第17話 エンタングルメント

 訓練前の時間帯に、霞治郎社長が全員に招集をかけた。

「皆サーン、注目うううううッ」

 いつもの軽すぎる口調で、霞治郎社長は小柄な少女を指さす。

「大地クンに続く超ぉおお大型新人! 第四十四互恵ハウスが放つ最後の刺客ぅううッ!」

 言ってから大袈裟な動作で舞を自分の前に立たせる。

「…………」

 だが口を開けたまま眼を泳がせてしまう。

 すかさず茜が駆け寄って、コソコソと耳打ち。

「あ! そうそうッ! ……ゴホン」

 わざとらしく咳払いしてから、社長は仕切り直しとばかりに甲高い声を張り上げた。

新田舞しんでんまいクン、デーーース」

 変なポーズを決めながらの紹介。

 直後、周囲がおおっとどよめきに包まれる。

 大勢の前で紹介された舞は、少し照れたように頬を赤く染めていた。

 丸く形のいいおでこと、卵形をした顔の輪郭。

 円らな瞳がキラキラと動き、明るい茶色のツインテールがふんわりと風になびく。

 背は標準よりずっと低く、百四十センチに届かない背丈。華奢というよりは幼さを感じさせる体型だ。ランドセルを背負っていても何ら不思議がないという雰囲気すらある。

 蠱惑的に尖らせた唇と小さめの形のいい鼻。

 茜のハスキーボイスとは対照的な、小鳥のさえずりのように明るくて澄んだ声。

 ちょこまかと動く様子が愛らしい、かわいい系では学校一とも呼び声の高い少女である。

 学校では “妹天使=まいエンジェル”という本人にとってはあまりありがたくない呼び名がついている。天使のようだという誰かの感想がそのまま“舞エンジェル”という名称になったのだが、その未発達な体型から“舞”部分が“まい”に変えられてしまっていたのだ。


「茜姉ぇ、知ってたの?」

 舞が一緒に住むだけではなく、暗殺者集団“ノース・リベリオン”にも加わるということに驚いた大地は、思わず茜に訊ねていた。

「アンタが特訓してる間に、こっそり調整してたのよ」

 アマゾネスを彷彿とさせる不敵な表情がイタズラっぽい笑顔に変わっていく。

 一方で、辺りはどよめきが止まらない。

 学校で妹天使と形容される愛らしい女子中学生が、リサイクル品回収業者を隠れ蓑にしている無骨な暗殺者集団にいるのだから、それは強烈に目立ってしまう。

 しかも装着しているのは、少し前までは理論上の存在としか思われていなかった“カチューシャ型”の量子デバイス。

 希少な適応者は、公安の“ホワイト・メア”に対抗し得る切り札としても期待が高まる。

 だがどよめきの理由はそれだけではなかった。

「ねぇ、なんで舞だけこんなかっこぉ?」

 当の舞はかなり困惑気味。それというのも彼女だけに課された装備のせいである。

 全身をピッチリと包み込む紺色のボディスーツ。しかし首回りや二の腕、そして鼠径部のあたりでラインが描いてあり、そのラインを境に微妙に色が区分けされている。

 社長がどこかから入手してきたというそのボディスーツは公安の“ホワイト・メア”と同等の機能を有しているらしく、舞で様子を見ながら今後は他のメンバーにも支給される予定になっていた。

 しかし、性能はさておき、問題はその見た目である。

 異様なまでの盛り上がりの何割かは、その違和感のある恰好のせいでもあった。

「なんかスクール水着っぽくって舞、不満なんですけどぉ?」

 ぶうと頬を膨らませるが、むしろ愛くるしさが引き立ってしまい舞の不満は伝わらない。

「それに……」言いながら、自分のあまりにも平板な胸部に視線を落とす。「なんか、丸わかりって感じで」

 大地の脇腹を茜の肘が鋭くつつく。

「だいちだいちだいちだいち……」小声で大地の名を繰り返しながらも、茜は視線を舞に向けていた。

「ま、舞?」茜の意思を察して、大地が声をかけた。「舞、」

「大地兄ぃ」

「か、かわいいよ、そのかっこ」思わず頬を染めながら、しかしつい視線を逸らしてしまう。

「だ、大地兄ぃ?」

 一瞬顔をほころばせかけたが、大地の微妙な態度に半眼になってしまう舞だった。


 一通りの紹介が終わった後で、大地、茜、舞の三人は研究室に呼ばれていった。

「これを、ウチが?」

 困惑した様子で、新しい量子デバイスを受け取ったのは茜だった。

 それは大地が使用しているものと同じタイプのものである。

 通常のメンバーが使用している量子デバイスは、脳波を通じてコマンドの実行をおこなう。情報のやり取りは一方通行で、使用者へのフィードバックは視覚と聴覚を経由してもたらされる。顔の半分以上を鏡面加工のされたアイシールドで覆い、密閉型ヘッドフォンのように耳を塞いでいるのはそのためである。アイシールドの裏側はプロジェクタとなっており、デバイスの外側に設置された視覚センサからもたらされた情報が表示される。音声も同様に聴覚センサからのものが密閉型スピーカーで再生される。そのメリットは情報を選択できるという点にあった。拡大して見たい場所や、注意して聞き取りたい音だけを選択的に受け取ることができるのだ。つまり、インタラクティブなAV機器という性格が強い。

 それに対して大地が装備しているデバイスは、脳波を経由して情報のIN/OUTをおこなう双方向型のものだ。その意味においては、脳内に電極チップを埋め込むBrain Computer Interface(BCI)と同様の機能を持っている。脳を開けて手術するというリスクを踏まずに情報の行き来が可能になっているのは、ひとえに大地の処理スケールの大きさ故である。

「見てくれ」

 主任研究員の西台高志にしだいたかしはモニターに映されたグラフを指さした。

 圧倒的に高い座標を取っているのは大地の数値を表わす曲線だ。これは大地の処理スケールを示している。しかも僅か数週間という短期間において値が急激に上昇しているのが素人目にもよく分かる。

 大地の曲線よりは下にあるものの、それでも平均を遙かに凌駕する値に点が一つ打ってあり、それは舞の数値スコアである。大地という比較対象が異常なだけで、舞の量子魔法適性がいかに高いかもよく識別できる。

 そしてその下にあるのが茜の数値だ。これも平均よりはかなり高いが、それでも舞よりは落ちる。

「このグラフを過去に遡ってみると――」

 西台は端末を操作し、過去一年の推移を表示させた。

「あっ!」思わず茜が声を洩らす。

 彼女の数値は急激ではないものの、毎月毎月確実に上昇していたのだ。

「量子デバイスの適性については、いくつかの説もあるようだが」

 言いながら西台は一瞬だけ大地に眼を向ける。だがすぐに視線を茜に戻した。

「僕は脳の可塑性というものを信じたい」

「可塑性……ですか?」

 西台はゆっくりと頷いた。「適応能力と言ってもいいだろう」

「はあ」

「脳という器官は驚くほど柔軟にできていてな。環境への適応力に優れているのだ。日常的な活動は脳に大きな影響を及ぼしていく。環境が変われば脳はそれについていこうとするわけだな。量子デバイスへの適性はある者とない者とにはっきり分かれると言われている。また、適性値自体もさほど変わらないものと考えられてきた。しかし脳の可塑性を考慮すれば、必ずしもそうではないと僕は考えている」

 西台は不器用な笑みを浮かべながら、茜の数値を指先でなぞった。

「茜くんのパフォーマンスは、僕の仮説を立証してくれていると思う」

「……」

「君の処理スケールは上がっている。それは飛躍的な増加ではないにしても、確実なペースで安定して上がり続けているのだ」

 無言のままの茜を西台は見つめる。

 彼は知っていた。普段の茜がどれだけの努力を続けているかを。

 過酷ともいえる肉体的な鍛錬に加えて、量子魔法の規模を高めることに彼女は相当の力を割いていた。

 まるで何かに取り憑かれたかのように、一心不乱に精進に励む茜は、西台の眼には時に驚異として映っていた。遊びたい盛りであるはずなのに、一切の欲求を抑えつけ、おそらくは寝る間を削ってまで。

 だが、その努力が処理スケールの向上という形で報われていることに、西台は期せずして嬉しさを感じていた。努力が実を結ぶというのは、見ていて嬉しく思えるものだった。だから、余計に手助けをしてやりたくなってしまう。

「今以上の負荷をかければ、君の処理スケールはさらに高いペースで伸びていくのではないかと僕は考えている。社長も同意してくれた」

「――っ!」茜はそこで眼を見開いた。

「もちろん、君には拒否することもできる。既に君は組織に対して十分貢献してくれている。今の活動内容のままでも、高い評価に変わりはない。それに……」

「付けます――」

 西台の言葉を遮って、茜は答えた。

 十六の女の子としてはやけに低く、しっかりと響くハスキーボイス。

 ショートにしたカーリーヘアをさっと揺らし、決意に満ちた瞳を西台に向ける。

 白衣姿の青年が灼かれそうなほどに強烈な意思のこもった眼光だった。

「やります。ウチはやります。組織のため、官僚貴族を斃すために――」

 無意識のうちに茜は大地の肩を抱いていた。

「(……なにより大地の未来のためにっ!)」


 決然、というよりはむしろ悲壮さすら纏う茜の表情に、西台は眼を眇める。

 改めて思う。いったい何が彼女をそこまで駆り立てているというのか。

「(……それに――)」

 一見するとただ気弱で優しそうに見える大地と、天真爛漫な舞。

 しかし三人で並んだ姿、その全身から発せられる言いようのない空気には違和感を抱かずにいられない。

 本来なら中学生、高校生として青春を謳歌すべき年頃だ。

 恐らく三人とも両親を亡くしているのだろう。施設出身というハンデもあるに違いない。

 しかしそれでも十代の少年少女らしく生きようとするものではないのか?

 どんな事情があるにせよ、その年齢でわざわざ暗殺者集団に加わっているという状況は、異常でしかない。しかも彼らに躊躇いというものがまるで感じられないのだ。

 西台の眼にそんな三人は、ある種の強固な繋がりで結びつけられているように見える。しかしそれは愛情という地に足のついた、確固としたものとは思えなかった。むしろピアノ線のように、無理をして逃れようとすると身を切り刻む、脅迫観念にも似た怖れであるとすら感じられてしまうのだ。


 そんな困惑をよそに、大地、茜、舞の三人はそれぞれの適性を高めていった。

 舞は量子デバイスへの適応力を身につけていき、

 茜はそれまでとは違う、双方向性の量子デバイスを使いこなすようになり、

 大地はこれまで以上に過酷なトレーニングを自らに課していく。

 若者と呼ぶにはいささか幼く、しかし子供扱いするには抱えているものがあまりに重すぎる彼ら三人について、無愛想で不器用な研究員――西台高志はもっと知りたいと思うようになっていた。単に量子魔法適性という以上に、彼らには何か特別なものを感じてしまうのだ。

 しかし状況は西台に感傷を許してはくれない。

 彼には三人の能力をさらに高めるべく、次の段階ステージへと進まなければならないのだ。


* * * * * * * *


「新戦力は順調みたいだネ」

 霞治郎社長がモニタを見ながらニタリと趣味の悪い笑みを浮かべた。

「はい。それで……」

 言いかけた西台の言葉を社長はわざとらしく遮った。

「カノジョをサポート役に使う……ってコト?」

 西台は慎重にタイミングを見定めながら、ゆっくりと頷いた。

「フムフム……」社長はそこで大げさに息を吐く。

 十四歳の舞を暗殺者としてミッションに送り込むことに、西台は強い抵抗を感じていた。

 そもそもの話からすれば、十六の茜も、十五の大地も暗殺活動に相応しいとはとうてい思えるものではなかった。が、それをおしても無邪気で明るい舞を直接的な殺人に巻き込むのは不適切であると西台は考えたのだ。

 だが、心情的な話をして納得する霞治郎社長でないことはよく分かってもいた。

 舞の処理スケールは大地に次ぐ強力なもの。これを実戦に投入しないなど、暗殺者集団としては考えられないものだ。

 だが西台はサポート役としての舞の有用性をずっと主張していた。

 

 ここ数日、“ノース・リベリオン”では模擬戦を繰り返していた。

 それはメンバーの訓練以上に、舞の“適性”を社長にアピールするためのものでもあったのだ。

 おかげでミッション内容をリアルタイムで中継できるという手法を確立することができていた。この成果については社長もご満悦の様子で、西台は話を通しやすい下地を作ることに成功していた。

「ま、当分の間はソレでいいかナ?」

 社長は渋々という顔をしてようやく同意したのだった。

「(……当分の間、か)」

 だが、それはあくまでも暫定的な措置。西台は力なく首を振るしかなかった。

「あ、ところでサ?」

 社長が、いいことを思い出したとばかりに西台に訊ねる。

「アレ、まだあったよネ?」

「アレ……ですか?」

 西台は首を傾げる。社長の言うアレが何であるのか、検討がつかなかったのだ。

 社長はその反応の悪さにイラッとした表情を浮かべて声を荒げる。

「ほら、アレだよアレッ! 二つくっつけたアレッ!!」

 言われて西台はようやく把握する。

「あ、あれ……ですか?」あまりにも想定外だった内容に、西台は思わず脱力しかける。

「ウンウン」ようやく伝わったことで、社長は表情を明るくするのだった。

 二人が話しているのは、デュアルタイプの量子デバイス。

 前頭葉部分と後頭部の二カ所に脳波受信装置を備えた試作品――社長がどうしてもと言い出して聞かなかったため、西台がやむを得ず作成した代物だ。

 無論、そんなものの適応者などいるはずもなく、作った直後にお蔵入りとなった一品ガラクタである。

「は、まさかそれを舞くんに……ということですか?」

「ダメかナ?」西台の動揺を揶揄するように社長は趣味の悪い笑みを見せつけてきた。

 思わず唸ってから考え込んでしまう西台。

 結論は目に見えていた。そんなものを使える人間などいるはずもないのだ。後遺症などまったく考慮しないで一時的に集中力をかさ上げすることができれば、その限りではないのだが。

 ただ、霞治郎社長は一度こうと言い出したら聞かない人間である。

 何をどう説得しようとしたところで、却って意固地になってしまう。

 問題は、いかに舞に物理的なダメージを与えないようにしてデュアルタイプをテストさせるかという点になってきていた。

「とりあえずそこら辺に出しといてヨ」

 溜息を抑えながら西台が頷く。すると社長はそんなことをもう忘れてしまったかのように話題を切り替えていった。

「ソレはソレとして――」趣味の悪い笑みが顔に貼りついている。「例の実験、そろそろ始めようジャないカ?」

「……はい」西台は神妙に頷いた。


 量子論においては、いくつもの不可解な現象が観測されている。逆にいうと、その不可解さを受け入れなければ量子論を把握することはできない。人間が眼で見ることのできる巨視的マクロな世界と、量子を扱う微細ミクロな世界ではモノの振る舞いはまるで異なってくる。不確定原理、重ね合わせ、量子トンネル効果といったものがその代表に挙げられるだろう。中でもとりわけ奇妙とされているのが、量子もつれエンタングルメントという状態である。

 二つの量子がもつれ状態にあると、それはまるで一体化したかのような振る舞いを見せる。そしてその状態は距離という制約を受けない。例えばもつれ状態にある光の粒(光子)を右と左に飛ばすとする。その内の片方に変化が加わると、その瞬間にもう片方の光子にも変化が現れる。しかもこれはどれだけ距離が離れていても成立してしまうのだ。極端な話、何十、何百光年離れた距離にあっても、片方の光子に対して変化が加わると、その瞬間にもう片方の光子にも変化が見られるのだ。まるで二つの量子が距離を超えて一体化しているかのように、同じ反応を示すのだ。(ちなみにこれは、あらゆる情報は光速を超える速度で伝わることはないというアルベルト・アインシュタインの考えと著しく対立するものであり、実際このアイディアをアインシュタインは散々批判していた。)

 この量子もつれという特性を利用すれば、リモートでも情報のやり取りをおこなえるのではないかというのが霞治郎社長の考えであり、主任研究員の西台高志はその実務を担っていた。まずは処理スケールに優れた大地と舞の間で脳波を介しての情報もつれエンタングルメントを構築する。すると二人は意識のみで繋がり、言語を使用せずともコミュニケーションを取ることができるようになる。例えば、大地が眼にしている視覚情報を、何の加工もしない素の状態で舞が受け取ることができるのだ。簡単に表現すればテレパシーである。

 ちなみに量子もつれを利用してのテレパシーを研究し始めたのは、かのブライアン・D・ジョセフソン。量子コンピュータのメインユニットたる超伝導量子干渉計(SQUID)の根幹を成す、ジョセフソン結合の発見者である。(もっとも、ジョセフソンはそのテレパシー研究のせいですっかり“残念な”研究者という烙印を押されてしまっていた。1973年にノーベル賞を受賞したにもかかわらず、である。)

 一瞬の間が勝敗を決する量子魔法戦において、言語を介さない意識レベルでのコミュニケーションは絶大な武器となり得る。大地、舞そして茜を加えた三人で量子もつれによるサークルを形成できた瞬間が、暗殺者集団“ノース・リベリオン”における最強チームの完成となる。茜が従来の量子デバイスに替わって双方向型を持たされたのは、まさにそのためであった。


「さ、始めようじゃナイか!!」

 ワクワクを抑えきれないとばかりに眼を見開きながら、社長が鼻息を荒くする。

 カプセル型の装置に入っているのは舞。

 その隣の、歯科医で使われるようなシートで仰向けになっているのは大地。

 例外的に立ち会いを許されているのは茜。

 研究員を除けばどのメンバーも完全にシャットアウトされていた。

 それどころかこの実験は極秘とされていて、古参メンバーにさえも伝えられていなかった。


 大地と舞、二人の無意識レベルにおける情報共有。

 互いの脳波を量子もつれ状態にして、論理ロジックによらないコミュニケーションを確立する。

“エンタングルメント”の実験が、今まさに開始されようとしていた。

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