第21話

 無事レンを助け出し、かすみの家へ届け、朝食を済ましたおれは「着替えてくる」とかすみに告げ、家路を歩いている。そして、さっきの正人との会話を思い返していた。


「いやぁ~、無事レンさんに許してもらえてよかったぜぇ~。おれ、あの後家でずっと凹んでたんだぜ? それにしても凛太に彼女ができてよかったぜぇ、あんな可愛い子とお友達になれたんだからなぁ~」

 鼻の下を伸ばしたまま、正人は嬉しそうにおれに話しかけてきた。そんな正人を見て、さっき感じた違和感を思い出した。

「正人、お前さっき公園の前で話したとき、お前に彼女なんていたか? って言ったよな?」

「あぁ、だっておれは凛太に彼女ができたことなんてしらねぇし、しってるはずもねぇ~だろっ?」

「はぁ? 聞いた話じゃ、おれは去年、海で拉致されたかすみをおれとお前で助けたって。お前、覚えてないのか?」

 正人は真剣に去年の記憶を辿っているようで、少し白目をむいている。そして記憶の探検は終わったようで、浮かない顔で口を開いた。

「いやぁ~、おれは去年海には行ってねぇーんだよなぁ」


 おれは少し寒気を感じていた。

 それは二つの可能性があるということ。

 一つは世界中の人たちが記憶の一部を損失しているということ。だからおれも、かすみも、正人も、去年の記憶が欠けている。

 そしてもう一つの可能性。それは、全て〝かすみの嘘〟だということだ。

 レンは一度置いておいて、かすみ、おれ、正人の記憶の中で、ぶつかり合うところが一つもない。おれはかすみとの思い出が全てない。かすみがいう、海での救出劇の記憶は正人にもない。そもそも正人は海に行っていない。ということは、おれとかすみが付き合っていたことを知っている人物はいない。だから、全てかすみの嘘という可能性があるのだ。

 そして、かすみもレンとの記憶を失っている。

 かすみの記憶の欠落はレントの思い出だけではない。という可能性だってある。

 そんなことを考えていると、もう家についていた。

 思索にふけっていたため、感覚器官が麻痺していたようで、急にセミの甲高い声が耳を指す。まだ朝なのに湿った生ぬるい風が肌を撫で、まるで示し合わせたかのように汗が吹き出した。

 キーパットに暗証番号を入力し、大げさな門が開き、無駄に長い扉までの庭を歩き、扉を開けた。

「おかえりなさいませ、凛太おぼっちゃま。無事、レンさんを救出することができたみたいですね。何よりでございます」

 健人さんの完璧なお辞儀で迎え入れられたおれは、早速レンの救出の詳細を伝えた。もちろん、招集したダチュラプレイヤーが優秀だったこと、クレナイやリーゼント、郎一郎という特筆した戦力の発見、マンドレイク結成のことを詳しく報告した。

「健人さん、一つ気になることがあるんだけど、少し相談に乗ってもらえない?」

「もちろん。私なんかでよろしければ」

 右手を左胸に当て、少しだけ会釈して健人さんが言った。

「かすみのことなんだけど、おれはかすみとの去年の記憶が全てない。記憶喪失になっているらしんだけど、実は正人も去年の記憶がないらしくて、海でさらわれたかすみを助けたことを覚えていない。実はかすみも記憶をなくしていて、自分の親友であるレンに関する記憶がなくなっている。健人さん自身も、おれがかすみと付き合っていたなんてこと、去年のおれから聞いていないでしょ? とすれば、全てがかすみの嘘だったってことにならないかな? 誰もおれとかすみが付き合っていたことを知らないんだ。なのにかすみだけが知っているなんて、おかしくないかな?」

 健人さんは口ひげを捻りながら頷き、口を開いた。

「そうですね。確かに、凛太おぼっちゃまや正人、それに私の記憶がおかしいのではなく、かすみさんの記憶がデタラメという可能性が高いです。実際のところ、かすみさんがレンさんのことを忘れているということが私たちに真実を伝えている。なぜなら、レンさんがそう証言したことによって、かすみさんはレンさんの親友だったことが私たちにはわかります。凛太おぼっちゃま、正人、私の三人の記憶が正常で、レンさんのことを忘れたかすみさんは、全ての記憶が曖昧だと。そう凛太おぼっちゃまは言いたいのですよね?」

「うん。そうなんだ」

「しかしですね、逆に考えてみてください。私たちは、レンさんとかすみさんが友達だったことを証明する第三者に会ってはいない。つまりレンさんにとっては、かすみさんの記憶をなくした凛太おぼっちゃまの立場と、かすみさんの立場は同じだという可能性だってあるんです。だから、かすみさんの証言が嘘だということを立証することができませんね。それに、嘘だったとしたら、凛太おぼっちゃまはどうするつもりだったんですか?」

「それは……」

「かすみさんの証言によると、凛太おぼっちゃまは二度もかすみさんに一目惚れしているということですよね? だったらいいではありませんか。それが嘘であっても、なくても。凛太おぼっちゃまがかすみさんを想い、かすみさんが凛太おぼっちゃまを想う。これ以外に何が必要でしょうか?」

 そう、かすみはおれを信じると言ってくれた。なのに、おれはかすみを一瞬でも疑ってしまった。そのことに気がついたおれは自分に失望してしまった。外見だけでなく、中身も小さな奴だと罵った。恥辱の念に覆われ、自分で自分を殴り飛ばしたくなった。

「凛太おぼっちゃまは、今自分を責めているのでしょう。それでいいんです。人とは支え合って生きてゆくもの。信頼しあったり、逆に疑いあったって、それは一つの関係性なのです。相手を認識するということだって、立派な関係性です。その中でいろんなことを思い、経験することによって人は学び、成長する。きっと凛太おぼっちゃまだけではありませんよ。かすみさんだって、同じようなことを考えた。だからこそ凛太おぼっちゃまを信用するのではないでしょうかね?」

 そう語りかけてくれた健人さんの言葉が恥辱という海に溺れていたおれを救い出してくれた。そうなんだ。疑ってしまったから、その疑ってしまった分、かすみを信じよう。かすみの側にいよう、かすみを守り抜こう。そう思えた。

「うん。おれ、もっといろんなことを経験して、健人さんみたいな立派な人間になれるように努力するよ」

「私が果たして立派な人間かどうかはわかりませんが、凛太おぼっちゃまにならきっと理想にたどり着けるはずです。さて、では早速剛二郎様への報告を済ませましょう」

 ニッコリと優しい笑みを浮かべ、おれの背中に優しく触れたその手から、おれを育て上げてくれた父親としての温もりを感じた。その温もりに後押しされ、かすみを守り抜くという意思が決意へと変わり始めた気がした。

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