第3話

 王都を脱してから三日、ハニエルたちはグローリア山脈の麓に差し掛かる地点に居た。

 王都からの使いはまだ来ていない。まだ追い着いていないだけか、事情を知るミラージュが上手く足止めをしているのか……。それを知る術はないが、どちらにせよ急ぐに越したことはない。


「あの、ちょっといいかい?」


 先を急ぐ道中、ふとハニエルが前を歩く二人を呼び止める。呼びかけに応じロゼとグランツが振り向いた。


「ごめんなさい王子。もしかして、お体が辛いのですか?」


 ハニエルの体調を気遣って、ロゼが不安げに呟く。


「ああいや、体の方は大丈夫だよ。そうじゃなくて、えっと……、少し寄り道していいかい? クツァルの集落へ寄ってみたいんだ」


 ハニエルの突然の申し出に、二人は驚きの表情を浮かべると、諭すようにハニエルへと詰め寄り説き伏せる。後ろめたい気持ちはあるのだろう、ハニエルはそれを大人しく聞いていた。


「どういうお考えがあってそのようなことを? あまりいい案とは言えませんが」


「わかってるよ……」


「クツァルの集落は山の中腹にあります。王都から追っ手が来ていた場合、確実に追い着かれますよ」


「そうなんだけどさ……」


 ハニエルが諦める様子はない。

 先を急ぐ旅なのだ。観光をしている暇はなかった。

 彼の目的はいち早くオリアスを殺し、王として再び生きてヴィクトリアに戻ることである。それはハニエル自身よくわかっているはずだ。


「最悪、追い着かれたなら追い返せばいいよ。誰も僕の魔術に対抗できないんだ。傷付けず足止めする方法はいくらでも知ってる」


「だとしても、どうしてここまで頑なになられるのですか?」


 グランツが問う。

 辺りはそよ風の音ですら聞こえてきそうな静けさに包まれていた。

 ハニエルは一度、申し訳なさそうにグランツから視線を外すと、少しはにかんでまた視線を戻す。そして人のいい笑みを浮かべると軽やかな口調でつらつらと話し始めた。


「オリアスの扱う魔術は僕ですら覚えのないものだった。相手の魔術がどういうものかわからないっていうのは結構怖いものでね、手掛かりが欲しかったんだ」


「それがクツァルの集落にあると?」


「そんな感じだよ。確証はないけど、クツァル族の扱う魔術がこれに近しいって聞いてね。あの部族は歴史も古いし、もしかしてと思ったんだ」


 二人はなにも言わない。

 ハニエルは少し迷ったあと、さらに言葉を続けた。


「僕は生きてこの国に帰りたい。そうするためには、より確実にオリアスを殺さなきゃいけない。情報が足りないんだ。知識も欲しい。だから……ごめんね?」


 困らせてすまないという想いを込めて謝罪を口にしたハニエルだったが、その実引き下がる気は微塵も考えていなかった。

 ロゼの整った眉がひくりと動く。

 こうなったハニエルは絶対に退くことはない。先ほどの謝罪には〝素直に言うことを聞けないけど許してください〟という意味が含まれていることを彼女はよくわかっていた。


「まったく」


 ロゼが一歩前へと踏み出す。


「大人しく言うことを聞く気など、最初から考えていらっしゃらなかったのでしょう? でしたら我々が止めても時間の無駄ですよ」


 呆れ顔でロゼが溜め息を吐けば、それに習うようにグランツも肩を竦めてみせた。


「頑固に成長されましたね」


「意志が強くなったって言ってくれない?」


 朗らかに笑うハニエルの顔は青年の凛々しい面立ちで、グランツは成長を嬉しく思う一方で少しの寂しさを感じていた。

 良くも悪くもハニエルはたくましくなった。再会して早々に抱いていた感情だが、ここ数日行動を共にしてグランツはさらにそれを痛感していた。

 幼少のハニエルは他者に強く言われると大人しく従ってしまうような少年で、そのたびにロゼが励まし、時に叱り飛ばしていたことを思い出す。将来ヴィクトリアの王としてやっていけるか、親のように心配したものだ。


「ああ! ハニエル様、お待ちください!」


 血相を変えてロゼが呼び止める。


「手に切り傷が! 包帯を持って参りますのでしばしお待ちを!」


 ロゼが見つけたのはハニエルの手にできた真新しい切り傷だった。木の枝で切ったのだろうか、手の甲に赤い筋が引かれ、うっすらと血が滲んでいた。

 客観的に見て、それは大それた傷ではない。しかしロゼは包帯を巻こうとハニエルの手を取るので、やんわりと断る。

 二人のやり取りにグランツが口を挟んだ。


「ロゼ、少し過保護じゃないか? 確かに王子の御身は大事だが、こんな有様じゃこの先包帯がいくらあっても足りなくなるぞ」


「包帯ぐるぐる巻きで歩くのは勘弁かなぁ。悪目立ちしちゃいそうだし」


 ロゼがうっと声を詰まらせる。

 そして彼女は持っていた包帯を強く握り込むと言った。


「王子は、痛みを感じないので心配で……」


 そう言ったロゼの顔は、青褪めていた。

 かすかに震える彼女に寄り添うように、ハニエルが優しく声を掛ける。


「大丈夫、僕は怪我なんかじゃ死ねないよ」


 なにを見たのか。なにを体験したのか。

 生憎グランツは二人になにがあったのかを知らない。しかしかつて王の側近として仕えていたことから、ヴィクトリアの王族がどういう過程で魔王封印に至るのかは知っていた。


 ——壊醒。


 知識としてあるだけで、実際に見たことはない。しかしそれでも、それがどれほど苦しくおぞましい儀式かは容易に想像できた。

 壊れる前にあらかじめ壊しておく。狂う前に自ら狂いにいく。

 そんな馬鹿げた理屈で強行されるのが壊醒という儀式の本質だ。魔王に壊される前に自分たちで壊しておく。それがヴィクトリアの長い歴史で導き出された答えだった。


 当然、ハニエルも壊醒を経て壊れている。


「ロゼは過保護ですが王子は無頓着過ぎます。その様子では、腸に穴が空いていても気が付きそうもないので心配ですよ」


 うんざりした様子でグランツが言う。するとハニエルはその言葉に対し


「この前潰れたけど大丈夫だったよ」


 と、平気な顔をして答えた。

 グランツが絶句し、ロゼの顔から生気が失われる。

 しかしハニエルは唖然とする二人をよそに、軽い足取りで山を登り始めたのだった。

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