第3話
魔王と他愛のない会話を済ませたハニエルは、昼食を済ませると客間でグランツの到着を待っていた。彼の傍にはロゼが控えている。
王宮の客間とありその部屋は広く絢爛だ。獅子の像が威嚇するように大きな口を開けている。
「まだかなあ」
「王子、楽しみにされているのはわかりますが、少しはしたないですよ」
現在ハニエルは大きなソファの背もたれに寄り掛かり、足を組んで座るというだらしない姿勢であった。とても客人を迎える姿ではない。
「父上はよくこうやって座っていたからさ」
「あれは悪い見本です。王子が真似する必要はありません」
「あはは、手厳しいね」
姿勢を正して座り直す。実は案外くつろげる体勢だと感じたことは胸の内に留めておいた。
「グランツ様がいらっしゃいました!」
姿勢を正したちょうどそのとき、威勢の良い声で兵が告げる。するとそれを聞いたハニエルとロゼは、喜色を浮かべて入り口へと向かった。まるで遠出していた父親を迎える子供のようである。
「グランツ!」
「グランツ様!」
部屋の入り口には懐かしい姿が立っていた。興奮した声でその大柄な男に呼び掛ければ、「お久しぶりです」と柔和な声が返ってくる。
「えと、一応確認しておきますがハニエル様とロゼ……ということでよろしいですか?」
引きつった様子でグランツが問う。
「うんそうだよ」
「七年ぶりですから、忘れられていても仕方ありませんね」
そう言ってハニエルとロゼは顔を見合わせて笑う。華やかな二人が笑い合えばそれだけで絵になり、グランツは言葉を失った。
「ん? どうしたのグランツ?」
無言のまま動かない彼を不思議に感じたのか、ハニエルが声を掛ける。するとはっと我に返った様子でグランツが目を見開き、少し視線を泳がせて言った。
「いえあの、二人があまりに綺麗に成長していたので……」
見とれていましたと白状する。最後の言葉は尻すぼみで聞き取り辛いものだった。
それを聞いたロゼが、声を裏返して慌て始める。彼女の顔はほんのりと赤い。
「綺麗っ?! あの、私は剣を扱いますし女性らしいことはなに一つできませんし、その、そのようなお言葉はもったいのうございます!」
「そう謙遜するなロゼ。私の記憶ではお前は木に登り虫を素手で捕まえ、泥だらけで王宮を駆け回る子だったんだぞ。それが今やハニエル様の護衛を務め、兵士の指標となる立派な騎士だそうじゃないか。騎士は強さと品がなければ務まらん。お前はよくやっているよ」
口をぱくぱくと開閉させているが、どうやらロゼは言葉が出ないようだった。
彼女にとってグランツは父のような存在であると同時に憧れでもある。そんな彼から賛辞を言われたのでは声が出ないのも無理はない。
ロゼは早鐘を打つ心臓を押さえて、「ありがとうございます」と小さな声で漏らすのがやっとだった。
「さ、立ち話も難だし座ろうよ」
頃合いを見てハニエルが席へ促す。
ソファへはグランツとロゼが向かい合うように座り、ハニエルは上座へと腰掛けた。
見計らったように従者が飲み物を運んでくる。
「ゆっくり話がしたいから他の者は悪いけど席を外して欲しい」
控えていた従者や兵士に声を掛ければ、彼らはハニエルの言葉に従い部屋を出て行く。
人払いが済んで入り口の扉が閉められたことを確認すると、ハニエルはゆっくりとした口調で声を掛けた。
「久しぶりの故郷はどうだい?」
「懐かしくもあり新しくも感じました。私の中では未だジブリール様の治世のままですから……」
そう言ったグランツの表情には寂しさが滲んでいた。
彼はジブリールの護衛であり良き友人でもあった。互いに剣を交え、切磋琢磨した日々を思い出してさらに寂しさが募る。
「あの、ジブリール様の最期は……」
不躾な質問だと自覚しつつ、グランツは慎重に尋ねる。するとハニエルは彼の気遣いを察したのだろう、困り顔で笑うと努めて明るい声で話し始めた。
「立派だったよ。体が弱って立てないのに意地張って立ち上がってさ。悔いも未練もあるが俺はこの生を幸せに思う。後は任せたって」
鮮明に蘇るその姿は、王として、そして父として偉大な姿だった。
最後に掛けられた言葉が脳裏を過る。
〝俺はお前を、最期まで正しく愛しているつもりだ。……だから、すまなかった〟
なにに対して父が謝罪しているのか、ハニエルにはすぐに察しがついた。彼はずっと気にしていたのだ。魔王封印という正当な主張の元に行った、実の息子に対する凶行を……
悔いも未練もあると言っていた。恐らくきっとその一つが〝それ〟についてのことなのだろう。
——尊敬に値する父親だった。
そう告げた時のジブリールの顔は、今でもまぶたの裏にしっかりと焼き付いている。
「その後は母上と二人で過ごされていてね、本当の最期を看取ったのは母上さ」
「イヴァ様は?」
グランツの問いにハニエルは決まり悪そうに彼方へと視線を反らす。視線の先、その方角にあるのはイヴァの居る後宮だ。
「母上は父上が亡くなってから心を病まれてしまってね」
「そうでしたか……」
場の空気が重くなる。
そんな中、少しでも明るくしようと話題を変えたのはロゼだった。
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