第7話 純白の鬼神
旧品川区、大田区、そして目黒区南部からなる
一代で財を成した成金が居を構えるにはあまりにもハードルの高い、庶民とは無縁の土地である。
その中にある広い庭と堅固な三階建ての家屋。玄関前には警察の詰め所。
館と形容すべきその建物は外務高官の官舎だ。
外務官僚は贅沢をするべしという哲学により、彼らは贅の限りを究めている。
当然、住居もそれに倣うというのが彼らの理屈だ。
財政がどれだけ困窮しようが、低所得者への福利厚生がどれだけ削られようが、彼らにとっては贅沢こそが誇れる仕事であり、その様を諸外国に見せつけることでこそ、自国が優位に立つことが可能になる。彼らの言う“外交”とはそのようなものだった。
反体制派集団“ノース・リベリオン”が狙う今回のターゲットは、そんな外務官僚の一人。
既に経済大国になって久しい隣国へのODA増額を強引に進めていった高官だ。
その無駄遣いのあおりで低所得者向けの福利厚生がいくつも削減されてしまった。
無駄に国費を流出させることこそが自分たちの存在価値であるとする外務省は、間接的にではあっても、弱者である下民の敵である。
その官舎の中で待ち構えているのは公安量子魔法迎撃部隊=QCFの滝山隊長と、配属されて間もない少女。そして一人の官僚。
「さて、本当にアンタの言う通り、ヤッコさんら来るかね?」
「確かな情報だ」スーツ姿の官僚は憮然と言い放つ。
今その場に配置している量子魔法使いは隊長の滝山と少女の二人だけ。
報告されている敵戦力を考慮するとあまりにも少ない人数だ。
他の隊員たちは別の官僚を保護するので手一杯という理由も告げられてはいる。
官僚は不満げに唇を噛んだ。
もちろん、自分が財務省からの出向という身でなければ、この情報はもっと違う扱いを受けていたことだろう。だが、官僚はそこで考えを切り替え、少女を見やる。
これは新戦力を判断するいい機会なのだ。その意味では、結果オーライとも言えた。
「それはさておき、お嬢ちゃんよ?」隊長の滝山は少女を見やった。
「なんでしょうか?」冷たい口調のまま、少女は応じた。
深淵を感じさせる真っ黒な瞳に思わず吸い込まれそうになってしまう。が、彼女の放つ空気はあまりにも冷淡で、百戦錬磨の強者であっても思わず身を引いてしまっていた。
「あのさ、もうちょっと、優しくっていうか、愛想よくできないもんかね?」
「その必然性が理解できませんが」とりつく島もなく、少女は低い声で突っぱねた。
あまりにも素っ気ない反応に滝山は思わず頭を掻く。
「本人前にして言うのもなんなんだけどさ、」溜息を吐きながら滝山は語った。「すっげえ美少女が来たって、隊の連中も大はしゃぎしてたんだよ。それが、いざ話そうとするとそのありさまだろ? これじゃ却ってモチベーションが下がっちまう……」
「あたしには関係ないことですから」
話はそれまでとばかりに少女は横を向いた。
彼女が首を動かすと、ポニーテールに合わせて真っ赤なリボンも揺れる。
滝山は肩を竦め、そのやりとりを聞いていた官僚も思わず苦笑。
「ん?」そこで滝山隊長は表情を一変させる。「おいでなすったか」
詰め所の警官を斃し、高級国産車を踏み台に乗り越えて敷地内に押し入ってきたのは三人の暗殺者。
隊のリーダーである“アルファ”は暗殺者集団“ノース・リベリオン”設立時からのオリジナルメンバーであり、また組織一の量子魔法使いでもある。
他にも圧倒的な魔力を誇るメンバーが二人。
このエースチームは官僚の中でも特に地位の高い、事務次官や審議官といったクラスの高官暗殺を担ってきた。組織の中でも別格の存在である。
堂々と玄関から官舎内に入り込もうとしたところで、アルファは足を止める。
扉の向こうに待ち構えている存在に気がついたのだ。
「量子デバイス反応――。公安か」
アルファに焦りはなかった。
政府高官であれば、それ相応の保護を受けるものだ。
公安との武力衝突は既に何回も経験済みである。もちろん、その全てに圧勝してきた。
アルファは落ち着いて周囲を確認する。
ハンドサインで的の存在を味方に伝え、警戒を促す。
「む?」
そこでゆっくりと、官舎の扉が開いていった。
奇襲をかけるでもなく、待ち伏せするでもなく、無造作に明け放れた扉。
その向こうに立っているのは、発育途上の体型がくっきりと露わなボディスーツ。
「――子供?」
中学生か、高校生か。いずれにしても公安で闘える年齢には見えない。
しかしアルファが驚いたのはその装備の方だった。
「フォアヘッド型だとッ!」
一般的な量子デバイスは後頭部に脳波受信装置を備え、それによって操作をおこなう。だからこそ、ヘッドフォンのブリッジに似たパーツは後頭部を押えるような“リアヘッド型”になっているのだ。
それに対して、今対峙している少女のデバイスは、前頭葉の辺りにかかる“フォアヘッド型”。その形状から別名“カチューシャ型”と呼ばれる量子デバイスだ。
理論上の存在でしかなかった“カチューシャ型”。
その適応者が遂に出現したということだ。
ということは――アルファはすぐに結論に到る。相手は相当の手練れであると。
アルファに迷いはなかった。たとえ相手が年端もいかない少女であったとしても、公安の隊員であれば排除の対象でしかない。即座に攻撃の呪文を唱え始める。
しかし先んじていたのは少女の方だった。
少女の量子デバイスは既に稼働を開始していた。
量子デバイスのメインユニットに内蔵されているのは卵形のシェル。その核を成すのがニオブという金属で作られた超伝導量子干渉計=SQUIDである。SQUIDには超伝導体の間に薄い絶縁体を挟んだジョセフソン接合が施されている。ブライアン・D・ジョセフソンが考案したこの構造物を極低温に冷却して超伝導を発生させる。すると常識では考えられない現象が発生する。即ち、電流が右回りであると同時に左回りにもなるのだ。電流は磁気を発生させる。そして右回りの電流が生む磁気と左回りの電流が生む磁気はそれぞれ違う向きになる。つまり、右回りであると同時に左回りである磁束が生まれるということになる。これは、量子論における“重ね合わせ”の状態そのものだ。
量子コンピュータはこの重ね合わせの状態を利用することで、飛躍的な計算能力をもたらすと考えられてきた。だからこれまで数多の科学者たちが単独の電子や単独の原子といった、重ね合わせ状態を持つ“量子”を制御下に置くことで量子コンピューティングを実現させようとしてきた。しかし量子は人間が扱うにはあまりにも小さく、またあまりにも繊細に過ぎた。彼らの試みはことごとく失敗に帰してきた。
そこでジョセフソン効果とよばれるこの現象を量子コンピューティングに活かしたのがカナダD-WAVE社だ。D-WAVEは右回りの電流が発生させる磁束と、左回りの電流が発生させる磁束という“重ね合わせ”状態を実現させ、そこに量子アニーリングを実行させることで初の量産型量子コンピュータを販売した。それはごく限られた用途にしか活かせない不完全なものではあったが、GoogleとNASAをして「従来型コンピュータよりも一億倍速い」と言わしめたのだ。
その技術を発展させ、また冷却装置の超小型および省力化によって実現されたのが、今闘いを演じている者たちが装備している量子デバイスだ。
「我は秩序の番人。公正なる法の守り手にして正義を為し遂げる者なり――――破っ!」
「うぉ――ッ!」
少女の、真っ直ぐに伸ばした左の掌が真円を現出させ、アルファの身体が射貫かれる。
ボディアーマーが衝撃をいくぶん緩和したものの、その全身が後方へと弾け飛んでいた。
プラズマ状態で射出された物質が、一点に集中されて彼に襲いかかっていたのだ。
少女が実行する演算処理によって歪められる四次元時空。その歪みがこの宇宙と他の宇宙との局地的な接触をもたらす。宇宙という大規模構造からすれば、そのエネルギーはないに等しいほど微細なものである。しかし、人類にとっては、生死に関わるほどの威力をもたらす。
ダメージを受けながらもアルファの量子デバイスはその正体を計算していた。
「むう!」
放たれていたのは、誕生したばかりの宇宙で爆散する原始物質。ビッグバン直後の宇宙で荒れ狂う、超高温超高圧の原子ならざる物質の激流だ。
「――轟!」
アルファはすかさず短文呪文で反撃を試みる。が、
「――戟っ!」
少女が右掌を左の甲に重ねる。すると左手が描く真円が収束していき、前方へ噴出されていた原始物が質垂直方向へ拡散していった。
その放射が強固な楯となってアルファの攻撃を撥ねのけていたのだ。
「な――ッ!!」
あまりにもあっさりと防がれてしまったアルファの量子魔法攻撃。
驚愕するアルファの眼前で、描かれたままの円形の特異点。
それが急速に拡大していき、放たれるエネルギーが再び前方の一点へと凝縮していく。
「――破っ!」
再び自らの体が吹き飛ばされていることを知覚した直後、激しい衝撃に翻弄される。官舎の庭を派手に転がりながらもかろうじて敵を視界に捉えようとしたその刹那、
「――破っ!」
まったく躊躇のない連撃に、テロリスト集団随一の量子魔法使いは呆気なく斃されてしまった。
勢いをそのままに、公安の少女は残り二人も一瞬にして無力化していった。
「これで、とどめ――っ!」
「そこまでだ、“
最後の一撃を放とうとする少女を、公安量子魔法迎撃部隊の滝山隊長が押し留めた。
がっしりとした掌が、彼女の細い肩を押える。
「今日は、ここまでだ」
まだまだ戦えるのに――少女は困惑しながらもやむを得ず敬礼する。
「了解……しました」
命を助けてもらったというのに礼の一言もない外務高官を後にして、少女はその場所を去った。
予想外に多くの社会貢献ポイントを手に入れて――
「やれやれ」
滝山が足許に転がっている死体を乾いた眼で見下ろしていた。
それは量子デバイスごと頭を吹き飛ばされた首ナシの死体。
反体制派組織の初期メンバーであり、不敗のエースだったアルファのなれの果てである。
滝山が少女の攻撃を途中で切り上げさせたのは、この光景を見せたくないからだった。
「アンタには刺激が強すぎたかな、内閣官房さんよ?」
スーツ姿の官僚が、公安の隊長に向き直る。
背は低い方であるが柔道でもやってきたのか、肩幅の広いがっしりとした体型。
「正直に言うと、ひどく衝撃を受けている」
「その割には余裕かましてるみたいだが?」
だがスーツの男は、無駄話はここまでとばかりに本題へ入った。
「これで我々の情報は信用してもらえるかな?」
「さあな。そんなこと、上に訊いてくれよ。それはさておき……」
「なんだ?」
滝山は地面に置かれている遺体に眼を向けた。
「コイツらと遭遇して生き残ったヤツは一人としていなかった。それを十五の女の子が単独で、しかも一瞬で殲滅しやがった。……まさに鬼神の名の通りだな」
官僚は無表情のまま頷く。
「女子高生になにができると疑ってはいたが、圧倒的なまでの適性だ。今後はあの娘を主力にせざるを得ないだろう。だが……」
「だが?」
「あの性格は厄介だ」
官僚は「ああ」と頷いた。
「ビックリするくらいの美人のくせに、愛想というものがまるでない。それどころかプライベートの接触を極端なまでに拒んでくる。優等生もあそこまで堅物になると、マイナスにしかならんな。硬すぎる。……あれじゃあ、隊員ども全員から嫌われちまうぜ?」
「それでも戦い抜けるという判断なのかな?」
「仲間の助けなしに生き残っていけるほど甘い世界じゃない」
それに、結果的に成功したとはいえ今回の戦い方はあまりにも性急なものだった。
無論、初陣ということで焦りがあっただろうことは想像に難くない。
相手に油断があったという可能性もまた否定はできないが、それにしても彼女の闘いはどこか急ぎすぎているように思えるのだ――何かに駆り立てられているように。
その強烈な衝動が、滝山の眼には不吉な影と映って見える。
公安の隊長は冷静な声で呟いた。
「まるでタイトロープの上を、必死の形相で綱渡りしているようにしか見えないんだがな」
「だが、せっかくの逸材に死なれては困る。しっかりとフォローを頼むよ、滝山隊長」
「言われるまでもない。それが自分の任務だ」
そんな会話を続けている二人の足許で、もう二体の屍が並べられていった。
いずれもアルファ同様に無残にも頭を潰されて絶命した、暗殺者たちの骸である。
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