第24話

 翌日、私は街の広場で流れる人波を注視していた。凛太くんの家の場所を知らない私は、改めて自分が彼について知らないことだらけだということを痛感している。

 凛太くんは見ず知らずの私に声をかけてくれた。それも二度も。今度は私から声をかける。あのあたたかい笑顔を取り戻すために。

 そうやって時間が流れ、夜になり、行き交う人の数も徐々に減っていった。朝からずっと立ち続け、食事も摂っていなかった私はさすがに疲れ切ってしまい、帰宅することにした。

 電気もつけず、月明かりのさす青白い部屋で簡素な夕食を摂る。昨日まで向かいの席に座って私に微笑みかけてくれていた彼の幻影を追いながら。

 そうして、次の日も、また次の日も街に出て彼を探した。彼の学校に張り込むことも考えたが、この二年間、まともに通学していなかったことを考えると、街で彼を探す方が効率がいい気がした。

 そして三週間が経ったある日の夜、いつものように彼を待ち疲れ、帰路につこうと歩いていると、公園内の人混みが視界に入った。彼らは皆、同じような戦闘服のようなものを着用し、なにやら会議のようなことをしている。その中心で何かを指示している人物を目にした瞬間、心臓が大きく脈打った。戦闘服姿の凛太くんが、強面の群衆に何かを説いている。彼の隣には須藤くんもいる。私は衝動を抑えることができず、彼の記憶に私がいないことを忘れ、駆け出した。

「凛太くん!」

 一秒でも早く、彼の胸に飛び込みたかった。彼の優しい手で、髪を撫でてもらいたかった。でも、私は凛太くんの胸にたどり着く前に、強面の男たちに取り押さえられてしまった。

「なんだこの女は? 凛太の知り合いか?」

「馬鹿野郎、凛太に女の知り合いがいるはずがねぇじゃね~か」

「ということは、トイローズの間者か?」

 男たちは私を見下し、次々とそのような言葉を発した。

「おい、凛太ぁ。この女は誰だぁ?」

 小太りの金髪の男が凛太くんに問うた。

「はぁ? おれに女のツレがいるわけねーだろ? おい、お前。ナニモンだ?」

 私に投げかけるはずがないような、強圧的な口調で凛太くんがそういった。私は混乱していたのだと思う。凛太くんの記憶のことなんて考えていなかった。ただ自分のエゴのために口を開いた。

「私は旭かすみ。私は凛太くんのことを知ってる。凛太くんが忘れているだけ。お願い、話をさせてっ、去年の、一昨年のことを。これは須藤くんにも聞いてもらいたいの。私は……」

「お前、おれのことだけじゃなく正人のことも知ってんのか? なんで知っている? どこの組織に頼まれた」

 私の話の間を割って、恐ろしく冷血な表情で私を睨みつけて言った。

「そんな……どうして? どうしてそんな怖い顔で私を見るの? あの優しくてあたたかい私の凛太くんはどこに行ってしまったの? 凛太くんはそんな人じゃない。いつだって正義を貫いて、大切な人の大切なものごと守るって、言ってたのに……そんな顔で見られたら、私なにも言えないよぉ」

「お前、なに言ってんだ? 頭おかしいんじゃねぇーか? 言えよ、誰に頼まれた? おれたちのことをどこまで知ってる? 言えっ!」

 声を荒げて私に迫る凛太くんを目の前にして、私の中の何かが徐々に壊れていくのがわかった。

「誰にも頼まれてないっ! これは私の意思。私はただ、凛太くんに笑ってもらいたいだけ。一緒に何かをして、笑ったり、泣いたり、怒ったりして、共有できる思い出を取り戻したいだけっ!」

「なんでそんなことしなきゃいけない? そこに何の意味があんだよ?」

「好きだからっ! 私は凛太くんを愛しているからっ」

 そう言って、私は男たちの手を振りほどき、その場から逃げ出した。

 公園内を走って、走って、さっき凛太くんが私に見せた表情を忘れようと努力した。あの冷酷で鬼のような顔が脳裏に焼き付いて離れない。いつも私に投げかけてくれたいた、柔らかくて、あどけない笑顔の彼と同一人物とは思えなかった。

 そんなことを思いながら、走っていると足がもつれ、石につまずき私は運悪く水たまりに飛び込むような形で転んだ。泥まみれになった体を手で払い、ゆっくりと立ち上がる。膝を擦りむいたようで、血が滲んでいる。空をゆっくりと見上げると満月が白銀に輝きながら嘲笑している。その月にさっきの彼の冷淡な表情が重なった。

 再び地面に崩れ落ち、声をあげて泣いた。泣き叫んだ。初めてのデートのときの凛太くんの素っ頓狂な顔、海でさらわれた私を助けに来てくれたときの勇敢な表情、キスをした後の照れ臭そうな顔、二年目に私のお守りを届けてくれたときの不安そうな顔、レンと一緒に泣いてたときに投げかけてくれたあたたかな表情。そんな彼の顔が次々と頭の中に映し出される。そしてそれらすべての思い出が夢のように感じ、今自分が置かれている立場を拒絶した。受け入れたくないという主張が泣き叫ぶという行為となって現れた。


『かすみ、おれもお前のことが好きだ! 大好きだ。おれはこれから一生かすみを守る。だから、かすみはおれが暴走しようとして、またかすみの心を傷めてしまわないように、おれをとめてくれ!』


 あの日、初めて凛太くんに告白した日。夕焼けの中で凛太くんが言った言葉を思い出した。

「そう、私が凛太くんを止めないと……私が凛太くんを守らないと……私だけの凛太くん……私だけの、大切な、可愛い、可愛い凛太くん」

 自分が壊れていくのが分かっていたけど、今はただ身を委ねることしかできなかった。

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