第8話 銀髪の先輩
朝。大地は茜と一緒に会社へと向かっていた。
大地の頭には量子デバイスが装着されたままだ。
社長の指示により、勤務中はずっと量子デバイスをつけていなければならないのだった。
もっとも、それを量子デバイスと認識できる者はいなかった。それは十年ほど前に流行したエンタテインメント提供型ヘッドセットのハウジングを使っているため、事情を知らない人間には遊びながら歩いているとしか見られないのだ。
「どう、大地?」量子デバイス酔いを心配した茜が、不安そうに訊ねる。
「まだ大丈夫」
デバイス酔いは最初のうちはかなり激しいと聞いていたので、大地は少し緊張気味だ。
「無理しちゃダメだからね」言って茜は大地の肩を抱く。
大地も同じように茜の肩に手を回していく。
傍から見ている分には、まるで恋人そのものという寄り添い方だ。
姉御肌の彼女と気弱な年下の彼氏という、ある意味お似合いのカップルに見えてしまう。
会社の入口を通ると、出くわしたのは桐丘郷。
昨日大地に話しかけてきた細マッチョで気さくな元ヤンの先輩だ。
顔はまだ憶えきれていないが、前を開けたままの作業服の下は「油圧」とプリントされたティーシャツ。それに眼も醒めるような銀色の短髪。
自分と同じ中卒の先輩を認めて、大地の顔がついほころんでいた。
「あ、おはよう、郷」茜が慣れた感じで声をかける。
茜に続いて大地も朝の挨拶をしようとして息を吸い込む。
ちょっとした声がけでも、大地にはおおごとなのだ。
「お、おは、おは……」
「そういうことかよ!」
だが返ってきたのはこれ以上なく冷たい声。
剣呑な空気が大地を威圧してきた。
郷はヤンキー特有の威嚇するような眼を大地に向けてから、茜へと視線を転じる。
肩を抱き合って体を密着させている二人は、そこで慌ててお互いの身体を離していった。
「あのね郷、えっと」
大地を紹介しようとした茜の声を、郷の低い声が遮る。
疑いようもなく敵対的な、憤りに満ちた眼光が大地に突き刺さってきた。
「いい気になってんじゃねえぞ、新入りが、アアン!?」
「――ッ!!」
狂犬そのものという恫喝に、大地は身震いしてしまう。
昨日会った気さくな先輩とは、まったく別人の態度だった。
大地が愕然とするさなか、郷はわざとらしい舌打ちをしてから肩を怒らせて去っていった。
「オレ、なにか悪いこと、しちゃったのかな?」
不安そうに見つめるその先で、茜が何か諦めたような顔をしていた。
「まずは、昼の仕事を頑張んなさい」
まるで話をはぐらかすように、茜はそう応じるだけだった。
初勤務の内容は粗大ゴミの出張回収。
引取先は官僚貴族の官舎。急な異動に伴う引っ越しのため、いくつかの家具や家電製品を処分したいという話だった。
ボックスカーに乗り込んだ勤務班はよりにもよって銀髪の元ヤン、桐丘郷をリーダーとした構成。茜の他に髪を金色に染めた若い男が一人。それに大地が加わるという形になっていた。
助手席に座っている郷は、終始苛ついた表情で言葉も荒々しい。そのため誰も彼に話しかけようとはしなかった。
大地はそんな郷を気にしてひたすら気配を消していた。一言も発することなく、物音すら立てない。学校で身につけていた処世術だ。
時折茜に視線を送り、茜が自分を見てくれていることを認めてほっとした表情を浮かべる。
大地はそこで考えるのを諦めて、郷については意識の外に置くことにした。
同じ班のリーダーである以上、敵と認めることはできない。昨日とは一変した敵対的な態度からは、味方にもなり得ない。
だからとりあえず郷については考えないことにしたのだ。その瞬間、大地の中でかろうじて掴めかけていた郷の顔が急速に消滅していった。
クルマは目的地の官舎に到着する。
ウェスト・サイドの中でも旧世田谷区にあたる一画。緑が多く閑静な地区だ。
車道から少し奥まった場所にある入り口は、両脇に常緑樹が生い茂っていて、部外者には入りにくい印象を与えている。
例によってそこが官舎であるという標識は目立った場所にはなく、クルマは恐る恐るという感じでゆっくりと入っていった。
「ここか」
建物の隅にかかっている小さい看板から、郷はそれが官舎であると判断する。
その言葉を合図に、全員がボックスカーから降りた。
目の前に建つのは古い煉瓦を模した壁面を有する瀟洒なマンション風の官舎。
クラシカルな鉄製のベランダにはヨーロッパ製の植木鉢が並び、色とりどりの花が植えられていた。
大地はそんな洒落た建物を見上げてから周りを見回す。
「風が、違う」思わず言葉にしてしまう。
周囲の樹々を揺らす南からの爽やかな風は、慣れ親しんだコンクリートだらけのノース・サイドとは明らかに空気の質が異なっていた。
「ウチの給料全部使っても、こんな場所には住めないのよね」
いかにも女性が好みそうな小洒落た住宅を前にして茜が溜息をついた。
「でも官舎だから住んでる連中は家賃ゼロ。……貴族の特権ね」
「無駄口叩いてねえで、チャッチャと仕事すっぞッ」
細く剃った眉を吊り上げて郷がどやしつける。と、全員が歩き始めた。
だが、ほんの二~三歩進んだところで、大地は異変に襲われるのだった。
急速に訪れてきた激しい眩暈。
三半規管にダメージを受けたかのように、グラリと頭の中が揺れ動いてしまうのだ。
「とっとと歩きやがれッ!」
厳しい郷の言葉に従い、大地は無理矢理に体を前に進めていく。
鼓動が急速に高まり、思考能力さえ失われていった。
大地の朦朧とした意識に気づきもせず、郷に率いられた作業班は警備のチェックを受けてから依頼主の元へと向かう。
玄関に現れたのはやたら人当たりのいい主婦と、その影で怯えている神経質そうな少女だった。
「こんにちは~。クリーン・スイープで~す!」愛想よく声を出したのは茜だった。「本日の回収はどちらになりますでしょうか?」
アマゾネスと揶揄される好戦的な態度からは想像ができない、完璧な営業スマイルだった。
作業班が回収するのはテーブルセット、食器棚、大型テレビと書斎の事務机。どれも見るからに高級品であり、まったく損傷していない。
わざわざ処理代を払って業者に回収させるよりも、そのままリサイクルショップに売り払った方がよさそうなものだが彼らはそうは考えない。
もちろんその処理代も国、即ち税金で処理されるという前提あってのものだ。
このように無駄に出費をすることが経済を回すことに貢献すると彼らは考えている。
実際、茜の所属する会社は、まさにそこから利益を上げているのだが。
郷の指示に従って搬出が始まった。
茜も率先して重そうな荷物を持ち始める中、大地は大型テレビの移動を任される。
重量としては二十キロ超。ただでさえ体力がないところに、量子デバイスによる干渉が始まってしまったせいで意識は朦朧としている。
テレビを持ち上げた瞬間にフラフラして、危うく廊下の壁にぶつかりそうになっていた。
「なにやってんだッ! アアン!?」大地の首根っこを掴んで郷が怒鳴りつける。
「大地!?」
心配して駆け寄ろうとした茜にも郷は一喝した。
「茜、持ち場を離れんじゃねえ!」そして冷たく付け加える。「あとコイツを甘やかすな」
結局テレビは金髪の作業員が引き受け、大地はその場でへたり込む。
「邪魔だからクルマのとこで待ってろ、この役立たずがッ!!」
「ちょっ、……郷?」
茜の抗議をまるっきり無視して、郷は尖った眉を逆立てながら大地を睨みつけていた。元ヤンだけあってこういった時の郷は迫力が凄まじい。
大地は力なく頷いて、フラフラと立ち上がる。しかし眩暈は酷くなる一方だった。
「しっかし、上の連中はナニ考えてやがんだ!?」
郷の悪態が、遠ざかりつつある大地の鼓膜に響き渡る。
大地はなるべくそんな言葉を気にしないように、歩くことだけに意識を集中させていった。
邪険にされるのも、つまはじきにされるのも、慣れていた。
顔を憶えられない大地は、どうしても人の輪に入ることができず、孤立してばかりだった。
ひとりぼっちの浮いた存在は、必然的に周囲からの攻撃対象となる。
それが、低所得者層を集めた“ガラの悪い”環境であれば状況は尚更酷くなる。
時に茜からの手助けはあったものの、いつも助けてもらえるというわけではなかった。
大地は大地なりに敵対的な周囲へ適応していかざるを得なかったのだ。
戦える相手でないのなら、それが通り過ぎるのを待つだけでいい。
これはいつもと同じこと。そう自分に言い聞かせて。
それに、と大地は思う。本当の仕事はこれではない。
昼間の勤務が終わってからが、自分にとっての本番なのだ。
そして、その時には郷はいないはず。茜のために頑張るのはそれからだ。
今は何も考えず、ひたすら意識を外に置けばいい。これまでずっとそうしていたように。
辛うじて意識をつないで、ボックスカーのすぐ横まで辿り着く。
だが、眩暈は激しくなるばかりで、思考ノイズの渦が大地の行動を阻んでいった。
「あっ……」大地はバランスを崩して、クルマの横に倒れ込んでしまっていた。
「お、おい?」慌てて警備員が駆けつけてくる。「大丈夫か、彼?」
心配顔で郷に問いかけてくる。
警備員が気にしているのはもちろん大地についてではなく、自分の勤務中に問題を起こされたくないということだけだった。
すいませんねと謝りながらも郷は大地を見下ろして舌打ちをする。
「チッ、役立たずが」
そしてシャツの襟を強引に掴むと、大地を乱暴に荷物の脇へと放り込むのだった。
「郷っ! もう少し優しくして……」
「るせえ――ッ!!」
茜の抗議をまたしても一蹴すると、郷は助手席につく。そして、無意識に量子デバイスを外そうとしていた大地に、またしても声を荒げるのだった。
「なに無断で外そうとしてんだ、ゴルァッ!!」
「(……なんでここまで――!?)」
そう思いながら大地の意識が遠のいていく。
郷の苛烈な言葉が続いていく中、大地は気を失ってしまっていた。
夕方、通常勤務が終わった後でいよいよ本業が始まる。
意識を取り戻した大地は、デバイスに慣れてきているのか随分と眩暈も軽くなっていた。
「大丈夫?」
心配顔の茜には透明な笑みで応じる。
これからが本当の仕事。自分にそう言い聞かせながら、大地は限られた者しか入ることを許されないスペースへと進む。昨日来た、体育館のような場所だ。
既にトレーニングを開始しているメンバーが何人もいた。
マシンを使って筋トレに励む者。
中央のスペースで近接格闘の訓練をしている者。
量子デバイスを起動させて量子魔法のシミュレーションに集中している者。
茜は彼らを“同志”と呼んでいた。
官僚貴族を一人ずつ暗殺することで、この歪んだ社会の変革をもたらそうとする者たちだ。
政府側の印象操作と報道制限によって、暗殺者集団“ノース・リベリオン”の存在は広く知られてはいない。だが、少しずつではあるがネット上で彼らは認知されつつあり、支持者、賛同者が増えつつあった。
その勢いを本物にするためには、着実に実績を上げていかなければならない。
つまり、人殺しを続けていくということだ。
大地は気を引き締め直す。
量子デバイス酔いのせいで昼の仕事は不甲斐ないものだったが、ここからは頑張らないと。
まずは一日でも早く“戦力”となって、茜を支えるのだ。
自分の能力がどこまでのものなのか、はっきりとは分かっていない。
でも昨日の感じだと、茜に期待されているということだけは明確に伝わってきていた。
「あ……」
昨日と同様に、胡散臭いスーツを身に纏った霞治郎社長が、足取りも軽く訓練スペースに入ってきていた。
やけに浮かれた感じだった。
そんな社長の様子に対して、メンバーたちの表情は一様に険しい。
言いようもないギスギスした空気が場を満たしていた。
それは、他人にまったく興味を持とうとしない大地ですら伝わってしまうほど強烈な感情だった。
「ミンナ集合ォオオオオオ!」
社長が甲高い声を張り上げると、メンバーたちは訓練を中断してゾロゾロと集まってきた。
総勢二十人といったところだ。
室内にいる全員が集合したのを認めると、社長は軽いステップでくるりと身を翻し、大地の背後に立ってその両肩をグッと掴む。
大地はなんとも奇妙な掌の触覚に思わず顔を歪めそうになっていた。
「新人サンの紹介だよォオオオオオ!」
満足げにそう大声を出す。
「第四十四互恵ハウスが放つ、第二弾ァ――ン!」
言いかけてから、何故か茜に視線を向ける。
「……」
何かを言いかけて半開きのままという社長の口元。
ハッと気づいた茜は小声で社長の耳元に大地の名前を囁いた。
「……と、ソウソウ!」
そこで仕切り直しとばかりに社長はニッと笑った。
「瞬殺の“世界線”こと、赤羽大地クンだよォオオオオオオオ!」
瞬間、周囲が言いようのない反応を見せる。
最初それは困惑であったが、すぐに不信感に近い負の感情に変わる。
社長はそんなリアクションをまったく気にもせず、甲高い声で続けていった。
「カレには二週間後に
言いながら一人パチパチと拍手をする。
「茜クンの六週間って記録を大幅に更新! サッスガ、第四十四互恵ハウスですネ!」
決め台詞のようにポーズを取ると、社長はニヤニヤと笑いながら周囲を見回す。
「ってことで、カレのトレーニング、ヨロシクネ!」
社長が指差したのは銀色の短髪、引き締まった細マッチョ体型。
「えっ――ッ!!」
大地は思わず声を上げずにはいられなかった。
社長のやたら細長い人差し指が指し示すその先。憮然と腕組みしているのは、態度を豹変させて自分にやたら辛く当たってくる細マッチョの先輩。
狂犬という形容そのものの元ヤン、桐丘郷だった。
それが、よりによって大地の指導担当だという。
社長が小躍りしながら立ち去るのを見届けると、郷は一気に表情を険しくしていった。
「チンタラやってたらブゥ殺すからなッ!」
軍隊の鬼軍曹さながらに、容赦ない怒声が投げつけられる。
「ちょっと、郷?」
「だぁってろッ!!」
抗議しようとする茜をまたしてもはね除け、座った眼をして大地に凄む。
「返事は――ッ!」
思い切り顔を近づけて威嚇する。
「へ・ん・じ・は――ッ!?」
新兵をイビリ倒す鬼軍曹そのものだった。
「は……い……」
蚊の鳴くような小声の返事に、郷はわざとらしく耳に手を当てる。
「はぁあ? ゼ・ン・ゼ・ン・聞こえねえんだよ――ッ!」
あらん限りの声で怒鳴り散らす。指導というよりははっきりとした恫喝だった。
大地は辛うじて頷くのが精一杯。
おまけに頭を動かした衝撃で、眩暈が激しくなるのだった。
郷の課してきた訓練は、今の大地にとって過酷の一言だった。
ハイペースのランニングと負荷ギリギリの筋トレ。
元から体力に自信のない大地には異次元とも言える運動量だ。
しかもすぐ脇では郷が眼を光らせていて、少しでも気を抜くと容赦ない叱責が飛んでくる。
テレビの映画で観た、軍隊の新人訓練を彷彿とさせる激烈なメニューだ。
おまけに、随分ラクになったとはいえ、量子デバイスの影響で眩暈が止まらない。
「新入り、なんだその不抜けた走りは!?」
「おい役立たずッ! それしか持ち上げられねえのか!?」
「誰が休んでいいと言ったッ! アアン!?」
少しでもヘタレかけると耳元で郷の怒声が襲いかかる。
圧倒的な凶暴さを剥き出しにした、まるでイジメとしか思えない郷のしごき。
あたかも最初から大地を追い出そうとするかのような陰惨さだ。
大地の体力がないのを分かった上での苛烈なメニューがいつまでも続いていった。
「アルファたちのことは、一言もナシかよ!?」
そんな言葉が遠くで聞こえた気もしたが、大地にその意味を把握することはできなかった。
* * * * * * * *
「ったく、ひでえよな」大地はうつぶせになって呟いた。「なんなんだよ、あの桐丘って人?」
ぐったりと床に身を投げ出すと、大地は大げさに溜息をついた。
「最初はいい人そうだって思ったんだけどなあ」
自室に戻った大地は、そこでようやく誰にも見せない本音を洩らす。
「それとも……」
大地は床を転がって仰向けになり、何もない天井を見つめた。
「あの人、オレと茜姉ぇが肩組んでるのを見た瞬間から、態度コロッと変わったもんな。もしかして?」
ふいに浮かんだ考えに、大地はハッとした表情を浮かべていた。
「あの人、もしかして嫉妬してるのかな? ……でも、もっと気になるのは茜姉ぇなんだよな」
大地は教えを請うような眼を横に向けていた。
「茜姉ぇも茜姉ぇで、オレのこと守ってくれないし。先輩だからって気を遣うような茜姉ぇじゃないから、ってことは、もしかして――ッ!?」
大地は懸命に頭を振る。
「でも、茜姉ぇだって女だし。誰か好きな男がいても、ゼンゼン不思議じゃないもんな」
大地は半身を起こして唇をすぼめる。そして違う違うと手を横に振る。
「あ、でも、だからってオレのやることに、変わりはないから。……オレは、茜姉ぇの役に立つんだ。それで、舞を迎える準備をするんだ。舞が会社に入ってきても、なにひとつ困ることがないように、ちゃんとしてなくっちゃ」
それからうんうんと頷き、大地は再び仰向けになった。
「もう疲れたから、寝るよ。じゃあ、おやすみ……。また明日な!」
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