第3話 公安の少女

 千代田特別区ディストリクト

 皇居およびその周辺の一等地から成るこの特別区は、立法・行政・司法の中心地を擁する、都内でも特別な行政区である。

 旧千代田区がそうであったように、潤沢に過ぎる予算を持つこの行政区は、整備・開発が他の行政区に比べて格段に進んでいる。

 防犯カメラは狭い路地の裏まで完璧に網羅し、警官代わりのオートマタは潤沢に配備されていて、歩行者が少し大声を出すだけで異常を感知して即座に駆け寄ってくる。そのオートマタのバックアップ要員も過剰とも言える人数が配置されていて、いざとなればマニュアル操作に切り替えて通行人のトラブルに対処してくれる。

 また豊富な財源故に医療・介護においても高いレベルの行政サービスが提供されている。

 もっとも安全であり、弱者に優しい街である。

 

 だがここに住むためのハードルはあまりにも高い。

 まず住宅の戸数が極端に少ない。

 これはこのエリアの土地の扱いにいくつもの規制が課せられ、実質的に民間企業によるマンション等の建設が阻まれているからである。

 少ないパイの奪い合いになった結果、ディストリクトのマンションは異常なまでの高値となり、結果的に超のつく金持ちばかりが住まうようになっていった。

 一方でこの行政区にはいわゆる金持ちでない層も住んでいる。人口比で言えば一部とはいえ、彼らは整備され尽くした都心の一等地に無料、もしくは無料同然で住まい、それどころか電気・水道・ガスといった光熱費も実費の七割が補助されている。

 地位によっては駐車場も子供のお小遣い程度の金額で借りることが可能だ。

 彼らが住まうのは官舎、つまり公務員住宅である。

 多くの官舎は一見すると旧式のマンションを思わせるみすぼらしい外観をしている。目立たない場所に○○住宅という小さい標識がつけられているだけで、事情を知らない人間にはそれが官舎であることはまず分からないようになっている。

 ほとんどが見かけ通りに築年数の古い“旧式”な造りであるが、内部は完璧なリノベーションがなされていて、住んでいる分には不便さを感じることはまずない。


 千代田特別区立麹町中央中学校。

 官舎にその周囲を囲まれた公立校だ。

 敷地内には併設された小学校と保育園があり、“区立”ながら一貫校の趣を持っている。

 文部科学省によって研究実証校と位置づけられているため、各学年の定員数は極端に少ない。

 そのため、この学校を囲む官舎の子供たちだけでほぼ募集枠が埋まってしまう。

 指定された学区内には民間の超高級マンションが一棟だけあるが、そこに住む子供たちはたいてい私立のブランド校に入るので、実質的に公務員の子弟専用校となっている。

 在校生の多くは基本的に同じ敷地内にある保育園、小学校、中学校と進学していく。途中、親の異動で地方や外国へ移ることもあるが、何年かすれば戻ってくる。校内は幼馴染みばかりという環境だ。ほぼ全員が公務員の子供ということもあって、ここでは親の地位が子供たちのカーストに大きく影響している。


「あ、あの……高島……さん?」

 卒業式。

 勇気を出して自分に声をかけてきてくれた同級生に対して、少女は冷め切った視線を返す。

 相手を人ではなくモノとして見るような、対峙する者の背中を凍りつかせる瞳だ。

 背は標準より少し高めの、スリムな体型。

 生真面目さを絵に描いたような、ザ・優等生という雰囲気の持主でもある。

 実際、制服姿はというと真面目そのものといった教師推奨の膝丈スカート。

 学校指定のカバンにはアクセサリーの一つもつけていない遊びのなさ。

 艶やかな黒髪はポニーテールにしてあり、腰まで伸びる長さだ。

 神がその手で創ったと錯覚するほどの整いすぎた造形。

 美しい少女である。

 すっとした輪郭、筋の通った形のいい鼻、そして深遠さを感じさせる漆黒の瞳。

 黙っているだけでも異性はおろか同性の視線さえ釘付けにするほどの美貌。

 だが、少女は人の接近を徹底的に拒絶する空気を纏っていた。

 そして、強烈に違和感を発しているのは長い髪を留める真っ赤な細身のリボン。

 真面目にすぎる格好とはまるで対極にある、眼にも眩しい赤だ。


「あ、あの……、高校……一緒だよ……ね? 都立永田町……」

 しどろもどろになりながらも懸命に話しかけてくる同級生に対して、彼女は能面のような表情を崩さず、またひと言も発しない。

「よ、よかったら、メアドとか……教えて? これから一緒なんだし」

 もじもじと言いながら情報端末を取りだし、連絡先を交換しようとしてくる。

 そんないじらしいクラスメートに、少女は素っ気なく言い放つのだった。

「あなたに用はないから」

 話はそれまでとばかりに踵を返し、早足で歩き出す。

「ちょっ、そういう言いかたって、ないんじゃない!?」

 見かねた他の生徒が抗議の声を上げるものの、少女はまるで取り合おうとしない。

 背中に響く大声を完璧に無視したまま、しっかりとした歩調をそのままに、同級生たちを後にしていく。


* * * * * * * *


「あら、相変わらず野暮ったい格好ね?」

 地味なカーディガン、学校の制服と見分けの付かない白いブラウス、垢抜けないフォルムの中途半端に長いスカート。

 せっかくの美形が台無しとばかりに、女科学者は大袈裟な溜息をついた。

「もうすぐ高校生なんだから、少しはお洒落に気を遣ったらどうなの、高島ちゃん?」

「先生には関係のないことです」少女は憮然と言い返した。

「そういえば、今日って卒業式だったわよね?」

「はい」

「いちおう、おめでとうとは言っておくわ」

 少女は形式的とばかりに頭を下げた。

「それで、友だちはできたの?」

「不要ですから」

 即答する少女に、女科学者はやれやれと肩を竦めた。

「相変わらずね。で、やっぱり決意は変わらないわけ?」

「変わりようがありません」

 予期していたとはいえ、その迷いのない返事に女科学者は深い溜息をついた。

「あなたを公安に差し出すのは業腹この上ないけど、本人の希望なら、仕方ないか」

「……」

 無言で応じる少女に「まったくと」文句を言いながらも、女はキーボードへ手を伸ばした。

「せっかく見つけたフォアヘッド型適応者を危険に晒すなんて、考えただけでもおぞましいったらないわ」

 そんな小言を聞きながら、少女は表情を引き締めていく。

「そんなに社会貢献ポイントがほしいの?」

 女の質問に、今度はしっかりと頷いた。

「国立第一大学に入るには、社会貢献ポイントが足りませんから」

「やっぱり、財務官僚になりたいんだ?」

 毅然と首肯する少女。

「それ以外に選択肢はないですから」

 議論の余地はないと断言しているかのような、確固とした受け答え。

 なぜ十五歳の少女がここまで頑なになるのかと嘆息しながら、女科学者は研究室の隅にある箱を指さした。

「それがあなたの装備よ。動作を確認するから着替えて」


「先生、このかっこうはちょっと……」

 着替えを終えてきた少女が、言葉を詰まらせる。

 その全身を包んでいるのは純白のボディスーツ。それも身体の凹凸がはっきりと浮き出てしまうほど密着したものだ。

 十五歳の少女にとって、恥ずかし過ぎる装備であった。

「あら、いいじゃないの、若々しくて?」先生と呼ばれた女がニヤニヤと笑う。「私からしたら、羨ましいくらいよ」

 銀縁のメガネに濃い顔つき。

 肩に羽織った白衣の下は縦縞のセーターと、研究所という場所にはあまりにもそぐわないタイトのミニスカート。それもガーターストラップが浮き出て見える扇情的な格好。

 迫力あるボディと男好きする顔立ちの持主だ。

 むしろ夜の蝶という表現が相応しいその女は、なまめかしく厚い唇を舐め回した。

「心配することなんて、ないんだから」言いながらその巨大な双丘を揺らす。「大人になればちゃんと成長するものよ」

 敢えてそのサイズを強調するかのように胸を張る。

 そんな女科学者を、少女は半眼で睨んでいた。

「ウソついていませんか?」

 女科学者はわざとらしく肩を竦ませるが、でも、と反論する。

「そのボディスーツは量子魔法の発動とブーストを補助するためのものなんだから、文句言わないの!」

 そんな説得を受けながらも、少女は尚も半眼のまま。

「このデザイン、先生の趣味ですよね?」

 誇張しても“控えめ”という程度の胸部を両手で庇うように、抗議の眼を向ける。

 女科学者はイタズラがばれたように舌を出し、少女は諦めたように溜息を一つ。

「最後の確認よ」女科学者はそこで表情を一変させて声を低くした。「これは文字通り命懸けの任務。相手も本気であなたを殺しにくるはず。だから――」

「はい」少女も瞬時に生真面目な顔つきに戻る。

「だから、安全が最優先。少しでも危ないと感じたら、迷わないで逃げるのよ」

「わかりました、先生」

 凛とした瞳でまっすぐに女科学者を見つめる。

 優等生然とした生真面目な美少女が、これ以上なく表情を引き締めていた。

「行ってきます」

 やがて“ホワイト・メア=純白の鬼神”と呼ばれることになるその少女は、その日から公安量子魔法迎撃部隊=QCFへ配属されていった。

 本来であるならば十八歳未満の者は規定のため部隊への配属が禁止されていた。

 しかし特例を出してでも当局は十五歳の彼女を採用せざるを得なかった。

 公安は、それほどまでに量子魔法使いの絶対数が不足していたのだった。

 暗殺行為によって官僚たちのかなりの数が殺害されていた。

 公安の部隊がタイミング良く現場に間に合ったとしても、量子魔法対決では負けてばかりというありさま。

 量子デバイスの適正値が極めて高い彼女に白羽の矢が立ったのは、ある意味必然と言えた。

 そしてそれは、少女にとって千載一遇のチャンスでもあるのだ。

 

 キャリア官僚になる。それも省庁の中の省庁ともいえる財務省だ。

 目指すは本流の主計局。

 キャリアとして入省さえしてしまえば、父親の後ろ盾も期待できる。

 事務次官になるのはさすがに難しいだろう。しかし、審議官くらいは狙えるはずだ。

 少なくとも自分の知性と努力を厭わない性質があれば、出世は期待できる。

 そして千代田特別区ディストリクトの高級官舎に住む。

 下民には望むことすらできない贅沢な暮らしが待っているのだ。

 生活に必要な費用のほとんどは国が支払ってくれるので給与はほとんど贅沢に回すことができる。

 退官後は高額給与の天下り先が待っているから、貯金なんてしなくてもいい。

 老後は毎日のように高級レストランで舌鼓を打ち、気が向けば海外旅行にだって気軽に行ける。

 まさに貴族そのものの暮らしが手に入るのだ。

 しかし嫡子でない彼女は、キャリア官僚になるためにいくつものハードルを越える必要があった。そのために、自らの身を危険に晒してでも社会貢献ポイントを獲得する必要があるのだ。

 

 少女は暗殺者たちと戦う。

 国立最難関の第一大学へ進学し、エリート官僚=貴族になるために――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る