第7話

 年が明けた。私は独りソファーに座り、全国各地のお寺や神社の様子が映し出されているテレビを眺めている。除夜の鐘が私の不安を煽るようにスピーカーから鳴り響く。おもむろに立ち上がり、カーテンを開け、外を見た。雪がふわふわと舞っている。

「もうっ、約束したのに。二人で一緒に年を越すって……凛太くんのバカ」

 そう呟いた独り言は、窓ガラスを白く曇らせるだけだった。

 そして時刻は午前一時に差し掛かろうとしていた。私はしびれを切らせ、凛太くんに電話をしようと、思考を通話アプリに繋げ、凛太くんのIDを探す。しかし、おかしなことにIDが見当たらない。見落としたんだろうと、もう一度探したけど、見つからない。履歴の場所にも、メールにも、凛太くんとのやりとり全てが消えていた。

「うそっ」

 思わず出た声をもう一度飲み込むかのように両手で口を覆った。

 相手のIDが消えている。つまり相手が自分のIDを消去した、もしくは相手が絶命したか。相手が死ぬと今までの履歴とIDが削除されるシステムになっている。

 私は精一杯頭を働かせ、何が起きているのかを把握しようとした。凛太くんが私のIDを故意に消すはずがない。となれば……。

「そんなのだめっ、行かないで! 凛太くん」

 防寒をすることも忘れ、私はサンダルを履いて外に飛び出した。

 雪はうっすらと道路を覆っており、肌を切り裂くような寒さが、Tシャツから露出する肌に突き刺さる。大きく息を吸い込み、コンビニまでの一本道を駆け出した。

 コンビニに着くと、まず店員に凛太くんが店に来たかどうかを訊いてみた。

「あのっ、すみません。十一時五十分ごろに金髪の高校一年生くらいの男の子は来ませんでしたか? 背丈はこれくらいです」

 自分のこめかみくらいの位置で右手のひらをあて、説明した。

「いやぁ、僕は十時からシフト入ってて、ずっとレジ打ちしてたけど……金髪の高校生なんて来なかったよ」

 ということは凛太くんはコンビニへは行かず、別のところへ向かったことになる。私は「ありがとうございます」とだけ言い残し、店を後にした。

 凛太くんが行きそうな場所に心当たりはない。家に帰っている可能性はないことはないけど、残念ながら私は彼の住居の場所を知らない。それに、IDが私の脳内から消えているということは、絶命した可能性があるということ。となると、犯人はおそらくダチュラのメンバー。私が行ってどうこうなる問題じゃない。となれば! 

 ここから一番近い交番まで全力で走った。肩で息をしながら飛び込んで来た私を、警官たちは立ち上がり「どうされたんですか?」と近づいて来た。

「お願い! 凛太くんを助けて! きっとダチュラの人に……」

 警官は私の話を真剣に聞いてくれた。それに一大事なのは私の服装を見ればわかっただろう。真冬に半袖のTシャツに薄い生地のピンク色のパジャマ、サンダルという姿なのだから。

「話はわかりました。以前ダチュラとの接触があった少年のIDが、あなたのBIMからデリートされた。下手人はダチュラ関係者である可能性が高いと……残念ながら、その少年の被害報告はまだありません。真相がわかるまで待つしかありませんね。我々にはダチュラをあぶり出す手立てなどないのです。おうちまでパトカーでお送りしましょう。その格好では風邪をひいてしまう。それに、不審者に襲われるかもしれない。それでは我々の立場がなくなってしまう」

 結局、私はパトカーで自宅まで帰った。

 玄関の扉を開ける。まだ凛太くんの匂いが残っているように感じた。リビングから人の声が聞こえる。〝凛太くんが帰って来たんだ〟と胸を弾ませリビングへ駆け込んだ。そこにはつけっぱなしにしていたテレビが煌々と輝いていた。

 急に胸が苦しくなった。喉がキュッと締まり、鼻にツーンとした痛みが響く、視界がぼやけ、力なく床に崩れてしまった。

 溢れ出る涙に今の感情を全て注ぎ込み、私は泣いた。子どものように泣きじゃくった。欲しいおもちゃが手に入らないとわかったときのように。そして、もしかしたらそのおもちゃを手にいれるチャンスがまだあるのかもしれないと思い、その希望を再び打ち砕かれた子どものように泣いた。悲しみに底はないようで、一つの悲しみが流れ出ると、また新たな悲しみが間欠泉のように湧き上がる。凛太くんとの楽しい思い出や、凛太くんの笑顔、頓狂に悲鳴をあげているときの表情までもが、雫となった涙に映しだされ、床に落ちては弾ける。

 そして私は眠った。安らぎとはほど遠い、漆黒の夢という底なしの沼へ誘われた。


 小鳥のさえずりが聞こえる。薄眼を開けると強い日差しが私の瞳孔をキュッと縮める。ゆっくりと起き上がり、窓から外を眺めた。そこには白銀の世界が広がっている。まるで天使が舞う死後の世界のようにも思えた。本当ならば、この積もりたての雪に足跡をつけるのは私独りではなく、凛太くんというかけがえのない男の子と一緒につけるはずだった。そう思いながら窓の外の道路を手を繋いで歩く私と彼の幻影を見つめた。もしかしたら、全部私の妄想だったのかもしれないとすら思いはじめていた。もしそうだったとすれば、いくらか救われる。実在した人物ではなかったのならば、諦められる。

「嘘なんだよね。凛太くんがいなくなっちゃったって。ずっとずっと私を守ってくれるって、約束したのに……」

 そう言葉を零したと同時に溢れてくる涙をぐっとこらえ、ふと左手に目をやった。薬指にはめた指輪がオレンジ色に輝やいている。その輝きは、まるで自分を忘れないでと彼が主張しているようにも思えた。

 おもむろに指輪を外し、裏面を見た。〝R to K〟と、確かに刻まれている。

「やっぱり、妄想なんかじゃないんだよね? あのとき、私を守ってくれた、助けてくれた凛太くんは存在するんだよね。私、待ってるから。ずっとずっと、凛太くんを待ってるから」

 指輪を強く握り、胸に当て、窓の外に広がる壮大な青空を見上げて決心した。いつまでもくよくよしていられない。

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