第18話 どこかで見た瞳

「じゃア、いよいよメインイベントの開始だネ?」

 うっとりしたような社長の問いに、研究員たちは息を呑む。

 大地と舞の処理能力があれば、問題ないことは分かってはいた。

 とはいえ失敗すると最悪、二人のパーソナリティが中途半端に結合したままになってしまい、オリジナルの人格が失われる危険性すら存在しているのだ。

 なのに、陣頭指揮を執っている霞治郎社長に緊張の色は微塵もない。

 まさかの可能性をまったく考慮していないのか、或いは――

 アシスタントの研究員は緊張で震える声を出した。

「それでは、エンタングルメントのプロセスを開始します」

『――はい』少し緊張の混ざった声で舞が返事をする。

 カプセルの中で、指を組んだ両手を胸元に引き寄せると、舞は祈るように頭を垂れた。

『エンタングルメント・プロシージャー、アクティベイト』

「同期シークエンス……入りました」アシスタントの女が声を響かせる。


 社長たちがおこなおうとしているのは、量子テレポートを応用したコミュニケーション・プロセスだった。

 意識をそのままリンクさせることにより、五感はもとより論理思考、感情、直感さえも量子状態で同期させるという究極のコミュニケーション手段だ。

 これにより大地と舞は言語を介さない情報共有が可能になる。

 例えば、局面を打開する策を社長が口にした瞬間、それを聞いている舞の聴覚がそのまま大地にリンクされるのだ。同時にミッション中の他メンバーの視聴覚情報も舞を通じて大地にシェアされる。言語という時間のかかるプロセスを一気に省く――一瞬の間が生死を分かつ量子魔法戦において、局面を決定的に有利にしてくれる武器だ。

 ゴクリと唾を飲み込む音を響かせる社長は、食い入るような視線でモニターを見据える。

「エンタングルメント、開始――」

「き、来たアアアアアア」社長は眼を見開いて歓喜に震える。

 その隣で主任研究員の西台高志は握った拳に力を入れていた。

「(……大地くん)」

 数値上、問題はまったくない。

 失敗する方がおかしいくらいだ。

 しかし、懸念がないわけではない。

 短期間であるが、見たところ舞に問題があるようには思えなかった。

 しかし、大地はどうなのか?

 茜と舞がいれば幸せそのものという表情を浮かべている大地の姿を、西台はよく眼にしていた。そこで感じてしまうかすかな違和感にも。

 もし万が一が起こるとすれば、それは間違いなく大地の方だ。

 拳に入れた力は、無意識のうちにかなりの強さになっていた。


 実験開始の瞬間。大地はリクライニングシートに身を預けていた。

 事前の説明は西台からしっかりと聞かされていた。

 この実験が暗殺者集団“ノース・リベリオン”の今後を大きく左右するものであるということを。しかし、大地と舞の処理能力があれば決して難しくはないということを。

 肝心なのはお互いを十分に受け入れる、心の広さにあるという。

 ならば自分に問題があるはずもなかった。

 相手が舞であれば、どんなことでも受け入れられる自信が大地にはあった。

 茜姉ぇと舞とはゼッタイに離れたくない。

 ほんの僅かでも嫌われたくない。

 大切で、大切で、大切で――

 だから、二人のちょっとした感情のブレまでしっかりと見つめてきていた。

 そして二人に好かれるための自分でい続けてきたのだ。

 優しそうな表情も、聞き分けの良さも、すべてそのため。

 今、量子もつれを利用した精神同調をおこなうことで、舞ともっと近づくことができる。

 大地にとって、むしろそれは強く望むところだった。

「(……オレうまくやれるよッ!)」

 二人をもっと知ることができれば、悩むことも、心配することもなくなっていくはず。

 そして、二人を失いこともなくなるはず。

 大地はそこで、心配そうな眼を自分に向けている茜に気がついた。

「(……茜姉ぇ?)」

 大地は微笑みかけた。

 優しく、ふんわりと。

「(……そんな心配そうな顔、しないで!)」

 大丈夫だから――ゼッタイうまくいくから!


 エンタングルメントのプロセスが開始されていった。

 最初に感じたのは気配。

 自分の真後ろに誰か他の人間がいるという空気。

 でも悪い感情は感じない。むしろ自分に向けられた好意をはっきりと受け止めることができる。

 その気配がゆっくりと近づいてくる。

 生身の体であるならば、ぶつかり合って止まる距離。しかし止まらない。

 やがて相手の意識が自分の後頭部から入り込んでくる。

 同時に胸の中から広がっていく、優しい気持ち。穏やかな気分。

 ゆっくりと、優しく、気遣うように、その気配が大地の核へ近づいてくる。

「(……舞)」


 遠い記憶の中に、大地はいた。

 第四十四互恵ハウス。

 引き取られたばかりの舞。

 生まれ持っての気質が素直なのだろう、舞はすぐに大地に懐いてきた。

 いつも大地の手を取ろうとしていた。

 だが、大地の右手は決まって茜が握りしめていた。

 そして左手は、その手を取っているのは……

 仕方なく、舞は大地の背中にしがみつく。

 しがみつきながら、左側にいる存在に意識を向ける。

 無邪気な意識が、やがて強い感情に浸食されていく。

『(……ゆるせない)』

 幼少期の舞は、いつしか十四歳の舞に変わっていた。

 大地を背中から抱き締めながら、殺意にも似た憎悪を向ける。

『(……舞は、ぜったいにあんたを許さないんだからぁ!』

 大地を抱き締める両腕に力を入れる。決して渡すものかとばかりに。

『(……じぶんの幸せのために、大地兄ぃを犠牲にしたあんたを、舞は死ぬまで許さないんだからね!』

 大地の左手を握っていた少女が、その悪意を感じて振り返る。

 しかし――

『(……翼?)』

 その顔は、その身体は真っ黒な影。

 実態を持たず、体温もない、ただの幻影。

 大地は左手に力を入れる。その幻にすがるように。

『(……翼、翼、翼、翼……つばさつばさつばさつばさつばさつばさつばさつばさつばさ――』

 翼のことしか考えられなくなっていた。

 もはや他のことなど、どうでもよくなっていた。

「翼ぁあああああああああああ――ッ!!」

 突然の絶叫。

 大地は無意識のうちに舞との接続を絶っていた。

 分かってしまったから――舞の翼に対するわだかまりの激しさ、強烈さを。

「(……違う、違うんだ、舞――ッ!!)」

 視聴覚情報が急速に失われていく中、大地は真っ暗な闇に突き落とされる。

 まるで冷たい深海に全身が沈み込んでいくように、為す術なく大地の意識が閉ざされていく。


「デコヒーレンスを感知!」悲鳴にも似たアシスタントの声。

 社長が、そして研究スタッフの誰もが眼を瞠る。

 エンタングルメント成功直後に発現した、まさかの拒絶反応だった。

 極度の混乱は大地の量子デバイスに誤作動をもたらし、安全装置が働いて緊急停止。

 大地本人の意識をまるで無視した強制終了=デコヒーレンスだった。

「大地――っ!」

 異変を見て取った茜が慌てて飛び込んできた。

 ぐったりした大地を右手で抱きかかえると、左手で大地のバイザーを跳ね上げる。

「大地!?」

 驚愕に見開いたままの瞳が、完全に焦点を失っていた。

 何かを話そうとしているのに言葉が分からない。そんなふうに唇を震わせているばかりだ。

「大地、大地ぃいいいいいいい――っ!!」

 身を切り裂くような茜の絶叫が、研究スペースの中で痛いほどにこだまする。

 想定外も想定外――まさかの結末に誰もが反応を失い、動くことができなくなっていた。


* * * * * * * *


「あ……」

 胸に重たい鉛を抱えたような気分のまま、見知らぬ場所で眼を醒ます。

 だが最初に気づいたのは、鼻孔をくすぐる甘い香り。

「よかった……」

 優しい声が大地の耳朶を撫でてきた。

「事故があったって聞いて、わたし、驚いちゃって」

「あ……、らいら、さん?」

 ベッドの脇に座っていた、少し太めの癒し系秘書。常磐らいらは安堵に瞳を揺らす。

 壁に掛けられた時計を見ると時刻は夜中の二時。

「残業中に事故があったって聞いて……。でも、傷もないみたいで、よかったですわ」

 本当にほっとしたように、らいらは包み込むような笑顔を見せる。

「……」

 大地は困惑していた。

 自分を気遣ってくれることへの感謝と、心配させてしまったことへの申し訳なさをどう伝えていいか分からずに、開きかけた唇を閉じてしまう。こういう時に、しっかりと伝えられる言葉があれば、どれだけいいか。

「目眩とかしないですか? ちゃんと声、聞こえてますか?」

 優しく、どこまでも優しく問いかけてくるらいらに、大地は返すべき言葉を持たない。

 代わりに、気がついたら伸ばしていた右手。

 らいらはその手を両手で包み込み、慈しむような笑みを向けてくれた。

 柔らかい手。温かい感触。

 ふんわりと揺れる、綺麗に整えられたおかっぱの髪。

 無理して何かを話そうとする大地の唇に、彼女は優しく触れてきた。

 しゃべらなくてもいいのよと、優しい笑顔が語っていた。


「こ、ここは?」しばらくの沈黙の後、大地は訊ねた。

「会社の医療室です」

「医療室……」

 さっきの実験が失敗に終わり、大地はその直後に気を失ってしまっていた。

 その後この医療室に運び込まれてきたのだろう。

「ほかの人たちは?」

「社長が無理矢理帰しちゃったみたいです……ね」らいらは少し声のトーンを落とす。

 大地の不思議そうな視線を感じると、らいらは付け加えた。

「私はその、残業してまして。それで……心配だったのでこっそり戻ってきちゃいました」

 言って控えめに笑う。

 その笑顔に、その瞳に、大地は言いようのない既視感を得る。

「もう大丈夫そうですね」言いながららいらは大地の赤い髪を撫で始めるのだった。

 茜が大地を甘やかすように髪を指で梳くのとは違う、落ち着かせてくれるような感情がほんのりと伝わってくる。そんな撫で方だった。

「(…………)」

 らいらに癒やしてもらいながらも、大地は奇妙な違和感に包まれていた。

 どこかで見たような、しかしうまく思い出すことができない瞳だ。

 絶対に忘れることができないはずなのに、うまく思い出せないもどかしさ。

「ずっとここにいますから、安心して寝ててくださいね」

 絹のように柔らかい声を聞きながら、大地は眠りに落ちていく。

 優しい掌の感覚に身を委ねながら。

 ここまで彼女に甘えられてしまう自分に驚きと戸惑いを感じつつも、今はこうしていることが何よりも心地よかった。

 その瞳は、どこで見たのか?

 そんな疑問にしかし、安らぎすら感じながら深い深い眠りに就く。


 事故の悪影響はなしと判断された大地は、一週間後のミッション司令を受ける。

 元厚生労働省高官、赤坂恭一郎の殺害。

“ホワイト・メア”によって阻まれた暗殺対象への再襲撃である。

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