第23話 守りたい
殺人鬼と化した霞治郎社長。
その実の兄であるエリート官僚、霞和哉は語った。翼の義父が狙われているということを。
彼は大地に協力を求めるも、大地はその依頼を断ってしまった。
大地には茜と戦うという選択など、できるはずもないのだ。
霞和哉があっさりと出ていくと、部屋は再び大地と翼の二人きり。
やけに重たい空気が部屋中を満たしていく。
「社長と戦う……の?」
おずおずと訊ねる大地に、翼は僅かに頷いて見せた。
「お義父さんを守らなければならないから。それに、お義母さんも巻き添えになってしまうかもしれないし」
「……勝てる?」
「分からない。でも、戦わないという選択肢は、あたしにはないから。それに、戦える人なんて、他にいないし」
言って翼は唇を引き結ぶ。美しい横顔には、はっきりとした緊張が走っていた。
「大地は待っていて。あたしが戻ってくるのを」
「……翼」
「茜ちゃんと戦うことになるけど、でも勝たなくっちゃいけないから」
翼はゆっくりと立ち上がり、ドアへと向かう。
いつものようにしっかりとした足取りで。
その年齢の少女らしさを感じさせない、確信に満ちた足取りで。
一歩、もう一歩と進んでから、しかしふいに振り向き、
「大地――っ!」
大地にぶつかるように、
耐えきれないとばかりに、
まるで何かにすがるように、
翼は抱きついてきたのだった。
あまりの勢いに倒れそうになりながらも、大地は慌てて彼女を受け止める。
「翼?」
抱きついてきたその感触は、昨日のそれとはまったく異なっていた。
翼は、怯えていた。
震えていた。
かつてないまでに弱々しく、今にも泣き出しそうなくらいに、絶望的に。
まるで体が一回りも二回りも小さくなってしまったかのように、ひどく弱々しかった。
普段の、生真面目でしっかりとした彼女とはまったくの別人。
そしてまた、大地がよく知っている、幼い頃の感じとも大きく異なっていた。
「怖い、の?」
大地の問いには、微かに頷くことで応えてくる。
「でも――」
翼は声を低くする。大地にそう伝えることで、自分に言い聞かせるように。
「あたしは戦う。お義父さんもお義母さんも殺させはしない」
ゆっくりと大地から体を離していく。
そしていつもの表情を取り戻していく翼。
はっきりそれと分かる無理した笑みを残して、翼はドアの向こうへ消えていった。
「心配しないで。大地はあたしが守るから」
一人になった大地は、力なくベッドに座り込んでいた。
両手に残された、弱々しい感触を振り切れないまま、ひたすらに困惑する。
何だったのかと、思う。
昨日感じられた、あの懐かしさは一体何だったのかと、思わずにはいられない。
いつも心配そうに自分にまとわりついて、しょっちゅう抱きついてきた翼。
不安そうな翼を抱き締めてやることで、彼女の不安を和らげていたはずだった。
そして、ひとしきり抱きついてきたあとで、翼は安心したような笑みを見せてくれた。
まるで幼少期の頃と同じように。
そして大地は思ったのだ。翼にはやっぱり自分が必要であるのだと。
いつでも彼女を安心させてあげなければならないのだと。
だが、それはひどい勘違いではなかったのか。
たった今、自分に抱きついてきた翼は、本当に怯えていた。儚げで不安そうだった。
あたかもその姿こそが、翼本来のありようではないかと思えてしまうほどに。
ならば、それまでの翼は――?
自分が支えてやらなければと思っていたはずの翼は、いったい?
大地は自分の両手をじっと見つめる。
その瞬間、突然に思い出してしまっていた。
株式会社クリーン・スイープの秘書、常磐らいらの優しげな笑顔を。
その笑顔の奥底に隠されていた、大地を心配し、気遣ってくれる思いやりの眼差しを。
そしてようやく思い至るのだった。
彼女に感じた既視感こそ、ずっと大地が恋い焦がれていたものではなかったのかと。
大地は、らいらの視線を通じて翼との記憶に触れていたのだ。
だからこそ大地はらいらの顔をすぐに憶えることができたのだ。
茜が彼女を嫌っていると知りながらも、彼女に惹かれてしまっていたのは、幼少期の翼と同じ瞳をしていたから。懐かしい気分に浸ることができていたから。
だとしたら――、
思わず声に出してしまう。「違う、そうじゃなかった」
大地はフラフラと立ち上がっていた。「そうじゃなかったんだ――ッ!」
本当に心配していたのは、不安だったのは、心細かったのは、翼ではなかった。
「それは、それはオレの方だったんだ……」
翼は、そんな大地をずっと、ずっと気にかけてくれていた。
自分につきまとっていたのは、不安を感じた大地をいつでも慰めることができるように。誰よりも早く、大地の心を宥めることができるように。
もう一人じゃないって、身をもって教えてくれるために。
「オレは――」声を震わせる。「オレは、翼に優しくしていたんじゃない」
彼女が不安そうな顔をしているのは、自分ではなく大地を心配していたから。
ただ、それだけだったのだ。
突然両親を失い、慣れない場所に移らされた。
茜が優しくしてくれていても、その気持ちは届いていなかった。
完全に心を閉ざしていたのだ。
そんな大地を、翼は救おうとしてくれた。
いつでも抱き締めてくれることで、孤独に沈んだ心を強引にこじ開けてくれていたのだ。
そして、一瞬であれ大地が不安から解放された時、ようやく翼も安心して笑えたのだ。
「オレは、翼から優しさをもらっていただけだった。ずっと、ずっと……」
ずっと気付いていなかった。
その優しさを。その思いやりを。
「くっ――」
唇を強く噛む。
自分がとんだ思い上がりをしていたことを、今になって知らされていた。
「オレは、オレは――」
優しさを与えられていた。
不安や孤独から、守ってもらっていた。
だからこそ、いきなり彼女がいなくなった時に底のない喪失感を知ってしまったのだ。
それは、二度と立ち上がることができないと思えるくらい、心の奥底を抉る衝撃だった。
「でも、どうすれば!?」
決めなければならなかった。
「オレは、オレは、オレは、オレは、オレは、オレは――ッ!!」
答えは、一つしかなかった。
守りたいと思った。
これまでの気持ちに報いたいと思った。
たとえ大切な茜姉ぇと対峙することになっても、翼だけは守らなければならない。
この命を賭してでも。
「オレは……」
大地は一人、誰もいない部屋で絶叫する。
これまで押さえつけていた感情のすべてをさらけ出して。
「オレは翼を守るッ!! 守りたいんだぁあああああ――ッ!!」
動き出していた。
ただ衝動に突き動かされて。
戦いの場で茜と遭遇したらどうするべきか、答えを持たぬまま。
しかし翼を守るという決意だけは胸に強く固めて。
そして乱暴に部屋のドアを開く。
「遅えよ!」
扉の向こうにいた、意外な人物に大地は呆気にとられていた。
「なにやってたのよ、大地兄ぃ?」
銀髪細マッチョの元ヤン桐丘郷がニヤリと笑うと、その横で舞が愛らしい膨れっ面を見せる。
「舞……、郷さん?」狐につままれたように大地は固まってしまう。「なんで、ここに?」
「霞治郎を止めるためよ」
背後で知らない女性の声が響いた。
「あの男を止めることができるのは、ここにいる君たちくらいだものね」
振り向くと白衣姿の女が立っていた。
白衣を羽織ってはいるものの、その中はタイトのミニスカート。
豊かすぎる双丘と相まって、科学者というより夜の蝶という雰囲気の持ち主だ。
女から距離を取る形で部屋の隅に佇んでいた、無精ひげにボサボサの髪、黒縁メガネといういかにも研究員然とした男が口を開いた。
「この二人が、君と一緒じゃないとイヤだって聞かなくてな、大地くん」
「えっと……」
大地は困惑した表情を男に向ける。
男は苦笑いしながら女と眼を合わせた。
「大地兄ぃ、大地兄ぃ」舞が小走りに駆け寄ってきて、大地に囁く。「西台さん。……主任研究員の」
「あ――ッ!」驚いてから慌てて頭を下げる。「ご、ごめんなさい……」
白衣姿の女が「ふうん」と納得しないようなリアクションしているのを無視して、西台は大地に応じた。
「気にすることはない。僕がまだ君に憶えられていないというだけの話だ」
「……すいません」
そこで女科学者がそこで声を響かせた。
「時間がないわ。さっさと準備してもらうわよ、男子二名!」
部屋の隅に置かれた荷物を指さして、彼女は艶っぽく唇を舐め回した。
大地と郷が身に着けたのはバトルスーツ。
両肩、胸部、膝、肘、背中と防御パッドが入っていて防御力が高めてあるが、それ以上に全身を覆う素材にその特徴があった。
「基本的には高島ちゃんが着けているのと同じものね」
女科学者は色気のある低い声で語った。
「男子向けは近接戦闘を意識して防御パッドを装着してるけど、構造は一緒。神経伝達速度をブーストして反応力を高める機能があるわ。動こうと感じた瞬間に微弱な電気が筋肉に流れる仕組みになっているから、俊敏性が高くなるの。それにある程度の量子魔法は防御することもできる。過信は厳禁だけど、ないよりはずっとマシよ」
「……はい」
「あのぉ、」そこで控えめな声が女科学者にかけられる。「舞だけ、このスク水スーツのままなのはぁ……?」
舞は“ノース・リベリオン”で支給されたスクール水着タイプのボディスーツ姿のままだった。
その絶無ともいえる胸部を恨めしげに見下ろす。
「しかたないでしょ?」女科学者は白々しく言い放った。「時間なかったんだから」
「そんなぁ……」
そこで女科学者は趣味の悪い笑みを浮かべる。
「あらあら、困った顔も可愛らしいわね。さすがは天使ちゃん!」
羞恥に顔を赤らめる舞を、女科学者は嗜虐的な視線で嘗め回していた。
彼女は何故かそこでサムズアップしてみせる。
「西台くん、グッジョブ!」
「いや、それ僕の趣味とかではないんで!」
「え?」意外そうな顔をする女科学者。「西台くんって幼い娘が好みなんじゃなかったの?」
「そんなことないです!」
「あらそう? だったらなんで私のこと避けてるわけ?」
「先輩が過剰すぎるだけです! ……ホルモンとかお色気成分とか……その、いろいろと」
「あら? どうしたのかしら、顔真っ赤にして」
既に半眼になって二人のやり取りを聞いているだけの舞は、その場からすっかり取り残されてしまっていた。
そこで上空から響いてくるのはヘリコプターのローター音。
「あら、お迎えが来たみたい。みんな、準備はいい?」
無言で頷く大地。だが舞は不安を隠せない。
「でも、茜姉ぇの魔法に、舞、対抗できるのかなぁ?」
「大丈夫よ」女科学者が答える。「“幻影”の干渉波を打ち消す術式をデバイスに組み込んであるから。天使ちゃんなら使いこなせるはず」
「あとその、その天使ちゃんって呼び方もぉ、ちょっとやめてほしいというかぁ」
「ぐずぐず言ってないで、とっとと出発!」
到着したヘリコプターに乗り込むのは公安量子魔法迎撃部隊=QCF隊長の滝山、大地、そして舞。パワードスーツを装備した郷は中に入れないのでヘリコプターのスキッドにワイヤーで吊される形になった。
「頑張ってね。私たちは管制室からサポートしてるから」
女科学者が西台を右手でガシッと拘束した状態で、愛想良く笑いかけてきた。
「みんな、がんばってくれ……」精細のない顔の西台。
滝山はそんな二人がいないかのごとく振る舞い、パイロットにきびきびと指示を出していた。
ヘリはすぐに上昇を開始する。
思った以上の騒音と振動に、大地は身体をシートに固定するためのハーネスを強く握り締めてしまう。
高まる緊張の中、郷の声がデバイス経由で大地に届いてきた。
「大地、オレらは茜を斃すんじゃねえ。アイツを救うんだ」
「……郷さん」
「そのためにオレと舞でアイツを止めるだけなんだ」
「はい……」
「代わりに、社長はオマエに任せた。……あの殺人鬼をブッ飛ばしてくれ!」
大地は恐怖をはね除けてハーネスのバックルを外し、ヘリコプターから身を乗り出していた。
ぶら下がっている郷に向かって大声で叫ぶ。
「茜姉ぇを、茜姉ぇをお願いします!」
「おう!」気さくな感じで郷が応じた。「任されたぜ、後輩くん!」
親指を立てながら郷がニカッと笑う。
大地の虚を突かれた驚きが、やがてはっきりとした笑みに転じていく。
初対面の時と同じ気さくで頼れる元ヤンの先輩。そんな笑顔で郷は笑ってみせたのだ。
「行くぞ!」
滝山隊長の声に続いて、ヘリコプターが加速を始める。
テロリスト霞治郎を翼が待ち受ける、その場所へ向かって。
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