第5話
声が聞こえる。聞いたことのある声だ。ハスキーな低い男の声。その声がおれの名前を呼んでいる気がする。
「おい、凛太っ」
目を開けると、細い目をしたオールバックの大男がおれを覗き込んでいる。
「須藤……あれ? おれなんで寝てたんだ?」
「凛太ぁ、彼女はどうした? それになんで首から下が砂に埋まってたんだ? それにオメェ、後頭部から血が出てたぞ」
「そうだっ! 大変なんだ。すぐに助けにいかねぇ……と」
おれは立ち上がり、駆け出そうとしたが目眩がして再び砂に倒れ込んだ。
「おいおい、無理すんなよぉ。何があったんだ?」
須藤に全て説明した。まゆのこと、人身売買のことも。
「まったく、外道な奴らだぜ。か弱い女を力ずくでさらってくなんてよ。おいあんた。その男たちの特徴と行った方向を教えてくれねぇーか」
須藤は目撃していたであろうカップルに尋ねた。
「えぇっと、確か五人組のマッチョな奴らで、小さい女の子を担いでいったやつの肩に変な刺青が入ってた。方向はあの海の家の方に歩いていったよ。あと、すまない。おれは見てるだけで何もできなかった。勝てるはずなんてないし、おれも彼女を守らなきゃいけなかった」
男は怯えた表情で、自分の彼女を抱き寄せた。
「いや、とんでもない。見ていてくれて助かった。その肩の刺青って、もしかして細長い花の刺青じゃなかったですか? ラッパみたいな」
おれは身振り手振りで花の形を表現した。地面に向かって垂直に咲く花を。
「そうです! 花でした」
「そうです……か。助かりました。ありがとうございます」
そう言って駆け出そうとしたおれを須藤が呼び止めた。
「待てよ、凛太! オメェ、一人で行こうってんじゃねーだろな。いくらお前でも無茶だ。奴らはダチュラなんだろ? おれも行く」
「オメェは関係ねーだろ! 相手がダチュラだろうと、おれはかすみを助けなきゃいけない」
「関係なくねーよ。おれはかすみさんを知っている。知ってしまった以上、ほっとくことなんてできねぇ。女に手をだす外道をこの手でぶん殴ってやらねぇと気がすまねぇ」
作った握りこぶしを睨みつけ、辛辣な表情を浮かべた。ごつごつとした筋肉質なカラダが小刻みに震えている。その震えは須藤の怒りと哀しみを表しているように見えた。
「わかった。すまないが手伝ってくれ! 須藤」
「おうよっ」
意図する前に体が動いていた。前へ向かうために足を動かしていた。おれは彼女の笑顔を取り戻すために、彼女を恐怖から救い出すために、ただ彼女のためだけに走り出した。
「おい、凛太。目星はついてんのか?」
「あぁ、多分奴らはサーフショップにさらった女たちを監禁してる。かすみの手を掴んだ野郎の腕をよく思い出してみたんだ。わずかだが手より腕の方が色が白かった。あれはウエットスーツを着るからあんな焼け方をするんだ。率先してかすみに声をかけていたからには、そこそこグループ内でも地位は上のはず。なら、そいつの所縁のある場所に監禁している可能性が高い。それに、電車を降りてこのビーチ来るまでの間で閉まっているサーフショップを見かけたんだ」
「なるほどな。さすがは凛太だ。よし、もうちょいスピード上げて行くぞ。相手はダチュラだ、急がねーとどんどん増えやがるぜ」
ダチュラ。ナス科の植物で、チョウセンアサガオともいう。そこいらに結構生えていて、園芸用として簡単に手に入る。が、強い毒性を持つ。
そんな〝どこにでもある〟という要素と〝強い毒性を持つ〟ことから命名された、いわばギャングだ。構成人数は不明。全国の街でたむろしている若者の五人に一人はダチュラのメンバーだと言われている。メンバーは体のどこかにダチュラの特徴的な花の刺青がある。まさに〝どこにでもいる〟と〝暴力的という強い毒性〟を兼ね備えている。
おれたちが急いでいる理由。それはダチュラが〝増えるから〟だ。誰かがダチュラメンバーに接触すると、メンバーの全員がBIMにインストールされたアプリケーションを用いて、全国のメンバーにSOS信号をだす。これによって近くにいるメンバーが強制的に召集される。つまり、時間の問題なのだ。
「凛太、奴らのアジトについてからの作戦は考えてんのか? あいつら、すぐに増えるぞ」
「あぁ、わかってる。策はある。でもとりあえず、一秒でも早く奴らを戦闘不能にして、かすみたちを連れ出すぞ。もうすぐだ、そこを曲がれば……」
ビーチから駅までの一本道にある小さな靴屋を曲がり、小道に入ったところにそのサーフショップはあった。ガラスの扉はロックされており、その奥にはシャッターが下ろされている。ここからの侵入は不可能だ。建物の側面に回ってみると勝手口とインターホンのボタンがあった。そっとドアノブを回してみるも、案の定鍵がかかっていた。
「須藤、もうすぐこの扉が開く。開いて出てきた奴を一発KOしてくれ」
「お、おう。わかった。でもどうやって……」
須藤が話し終える前におれはインターホンを押した。須藤が小さな声で「えぇぇ」と言ったのを無視してスピーカーに意識を向ける。
『はい……』
スピーカーから男の声が聞こえてきた。
「毎度ぉ~、宅配便でーす」
『はいはいっ』
スピーカー越しの男はしばらくして、勝手口のすりガラスに自らのシルエットを現した。鍵が開く音がし、ゆっくりとドアノブが回る。そのドアノブを須藤が勢いよく引っ張った。
勝手口内でドアノブを握っていた男が飛び出してき、こちらに倒れる勢いを利用して須藤の大きな拳が男のみぞおちに食い込んだ。背中から須藤の拳が突き抜けるのではないかというくらいにめり込み、男は倒れ込んだ。
「ナイス、須藤。こっからが本番だ。できるだけ早く全員を倒すぞ」
「おうよ、任せとけっ」
須藤がおれの目の前に自分の握り拳を差し出した。おれは暫くその拳を見つめ「ふんっ」と鼻で笑って、その拳に自分の拳を軽く当てた。須藤は右の口角をすこし上げ、おれの目をまっすぐ見て頷いた。
店内に入るとかなり蒸し暑い。こんなところに監禁しておくはずがない。奴らにとって、人間は商品なのだから、ある程度丁重に扱うはず。それにさっき出てきた奴がこんな暑い所にいたということも考えづらい。
店内を見回すと、二階へつながる階段があり、複数名の足音が天井から聞こえる。おれは須藤に身振りで指示を出すと、階段を登り始めた。最後の一段を登り終えた瞬間、かすみの声が聞こえた気がしたおれは勢いよく目の前の扉を開いた。
十人ほどの男が三人の女を囲っていた。茶色の長い髪の美しい女性、ツインテールの五歳くらいの女の子、そして手足を縛られた姫カットの可憐な少女。一人の男がその少女を羽交い締めにし、もう一人の男の手がその少女の胸に触れていた。
「かすみに触んなぁ!」
おれの頭は一瞬で真っ白になった。気がつくと右の拳がその男の頬に食い込んでいた。一瞬舞い降りた静寂が耳を包んだかと思うと、男たちの怒号が耳を貫く。
かすみを羽交い締めにしていた男が、かすみを投げ飛ばしおれの左頬を殴った。殴られた反動を利用して一周回転し、右手の甲で相手の鼻頭を殴り、そのままの勢いで左拳で相手の顔面を殴り飛ばした。そんなおれを背後から殴りかかろうとした男を須藤が制する。
須藤はその後、四人を一撃で倒した。
残りの四人の内、一人がメリケンサックをはめ、おれの脇腹を攻撃した。筋肉が弾けるような、そんな衝撃がおれに肋骨の何本かが折れたこと伝えた。わき腹に食い込んだ腕を掴み、左膝で力一杯相手の肘にぶち込んだ。その腕は曲がるはずないであろう方向に曲がった。
「グワァァァ」
悲鳴をあげ、折れた腕をかばいうずくまった相手の首にかかとを落とした。
残りの三人に取り掛かろうと振り向くと、すでに須藤が二人倒しており、残り一人となっていた。
おれは最後の男の胸ぐらを掴み、壁に叩きつけた。
「ここの住所を大声で言えっ」
「はっ? 住所?」
「いいから言えぇ!」
相手の髪を掴み後頭部を壁にぶつけた。男は震えた声で住所を叫んだ。
「で? お前は今、何をされている?」
「そ、そのっ……」
「お前は今、不法侵入? されて? そんで? 殴られて?」
相手におれの言ったことを復唱させるように仕向けた。
「それで? たす……? はい、何?」
「助けてー」
男は心の叫びを立派に口で表現した。
「よくできましたっ」
相手の顔面に本気の正拳突きを食らわせた。頭が少し壁にめり込んだように思えた。
「凛太くん!」
かすみがそう言っておれに抱きついた。縛られていた手は須藤が解いてくれていたようだ。
「かすみ、ごめん。恐い思いさせちゃって。でも今はこうしている時間はない。こいつらの仲間が来るかもしれないから今は逃げよう」
かすみの手を優しく握る。かすみは無言で頷いた。
「お兄ちゃん、助けてくれてありがとう。お母さんも無事だったよっ」
「まゆ、よかったな。まゆのお母さん、今すぐここから逃げましょう。走れますか?」
まゆの母親はゆっくりと立ち上がったが、ふらつき倒れかけたところを須藤が受け止めた。
「しゃぁねぇ、あんたはおれがおぶってやるよ」
「須藤、頼んだぞ」
かすみの手を引き、かすみはまゆの手を引き急いで階段を下った。勝手口を開き外に出た瞬間、おれは神を呪いたくなった。サーフショップがある小道をダチュラのメンバーで埋め尽くされていたからだ。三十人はいるだろう。
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