第20話 崩壊
油断なく次の斬撃の体勢を保ったまま、大地はここで勝利を確信する。
だがその頬に笑みはなく、むしろ険しさが刻まれているだけだった。
“ホワイト・メア”の眉間に向けて照準を合わせた。奇妙なまでに高鳴る鼓動を抑えながら。
この少女を生かしておくことはできなかった。
でなければ、彼女は再び量子デバイスを身につけて、自分たちに襲いかかってくるのだ。それも、公安の総力を結集させた最新技術を手にして。
勝利がいつも続くとは限らない。そして、次は大切な茜や舞が危険に晒されてしまう。
確実にそれと分かる脅威は、今この場で排除する他はない。
それに、そもそも自分はこの少女を殺害するつもりだったのだ。
殺せ――自身に命じる。
彼女は殺さなければならないと、自分に言い聞かせる。だが――
“貴族の子”とはいえ、同年代の少女を手にかけることに、大地は強い躊躇いを感じてしまうのだ。
荒い呼吸。重々しく全身に響く脈動。
手が勝手に震え出して止まらない。
結論を出す前に、体を無理矢理に動かす。
大地は死の斬撃を放つ体勢を取る――確実に死をもたらす斬撃を。
「――ッ!」
その右手は押さえつけられていた。
「ここは我が輩の出番である」
いつになく真剣な声で青山が、しかしおっとりと話す。
その軟弱そうな見た目からは考えられないほどの強い力で大地の腕を制する。
「貴君に人殺しは似合わない」言って青山は笑う。自嘲気味に。「無抵抗の人間を殺す汚れ役は、我が輩一人で充分なのだ」
そして青山は横撃ちの構えを取った。弾撃を少女の眉間に打ち込むために。
少女はいよいよ観念したのか、身動き一つ取ろうとしなかった。
『ちょっと待ってヨ』軽薄な声が大地たちの耳朶を打った。『彼女のデバイス、持ち帰ってきてくれないかナ?』
「了解」
「デバイスを外してもらおうか」真っ暗な視界の中、“ノブルス”の声が冷たく響く。
* * * * * * * *
全身を拘束され、床に顔を付ける形で身動きが取れないでいるのは、公安量子魔法迎撃部隊=QCF隊長の滝山。
あまりにも呆気なく斃されてしまった自身の脆弱さには溜息しか出ない。
しかし、少女を守るという自らの宣言を守れなかったことには忸怩たる思いがあった。
滝山は“ホワイト・メア”――高島翼という少女について考えていた。
堅物すぎてとりつく島もない翼は、最初こそ隊員の注目を浴びていたが、今ではすっかりのけ者扱いだ。それもこれもすべては自らの素っ気ない態度にあった。
他者の接近を頑として阻む頑迷さは厄介を通り越して迷惑ですらあった。。
しかし、休憩時に甘い物を与えたときに一瞬だけ見せた少女らしい笑顔がやけに印象的でもあったのだ。それは相応の金銭的な出費伴うものではあったが。
訓練中の翼は異様とも言えた。
特筆すべきは集中力。そしてそれを支える強靱な意志。
許容範囲を遙かに超える数量のシミュレーションをこなし、他を圧倒する戦闘力を備えていたのに、それでもまだ物足りないとばかりに過酷な訓練を自らに課していた。
何故そこまで必死なのか?
作り物のように美しい顔立ちを改めて思い出す。
それだけの美貌に恵まれていれば、もっと楽しい人生が送れるはずなのに。
なのにすべてを投げ打つかのように、命がけの任務で社会貢献ポイントを稼ごうとしている。
親のためなのか?
父親は財務省の高官と聞いていたが、その後を継ぐためだというのか?
一人っ子なのに第三類という扱い。そこから考えられることは――
滝山には分からなかった。
彼女の行動原理は不可解に過ぎた。
しかしはっきりしていることは、少女が重ねてきた努力の数々。
大の大人でも逃げ出すほど厳しい特訓を自らに課してきたのだ。
それは、尊敬にすら値する偉業なのだ。
いつしか滝山は、この可愛らしさの欠片もない少女を応援したくなっていた。
今回の任務に割り当てられたのはホワイト・メアを含めて三人。
実質的には少女一人だったのだが、滝山は強引にこちらの任務に参加していた。
最も頼れる部下一人を引き連れてくるのがやっとだった。
またしても財務省出身の官僚が出したリクエストは黙殺された形になっていた。
滝山は考える。これは意図的な措置であるということを。
ミッションに失敗させることで、あの財務省出身の官僚を失脚させようという狙いなのだろう。
警察組織に身を置く滝山に、その思惑は理解できなくはなかった。
国内の治安維持を司るのはあくまでも警察であり、それ以外であってはならないのだ。
余所者が縄張りを荒らしていいはずなどない。
だが滝山はそこで思わず独り言を洩らしてしまう。
「だからって、この手はねえだろうが?」
隣で倒れている部下の怪訝そうな反応はこの際無視する。
「これでも一応、自分は警察の人間なんだがな……」
* * * * * * * *
暗殺者集団“ノース・リベリオン”に屈してしまった公安の少女。
――負けた。負けてしまった。
文字通り、命懸けの戦いであることは知っていた。
それだからこそ、破格の社会貢献ポイントを得られるということも。
だが、頭の中で分かっているつもりでも、自分自身に降りかかるという実感を伴ってはいなかった。こんなふうに、不条理に、無抵抗のまま命を絶たれてしまうなんて、想像すらできていなかったのだ。
悔しい、と思う。
無念だ、と思う。
あたしには夢があったのに。目標があったのに。
綱渡りのバクチに出て、結果失敗してしまった。負けたのだ。
――せめて。
彼女は願う。せめてもう一度だけでも、あの少年に会っておきたかったと。
全身を押さえつけられた上でデバイスに敵の手がかかった。
心臓の鼓動だけが、やけに大きく聞こえてくる。
激しい目眩の中、自分が立っているかどうかすら、判断できなくなっていた。
デバイスが乱暴に外されていき、バイザーで覆われていた視界がぼんやりと開けていく。
フォアヘッド型のデバイスを外したその素顔を見て、轟雷に打たれた衝撃が大地の全身を駆け抜けていった。
「ま、まさか――ッ!」
愕然と眼を瞠る大地の隣で、青山が語り始めていた。
「貴君も貴族の子なら、貴族らしく堂々と死を受け入れたまえ」
少女は沈黙を保つ。言葉を発することすらできないのだろう。
抵抗が消え去った気配を察して、郷が少女を手放す。
「最後に、貴君の名前を訊いておこう」
質問の意味を理解できないのか、少女は虚ろな瞳を青山にぼんやりと向けてきた。
「名前だ。貴族らしく、自らを名乗るのだ」
微かにはっとした表情を見せ、声を震わせた。
「高島、あたしは、……高島……翼――」
「高島?」青山は首を傾げた。「あの財務高官の高島であったか。……なるほど」
少女は無言のまま青山を見据えていた。
「よかろう」青山は敢えて作った笑みを見せていた。「ならば、地獄で父君を待つがよい。この国を、下民を貪ってきた代償を、今ここで支払ってもらうのだ」
右手を横撃ちに構えたまま、青山は呪文を唱える。
「高貴ならざる支配者には死をもってその代償とならしめる――――誅ッ!」
“ノブルス”の唱える、死に至る呪文が硬直していた大地を突き動かした。
呪いから放たれた野生動物のごとき俊敏さで、
「ダメだあああああああああああ――ッ!!」
少女に向けられた右手に体当たりをかける。
確実な死をもたらす魔弾が大きく逸れ、官舎のスチールドアを貫通していった。
郷が、茜が、そして青山が愕然とするその目の前で、大地は少女に駆け寄っていく。
視覚補正機能を切って、バイザーを上げる。自身の両眼で少女を見つめるために。
「翼、……なの……か?」
無意識のうちに少女の両肩を押さえつけて、深緑色の瞳を震わせる。
「翼なのか、……翼なの……か?」
眼前で立っているのは凛とした雰囲気の、はっきりとした冷たさを感じさせる美形の持主。
艶やかな黒髪をポニーテールにして、眼に眩しいほどの真っ赤なリボンを結んでいる。
純白のボディスーツが露わにしているのは、ほっそりとした体型。
細い肩、しなやかな四肢。
そして、意思の強さを感じさせる眉と、強く引き結んだ唇。
昔日の面影は、まったくなかった。
いつも心配そうに大地につきまとっていた不安定な彼女では、もはやない。
だが、それでも分かる。こうして眼と眼を合わせた途端に分かってしまう。
その真っ直ぐな黒い瞳こそ、大地がずっと焦がれていたものだから。
呆然と、言葉もなく立ち尽くす二人。
その光景に、次の行動が起こせないでいる茜、郷、そして青山。
静寂を打ち破ったのは予期せぬ闖入者だった。
不気味に迫り来る低周波音を全身で受けながら、滝山隊長は独りごちた。
デバイス破壊と同時にそのコードが起動するように設定したのは、他ならぬ自分自身の意志だった。
警察組織に所属する人間としてはあり得ない選択肢。
だが滝山に躊躇はなかった。
この時点で彼は既に、翼の味方だったのだから。
「あの娘は自分が守る! ちっぽけなプライドなんてクソくらえだッ!!」
高機能ヘリの急降下音が一瞬にして頭上に轟くと同時に、天井に張られたブルーシートが引き裂かれた。ロープが垂らされてくると間髪を入れずに二人の軍人が回廊に舞い降りる。視覚補助カメラを顔面に装備し、照準補助装置付きの自動小銃を構えた二人組が、着地と同時に互いの背後を庇うようにして周囲に銃口を向けていく。
一人が郷の放つ熱源を認識すると即時発砲。
不透明のままのガラス壁越しに、雨霰と銃弾を浴びせかけてきた。
郷は慌ててシールドを構えるが、想定外の火力にシールドが見る見るうちに形状を歪ませていった。
「“幻影”、“ノブルス”ッ!」
郷の叫びに応じて茜と青山が郷の背後に飛び込み、銃弾から身を守る。
一切の躊躇なしという攻撃に、郷は戦慄する。
まさかの自衛軍投入。しかも相当な手練れ――恐らくは、レンジャー部隊。
逮捕など最初から考慮にすら入れていない武力行使が容赦なく繰り広げられていた。
自分たちを純粋に排除することだけが目標なのだ。
無残にも削られていくシールドを確認しながら、郷は思考を廻らせる。
突破することは不可能ではないだろう。だが――
自衛軍のもう一人は、パワードスーツとは別のテロリストを目視で確認し、瞬時に銃口を向けていた。
漆黒のミリタリースーツ。随分と小柄の赤い髪。女性かとも思う。
しかし、躊躇うこともなく照準を合わせ、発砲の体勢に入る。
「な――ッ!」
テロリストの前に立ちはだかっていたのは、ほっそりとした白い影。
視覚補助カメラから得られる情報は、それが公安の認識コードであること。
あやうくトリガーを引くところだが、かろうじて踏みとどまる。
奇妙な光景だ。何故、公安の人間がテロリストを守っているのか。
だが、そこで判断を保留する。軍人は小銃を構えたまま味方の到達を待った。
すると、上方から二人の男が降下してきた。先行してきた二人が確保したスペースに降り立つと、同じように背後を庇い合いながら小銃を構えていく。そしてもう二人。さらに二人。
合計八人のレンジャーが官舎最上階の回廊に展開されていった。
パワードスーツのテロリスト相手には既に交戦が開始されていた。
もう一人のテロリストには公安の少女が前を塞いでいる。
まるで自らの命を賭して、背後の存在を守ろうとしているかのように、両手を一杯に広げているのだ。
テロリストの排除が最優先とはいえ、さすがに公安のエージェントごと殺害するわけにもいかず、発砲の姿勢を維持したまま、硬直する。
『撤退だヨ――――ッ!』場違いなまでに甲高く、軽い声。
事態の推移を見ていた社長が撤退の命令を下していた。
「しかし――」郷が大地に視線を向けながらも応じる。
『ホラ、茜クン? いつものヤツ、やんないとネ?』
言われて茜はようやく気がつく。
公安とは比較にならない圧倒的な火力。統率の取れたエリート部隊に敵う手段はとてもあると思えなかった。しかし、軍人たちは致命的なミスを冒していたのだ。
『ただの伝達ミスか、意図的に伝えられなかったのカ? ボクには分かんナイけどネ?』
社長がカン高い笑い声を立てる。
『茜クンの、カッコウの
レンジャー部隊が装備しているのは急激な明暗にも対応できる視覚補助カメラ、自動照準の小銃、そして通信機器。どれもが茜の攻撃に対してあまりにも脆弱な精密機器だ。
郷の影から躍り出ると、茜は“幻影”の魔法を発動。精鋭部隊自慢の装備が、一瞬にしてガラクタと化す。
『逃げロォオオオオ、撤退だヨオオオオッ!』
緊張感の欠ける指示に続くのは、舞の緊迫した叫び声だった。
『正面玄関がガラ空きだよぉ!』
その意図を正確に読み取った郷は、しかしここで躊躇いを見せる。
その視線の向く先は、硬直したままの大地だ。
ガラになく狼狽えた眼を晒してしまった郷に、茜が怒鳴りつけた。
「行くわよ、“ハイドロ”」
「な、なんだって!?」信じられないという表情のまま凍りつく郷。
「ここで全員捕まるか、逃げてもう一度戦うか――アンタはどっちを選ぶの?」
極限の選択に、郷は意識が遠くなっていきそうになる。
その視線は虚しく大地を捉えたまま。
「大丈夫」茜は口調を和らげた。「あの子が、……翼が大地を守ってくれるはず、だから」
「クッ!」
自らの無力に歯噛みしながらも、郷は頷かざるを得ない。
背後に隠れたままの青山を強引に掴むと、もう一方の腕で茜を抱き上げる。
「生きろ、大地ッ! ぜってえに死ぬんじゃねえぞおおおおおおおお――ッ!!」
絶叫とともに、ガラス壁に向かって郷は飛び込んでいった。
レンジャー部隊が呆気に取られるその眼前で、パワードスーツが官舎の吹き抜けを落下していく。地上三十二階。百メートルにも及ぼうという高さである。
数泊置いて、階下から轟音が噴き上がる。
一階フロアの床面に巨大なクレーターを作り上げた郷は、瓦礫の急傾斜を一気に駆け上がる。
外骨格パワードスーツの油圧駆動装置は瀕死の悲鳴を上げながらも、郷の意思に応えていた。
両脚は超高所からの落下による衝撃で醜く歪んでしまってはいるが、それでもコンクリート片を蹴散らし、行く手を阻もうとする警官を圧倒していく。
手薄になっていた官舎の正面玄関を突破した郷は、夜中の道路へと躍り出た。
視界の先、タイミングを計っていた予備のボックスカーが背後で後部ドアを開いている。
郷はパトカーのバリケードを飛び越え、逃走車の中へとダイブ。
タイヤを空転させ、スキール音を立てながら疾駆していくボックスカー。
“幻影”による干渉波を撒き散らし、追走からも、監視の網からも逃れて――
「大地兄ぃ――っ!」
繭型のカプセルからいてもたってもいられずに転び出てきたのは舞。
大粒の涙を飛散させながら、幼さを感じさせる全身を激しく震わせていた。
「大地兄ぃが、大地兄ぃが、捕まっちゃうよ――っ!!」
完全に取り乱すほどの激しい感情の表出によって、舞のデバイスはデコヒーレンスを起こし、もはや大地の視覚情報を映し出すことはできない。
「くっ、どうしたら?」
めまぐるしく展開されていった事態に追いつくことができず、主任研究員の西台高志は息を呑む。
「社長?」
助言を求めて顔を横に向けるが、そこで彼は絶句。
「社長――!?」
つい、たった今まですぐ隣にいたはずの霞治郎社長が、煙のように消えていたのだ。
「な、なにが!?」
研究員たちの中で猛烈な不安感がその頭をもたげてくる。
何か、とてつもなく不穏な空気が全身を締めつけてきた。
あまりにも不吉な予感に、気圧が急上昇しているような錯覚さえ得る。
まるで地鳴りが起こっているかのごとき低周波音が自分たちを包囲してくるのだ。
「まさか――ッ!」
状況を把握したその刹那、扉が乱暴に吹き飛ばされた。
夥しい人数の機動隊員が、会社に攻め込んでいたのだ。
圧倒的な高波のごとくなだれ込む隊員たちによって、研究員も、舞も身動きが取れない。
「どこだッ!」激しく胸ぐらを掴まれて詰問を受ける。「霞治郎はどこだッ!」
自衛軍によるオペレーションへの干渉と、撤退へ追い込まれた郷たちのチーム。それも大地を置き去りにしての無様な敗走――
舞のデコヒーレンス、そしていつの間にか消失していた社長。
混乱の極みにあって、しかし状況は思考を許してはくれない。
もみくちゃにされ、抵抗も叶わずにメンバーの両手を手錠が拘束していく。
「言えッ!! 霞治郎はどこだッ!?」
少なくとも、ミッションの中継を探知されたわけでないことは確かだった。
ここまで大規模な突入が、十分やそこらで組織されるはずなどないのだ。
つまりこれは、予め計画されていたこと――?
警察官の詰問に答えられないまま、誰もがただ圧倒されるばかりだった。
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