第28話

「さて、かすみさん。中へお入りください。そして凛太おぼっちゃまに二人の思い出を聞かせてあげてください」

 おれが泣き止んだ頃合いを見計らって健人さんが言った。

 おれたちは健人さんに促されるままダイニングルームへと移動し、健人さんが淹れるアールグレイを啜りながら、楽しそうに思い出を語るかすみの話に聞き入った。

「それでおれがそのレンって娘を助け出したんだ。へぇ~、会ってみたいな。あっ、でもその娘にもおれの記憶がないんだったな」

「そうだね。でも、すぐに打ち解けられるはずだよ。去年だって、あの凛太くんが吃らずにレンと普通に会話できるようになってたから」

 確かにおれは女性と話すのは苦手だ。でも今彼女を目の前にして、おれは普通に話せている。きっとおれの中に散りばめられたかすみとの記憶が蓄積して、彼女に対する拒絶反応が抑えられているのだろう。

「それにしても、さっきの統治政府の者はなんだったのでしょう。なぜ、かすみさんに手を出したのか? かすみさん、何か心当たりはおありですか?」

 顎に手を据えて、悩ましい表情で健人さんが言った。

「いえ、ありませんし、あの人たちと会ったことすらありません。門の前にいたら後ろから急に現れて……」

「うむ、政府が一般人に手を出すなんて本来は考えられません。それもあれはおそらく統治代表専任のSPのうちの二人です。胸に徽章がありました。理由はわかりませんが、かすみさんは狙われています。凛太おぼっちゃま、かすみさんを当屋敷でかくまい、剛二郎様に申告して正式にマンドレイクをかすみさん護衛部隊としての配属を要求するべきです」

「うん、そうだね。おれ一人で毎回あんな大男を相手するのは無理だ。早急に手を打とう」

 おれは立ち上がり、BIMで親父に連絡をしようとしたとき、かすみが口を開いた。

「あの、凛太くんはその、何をしてるの? あのときも戦闘服みたいなのを着てたし」

「あぁ、おれは今までそのことをかすみに話してなかったんだな。まぁ、おれもこんな状況じゃなかったら話してなかったと思う。おれの親父がデミゴット社の社長だってことは知ってるだろ? でもデミゴッドって実は裏社会を牛耳っている闇組織でもあるんだ。その組織内にマンドレイクっていう小さな組織があって、おれはその組織のリーダーなんだ。トイローズのことは知ってるだろ? 海でかすみをさらったのも、レンを拉致したのも、おそらくトイローズの仕業なんだ。マンドレイクはデミゴッドが敵対するトイローズを潰すために存在してる。デミゴッドは表向きには統治代表を支持してるんだけど、闇組織としては疑っている。アメリカやロシア、その他の国があんなにあっさりと統治を受け入れただなんて普通に考えるとおかしな話なんだ。きっと何かを隠してる。それを探るのもおれたちの仕事だ。だから、親父に統治政府の奇行を伝えれば、きっとすぐにマンドレイクをかすみの護衛部隊として回してくれるはず。だから心配しないで」

 おれの話を聞いたかすみは、目をまん丸にして驚いている。

「そう……だったんだ。じゃぁ、ヘビとヤモリは嘘だったんだね? よかったっ」

「へ? ヘビとヤモリ?」

「ううん、なんでもない」

 おれは首を傾げながら通話アプリで親父に繋いだ。

 さっきの事件の詳細を伝えると、親父はすぐにおれの要求を許諾した。これでかすみの安全は確保できるだろう。

「これで一安心ですね。明日、マンドレイクを屋敷に召集しましょう。今日は色々とお疲れになったでしょう。かすみさんのお部屋を用意いたしましたので、今日はもうお休みになってください」

 ティーカップをワゴンに乗せながら健人さんが言った。

 ふと時計に目をやると、もう零時を回っていた。

 健人さんはかすみを部屋へと案内し、おれも自室へ戻り寝支度をする。セミダブルの大きめのベッドに仰向けに寝そべったおれは、かすみが見せた優しい笑顔を思い浮かべ、胸が高鳴るのを感じた。

 すると扉をノックする音が聞こえ、かすみが部屋に入ってきた。

「凛太くん……その、私、凛太くんと一緒に寝てもいい?」

 少し恥ずかしそうに頬を赤らめ、モジモジと体を揺らしながらそう言ったかすみを、おれは抱きしめたい衝動に駆られたが、ぐっと押し堪えた。

「えっとぉ、おれは今までかすみと一緒に寝てたの……かな?」

「うーんと、そのっ、初めてだよ……」

 おれはしばらく考えたが、断る理由が見つからなかった。

「うん、いいよ。ベッドも広いし」

 おれはタオルケットをまくり、かすみが入れるスペースを作った。そこにかすみがそっと潜り込み、かすみの髪から漂う花のような香りが舞った。

 しばらく無言で天井のシミを見つめていたが、かすみがそっとおれの胸の上に頭を置いた。

「凛太くんの匂いがする。すっごく落ち着くなぁ。私、やっと帰ってこられたんだね、凛太くんの側に。ずっとずっと待ち望んでた。こうやって二人きりで、凛太くんに寄り添って眠る日を。やっと、やっと……」

 まるで独り言のようにそう呟いたかすみが、とても健気で、愛おしく感じた。そしておれは実感していた。何度記憶がなくなっても、おれはかすみのことが好きだということを。

「ありがとうな、かすみ。おれを追いかけてきてくれて。おれ、何度記憶がなくなっても、何度でもかすみに恋するんだ。だからもしまたおれの記憶がなくなっても、焦らないで。おれは絶対にかすみの元に帰ってくるから。ずっと、ずーっと一緒だからな。……好きだよ」

 かすみの頭を優しく撫でながらそう言ったおれの言葉をどこまで聞いていたのかわからないが、かすみは安心しきった様子で寝息を立てていた。

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