第3話
そして遂にやってきた約束の日。待ち合わせ場所は繁華街の大型ディスプレイの下に十二時。約束三十分前にスタンバイ完了。
朝、風呂に入り入念に全身を洗い、髪を綺麗に七三わけに整え、鼻毛が出ていないかを確認し、高校入学祝いとして親父からもらったスーツに袖を通した。今、ファッションビルのガラスに映るおれはまるで別人だ。薔薇の花束でも用意しとくべきだっただろうか。
・鉄則その一、清潔感のある身だしなみ 合格
あっという間に十二時になり、かすみの到着を待ちわびる。しかしかすみはなかなかやってこない。
心のどこかで感じていた疑念……からかわれているのではないかという不安が、待ち合わせ時刻を過ぎてもかすみが現れないという事実と共におれを蝕んでくる。脇から冷たい汗が垂れ流れた、そのとき。両肩に誰かの両手が置かれた。
「ギャァァァー」
っと叫び、振り返るとそこには天使がふわふわと浮かんていた。
桃色の少しぶかっとしたニットワンピース。中に着ているであろう白いワイシャツの襟だけが首元から出ており、ワンピースの裾から真っ白で艶やかな細い脚を覗かせている。紺色の靴下に茶色の靴。髪はポニーテールに結ってある。
そんな超絶最強に可愛い格好をしたかすみが、満点合格の笑顔で「遅れてごめんね」と言った瞬間、不安からとき離れた。しかし不安からとき離れたのはいいのだが、急に肩を叩かれて〝びっくりした〟という条件反射と〝めちゃくちゃに可愛い〟という視覚情報がごちゃごちゃになって混乱状態になってしまった。
「うっ、だあぁ、あん、あの、そ、そその」
・鉄則その二、リラックスして相手を和ます 失格
「凛太くん、すっごいオシャレしてるね。そんな格好してたからどこにいるか探すのに時間かかっちゃったわよ」
かすみはニッコリ微笑んで「えいっ」っと言いながらおれの髪を両手でくしゃくしゃにした。
「おいっ、ちょっと。せっかくセットしてきたのに、台無しじゃないかぁ」
「ふふっ、ちょっと緊張が和らいだ? さっ、いこっ」
そう言って、おれの手を引っ張った。
おれの計画では、これから映画館で映画を鑑賞し、食事をしながら映画の内容について語り合う……予定だったのだが。かすみが見たいと言った映画は巷で最恐と言われるホラー映画の最新シリーズだった。事実、おれはお化けが怖い。たまらなく怖い。脅かされるのも怖い。殺人シーンも怖い。なのだが、ここで怖気付いては男としてどうなんだ? 男たるものずっしりと構えていなければならないではないか。それに男女でジェットコースターや、お化け屋敷に入ると、恐怖を共有することで相手のことが好きだと錯覚するものだと、一昨日ネットで知った。しかし、この選択が間違いだった。
「かすみ……お化けのシーン、終わった? もうしばらく出てこないよなぁ」
おれは映画鑑賞中、ガタガタ震えながらかすみの腕を掴んでいた。
「大丈夫だよ。もうしばらく出てこないはず」
と、かすみが言い終わるやいなや。真っ白の女の顔がスクリーン一面に映し出され、おれは素っ頓狂な叫び声をあげてしまった。
・鉄則その三、共通の出来事を共有し、体験する 失格
「いやぁ、怖かったねぇ~。でも最後にあんな展開になるだなんて、予想外だったねっ。怖かったけど、ストーリーとしてすっごい面白かったね」
かすみがパスタを美味しそうに頬張りながら映画の感想を述べている。
実は恐怖のあまり映画の内容をほとんど覚えていない。
食は人の心に幸せを与える。その幸せな気分のまま共通の話題に花を咲かせる。おれは食欲がうせてプラスティックのコップに注がれた水をちびちび舐めていた。
・鉄則その四、美食を嗜み距離を縮める 失格
すっかり日も暮れ、おれたちは町外れの高台にある公園から景色をぼうっと眺めていた。今日一日、何をやってもおれはダメだった。全てが空回りしている。まるで神様のいたずらだ。ふと隣を見ると、かすみがいない。そりゃそうか、こんな醜態を晒したんだ。今日という一日を無駄にしたとさえ感じているだろう。そんな自分がとても憎かった。
何が神様のいたずらだ。悪いのは全部おれなんだ。彼女に何一つかっこいいところを見せられなかった。彼女に楽しんでもらわなければいけないはずが、自分のことで精一杯。
・鉄則その五、相手に楽しんでもらう 失格
「逃げ出してぇ~」
そう、心のつぶやきが無意識のうちにため息に混じって出てしまった。
「どこに逃げたいの?」
ふと、頬に温もりを感じた。
かすみが微笑みながらおれに温かいお茶を差し出した。
「ありが、とう」
「夜だとまだ寒いね。風邪ひいちゃいけないから、これ飲んであったまろっ」
「うん。……かすみ、ごめん。今日、楽しくなかっただろ。映画を見て絶叫するわ、映画の内容覚えてないわ、会話にもほとんど参加できないわ、かすみに迷惑ばかりかけちゃったな。ごめん。おれが女性とデートだなんて、早かった。早すぎた。分不相応だったよ。おれはかすみの時間を奪ってしまった。大罪を犯した気分だよ……」
そんなおれの弱音を聞いて、かすみは無限に広がる星空を見上げ、白い吐息を吐いた。かすみが口を開こうとしたとき、背後に人の気配がした。
「なんだぁ? オメェ凛太じゃねーか。なんて格好してんだよ、スーツなんか着ていっちょまえだなぁ」
振り向くまでもない。人を馬鹿にしたようなハスキーな声の主は須藤だ。おれはとっさにかすみの前で両手を広げ、須藤を睨みつけた。
「なんかようか、須藤。用がないならとっとと帰れよ。今日はお前に構ってる暇はねぇーんだよ。それともまだこの間の仕打ちがやり足りねーってんなら相手になってやるよ。だが一対一だとおれが勝つ可能性がたけーぜ。あと、この人に指一本でも触れてみろ。おれはお前を単純に、殺すぞ?」
須藤はキョトンとした表情でかすみを一瞥すると、フンっと鼻で笑いおれたちに背を向けた。
「いくらいがみ合っている相手だったとしても、そいつの恋路を邪魔するってのはおかしな話だぜ。せいぜいあがいて、いつかその彼女のダチをおれに紹介してくれや」
こちらを振り向くことなく右手を軽く挙げて去っていった。
拍子抜けしたおれは深いため息をついた。
すると背後にいるかすみが肩を震わせて笑い出した。
「なんだよ。なんで笑うんだよぉ」
「違うの、ふふふっ、今日の凛太くん凄く無理してたから。一所懸命背伸びしてたっていうか、凄く悩んで、考えて計画してくれたんだろうなって感じたよ。それだけで、私は嬉しかった。だけど、ちょっといたずら心を燻られるっていうか、二つ歳下の男の子が慣れないことをしようとしていることがなんだか可愛いなって思っちゃったの。だからすぐに驚く凛太くんとホラー映画見たらどうなるのかな? って」
「なんだよ……それ、だから子ども扱いすんなよ」
「ごめんね、そのせいでカッコ悪い自分を見られたって思い込んで落ち込んだりしないで。なんていうか、私はありのままの凛太くんが素敵なんだと思います。守りたいものを守り抜く。そんな姿勢が私には羨ましくもあり、尊敬しちゃいます。それに今だって……私を守ろうとしてくれた。私より少し背が低い男の子が。それだけで、今日一日一緒にいられてよかったって思った。凛太くん、次はどこへ行こっか?」
先ほどまで冷たかった夜風がブワッと舞い上がり、遠くの方から暖かな風が桜の花びらを運んできた。その桃色の桜が彼女がきているワンピースを包み込む。まるで桜の妖精のように見える。
彼女はニッコリと少しあどけない笑みで右手をおれの前に差し出した。その手を握り返し、彼女の手の温もりを感じた。
「次は、うん。明日、一緒にお花見に行こう」
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