第30話
そして半年が過ぎ、師走が訪れた。
あれからかすみは屋敷から出ることなく、ずっと一緒に過ごした。
健人さんの主張する〝食事を作るのは執事の責務〟という概念をぶち壊し、かすみはよく手料理を振舞ってくれた。それはおれや健人さんにだけはでなく、時にはマンドレイク全員分の手料理を作ったりした。容姿端麗、良妻賢母なかすみは、マンドレイクの中でのアイドル的存在となり、絶大な支持を得ている。
眠るときは必ずおれの部屋のベッドで共に眠る。握った手を離してくれないので、夜中の尿意は我慢以外の選択肢はなかった。
かすみと一緒にいればいるほど、おれはかすみと離れている時間が不安で仕方がなかった。もはや依存性の高い薬物のような存在となってしまった。
そんなこんなでクリスマスがやってきて、かすみは手作りのクッキーをおれや健人さん、マンドレイクのメンバーに渡して回っていた。健人さんは気を使っておれたちを二人きりにしてくれ、かすみが作る料理に舌鼓を打った。
「今年は屋敷から出られなかったから、プレゼント交換できなかったね」
そう呟いたかすみに、おれはこれ見よがしにニヤリと不敵な笑みを浮かべ、背もたれと背中の間からラッピングされた大きな封筒くらいのプレゼントを手渡した。
「えぇ? なになに? もらっちゃっていいの?」
好奇心を顔いっぱいに広げ、ラッピングを剥がす。中身は淡いピンク色のフリルのついたエプロンだ。そのエプロンを広げ、体に合わすかすみ。
「絶対にかすみに似合うと思ったんだけど、想像以上に似合ってるよ」
「ありがとうっ。とっても嬉しいっ。でも私は何も凛太くんにプレゼントしてないのは不公平だよね」
「なに言ってんだよ。こうやって美味しい料理をプレゼントしてくれたじゃないか。対価はもらってるよ」
そう言ってかすみに微笑みかけると、かすみはおれに飛びついた。
「ありがとうっ。凛太くん、大好きだよっ」
「うん、おれも大好きだ」
かすみは目を閉じ、おれの唇に熱い唇を押し当てた。心が熱くなり、ずっとこうしていたいと切に感じた。
そして数日が過ぎ、大晦日がやってきた。おれは明日、記憶がなくなるだろう。そんな、最後の日なのにトイローズによる誘拐事件が起き、出動要請がかかった。
「ねぇ、絶対に零時までに帰ってきてね。そうしたら今年こそ一緒に年を越そう。一緒にいれば、記憶のことをすぐに凛太くんに説明できるでしょ?」
「うん。そうだな。急いで片付けてくるよ。もし、間に合わなかったとしても、焦らないで。おれはかすみのことを何回でも好きになるんだから」
心配そうな顔でおれを見つめるかすみの頭を優しく撫でながら言った。
「ねぇ、凛太くん。これ、持ってて」
かすみは赤色のお守りをおれに手渡した。
「これって、おれとかすみが出会うきっかけになったっていう、かすみのお母さんのお守り? おれが持ってていいの?」
「うん。きっとこれが凛太くんを守ってくれる。そしてまた私たちを引き合わせてくれるから」
「わかった。ありがとう。それじゃぁ行ってくるよ」
軽くキスを交わし、玄関でおれはかすみと別れた。
庭で張り込んでいる護衛班にかすみを守るよう指示をし、正人や郎一郎が待つ作戦現場へと急いだ。
現場に着くとすでに全員が集合しており、おれの到着を待っている状態だった。
リーゼントの作戦を聞き、トイローズが潜伏しているであろう廃ボーリング場を目指した。特に特殊な作戦はなかった。いつも通り、突入し、武器無効化手榴弾で相手の銃器をおさえ、人数と武力で拘束する。あとは人質を解放するのみ。しかしそのとき、最悪な事態が起きた。
オープンにしてあったメンバー全員のナリフィケーサーに健人さんからの着信が入った。
『大変です、かすみさんが何者かによって拐われました。私が地下のワインセラーに行っている間に、護衛班は壊滅させられ、かすみさんをさらったようです』
全身から滲み流れ出る脂汗を、おれは抑えることができなかった。なぜなら後三十分ほどで年が明ける。そうなればおれたちは記憶を失い、かすみが拐われたことも忘れてしまう。なんとかこの三十分以内にかすみを助けださなければ、おれとかすみが再び出会うことはないだろう。
「クレナイ! すぐにかすみさんのナリフィケーサーにコンタクトをとってくれ。もし、かすみさんが意識を失っていたとしても、場所を把握することくらいできるかもしれない」
リーゼントが的確な指示を出した。誘拐犯はおそらくジャミング電波を放っているだろう。遠隔操作でかすみのナリフィケーサーのアンチジャミング機能をオンにすることはできないが、運良く電波の間を縫ってかすみの位置情報を取得できるかもしれない。
「かすみさんの位置情報を取得中、これは……動いてる。奴らは移動中だ。屋敷から五キロ離れた山道を北に向かって移動中」
クレナイの報告を受け、リーゼントが指示をだす。
「ここの後始末は処理班に任せる。それ以外の者はおれに続け。って、凛太! 単独行動を取るな!」
おれは無意識のうちに走り出していた。走って間に合うはずなんてないのはわかっていた。それでも走りださずにはいられなかった。繁華街を駆け抜け、屋敷を通りすぎ、山道の入り口に差し掛かったところでおれは足を取られ盛大に転んだ。息が上がって体に力が入らない。しかしこうしてる間にもかすみとの距離は離れてゆく。諦めるわけにはいかなかった。なにがあったって、どんな大きな壁がおれの前に立ちはだかろうが、諦めるという選択肢はなかった。
「まっ、待ってろよかすみ。おれが絶対にかすみを助けるからな」
そう呟きながら、震える体に鞭を打ち立ち上がろうとしたとき、バイクのヘッドライトがおれを照らしたかと思うと、おれの体は浮き上がり、いつのまにかバイクの後ろに座っていた。
「まったく、無茶ばかりする人だな、凛太は。まぁわからなくもないけど」
どこで盗んだのか、黒い大きなスポーツバイクを運転しながら郎一郎がにっこりと微笑みかけた。
「た、助かった、すまない。恩にきるよ」
「今やかすみさんは僕たちのアイドルだからね。みんな諦めるなんて、選択肢の中にすら入ってないのさ。それより時間がない。飛ばすからしっかりつかまってるんだよ」
郎一郎はそう言って、アクセルをぐいっと回し、流れる景色がただの線に見えるほどのスピードで、グネグネと曲がる山道を巧みな運転技術で切り抜ける。
『かすみさんの現在位置を報告する。凛太と郎一郎の位置から四キロ離れた山道を移動中。二キロ先の二差路を左に曲がれ』
クレナイからの報告を受け、さらに加速して先を急いだ。二差路を左に曲がりさらに先に進む。残り時間は後わずかだが、なんとか間に合う可能性はある。残り時間はあと五分。
「凛太、もしかしてあの車じゃないか?」
目の前には黒塗りのワンボックスカーが走っている。クレナイに確認したところ、この車で間違いないとのことだ。
しかし、運転手はおれたちに気がついたようで、どんどんと速度を上げる。それをおれたちは必死に追いかけた。なんとか車を止まらせる方法を考えたが、焦燥感が正常な思考力を押さえつけて頭が回らない。ただ、かすみの姿が走馬灯のように頭の中に映し出されていた。怒鳴りつけてしまったときの哀しげな顔、おれが初めてかすみの名を呼んだときの目を見開いて涙を流す顔、おれの胸の上で安心しきった表情で眠るかすみの顔。プレゼントをあげたときの嬉しそうな顔、そしておれをあたたかく包み込むような優しい笑顔。
「かすみぃー!」
おれは叫んだ。叫ぶことしかできなかったので、叫ぶしかなかった。そして時刻は零時になり、大きなノイズが山道を分断し、砂嵐が煙のように湧き上がる。
「凛太、すまない。間に合わなかったよ」
郎一郎がそう言った瞬間、思考が止まった。
そして気がつけば、おれたちは山道の脇で倒れていた。
「おい、郎一郎。大丈夫か? 起きろ」
郎一郎の背中を揺さぶると、ゆっくりと目を開け、起き上がった。
「郎一郎、おれたちこんなところでなにしてたんだっけ?」
「なにしてたんだっけ? 思い出せない。とりあえずクレナイに繋いでみよう」
郎一郎は焦った様子を見せるわけでもなく、冷静にクレナイに回線をつなげた。ナリフィケーサー経由でおれの脳内にもクレナイの声が聞こえる。
フェイク・リアルム 大園らくむ @juce
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