第22話 サイコパス
人間原理――宇宙がこのような姿であると分かるのは、人間が観測するからである。
この考えは、長く科学者から忌み嫌われてきた。
そもそも科学とは、本質的に神の存在をないものとして自然の摂理を解明していくべきものである。そして物理学は数学を用いて宇宙の構造を知ろうとする学問である。そこでは因果律が働き、原因があれば必ず結果がある。逆に言えば、あらゆる現象にはその理由がなければならない。そしてまた、それぞれの因果は条件さえ揃えば必ず再現可能であり、そこに例外はあってはならない。
だが物理学、即ちこの宇宙の仕組みやこの世界のありようを知れば知るほど、科学者たちはある種の疑問を持つようになる。
即ち、なぜこの宇宙は、そしてこの世界は人類にとってこうも都合よくできているのか、という疑問である。
人類が明確に把握している力は、僅か四つしかない。
なじみ深いものでは重力と電磁気力。
日常生活に縁のないものとしては弱い力と強い力。
重力と電磁気力については説明するまでもないだろう。
では弱い力、強い力とは?
それらは
弱い力はベータ崩壊をもたらす。この力がもっとも身近に感じられるのは核分裂である。原子力発電もいわゆる核兵器も核分裂によるエネルギーを使用している。二つの違いはその力をゆっくりと引き出すか、一気に引き出すかの差であると言える。
強い力はクォーク同士を結びつける。アップクォークが二つ、ダウンクォークが一つの組み合わせで陽子が作られる。アップクォークが一つ、ダウンクォークが二つで中性子となる。また、陽子と中性子を結びつけているのも、この強い力である。
ちなみに強い力、弱い力という名称は、電磁気力より強いか弱いかという比較によってつけられている。
そして大まかなことはこの四つの力でだいたいは説明できるのだ。
一方で、その存在はほぼ認められているものの、十分に解明されていない物質および力が存在している。ダークマターとダークエネルギーである。宇宙全体の質量とエネルギーの合計95%はこの二つによって占められているという。
さて、四つの力とダークマター、ダークエネルギーについて知るにつれ、科学者はある疑問から逃れられなくなってしまう。
それらは実に繊細なバランスを成しているのだ。
その組み合わせは奇跡と称していいほどで、通常ならばあり得ないものだという。
ほんの僅かでもバランスが崩れただけで、この宇宙のありようは大きく異なってしまう。
どれか一つの力が異なっただけでもこの宇宙に星は生まれず、従って生命体である人類も存在し得なくなっていたはずなのだ。
ある者はその理由を神に求める。知的設計論=インテリジェント・デザインである。
神がその手で作り給えしものであると考えれば、すべてが解決する。
だが、当然ながら科学者はその考えを受け入れることはできない。
都合のよすぎる宇宙の謎に対する答えとして、人間原理を発展させることで応じるというアイディアが生まれた。つまり宇宙がこのような姿であるのは、たまたま宇宙がそのようにできているからという考えである。そのためには、こうでない宇宙が存在しなければならない。それも大量に。そう考えると、我々人類が存在しているこの宇宙はあくまでも例外的な宇宙であり、それ以外のほとんどの宇宙では生命体は存在不可能となる。逆にいえば、この宇宙以外にも生命体が存在できる形態が、少数であれ存在するはずだ。
様々な宇宙の組み合わせは無数ともいえるもので、一説では10の500乗とも考えられている。
それぞれが異なる物理定数を持っていて、中には極端に重力の強いものもあれば、空間を拡大させるダークエネルギーが爆発的に広がっている宇宙もあり得る。そして、電磁気力が考えられないくらいに不安定な宇宙も。そのように無限にも近い宇宙=ポケット・ユニバースが存在するという考えがランドスケープ宇宙論である。
ランドスケープ宇宙論においては、様々な物理定数を持つポケット・ユニバースが次々と生まれ続けている。我々の存在するこの宇宙は、そんなポケット・ユニバースの中の一つに過ぎず、たまたま知的生命体の存在に適したエネルギーと物質の組み合わせを持っているだけなのだ。
* * * * * * * *
「クックックックッ……」
殺戮者と化した霞治郎は口端を醜く歪めながら奇妙な声で嗤っていた。
「森羅万象を混沌に帰す、漆黒の特異点…………殲」
真っ直ぐに伸ばしたやけに長い人差し指。向けられた先で壁面が微かに揺らめく。
直後、その一点を中心にして全てが圧縮されていくのだった。
建物ごと、設備ごと、そして中にいる人間ごと。
総務省本庁舎の外壁が巨大な半球で抉られたように、一瞬にして陥没していった。
中心にあるのは、すべての光さえも飲み込んでしまう不気味な特異点。
霞治郎が現出させた、巨大な重力定数を有するポケット・ユニバースとの接点だ。
量子コンピュータは、量子論が予測している並行世界を用いて一斉に処理をおこなう。
本来接点を持たないはずの世界同士が不自然に繋げられてしまうのだ。
その規模が一定量を超えると、四次元時空に歪みをもたらしてしまう。
歪みは特異点=別の宇宙への接点となり、隣接した宇宙からのエネルギーや物質の流入を引き起こす。或いは反対にエネルギーや物質の流出を起こす。
そのエネルギーや物質の移動こそが量子魔法と呼ばれるものの実体である。
霞治郎が量子デバイスによって繋がることができるのは、極限まで重力の強いポケット・ユニバース。
そこから洩れ出る破滅的な重力による爆縮=インプロージョンが周囲にあるすべてを引き千切りながら吸い込んでいき、自身の質量へと変えていく。生ける者も生命のない物も問わず。
やがて特異点はドス黒い不気味な球体へと姿を変えていった。
かつて人であったものや、建物を支えていた物質が限界を超えた重力で圧縮され、人の手では作り得ない化合物へと変えられていく。
血と肉と骨とコンクリートと鉄塊が超高温と超高圧によって分解、結合し、忌まわしい瘴気を放つ物質となる。
「ハハハッ」嘲るように、しかし実に愉しげに嗤い続ける霞治郎。
バイザーを跳ね上げると、真っ赤に充血した眼が焦点を結ばないままに宙を漂う。
踊るように体を回転させ、霞治郎は歓喜にむせび天を仰いだ。
その頭に装備されているのは、フォアヘッド型とリアヘッド型を合体させた試作品。デュアルタイプの量子デバイスである。かつて主任研究員の西台高志に実験的に作らせてはみたものの、適応者は存在し得ないとして、ずっとお蔵入りになっていた一品である。
そのモンスターのようなデバイスを、霞治郎は難なく使いこなしているのだった。
「フッ。今日のところはこんなモンかナ?」
緊張感をまったく感じさせない甲高い声でそう呟くと、隣にいた少女が短く頷いた。
「――惑」抑揚のない声で、呪文を放つ。
少女の量子デバイスが繋がっているのは、電磁気力がダイナミックに変動するポケット・ユニバース。その宇宙との接点から漏れ出る電磁波が周囲の電子機器に想定外の悪影響を及ぼす。
直後、二人を中心にして半径百メートル内の機械ががすべて誤動作を起こしていた。
その混乱に乗じて、霞治郎と豊島茜は煙のように姿を眩ませるのだった。
現場では、やがて圧縮された物質が重力から解放され、圧力からの反動で激しく周囲に粒子を飛散させていった。
DNAも含めて、もはやそれが人であったという痕跡は欠片も残されていない。
未知の、そして不気味なドス黒い粒子だけがそこに降り積もっていた。
* * * * * * * *
「いいかな」
ゆっくりとしたノックの後で、落ち着いて入室してくる男を、大地は見上げていた。
「霞さん!?」すぐ隣では驚いた翼が思わず立ち上がっていた。
テレビの画面が映す、半球状に抉られた総務省本庁舎の惨状。
ベッドに腰掛けている大地と手を繋いだままの翼。
しかし男はこれといった反応を見せずに、落ち着いたまま椅子に腰掛けた。
「初めまして、赤羽大地くん」
低く、通りのいい声だった。少しだが威圧感がある。
背は標準より少し低めだが、肩幅が広くがっしりとしている。
格闘技でもやっているのか、筋肉質な体型に見える。
それでいて野蛮さは感じられず、むしろ気品の良さが漂ってくる。
身に纏っているのはいかにも高級そうなスーツで、ちょっとした所作からも優雅さが見て取れた。
大地は男を見ながら、不思議な感覚に包まれていた。
初対面なのに、どこかで会ったような気がするのだ。
「
簡潔にそう語る男の霞という名に、大地は驚きを見せていた。
「もしかして……」
男は無表情に頷く。
「君が知っている霞治郎は、戸籍で言えば我が弟ということになる」
嫌悪感をまったく隠そうとせずに、霞和哉はそう応じた。
「社長の、お兄……さん?」
思わずそう洩らしてしまう。
だが、目の前にいるがっしりとした男は、やたら細長く軽薄な霞治郎社長と血を分けた兄弟だとは到底思えなかった。雰囲気が違いすぎるのだ。
物腰静かで落ち着いているのだが、芯が一本通った、骨太な感じさえする。
しかも、ただ対峙しただけで、気迫というか、ただならぬ圧が迫ってくる。
「もっとも、物心ついてからあれを弟だと考えたことはなかったが」
霞和哉は僅かに苦い表情を見せたが、すぐに冷静な顔を戻す。
「さて、君のデバイスは調べさせてもらった」
「デバイスを?」
「ま、思った通りだったのだがな」
言いながら情報端末を起動させ、プログラムコードを表示させていった。
「君たちは、公安に捕まった場合にある行為を義務づけられているはずだが」
大地は黙ったまま霞和哉を見ていた。その迫力に圧されて眼を逸らすことができなかった。
「量子デバイスのカスタマイズ情報は君たち組織の生命線だった。万が一の場合は、デバイスを初期化することで秘密を守る。そう命令されていたはずだ」
大地は頷くことも、首を振ることもできない。
それを是と受け取って霞和哉は続ける。
「そしてこのコードを発動させると、確かにデバイスは初期化され、カスタマイズされた痕跡は消え去る。組織の秘密は守られるという建前だ。だが、ここには隠された続きがある」
言いながら霞和哉はコードのある部分を指さした。
「プログラムは分かるかな?」
否と大地が答える前提で、霞和哉は語っていく。
「これは、デバイスの初期化後に、自壊するというプログラムだ。それも、デバイス装着者の頭蓋ごと破壊して、文字通り証拠を消すためのものだ」
「――ッ!!」
大地は驚きに口を開いてしまっていた。
「そ、そんなバカな……」
「信じられないことは理解できる」
冷静な口調の霞和哉。
「君たち組織の誰もが、あれを人として信じていただろうからな。だが、このコードに紛れ込んである不自然な文字列は、あれがよくやる不要なコメントタグだ。……一種の自己主張とも言えるな」
呆然とした大地をそのままに、霞和哉は語る。強烈な嫌悪感を交えて。
「私は他の誰よりもあれをよく知っているのだ。よく小動物を捕まえては残虐な殺し方をしていたものだ。それも薄気味悪い笑みを浮かべたまま。……嘘がうまかった。演技もうまかった。それが年を経るごとにより上達していった。だが、あれには真摯さも誠意もなかった。人を愛する心というものが、これっぽっちもないのだ」
幼い時によほどのことがあったのか、霞和哉は歯噛みをしながら続けていく。
「覗きが趣味でな。人の弱みを握ることに生き甲斐を感じていたようだ。それが高じてハッキングを身に付けたのだろう。そして、誰かの技術をそのまま盗んでプログラムに転用していったのだ。その一つがこの自爆プログラムだ。恐らく君たち組織の誰もがこの仕組みに気付くことはなかっただろう。実に巧妙な手口だからな」
「いったい、なんでこんなことを?」
そんな大地の疑問に対して、霞和哉は冷徹に言い放つ。
「愉しんでいるのではないかな、あれは」
「そ、そんな――ッ!!」
あり得ない答えに大地が凍りつく。それはあまりにも想定外の理由だった。
「あれは、人を支配するのがなによりも好きなのだ。生命を奪うということは、最大の支配だと信じているのだ。恐らく、君たちの仲間が死んだ時、表面上悲しんでいながら、心の中では歓喜していたのだろうな」
「そんな、そんなバカな――ッ!」
大地の驚愕した顔に、しかし霞和哉は憐れむような顔をしてみせた。
「今すぐ受け入れろというのは難しいだろう。だが、画面に映っているものが、あれの正体を誰よりも雄弁に語っている。そこから眼を逸らしてはならない」
指さすのはテレビ画面。半球状に抉り取られた庁舎の壁面。
建物を構成する物質ごと、何人もの人間が痕跡なきまでに破壊された痕跡だ。
追い打ちをかけるように、霞和哉は語る。冷静に、淀みなく。
「ところで君は、あれが誰かの死を悼んでいるところを見たことがあるかな?」
言われて大地はハッとする。アルファたちが死んだあの日、社長はそのことにまったく触れもしなかったのだ。だが、妙に浮かれていたことだけははっきりと記憶していた。それは大地をミッションに送り出すこととは、まったく無関係だったというのか?
「人を騙し、惑わし、支配して人生を奪う。あれが求めているのはただそれだけだ」
肉親だからなのか、或いは本質を知り尽くしている故なのか、その弟への評価はあまりにも厳しいものだった。
「そうやって他者に不幸をもたらすことで、ようやく自分自身の価値を確認することができる。もっともそれは一瞬の満足でしかないから、より強い刺激を求めて更に人を追い込んでいく。より巧妙に、より卑劣に。つまるところ――」
霞和哉は大地の眼をしっかりと見つめながら、落ち着いた口調で述べた。
「つまるところ典型的なサイコパスの行動パターンだ」
「――ッ!!」
「問題は、その行動があまりにも常軌を逸してしまっているという点にあるわけだが」
衝撃に身動きの取れない大地に対して、霞和哉は言葉を続ける。
「さて、本来であるならば君の精神的な回復を待ちたかったのだが」
冷静な表情に戻り、大地の両眼をじっと見つめてきた。
「霞治郎逮捕に協力してほしい」
「オレが、社長を……!?」
「あれに対抗できる人材がないものでな。やむを得ないならば、殺してしまっても構わん」
「そ、そこまで……」
「あれは心を持たない存在だ。もはや人間とは言えん。死んだところで誰も悲しまん」
霞治郎社長に対してずっと抱いていた違和感。
その正体に大地はようやく辿り着こうとしていた。だが、
「でもオレ……、茜姉ぇとは、戦えません」
大地は答える。これだけは譲れない。
何があっても決して譲れない一線なのだ。
霞和哉は、控えめに頷いた。
「そう言うだろうとは思っていたが」
特に失望も怒りも見せずに、エリート官僚はゆっくりと立ち上がった。
「まだ返事は保留ということにしておこう」
そして翼へ視線を向ける。
「では、一切を翼くん一人に委ねることになる。危険な内容だが、やむを得ん」
「翼が?」大地は不安そうな眼をして翼を見る。
「あれが暗殺対象のリストを公開したことは知っているかな?」
「え!?」
「リストの上位に、翼くんの父君の名があるのだ」
「そうなの……?」
訊ねられた翼は無言のまま、首を縦に動かす。
「そして次は彼女の父君の番になっている。彼女には時間がないのだ」
「そんな、そんな……」
「では私は行くことにするよ。準備ができたら来たまえ、翼くん」
立ち上がると踵を返し、あっさり部屋をさっていくエリート官僚。
大地はその背中を呆然と見送ることしかできなかった。
繋いだままの翼の手が、やけに冷えているように感じられた。
(本編ここまでです。)
【ランドスケープ宇宙論について】
※以下本文の補足説明をします。わかりやすさを心がけるため、このパートは口語体にしています。物語の本筋には直接関係しませんので、面倒という方は読み飛ばしていただければと思います。
* * * * * * * *
この世界、この宇宙は実に奇妙なバランスによって成り立っています。
例えば地球を例にとってみると、銀河系の中でもかなり中心から離れた位置にあることで、比較的安全でいられています。
また、地球は太陽からの距離もほどよく、水が液体の状態を保っていられます。太陽に近すぎると水は蒸発してしまい、逆に太陽から遠いと水は凍ってしまいます。水が液体でいられることで、様々な生命体が存在できるようになります。この太陽からほどよい距離=ゴルデロックスゾーンにいることで、地球には生命が育まれているわけです。
しかしそれだけでは人類という知的生命体が生まれたかというと、多分無理だったでしょう。
四十六億年前、形成されたばかりの原始地球に火星ほどの大きさの惑星テイアが衝突し、その破片が集まって月ができたという説があります(ジャイアントインパクト説)。月の起源としてはこの理論が有力らしいです。
月という、地球には不釣り合いなまでに大きい衛星によって地球の自転軸は安定し、そのおかげで四季が固定されています。もっとも歳差運動によって四季がゆっくりとズレているわけですが。(カレンダーをいじらなければ約一万三千年後に七月~八月は真冬になっているはずです。)
また月の重力によって地球の自転周期は二十四時間になっています。これも人類にはほどよい周期であり、月がなかったら一日は数時間に過ぎなかったと考えられています。そのような世界では生命体が存在しても、人類のような姿には至らなかったでしょう。(ちなみに月は少しずつ遠ざかっていて、それに伴って地球の自転周期も僅かながら長くなっています。)
要するに何が言いたいかというと、地球という存在一つとっても奇跡的な経緯によって成り立ってされていて、そのたまたまの結果として人類が繁栄しているということです。宝くじで一等賞を当てた以上にラッキーだったとすら言えます。
例えば6,500万くらい年前に起こったとされるKTイベント(巨大隕石が落下して恐竜を一掃してくれた事象です)がなければほ乳類はいつまでも恐竜に怯えていて、進化の余地を失っていたかもしれません。
また、過去地球は複数回全球凍結という状態になり、地球全域が凍っていたと考えられています。その期間において生命体はほぼ絶滅状態に追い込まれたようです。それでも地球の温度は上がり、辛うじて生き残った生命体がその後の進化の枝分かれをもたらしていきました。
このような考えは何となく受け入れやすいのではないでしょうか。
人類がこの地球で繁栄しているのは、たまたまそのような環境であったからだという話は説得力があるかと思います。多くの人は恐竜が存在していたことも知っていますし、月の役割についても言われるとその通りと納得できそうです。逆にいうと何か違う要素が働いていたら、人類は生存競争に負けてしまっていたかもしれませし、そんなふうに想像したことがあるという人も結構多いのではないでしょうか。
このような考えを宇宙全体に広げたものがランドスケープ宇宙論ではないかと筆者は考えています。
本文でも触れましたが、重力、電磁気力、弱い力、強い力という四つの力というのは実に超絶的なバランスを保っています。
重力がほんの僅かでも強ければこの宇宙はブラックホールだらけとなっていたはずです。そうなると恒星が生まれる余地はありませんでした。反対に重力が弱ければ物質が拡散してしまい、こちらもまた星が生まれなくなっていたはずです。
電磁気力が強いとどうなるか。原子の中の電子と陽子が電磁気力で引き寄せられてくっついてしまうでしょう。すると電子と陽子は中性子となってしまい、原子そのものが存在できなくなってしまいます。つまり、中性子だけに満たされた宇宙となってしまい、この場合では中性子星だらけになってしまうでしょう。反対に電磁気力が弱ければ、原子内の陽子は電子を引きつけることができないので、原子そのものが存在し得なくなってしまいます。またしても恒星はできません。
弱い力は星が“燃える”ことに関係しています。恒星、つまり太陽のような星は核融合によって熱を生み出し続けています。太陽は大量の水素が核融合していることで“燃え”ています。核融合によって水素は重水素やヘリウム3といった形態をとりながらヘリウムとなっていきます。その過程において僅かながら質量が失われ、その質量がエネルギーに変換されることで熱が生まれています。この関係をうまく説明しているのがアインシュタインの有名な方程式、e=mc2乗です。物質をエネルギーに変換すると凄まじい量になることがこの方程式から明らかになっています。ちなみにeがエネルギー、mが質量、そしてcが光速だそうです。エネルギー(ワットとか馬力とか?)が質量(グラムで表現可能?)×光速(秒速約30万km)という、どのように単位を揃えるのかは筆者もよく分かっていませんが、光速というのは一秒で地球七周半というべらぼうに大きな数値であることは何となく分かっています。従って、失われる質量がほんの少しでも、エネルギーに換算するととてつもなく大きくなるということだそうです。
話が少しズレましたが、この弱い力が弱すぎると核融合が発生せず、恒星が熱を発することはありません。逆に弱い力が強すぎると核融合が一気に進んでしまい、星はすぐに燃え尽きてしまいます。すると人類のような生命体に進化の時間が与えられなくなってしまいます。
強い力は原子核に影響を及ぼしています。クォークを集めて陽子にしたり中性子にしたりするのが強い力の役目です。また原子核の中で陽子と中性子をくっつけているのもこの強い力です。強い力が弱いと原子核が形成されなくなってしまいます。すると物質がクォークや電子といった素粒子のままとなってしまい、私たちが知っているような物質が存在しなくなってしまいます。逆に強い力が強すぎると、今度は核融合や核分裂ができなくなってしまい、それはそれで宇宙の構成に差し障りが出てしまいます。
しかもダークマターという謎の計測不明な物質的な何かが存在しているのはほぼ確実らしく、このダークマターの量が程よいあんばいだったおかげで、宇宙はブラックホールだらけにならなくて済んだそうです。
また宇宙空間は拡大し続けているのが観測によって分かっています。遠くにある銀河ほど速い速度で地球から遠ざかっています。それは空間全体が拡大しているせいで、その空間そのものを広げているのがダークエネルギーだと言われています。このダークエネルギーの強さも絶妙らしく、数値がほんの少し違っていただけでも宇宙はこのような姿をしていないと言われています。ダークエネルギーが現状より強ければ宇宙はあっという間に拡大してしまい、多分星は生まれていなかったでしょう。ヘタをすると宇宙は超高速で引き裂かれてビッグリップを生んでいたでしょう。そうなると原子を更に細かくしていった素粒子さえ引き裂かれてしまうと考えられています。逆にダークエネルギーが弱すぎると、宇宙空間は重力によって縮んでしまい、一点に集中してしまいます。ビッグクランチと呼ばれている現象です。いずれの場合でも生命体もくそもあったものではありません。
つまりこれってヤラセって思われてしまうレベルのご都合主義です。
では、この宇宙のありようが“たまたま”であったとしたらどうでしょうか?
そう考えたのがランドスケープ宇宙論です。
宇宙は一つではなく無数存在し、そのそれぞれにおいて力の加減が異なっている。ある宇宙では重力が強く、別の宇宙では電磁気力が弱く、さらに違う宇宙では弱い力が絶無である……等々です。この考えを進めていくと、今私たちが存在している宇宙とは違う力の組み合わせがバランスを持ち、知的生命体が存在し得る宇宙もあるはずです。そこでは、知的生命体はまったく想像できないような形態をしているのかもしれません。
本作においてはこの、別の宇宙(ランドスケープ宇宙論では一つひとつの宇宙をポケット・ユニバースと呼んでいるそうです。)のエネルギーを使うことを量子魔法と設定しています。その別のポケット・ユニバースからどのように力が流れてくるかについては、別の項で解説したく思っています。
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