第19話 再襲撃

 暗殺対象の官舎へ向かうボックスカーの中、珍しく口を開いたのは青山ノブルスだった。

「社長は――」

 鼻にかかった声で、髪を金髪に染めた貴族の第二子は誰にともなく呟いた。

「新しい戦力を試したくて仕方ないのだろうね」

 ああと頷いたのは桐丘郷ハイドロ。既に外骨格パワードスーツを装備している。

「実際、“天使=エンジェル”の実力はオレだって早く知りてえくらいだ。まさかミッション中に本部からの情報サポートが受けられるようになるとはな」

 ある意味やむを得ないという、諦めにも似た苦笑い。

 郷は一瞬表情を険しくすると、すぐ隣にいた大地に向けてパンチを繰り出した。

 力は1パーセントにも満たない微弱なもの。

 しかし外骨格パワードスーツの威力と速度はかなりの脅威を相手に与えるものだ。

 大地は余裕でその拳を躱していた。首だけを動かし、両眼を見開いたままで。

 ちょっと前までの大地は、殴る素振りを見せただけで顔を背け、眼をつぶっていたというのに。

「ハッ」郷はわざとらしく笑った。「上出来だ」

 大地は無言で見つめ返すことで、それに応じる。

「ま、それはさておき」郷は大地をギロリと睨んだ。「ずいぶんサマになってきたじゃねえかよ、そのカッコ、アアン?」

 他のメンバーと同じ漆黒のミリタリースーツ。

 着用するのは二度目だが、大地は自分でも驚くくらいにその服装が馴染んでいるのを実感してしまう。

「しごいた甲斐があったってとこ?」

 茜のからかいを郷は黙殺する。

 そして顔をそむけたまま、しかしシリアスな口調で語った。

「オレのいる部隊は……、誰も、誰も死なせねえ。誰も、失わなねえ。全員が生きて還るんだ」

 強い決意を滲ませる郷のその言葉。

「ゼッテエに、ゼッテエに……、全員が生きて還るんだ!」

 決意というよりは、むしろ言い聞かせているような口調だった。

 それも相手に対してではなく、自分自身に向けて。

「アルファさんたちみたいにはさせねえ。他の、死んでいった仲間たちのようにはゼッテェにさせやしねぇんだッ!」

 大地はようやく知るのだった。

 桐丘郷もまた、何かを失うことに怯えているということに。

 周りの誰かがいなくなることに、痛みを感じてしまう人間なのだろうと。

 恐らく、茜姉ぇはそのことをよく知っていたんだ。

 だから、自分がイジメに遭っているように見えても、止めようとしなかったんだと。

 

「誰も死なないわ」

 茜が低いハスキーボイスを響かせる。

「郷が全力で大地を育ててくれたんだから」

 強い決意と確信のこもった、そんな話し方だった。

「おい、“世界線”!」

 郷は凄みながらもニカッと笑う。初めて会った日と、まったく同じ人懐こい笑みだ。

「苦しくなったら、オレのしごきを思い出せ。

 オレに罵倒された悔しさを思い出せ。

 ゴミ虫扱いされた理不尽さを思い出せ。

 体力が限界でも水をぶっかけられた苦しさを思い出せ。

 その悔しさをバネにして立ち上がるんだッ!」

「――はい」

 大地は、郷の顔をしっかりと直視できている自分自身に驚く。

 銀髪の元ヤン、桐丘業の顔が大地の中でようやく姿形を取り始めていった。

 驚きながらも大地は言葉を繋ぐ。

「戦いに勝って、生き残ります」

 初めて自分に向けられたまっすぐな視線に、郷はただ「おう」と応えることしかできなかった。その隣で茜と青山が笑っていた。


 現場が近づいていく中、大地の中で闘志が滾り出す。

「“ホワイト・メア”は今度こそ斃す。オレが――殺すんだ」


* * * * * * * *


 再び侵入した官舎。

 組織はこれまで暗殺に失敗したターゲットを再度襲撃することはなかった。

 その経験則から言えば、ターゲット側が現状維持というのはある意味合理的な判断と言える。

 今回のミッションは、その裏をつく形になっていた。

 非常階段を昇り、最上階へと到る四人。

 口の字型の回廊。その内部はガラス張りの吹き抜け。

 優雅な内装ではあるが、郷が引き裂いた壁面もブチ抜いた天井も修復途中でブルーシートがかけられている。

 時刻は夜中の一時半。しんと静まりかえった官舎の通路を四人は静かに進む。

 監視者によってターゲットの帰宅は確認されていた。

 あとはドアをこじ開けて部屋に押し入り、問答無用で殺害するという荒っぽい手段を取るだけであった。

「待って」

 大地の小声に他の三人が反応を見せる。

 どうした?という郷の問いかけに対して、大地は前方にあるドアを指さした。

「熱の洩れ方に不自然な感じが……」

 大地は意識をスチールドアに意識を向ける。十二の錐体細胞を持つのと同等の効果によって、微弱な電磁波の流れを検知していく。軽微だがスチール製のドアから伝わる熱に不均一な流れが感じられた。

「右側のドアに二人、左側に一人」

 ドアの僅かな隙間から伝わる熱源から、大地は公安のエージェントを割り出す。

『“ハイドロ”と“幻影”は右側のドアに突入。“世界線”は三人目が出てくるのを待って迎撃して。“ノブルス”は後方に待機』

 舞の声が四人に伝わってくる。

 茜と郷が眼を合わせ、直後に郷が先行突入。官舎のドアをブチ破り、公安エージェント二人を背後に吹き飛ばしていった。阿吽の呼吸で入れ替わった茜が前に出て、干渉波を放出。公安の量子デバイスは速攻で無力化されていく。

 その間、大地はもう一方の扉が開くのを待っていた。

 この騒動を聞きつけて飛び出してくるはずの “ホワイト・メア”を待ち構えて。


「始まったネ!」

 やたらハイな状態の霞治郎社長が鼻息を荒くする。

「ミッションのリアルタイム中継なんて、ワクワクするじゃナイか!?」

 スポーツの試合中継でも観ているかのような浮ついた歓喜に、その場にいる研究員たち全員が眉をしかめる。

 社長はそんな視線など気づきもせずに、画面に顔を近づけていった。

 どういうわけだか、倉庫から引っ張り出してきた“デュアルタイプ”の量子デバイスを抱えながら。

「(……あんなモノを使って、なにか考えているのか?)」

 主任研究員、西台高志は思わず首を捻る。

 以前、社長に言われて強引に製作した試作品。まだ舞に使わせることを諦めていないというのか?

 確かにれを使いこなすことができればべらぼうな威力を発揮することができる。

 だがそのために支払う代償の大きさを考えると、とても現実的な策とは思えない。

 もっとも、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。

 気持ちを切り替えて、モニターに意識を集中させる。

 今、カプセル型の装置に入った新田舞しんでんまいをハブとしてミッションの模様がリアルタイムで映し出されていた。

 先に公安の二人組を斃してしまえという指示も、社長から出されたものだったのだ。

「はあ……、これでエンテングルメントが使えれば、もっといいのにネ?」

 わざとらしい溜息をつきながらも、社長の眼はモニターに釘付け。

 暗殺ミッションの光景が繰り広げられていく。

「(……大地くん、茜くん……)」西台の拳に力が入っていった。


 無力化された公安の二人を押さえつけると、量子デバイスを徹底的に破壊。

 郷は、念のために公安の両手を縛り付けて床に伏せさせていった。

 その荒々しい物音を肌で感じながらも、大地は角部屋のドアへ神経を集中させる。

 いつでも斬撃を放てる体勢を維持したまま。

「――ッ!」

 蝶番を切断されたドアが音もなく通路側に倒れ、すっと白い影が躍り出る。

「――破っ!」

 まるで大地が構えていたのを見透かしたかのような先制は“純白の鬼神ホワイト・メア”の放つ原始物質の照射。

 大地の右肩をかすめた魔弾は、不快な騒音を撒き散らしながら壁面に裂傷を走らせる。

「クソッ」先を取られた大地はそこで構え直して照準を白いボディスーツに合わせていく。

 が、翼は体を翻すと大地から逃げるように回廊の角を曲がっていくのだ。

「逃すか! ――斬ッ!」

 ファインマン・ダイアグラムの軌跡が薄い筋となって吹き抜けのガラス壁に刻み込まれていく。

 透明な壁面が生み出す屈曲などものともせずに、斬撃がまっすぐに進んでいった。

「――はっ」

 翼はヘッドスライディングのように前方へ飛び込んで大地の攻撃を躱す。

 艶やかな黒髪が、眼に眩しい真っ赤なリボンとダンスを興じるように宙に舞う。

 床面で軽やかに前転する痩身。

 勢いを生かして跳ね上がり、身体を捻って追撃してくるだろう“世界線”の動きに備えていた。

 同時にコマンドを発する。

 すると吹き抜けを包む透明なガラス壁が白く濁っていくのだった。

「ちょこざいな仕掛けをッ!」舌打ちしたのは“ノブルス”。

 大地の援護にと駆けつけてきたのだが、これでは彼の弾撃も照準を合わせられない。

 大地は“ホワイト・メア”の後を追い、死角の先に向かって床を蹴る。

「――破っ!」

 身体を低く保ち、シールドを展開しながら攻撃の機会を窺っていた少女は、再び原始物質を放射させた。

 だが大地の見せたダッシュはフェイク。

 彼はさっとバックステップを踏むと、回廊の角に身を隠す。そして間髪を入れずにその位置から、“ホワイト・メア”目がけて斬撃を撃ち放った。

「――――っ!!」

 コンクリートの腰壁という障害でさえ存在しないかのごとく襲いかかる真空波は、まっすぐに翼に襲いかかるが、原始物質のシールドによって辛うじて防がれていた。

 翼は戦慄に眼を瞠った。

“世界線”と呼ばれる少年の戦い方に、戸惑いを禁じ得ない。

 既に戦闘プランは崩壊していた。

 ドア裏側に張っていた遮蔽シールドはあっさりと見破られ、早々に二人もの味方を失う。

 直情径行的な戦い方を見せるはずの“世界線”が挑発に乗ってこないため、一対一の状況も作り出せていない。

 むしろ少年は、味方の到着を待っているのだ。

 四対一という絶対ともいえる数的有利の下、戦いを完遂させるために。

「だったら――っ!」翼は次のコードを発動。

 その瞬間、大地の背後で天井と壁面が崩落を起こす。

 暗殺者集団“ノース・リベリオン”の再襲撃に備えて壁面や天井に仕掛けていた小型爆弾が起動し、瓦礫が通路を埋めていったのだ。

 前に出た大地と後ろのメンバーを分断することに成功した瞬間を利して、一対一の闘いに持ち込む。

「そこっ!」

 同時に魔弾を放射。濃密な原始物質の奔流が大地の量子デバイスを襲う。

 確かな手応えがあった。しかし、大地の身体は残像を描いて高速移動を見せる。

「――っ!?」

 人間が自らの意思を下す直前に、脳は既に決定をしているという。神経の伝達速度はおよそ時速三百キロもあるので、そのタイムラグはごく僅かなものだ。しかし量子デバイスの補正機能を使って神経伝達のスピードをかさ上げすることで情報伝達の時間差を埋めることができる。それが量子ブーストである。大地は今、その量子ブーストを俊敏性に振り分けていた。だからこそ、自分に襲いかかってくる魔弾を捉え、躱すことすら可能になったのだ。相手の射撃が正確であるという前提に立った、綱渡りの戦い方ではあったが、相手に与える脅威は十分なものがあった。

「速い――!」前回の接敵コンタクトと比して一段も二段も上の速度域。

 思わず怯みそうになっていた翼だが、そこでバイザーに隠された眦を決する。

「でも、負けるわけにはいきませんっ!!」

 すかさず原始物質の放出を連射。前回の戦いとはまるで正反対の展開であった。

 防御手段を持たない大地は、驚異的な反応速度で魔弾を避け続けるも、そのうちの何発かは身体を削られていった。

 銃で撃たれるのとも、刃で斬りつけられるのとも違う、巨大なハンマーで殴りつけられるような、それは鈍く重たい衝撃だった。大地の斬撃のように一発で致命打にはならない。しかし、身体が耐えられる回数は多くはない。

「クソが――ッ!」

 唇を噛み、前を見据える大地。意識を“ホワイト・メア”の展開する真円へと向かわせていた。その円が小さくなるとき、それは周囲へと拡散して防御シールドとなるが、円が拡大すると逆に焦点が狭まり、濃密な原始物質を放出する魔弾へと変遷する。

 攻防一体の量子魔法である。

 しかし、その円の大きさを把握している限り、敵の行動は読めてしまうはず、だった。

 リアヘッド型の量子デバイスに押えられている真紅の髪が震える。

「な、なんなんだ!?」

“ホワイト・メア”の突き出した左掌の先で展開されている真円。今、その円の周囲に小さな円がいくつも発生して、左回りの回転を始めていたのだ。

「――連っ!」

 翼が叫ぶ――思考の奥から絞り出すその言葉を。

 小さい真円は高速回転をしながら、円軌道の頂点に達した瞬間に魔弾を放つのだった。

 ガトリングガンのごとき高速連射が“世界線”に襲いかかる。

 量子ブーストによる超反応で魔弾を躱そうとするが、手数が多すぎた。

「――ッ!」

 連撃に射貫かれて大地は背後に吹き飛ばされていた。

 一つひとつは致命打にはならないが、数があまりにも多すぎるのだ。

 全身に打撃を受け、仰向けに倒された大地に向けて翼が左の掌を向ける。

「そこまでよ、“世界線”! 投降しなさい」

「だ、誰がオマエなんかに!」言うと同時に体を横に転がすと、膝立ちの姿勢を取る。

 全身に走る激痛――だがそこで頭をよぎるのは、厳しかった郷の眼と声。

 ダメージを乗り越えて、大地は掌底を突き出す。「――斬ッ!」

 その動きは読まれていたのか、翼はあっさりと躱す。だが時間は稼げた。

「どうしても戦うというのなら――っ!」翼は眦を決し、左の掌を再び突き出してくる。

「社会貢献ポイント目当てのオマエなんかに、オレは負けられないッ!」大地は叫んでいた。「オマエのような恵まれた貴族なんかに、負けてられねえんだッ!」

「な、なにを――!?」

「どうせポイント目当てで戦ってんだろうが!」

「ど、どうしてそれを!?」思わぬ指摘に翼は狼狽してしまっていた。

「やっぱりな」大地は侮蔑の感情を隠そうとしなかった。「そうやって下民を貪ろうとする公安の狗を、戦いを出世の道具にしているオマエを、オレは許せないッ!」

 茜のために、舞のために――大地は斬撃を放つ隙を窺う。

「あたしには、夢があるのよっ!!」

 戦いのさなかだというのに、思わず感情的になって言い返してしまう翼。

 そんな翼に対して、大地も呼応するように叫んでしまっていた。

 大地もまた、大声で絶叫しながらも奇妙な感覚を得ていた。

 どうしてオレは、公安の少女ホワイト・メア相手に、こんなにムキになっているのか?

 その不可解な感情の源が、茜姉ぇへの想いではなく、純粋に目の前に立つ痩身の少女のみにあると知ってしまっていた。

 だが意識をムリヤリに元に戻す。

「下民を犠牲にした夢なんかに、なんの意味があるんだッ!」

 大地の言葉に翼の表情が歪む。だが、

「あなたなんかに、あたしのなにが分かるっていうのよっ! ――連っ!」

 再び大地に襲いかかってくる小規模な魔弾の連続攻撃。

 速すぎる攻撃に大地は手も足も出せず、身動き一つ取れないままのサンドバッグ状態。

「うぐぁ……ッ!」

 一度に何人ものボクサーが連打してくるかのような激しい衝撃が全身いっぱいに放たれていた。

 並の戦士ならあっという間に意識を失っても不思議はないほどの激烈な打撃。

 体格に劣る大地が圧倒的な攻撃力に呑み込まれるのは時間の問題かに見えた。

 だが、倒れない。

 仁王立ちになって、猛攻を耐え凌ぐ。

 壮絶な表情を浮かべながら。

 郷からうけた数々のしごき――その一つひとつがこの修羅場にあって、物を言っていたのだ。

「負けねぇ……、ゼッタイに負けられねえんだ――ッ!!」


「オマエの根性、確かに見届けたぞ」

 その瞬間――瓦礫が決河の勢いで弾け飛んでいた。

「え――っ!?」

 衝撃に思わず攻撃を止めてしまう翼。彼女が見たものは、粉塵の舞う中、仁王立ちしている外骨格パワードスーツに身を包んだ青年だった。

「そこまでだ」郷は静かに、そう宣言した。

「なにを言ってるの!?」衝撃からは早々と立ち直り、翼は左掌を突き出して真円を展開させる。

 しかし――

「これは――っ!?」動作が極端に遅くなっていた。

 慌てて見上げると、“ハイドロ”の影に見え隠れする日焼けした肌の持主。

“幻影”の放つ干渉波が微妙に“ホワイト・メア”の動作の障害となっていたのだ。

 時間にしてみればごく僅かなラグでしかない。

 しかしそれは、一瞬で生死を決する量子魔術戦において、致命的なビハインド。

「――斬ッ!」

 大地の放った斬撃が翼の量子デバイスを掠める。

 視覚情報と聴覚情報がその瞬間に失われ、続く斬撃によって量子コンピュータユニットが呆気なく破壊される。

“ホワイト・メア”としての能力すべてを奪われた翼は、バイザーに覆われた真っ黒な視界の中、ただ立ち尽くすしかなかった。

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