第27話

 大急ぎで門の近くまで走り、何が起こっているのかを確かめようとした。二人の大男の間には例の女がおり、一人の男に腕を掴まれ持ち上げられていた。

 苦痛に顔を歪めている彼女の表情を見た瞬間、記憶にないはずの光景が頭の中に閃光と共に映し出された。

 大勢の男に囲まれた水着姿の彼女が……。

「かすみに触んなぁ!」

 無意識にそう叫び、おれは門によじ登り飛び降りた。。三メートル以上の高さから降下する速度におれの体重が加わり、大男の頭頂部を足で叩きつけることにより、大男は声を発することなく地面に倒れこんだ。

 彼女の腕を掴み持ち上げている男に振り返り、そのまっすぐに伸ばされた腕の肘関節を外側から内側に向かって蹴りつける。予想ではこれで骨が外れるはずだったが、想像以上に頑丈な骨だった。折れることはなかったが、衝撃で彼女をつかんでいた手の平が開き、彼女は地面に崩れ落ちた。その瞬間、門が少しだけ開き、おれは彼女を抱きかかえ門の中へと入った。

 門はすぐに閉ざされ、健人さんが門の前に立ちはだかり口を開いた。

「政府の関係者の方々とお見受けいたしますが、川津家の客人に何か御用でございましょうか? 一方的な暴力を禁止した政府側の人間が、か弱い女性に一方的な暴力をどのようなお考えでなさっているのでしょうか? 川津家執事及び次期当主相談役として、これは統治政府からの宣戦布告と理解してよろしいのでしょうか?」

 落ち着き払った様子で健人さんがそう言った途端、大男は倒れたもう一人の男を担ぎ、無言でその場を去った。

 そしておれは今、自分が自分のストーカーを救出してしまったことに気がつき、彼女方へ目をやった。すると彼女は目を大きく見開き、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、まるで明媚な日の出を見るかのようにおれの顔をじっと見つめていた。

「あのっ、そ、その……怪我はしてない……か?」

 彼女から目をそらし、頬を指で掻きながらそう訊いた。

「凛太くん……さっき、言ったよね? 確かに言ったよね? 海で私を助けに来てくれたときとおんなじことを」

 おれには彼女が何を言っているのかを理解することできなかった。すると健人さんがおれに近づき口を開いた。

「確かに〝かすみに触んな〟と叫びましたね? あれはなぜ?」

 そう言われて思い出した。おれは確かにそう叫んだ。

「ほんとだ。おれはなんで? そうだ! あのとき見たこともないはずの光景が頭に浮かんだんだ。大勢の男に囲まれた水着姿のこの人を」

 すると彼女が突然おれの両手を掴み、さらに涙を頬に伝わせ、笑顔で言った。

「凛太くん! 思い出してくれたんだね? 一年目の記憶を?」

「いや、思い出したとかじゃなくて、ふっと浮かんだんだ」

「それはね、私たちが付き合った最初の夏に、海で拉致された私を凛太くんと須藤くんが助けてくれたときの記憶だよ。嬉しい……それが断片だったとしても、少しでも過去の出来事を思い出してくれたことが、私すっごく嬉しいの」

 とても優しい笑顔でそう言った。いつもおれを遠くから眺めているときの奇妙な薄ら笑いではなく、満面の彼女の笑みに吸い込まれそうになった。

 ふと、おれの手を包み込む彼女の指にはめられた指輪に目がいった。それはおれがはめている指輪と寸分違わぬ物のように見えた。

「その指輪って……もしかして」

「うん。そうだよっ。これは凛太くんからの初めてのクリスマスプレゼント。私の大切な宝物っ」

「その紙袋は?」

 おれは彼女の腕に下げられた紙袋が気になった。

「これは、凛太くんが元気ないって聞いて、少しでも元気になってもらおうと思って、凛太くんが大好きだったハンバーグを焼いてきたの。でも、さっきの男の人たちのせいでぐちゃぐちゃになっちゃった。ごめんね、また新しいの作ってくるからねっ」

 全てを包み込むような優しい表情で、少し首を傾けながら言った彼女を見て、おれは突然溢れてくる涙をこらえることができなかった。

「ごめんなさい。おれはあなたを傷つけた。何にも悪くないあなたを怒鳴りつけてしまった。そのことであなたの心を壊してしまった。あなたが言っていることは本当なんだと、今理解した。だからこそ、どんなに心細かったんだろう、どんなに悲しかったんだろうって想像しただけで、胸が苦しくなる。そんな辛い思いをしてる人に、あんな怒鳴り方をしてしまった。きっと、とてつもない悲しみと恐怖をあなたに与えてしまった。なのに、なのにぃ……あなたはおれを励まそうと、元気付けようとしてくれてる。ごめんなさいぃ~。傷つけてしまって。ごめんなさい~、記憶を失くしてしまって」

 まるで親に許しを請うかのように泣きながら謝った。彼女の孤独と悲愴と恐怖と不安がなぜかおれの中に流れ込んできたかのように、彼女が悲しみ、傷つく姿が頭の中に映し出される。

 すると彼女はおれをきつく抱きしめた。

「いいんだよ。いいんだよ、私は凛太くんよりお姉さんなんだから、もっとしっかりしなきゃいけなかった。私の取った行動が凛太くんを苦しめていることはわかってたの。でもそうすることだけが今私にできることだって、変なふうに感じちゃってた。自分の心が壊れていくのもわかってた。でも、私は自分に打ち勝とうとしなかったんだね。でも、さっき凛太くんが私の名前を呼んでくれた。そのときに目が覚めたの。私は凛太くんを追い回すために凛太くんを探してたわけじゃないって。私は凛太くんに名前を読んでもらいたかったんだ。ありがとう、そしてごめんね。変なことしちゃって。だから、これでチャラにしよう。それと、私のことはちゃんとかすみって呼んでね」

 彼女の髪から漂う甘く優しい香りに顔を埋め、おれは肩を震わせながら何度も彼女の名前を呼んだ。おれが名前を呼ぶたびに、優しい口調で「そうだよ」と返答してくれた。

 おれは彼女が持つ紙袋におもむろに手を入れ、クチャグチャに崩れたハンバーグを握りしめ、口に頬張った。まだほんのりと温かいそのハンバーグから、彼女のおれに対する想いが口の中に広がり、「美味しいよ」と言いながらまた泣いてしまった。

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