第7話
「しかしハニエル様を殺そうなど……。許せるはずがありません!」
「それは全くもってその通りだと思うよ」
ロゼの言葉にハニエルが頷く。
「僕を殺す理由は納得がいくし理解も出来る。でも、だからと言って僕が生きていてはいけない理由にはならないよね」
にこりと笑って彼はそう言った。しかし声は顔ほど笑ってはいない。その不釣り合いな様子に、グランツとロゼは恐怖すら覚えた。
「だから死ぬつもりはないよ。なにをしてでも生きる」
——なにをしてでも生きる。
その言葉の端から滲むのは、生きようとする野心だ。
「そのお言葉、しっかりと聞きましたからね!」
少し安心したのだろう、ハニエルの言葉を聞いたロゼは険しくしていた表情を緩ませる。彼女はハニエルが魔王と自身を同一視して、生きることを放棄してしまうのではと危惧していた。
それは、杞憂であったのだが……
「兵の手配をしましょう。聖人と呼ばれているそうですが、我々にとってはただの危険人物です」
その提案にグランツも賛同を示す。
「私もロゼに賛成です。ただしオリアスは民衆の支持が高く、迂闊に手を出せばヴィクトリアに対する風当たりがより一層強くなりかねない。ここは秘密裏に——」
「兵を送る必要はないよ」
ハニエルの言葉に二人は目を見開く。意味を分かりかねているのか、視線をさ迷わせ、ハニエルの次の言葉を待っているようだった。
ハニエルはその様子を見て言う。
「僕がオリアスを討つ」
彼の言葉は、その場を凍てつかせるのに十分な威力を持っていた。
グランツとロゼはハニエルの発言を繰り返し反芻して飲み込むと、ようやく理解したのか山が噴火した勢いで抗議の声をあげた。
「な、なにを考えているのですか?!」
「一国の王が自ら遠征して前線に赴くなど、あってはなりません!」
浴びせられるハニエルは苦笑するが、特に気にするでもなく話を続けた。
「言い分は良くわかる。馬鹿なことを言っている自覚はある。でも、やっぱり僕がやらないと駄目なんだ」
「どうしてか理由をお聞かせ願いますか?」
全く意に介さないハニエルの態度に、ロゼの美しい顔はこれでもかというほど歪められていた。場合によってはハニエルを羽交い締めにしてでも止めるだろう。
そんなロゼの様子に気を遣りながら、ハニエルはなるべく慎重に言葉を選び説き伏せる。
「さっきも言ったけど僕は夢でオリアスと会っている。そして話をして、殺し合いをした。夢とは言え半分現実のようなところでね、いつもと同じ感覚、同じ状態で魔力が使えたよ」
ロゼは黙ってそれを聞いていた。
ハニエルは話を続ける。
「彼は……、オリアスは僕と同等の力を持つ魔術師だ。魔王の力を以てしても、彼が僕に打ち負かされることはなかった」
静寂だった場が更に静まり返る。ハニエルの話を聞いていたグランツとロゼは絶句していた。
魔王の力はこの世界において頂点で、何者にも砕けない圧倒的なものだ。それに加えてハニエルは魔術に長けており、歴代の王の中でも力が強いとされている。
ハニエルが敵わない魔術師の出現……。本来それは、あってはならないことだった。
ロゼが叫ぶ。
「ありえません! きっと特殊な魔術を使ってハニエル様を騙していたに違いありません!」
「それはそれで問題だよ。この僕を騙すほどの術式を組み、発動させる魔力があるってことだからね」
ハニエルの言い分はもっともだった。
この世の全ての魔力を服従させるハニエル相手に、魔術で勝とうなどと常識的に不可能なのだ。
グランツはそれがわかっていたのか、大きく噛み付くことなく渋い顔をしている。ロゼもハニエルに諭されて理解したのだろう、やりきれない思いを押し込め閉口した。
「ヴィクトリアは、どうすればいいのだ……」
消沈した様子でグランツが囁く。
魔王と並ぶ存在。それは、新ヴィクトリア王国に住まう者にとって恐怖でしかない。
ヴィクトリアの国民にとって王とは統治者であり主人であり、そして信仰なのだ。王の力とはそれだけ絶大であり、支えである。
「今回はいつもの勇者気取りのご一行とは話が違う。オリアスは本気で僕を殺せる力の持ち主だよ。だから、僕が討ちに行かなきゃいけない」
「……その決断を改めていただくことはできないのでしょうか?」
悲痛な面持ちでロゼが問う。何事にもハニエルを優先させてきた彼女にとって、今回の話はあまりに衝撃的なものだった。
もちろん、彼女だって馬鹿ではない。頭ではきちんと理解しているつもりだ。しかしそれと同時に、いくら説明を受けたところで納得出来ない自分がいたのも事実だった。
ハニエルが答える。
「兵を無闇に死なせるわけにはいかない。彼らだってヴィクトリアの民だ。王を守るために民が大勢犠牲になるなんて本末転倒も良いところさ。民あっての国だからね」
ロゼがか細い声で返す。
「しかし私たち兵は——」
「ロゼ」
言葉を制し、ハニエルがロゼを見る。射抜くような視線は彼女の言葉を遮るのに十分だった。
ロゼが黙ったのを認めると、ハニエルは話し始める。
「どんなに経験や技術を磨いても、どうしようもできない力がある。オリアスはまさしくそれだよ。その力に対抗出来るのは……同じ力でしかない」
これは強大な力を持つゆえに悟ったハニエルの持論だ。魔王の力は人の努力を容易く踏み潰し、嘲笑う。彼はそれを嫌というほどわかっていた。
「オリアス討伐は誰にも邪魔はさせない。魔王にだって邪魔はさせない」
口出しを許さない声でハニエルは言う。
「僕は約束したんだ。彼を殺しに行くって」
ハニエルからは、どんな手を使ってでもオリアスを討伐しようという強い意志が燻っていた。彼は下手に止めようものなら実力行使も辞さない気概だ。
「そう、なのですね……」
長年の付き合いからか、ハニエルの意志を察したのだろう。ロゼがそれ以上言及することはなかった。しかしその表情は陰っており、まだ心のどこかで納得はしていないようだった。
グランツが探るような視線をロゼに向ける。
「少し、頭の中を整理してきます」
そう言うとロゼは徐に立ち上がり、客間を後にする。
「気になるなら言って良いよ」
呆然とロゼの後ろ姿を見送っていたグランツに、ハニエルが朗らかな声で告げる。すると彼は「お言葉に甘えさせて頂きます」と一礼して、ロゼの後を追い掛けて行った。
部屋にはハニエルただ一人。
「今夜、かな……」
誰もいなくなって部屋で呟く。大きな部屋で呟かれたその一人言は、誰の耳に届くこともなくハニエルの胸の内で響き渡った。
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