第12話 翼

「まさかEMP=電磁パルス照射を使ってくるなんて」

 女科学者が艶っぽい吐息を吐きながら、低く呟いた。

「敵のデコヒーレンスを察知した瞬間に判断するべきでした」

 悔しさを滲ませつつも、公安の少女は毅然と反省の弁を述べた。

「そんな捨て身の手段まで用意してたとは思ってもみなかったわ。予測できなかったこちら側の落ち度でもあるけど」

 言いながら女科学者は表情を歪ませた。

「それにしても、あちこち傷だらけになっちゃって……。痛々しいったらないわ!」

 少女の柔肌に刻み込まれていたのは、斬撃による切り傷の数々。

 エリートの子ども、それも超のつく美少女にとってそれはあまりにも似つかわしくない、無残に過ぎる姿だった。

 少女に与えたボディスーツは量子魔法から身体を保護する機能はあるものの、その効果は限定的だった。まして、今回戦闘した相手のような斬撃にはひどく脆弱なことが露呈してしまった。その事実に女科学者は歯噛みする。


「平気ですから」しかし少女は低い声で言い放つ。「これくらいなんでもありません」

 ある程度覚悟の上とはいえ、実際に生命に危機に直面してまともでいられるはずなどなかった。本音を言えばすぐにでも逃げ出したいくらいだ。こう言っている間にも、脚が微かに震えてしまう。

 この危険な任務はあくまでも任意のもの。

 まして自分は十五歳の女の子。

 命の危険があればいつ逃げても問題はないし、それに異を唱える人間は一人としていないはず。

 だが少女はそこで気丈な態度を崩さなかった。

 危険であるからこそ、リターンが大きい。

 そしてこれから先に得られるリターンは、今後の一生を大きく左右するものなのだ。

「(……神さまが与えてくれたこの機会を、あたしは無駄にしない!)」

 同じ学校に通う生徒たちには絶対的に欠けている資質を、彼女だけが持っていた。

 それは類い希なる量子デバイス適性だ。

 超人的な集中力を持つ彼女だからこそ、量子コンピュータを使っての大規模演算が実行できる。

 それは即ち、強力な量子魔法の使い手であるということでもある。

 しかも彼女は論理計算により魔法を起動させることができるという逸材。

 理論上の存在でしかなかったフォアヘッド型量子デバイスの、ただ一人の適性者なのだ。


 数ヶ月前に量子デバイスの適性試験を受け、その結果を知った時に彼女は驚喜しそうになっていた。

 少女は官僚貴族の子とはいえ、第三類に属していた。

 官僚が自らの跡継ぎと定める嫡子は第一類とされる。通常は第一子がそうなることが多い。

 第一類であれば、どの学校にも進むことができる。試験などあってないようなものだ。通常は名門高校に進み、その後は国立第一大学に入り、ただ卒業するだけで貴族の身分を手に入れることができる。

 その第一大学は、文部科学省による国立大学の抜本的改正時にこっそり設立されたものだ。東京大学法学部から一部分離して、国家公務員総合職、つまりキャリア官僚育成を専門とする大学である。原則として国立大学であるので、高校卒業という資格があれば誰でも受験することはできる。しかしこの大学への入学を許されるのは官僚の子女ばかりだ。それも嫡子とされる第一類が優先的に入学資格を手に入れる。そして僅かな空き枠を廻って、第二類の子どもたちが鎬を削る。第二類とは二番目の嫡子候補のことで、第二子であることが多い。

 第二類が選考に勝つために必要なのは、親の地位と社会貢献ポイントである。

 社会貢献ポイントとは、政府が社会に役立つと定める行動に対して与えられるものだ。

 このポイントが高ければ高いほど、よりすぐれた社会適性を持つ者と判断される。

 その実態はともかく、建前上は国の未来を背負って立つ官僚には不可欠な資質と見なされているのだ。

 だがいずれにしても、第一大学の席は第二類までで完全に埋まってしまう。

 

 公安の少女は第三類。家庭内における序列三位以下という立ち位置だ。上にも下にも兄弟のいない一人娘ではあるが、彼女には第三類にならざるを得ない事情があった。

 だから彼女は、本来ならば第一大学を目指せる立場にはなかった。

 余程のことをしなければ、入学を叶える社会貢献ポイントを稼ぐことはできないはずだった。だが、その余程のことが起こりそうなのだ。

 公安の部隊に入って暗殺者集団と戦う。このことで得られる社会貢献ポイントは莫大なものだ。第三類という絶望的なまでの不利をあっさり覆すほどの大量ポイントを稼ぐことができる。

「傷くらい、なんてことありません」

 恐怖心を押し殺し、少女は毅然と振る舞う。


 そこで通りのよい男の声が響いた。

「向こうの主力は叩いたはずだと思っていたのだが、ここにきて隠し球を投入してきたとはな」

「なに余裕かましてるのよ、アンタ?」

 女科学者がその場にいる男に噛みついていった。

「内閣官房だかなんだか知らないけど、いたいけな少女を危険に晒すなんて、どういう了見よ!」

 少女の実力を正しく評価し、それなりのバックアップをつけさせる手筈ではあった。が、公安の上層部は財務省からの出向者の言うことなど聞き入れようとせず、結果、少女はまたしても孤軍奮闘を強いられていたのだ。しかも今回は隊長の滝山までもが外されていたという、余りにも露骨な措置だ。

「彼女を失って困るのは我々も同じなのだがな」

 真相を押し黙ったまま、男は肩を竦めてみせた。

「だが、次回からはサポートを増やすことを約束しよう」

 さすがに公安も今後は対処せざるを得なくなる。最悪、今回の戦闘ログを利用して内閣府からの圧力をかけるという手もあるのだし。

「当たり前よ!」


 背は低い方だが肩幅の広いがっしりとした体型の主は、憤慨する女科学者をあっさり無視してから“ホワイト・メア”と呼ばれる少女へと視線を向けた。

「君一人が加わっただけで、こうも形勢が変わるとは――驚きの一言だな」

 賞賛ともとれる言葉にどう反応していいか判断できず、少女は無言を保った。

 ただ、凛とした視線を男に向けるだけだった。

 男は脱力したように笑い、話題を変える。

「ところで高校はどこに行くのかな?」

 少女は生真面目な態度を崩さずに即答する。「都立永田町です」

 かつて東京大学へ毎年何十人もの学生を送り込んできた都立の名門校で、今は第一大学への最短距離とされている。

 キャリア官僚の嫡子、つまり第一類でない彼女には受験すら許されない高校である。

 だが彼女は当局と契約を交した。

 自らの身を危険に晒しながらも、公安のエージェントとして治安維持に貢献すると。そのリスクとの交換条件として、永田町高校への入学が許可されていた。

 血の滲むような努力の積み重ねに支えられてきた学力も、その特例の後押しをした。

 

「名門だな。狙いはやはり第一大学?」

 少女が生真面目にはいと頷くと、女科学者はからかうようにチャチャを入れてきた。

「今度こそ、友だち一人は作らないとね、高島ちゃん?」

「その話は先生には関係ありませんっ!」ムキになったのか、声が高くなっていた。

 堅物そのものといった表情から一変しての感情的な反応は、十代の女の子そのものだった。

 男は、少女のアンバランスさに奇妙なものを感じる。

 あまりにも生真面目な表情と、何かの弾みですぐに表出してしまう、十代の女の子らしい素直さと感情の強さに。

「君は財務省志望と聞いたが」

 毅然と首肯する少女に、男は頷いてみせる。

「このまま社会貢献ポイントを貯め続けていけば、第一大学の特別枠にも入れそうだな。そうなればこの私が推薦人になってもいい」

 少女の顔が急にほころんだ。「ほんとうですか!」

 それは、これまで彼女が一度も見せたことのない表情の輝きだった。

 だが、すぐに何かを思い出したかのように硬い、生真面目な顔に戻ってしまう。

 まるで本心を晒すのが罪であるかのように。

 男はああ、と頷いて見せた。一瞬だけ垣間見られた素直さを確認して、少し嬉しく思う。

「だから、これからも活躍を期待しているよ。高島――翼くん」


* * * * * * * *


「ああ、今日も疲れたよ……」

 床に転がり込むと、大地は疲労困憊という顔で泣き言を洩らす。

 それまでは反体制派活動にどこか受け身という接し方だったが、今はまるで別人のように積極的に訓練に取り組んでいた。

 昼の仕事を終えると鬼のような先輩、桐丘郷に特訓を請い、それが終わると主任研究員の許へ行って量子魔法の演習と講義を受けつつもデバイス調整をしてもらう。

 夜中になってようやく部屋に帰り、“オリジナル弁当”を掻き込むとすぐに就寝。

 訓練のために食事をとり、訓練のために睡眠をとり、そして訓練のために仕事をこなす。

 大地はここ数日、ずっとそのような生活を続けていたのだった。

「でもオレ、頑張るよ。どんなにきつくても、どんなに辛くても、やり通す」

 耳を澄ませ、その気配を感じようと呼吸をゆっくりとさせる。

「大儀とか、革命とか、官僚貴族の打倒とか、ほんとはどうでもよかったんだ。ただ、茜姉ぇの役に立てればそれでいいって」

 大地はそこで表情を引き締めた。

「でも、あの“ホワイト・メア”ってヤツと戦って分かった。アイツを斃さないと、茜姉ぇが危ないってこと。来年入ってくる舞も危険に晒されるって。だからオレはアイツをやっつけないとダメなんだ。そのためにはもっと、もっと強くならなくっちゃって」

 大地はそこでふっと苦笑する。

「ああ、分かってるって。正直ブッ倒れそうだよ。でも、今本気にならないと、後がないんだ」

 天井を見上げて、大地はその日に“ノブルス”こと青山と交わした会話を思い出していた。


「公安でバイトする学生?」大地の質問には青山が答えてくれた。

 青山は、治安維持活動をバイトと表現した。

 もっとも、手に入れられるのは金銭ではなく、社会貢献ポイント。身の危険を冒してでも社会秩序を守るという正義感は、官僚を頂点とする社会体制にとって高く評価される美徳だ。

 学生時代にこの社会貢献ポイントを多く貯めておけば、次のステップに進む際に大きなアドバンテージとなってくる。大学受験や就職活動で、自分を売り込む重要な要素となるのだ。

「あの“ホワイト・メア”という子は」

 青山は自分が一撃で斃されたことなど忘れて、まるで彼女が身内であるように語った。

「我が輩と同じ。高級官僚の第二子とか第三子だな」

「はあ」

「高級官僚の嫡子、つまり第一類なら普通に国立の一流大学には入れる。血縁枠というヤツだ」

「血縁枠?」そんな名称に驚きながら、大地はオウム返しにその言葉繰り返す。

「超一流の国立大学になると、全体の九割以上がそれ。残りの僅かな席を第二子が取り合うという構造であるな」

「そうだったんですか」

「とはいえ、そこで重要なのは学力ではない。……昔は学力だけで入れたようだが、今はどの大学も学力より人柄、つまり社会的な適性が最優先とされているのだ」

「……そうなんですか」

「だから、貴君のような施設出身の子はどう頑張っても、やっぱり不利になってしまうな」

 大地は首を傾げる。そもそも大学など行くつもりもなかったのだ。

「それで残りの席を巡って重要になってくるのが、社会に対してどれだけ貢献してきたかという実績なのだ」

「実績……」

「ところで“五毛党”という言葉は知っているかな?」

 突然の質問に、大地はいいえと首を横に振った。

「隣国で採用されていた制度なのだが、ネットで体制を支持する発言や、反体制派を非難する投稿をすると、少額ながら小遣いが貰えていた。その金額が五毛だから“五毛党”。それでこの国の官僚が模倣したわけなのだ、そのシステムを。だが、ここでも貰えるのは金銭ではなくて社会貢献ポイントとなる」

「あ――ッ!」大地はそこで合点がいく。「オレたちの活動がネット上で批判されたり、なかったことにされてるのって、もしかしてその連中のせい……?」

「いかにも」青山は頷いた。「プロバイダが総務省の管轄下で、体制に都合の悪い投稿がすぐに削除されるということもあるが、やはり“五毛党”の存在が大きい。反体制派的な発言や官僚批判が上がると、“五毛党”の連中が待ち構えていたように否定したり非難したりするのだ。だから自由な空間であるはずのネット空間は体制を賞賛する声で溢れている。事情をなにも知らなければ、この社会は体制支持者ばかりのように見えるだろうな」

 大地が頷く。

「だが実際は、“五毛党”の連中も必死なのだ。とにかく目立って、多くのポイントを稼ぎたい。だからいつもネットにかじりついたまま、すぐに反応できるように待機しているのだ」

 その実体に意外なものを感じながらも、一方で大地は妙に納得してしまう。

“五毛党”の反応の早さは異常とも言えるもの。

 暗殺者集団“ノース・リベリオン”が官僚の殺害をおこなった声明を上げても、すぐにそれが捏造であるという書き込みで溢れてしまう。まるで待ち構えていたかのような反応の早さなのだ。

 しかしそれが将来を賭けた戦いであるのなら、確かに不自然ではない。

「それで“ホワイト・メア”という子は、もっとも手っ取り早い手段を選んだのだろうな」

「公安の治安維持活動……ですか?」

 青山は控えめに頷いた。

「我が輩らを相手に量子魔法で打ち克つことができれば、これ以上ないくらいの社会貢献になる。しかも体制側では量子魔法を使える人間は少ないから相当に希少なスキルだ。たぶん、“五毛党”などで徹夜しているのがバカらしくなるくらい、たっぷりポイントを貰っているのではないかな?」

「そんなにポイントを稼いで、いったいなにを?」

「第一大学狙いだろうな」青山は見下すように吐き捨てた。「それで官僚になるのだ。キャリア官僚になって、いい官舎に住んで、天下って贅沢する。経済弱者の犠牲の上に立って、高慢ちきに威張り散らす。特権を享受しながら、それでもまだ足りないと言ってもっともっと搾り取ろうとする。そして当然のように自分の子供に特権を引き継がせる。……バカげた生き方だ」

 官僚貴族の第二子である青山には、キャリア官僚になるという道こそ難しかったものの、その血縁で一流大学、一流企業へ進むという生き方を選択することは可能だった。

 だが、彼はそれを否定し、むしろ真逆の進路を取った。

「我が輩は社長と出会ってこの道を選んだのだ。そのことに後悔はない」

 言って青山は笑う。むしろ感謝しているくらいだと。

 どこか、普段の気取った態度とは異なる、青山の台詞に大地は意外そうに首を傾げた。

「少しばかり話が過ぎてしまったか」

 青山は照れ隠しをするようにして、そそくさと別の場所へ行ってしまった。


 大地はそんな青山との会話を反芻するように思い出す。

 大地にとって“ホワイト・メア”の人間像が固まっていった。

「あんなふうに社会正義を装って、自分の欲を追い求める。……茜姉ぇを犠牲にして贅沢をしようとしているヤツを、オレは許せない!」

 表情を険しくして、自身の決意を口に出す。

 だが、そこでふいに心配そうな顔を、大地は見せていた。

「なあ、それよりそっちはどうなんだ? 元気にしてるのか? ちゃんと友だちできてるのか? 家では優しくしてもらってるのか?」

 気遣うように、遠慮がちに手を伸ばしていく。

「いや、オマエが幸せなら、オレはそれでいいんだ。……いいんだ。でも、もし不幸なら、もし辛いんなら、もし悲しんでいるなら……」

 絞り出すような低い声で、大地は囁く。

「また一緒に暮らしたい――」


 大地は思い出す。

 幼少時、ことあるごとに不安そうな顔をして自分にまとわりついていた翼のことを。

 ガリガリに痩せていて、顔色が悪くて、いつも何かに怯えているように心配ばかりして。

 そして大地に抱きついてきてばかりだった翼のことを。

 しばらく抱きついた後で、翼はようやく安心したような笑みを浮かべるのだった。

 その笑顔に、大地はどこか救われたような気になっていた。

 そんな翼は、ある日突然いなくなってしまった。

 どこかの家に引き取られていったのだ。

 大地の心に残されたのは、翼の心配顔。

 オレがいなくっちゃ。

 オレが抱き締めてやらなくっちゃ。

 そうしてやらないと、翼が心配だから。

 翼がかわいそうだから。

 この十年間、大地がずっと抱えてきた想いだ。


 シンと静まりかえった部屋にいるのは、しかし大地ただ一人。

 まるでそこに誰かがいるかのように、大地は何もない空間に語りかける。

「まだ夜は冷えるから、温かくして寝なよ。……おやすみ、翼」

 いつも一人の時にそうしているように、自らが作り出した翼という少女の幻影に向かって、大地は優しい声をかけていった。あたかもすぐ隣で翼がいるような幻想を抱きながら、大地は眠りに就く。


 大地は知らない。

 旧姓河岸翼。

 官僚貴族の夫婦に引き取られていってから高島の性を名乗る彼女が、財務官僚を目指し、それに必要な社会貢献ポイントを得るために公安のエージェントとなっていることを。

 自分が斃そうとしている純白の鬼神ホワイト・メアこそが、恋い焦がれる翼であることに、大地はまったく気づいていなかった。

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