席に乗ることができないため、ヘリコプターのスキッドにぶら下がっていた。
そのすぐ足下を凄まじい勢いで高層ビルの屋上が流れていく。
「違和感はないか?」
ヘリコプターに搭乗していた公安量子魔法迎撃部隊=QCF隊長、滝山の質問には、まず郷が返事をしてきた。空中で宙づりになっていることなど気にもならないように。
「まったく問題ねえな」
その返事を管制室で聞いていた女科学者が妖艶な笑みを浮かべた。
短期間でありながら完璧なチューンナップを施したその実力に、すぐ隣にいる西台も、そしてヘリコプターに搭乗している滝山隊長も舌を巻かずにはいられなかった。
「なんだとッ!?」そこで入ってきた通信に驚きの声を上げてしまう滝山。「対象がもう現われただと!?」
「早いわね」呆れたように女科学者が囁いた。「あんまり早いと嫌われちゃうわよ?」
郷はそんな女科学者の通信音声をあっさりと無視した。
「だったら、お上品に屋上まで回り込んでるヒマなんてねえな。おい、大地、舞」
「はい、郷さん?」
「オレの背中に乗れ!」
下から見上げた姿勢で、銀髪の元ヤンは不敵に笑う。
「窓から直接乗りこむぞ!」
強風に体が持って行かれそうになる中、大地と舞が恐る恐る空中で郷の背中にしがみつく。直後、暗黒球が破裂した反動で衝撃波が巻き起こり、上空のヘリコプターを激しく揺らしてきたのだった。だが、郷は怯むことなく前を見据え、スキッドに繋げられていたワイヤーを伸ばすと一気に下降。その反動を利用して目の前にある建物へと突っ込んでいく。
「行くぞおおおおおおお――ッ!」
けたたましい破砕音を立てながら、郷たちは霞和哉がいる隣室へと突入していった。
「うぉおおおおおおおお」
勢いをそのままに郷は壁面をブチ破る。
砂煙を舞上げながら、郷はテロリスト霞治郎の前に立ちはだかった。
「社長、
先ほどから微動だにしない霞和哉だったが、ここでようやく口元に笑みを浮かべていた。
「大地!?」
予期しなかった三人の登場。翼は驚きを越して戸惑いの声さえ洩らしてしまう。
大地はそんな翼に駆け寄っていき、力強く宣言する。
「オレ、翼を守る!」
「だ、大地……」思わず眼を見開く翼の声が、微かに震えていた。
そんな彼女を庇うように、大地は彼女の前に出た。
目の前に立つ、かつての指導者に向けて躊躇なく攻撃を仕掛けていく。
「そは闇を照らす一条の光。そは抑圧を切り裂く真空の雄叫び。そは楔を断ち斬る魂の波形。いま突き抜けろ――――斬ッ!」
その斬撃は、しかし霞治郎の周囲に浮かぶ特異点に吸い込まれてしまう。
超越的な重力が生み出す空間の歪みのせいで、大地の斬撃は軌道を変えられてしまうのだ。
「“世界線”――ッ! テメエもかああああ!?」
霞治郎の表情が更なる憎悪に歪んでいった。
手駒のはずだった大地がこともあろうに自分に牙を向けてきた。
あれほど手をかけてやったというのに、飼い犬に手を噛まれるとはこのことか!
一気に負の感情を暴発させると、激情に駆られて大地に迫っていく。
「大地っ! こっちに」
大地は斬撃をもう一つ。そしてすかさず翼を追うように後退。
まずは霞和哉をその弟から引き離さなければならない。
翼の意図を瞬時に理解すると、斬撃を放ちながら後退していく大地。
そんなことに気付きもせず、テロリスト霞治郎は憤りを爆発させて後を追いかけていく。
霞治郎の後に続こうとする茜だったが、二つの影がそれを阻んだ。
「オマエの相手はオレたちだぜ、茜」
「茜姉ぇ」
「舞……郷……」
無表情のまま、茜は二人の名を口にする。
「ウチの邪魔しにきたってわけ……」やけに抑揚のない口調で茜は問う。
「茜、ここまでだ」
「こんな人殺し、茜姉ぇのやることじゃないよぉ!」
舞と郷。親しいはずの二人に対して、茜は冷ややかに応じる。
ピクリとも表情を崩さず、冷静に低い声で、「ウチは、退くわけにはいかない」
だが一転して感情を露わにすると、茜は“幻影”の干渉波を放つのだった。
「――っ!?」
“幻影”の魔法は、しかしデコヒーレンスも誤作動も引き起こしていなかった。
「無駄だ、茜」やけに落ち着いた郷の低い声が響く。
「お願い、茜姉ぇ。もうやめてよ、こんなことぉ」
「どういうこと……?」困惑しながらも、もう一度術を放つ。「――惑」
「言ったはずだ。無駄だと」
女科学者が量子デバイスに仕込んでいた術式は、“幻影”の魔法を見事に中和することに成功していた。
もはや茜は二人にとって脅威ですらない。
なだめるような郷と舞の口調。しかしそれがまだ半覚醒であった茜の闘争心に火を点けてしまった。
「――惑っ!!」
またしても干渉波の魔法。だが同じく効果は現われない。
眼を見開いた茜は、そこでグッと唇を噛む。その制御しきれない力に、噛み千切られた唇から一筋の血が流れ落ちる。
「そういうこと……ね……」低く呟く。「だったら――」
拳を強く握りしめると、茜の右前腕部を中心に空気が爆ぜ、雷光がその周囲を纏い始める。
「あ、茜!?」
「――
電磁気力に属性を持つ茜は、その力を幻惑ではなく、直接攻撃に振り分けていった。
郷が怯んだその刹那、茜は右腕に発生させた高圧電流を郷に向けて撃ち放つ。
「ぐはあああああ」
予期せぬ衝撃に吹き飛ばされ、次の瞬間郷は背後の壁に激しく全身を打ちつけられていた。
轟音が室内に鳴り響き、震動で天井にヒビが走る。過電流の影響で照明灯がいくつも砕け散り、ガラス片を周囲に撒き散らしていた。
「なに、この強さぁ!?」
「クッ、干渉波だけじゃなかったってのかよ!?」
郷はゆっくりと外骨格パワードスーツを動かし、体勢を整える。そんな郷に向かって茜は得意の近接戦闘を繰り出していた。
「たぁああああああああああ――っ!」
後ろ回し蹴りから掌底、そしてサマーソルトキック。
その一つ一つが速く、そして重い。
一撃、一撃が郷の纏う外骨格パワードスーツのフレームを軋ませていく。
しかも高圧電流を帯びながらの情け容赦ない連続攻撃。
量子魔法こそ使えないものの、郷がパワードスーツを扱う能力は天下無双。パワーもスピードも何者にも劣らない。だが、そんな郷の実力を、目の前にいる茜は遙かに上回っていた。
まるで人為的な手段によって加速力を得ているような、あり得ないほど不自然な強さだ。
素手の茜を相手に、郷のパワードスーツがじわりじわりと後退っていく。
想定外のパワーアップに舞はただただ驚愕するばかりだった。
「いったい、茜姉ぇになにがあったのよぉ――っ!?」
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