第5話

 組んでいた足を組み替えてハニエルは話を続ける。


「アルティスのことはなんとなく把握した。次はブライゼンについて聞こうか」


「ブライゼンの統治者はよく公の場に姿を晒しています。世界でも珍しい女の統治者で、ジファ・エアハルトという現役軍人です」


 女性軍人という情報にロゼが反応を示す。弱いとされた女の身でありながら軍に身を置く彼女に興味があるのかも知れない。


「……ハニエル様は〝暁の二十日間〟というのをご存知ですか?」


 唐突なグランツの問いにハニエルは首を傾げると、「知らないよ」と答える。


「そうですか」


 グランツは少し沈みがちな声で呟くと、暁の二十日間について話し始めた。


 ——暁の二十日間。

 それは七年前にブライゼンで発生した魔獣強襲事件である。

 大都市を襲った魔獣は強力で、およそ二十日間に渡る攻防は多くの死傷者を出した。街は連日燃え盛り、夜になっても炎の明るさで空が暁のように照らされていたことから暁の二十日間と呼ばれている。


 辛くも魔獣を撃退させることに成功したブライゼンだったが、その時の被害は凄まじく、人々の心に大きな傷跡を残す結果となった。また、魔獣を大都市にけしかけたのが迫害を受けていた魔力を持つ人々であったと発覚し、差別が激化するきっかけにもなった。


「エアハルトは魔獣強襲の際、前線で指揮を執っていたと聞いています。兵を鼓舞し策を巡らせ果敢に戦火へ飛び込む、英雄と呼ばれた女です。国民からの絶大な支持と統率力で国を動かしています。それと——」


 グランツは徐に席を立つと持ってきていた手荷物を漁り始める。そして目当てのものが見つかったのだろう、ゆっくりとした歩調で戻ってきた。

 彼が持っていたのは新聞で、机の上に広げるとそれをハニエルに見せる。

 ブライゼンで発刊されているその新聞は、多少ヴィクトリアと文法や単語が違うものの読めないということはなく、ハニエルは見せられた新聞の見出しを見て目を丸くした。


「恐れない、魔王を?」


「魔王は怖くないと言った方が正しいですね。三年前の記事になりますが、当時社会現象になった言葉です」


 記事の内容に目を通せば、それがエアハルトの行った演説の内容に触れているものだとわかる。

 ハニエルはその内容を目で追いながら、静かな声で音読を始めた。


「〝四年前の悲劇は痛ましいものであった。軍はその力を国民の生活再生に当ててきたつもりだ。銃剣を工具に持ち替え、薬莢は炉に焚べ鍋へと変えた。そしてその甲斐もあり、ブライゼンの復活は間も無くと言って良いだろう。しかし諸君らに今一度問う。以前と同じで良いのかと。いや良いはずがあるまい。我々は強い。諸君らの血と汗で作られた弾丸は魔獣の心臓を貫き、諸君らの勇猛な意志は魔獣の野心を砕いた。我がブライゼンは自国のみならず世界を救った栄誉ある国家である。我々は強い。ならば強者として相応しい振る舞いをすべきとは思わないか。魔力がなんだ、無抵抗の者に手を挙げることが我々の掲げる正義か。寛容であれ、古い考えを捨てよ。世を牽引し、新たな時代をこのブライゼンが築くのだ。魔王を恐れるな、この国の国民ならば胸を張れ。全てを許容し、寛容であるべきだ。我々は強い。魔王は怖くない!〟」


 ミケーレ演説と題されたそれは、噛み砕いて言えば魔王に対する価値観を変えろと説いているものだった。七年前——演説当時は四年前だった——に起きた暁の二十日間は人々の〝魔〟に対する恐怖を増長させるのに十分な事件だった。

 演説ではそのときの勇姿を讃えつつ、国民に巣食う畏れを排除しようという考えが読み取れた。

 ——この演説の必要性はなんなのか?

 ふと、疑問がハニエルの中に芽生える。


「寛容であれ、か。差別撤廃を訴えているように思えるけど……」


 当時ブライゼンは差別が激化していた。魔王を排除せよという民衆の声が大きかったに違いない。エアハルト自身、魔王を憎んだだろう。

 その流れの中で、彼女が差別撤廃を訴えたのが気掛かりだった。


「他国の指導者が差別撤廃を訴えるなど信じられません。国外の者はヴィクトリアを蹂躙し、王を討とうと目論んでおります」


 ロゼが厳しい声で言う。その顔は苦虫を噛み潰したようにきつく歪められていた。

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