第5話

 目が眩むような碧い光を見た。


「あれ?」


 目覚めればあたり一面の花畑で、空を見上げれば冴え渡る青空だった。


「えーっと……」


「魔王に支配され掛けてご自分で脇腹を裂き、そのまま体力が保たず気絶していたのですよ」


「あー、そうだった。少し記憶が飛んでしまっていたよ」


 起き上がれば気怠さが一気に襲い掛かってきて、ハニエルは深く溜め息を吐く。曖昧だった記憶が鮮明になってくると、夢の中で気絶という不思議な経験をしたことに妙なむず痒さを覚えた。

 気になって脇腹を見る。するとそこには裂傷はおろか、傷跡の一つすら残っていなかった。


「これ、君が治してくれたのかい? オリア——」


 そう言って真横を見れば、そこには見知らぬ青年が寝転がっていた。

 碧を透かした白い髪に、左右異なる瞳の色をした青年だった。

 黙ってしまったハニエルに、青年は「あー」と間延びした声を漏らすと、事情を話し始める。その声は紛れもなくオリアスのものだった。


「怪我の具合がわからなかったので、あなたが集めた魔力と僕の力をさらに使って術を安定させたんです。夢とはいえ半分は現実、傷を放っておけば目覚めた時にしばらく動けなくなりますから」


 疲れ切った様子でオリアスは言った。確かにあの曖昧な人型の状態では、怪我の治療は不可能だろう。

 オリアスの顔色は良くない。相当無理をしたことが窺える。


「魔王を抑えるためとは言え、自傷行為は感心しませんね」


「ああでもしないと言うことを聞かなくてね。彼は僕が死んだら困るから、大怪我をすると血相を変えて体の負担を減らそうとするのさ」


「荒療治です。もっとご自分を大切にしてください」


「ごめんってば」


 ハニエルは軽く謝罪しつつ、寝転がるオリアスの顔をまじまじと見た。

 彼の目は右が碧く、左が黄色だ。それだけでも十分に目を引くのだが、それに加えて優しくも精悍な、整った容姿をしている。凛々しい目元は男らしさを感じさせ、ハニエルは素直に羨ましく思った。


「僕の想像以上に男前な顔なんだね。なんか、腹立つな」


「容姿を褒められても嬉しくありません。第一、あなたが言うと嫌味にしか聞こえないです」


 オリアスがハニエルから顔を逸らす。どうやら不貞腐れてしまったようだ。


「……失言はお詫びします。あなたは今を懸命に生きています。その生き方を可哀想だと決めつけてしまい、申し訳ございませんでした」


 オリアスの顔は見えていないが、きっと陰った表情をしているのだろう。

 ハニエルは困り顔でその様子を見守りながら、もう一度寝そべる。草の匂いが香り、降り注ぐ光に目を細めた。


「いや、そう思われても仕方ないよ。僕の方こそ心配してもらったのにかっとなってすまなかった」


 ——可哀想な王子様。

 ミラージュに言われた言葉が脳裏を過る。


「僕はヴィクトリアが好きだ。だから、この国の王に生まれて幸せだと思ってるよ」


 ハニエルは新ヴィクトリア王国を愛している。人々はハニエルを王と讃え、慕ってくれている。そんな民を守りたいと想う心がハニエルの支えであり救いだった。だから彼は自身を不幸だと思わない。声高々に幸せだと叫んでも良いぐらいに、彼の心は満たされていた。


「オリアス、君の決意は変わらないのかい?」


 ハニエルは再度問う。


「……それはできません。僕が諦めれば多くの人々が希望を失います。差別をなくし、苦しむ人々を救いたいんです。そのためにはやはり、差別の元凶たる魔王を消さなければいけません」


 彼もまた、ハニエルと同じように守らなければならない人々が居るのだろう。そしてその人々を守るためにハニエルを殺す決断をしたのだ。オリアスの決意は揺らぐことはない。


(やっぱり、良い友人になれそうなのにな)


 敵であるにも関わらず、ハニエルは自分の信念を曲げないオリアスの姿勢に好感を抱いていた。

 オリアスがくるりと向き直る。


「それに、ここで僕が諦めたらあなたは誰よりも失望するでしょう? 違いますか」


 見透かすようにオリアスが笑みを浮かべる。それが無性に腹立たしくもあり、そして好ましくもあった。


「いいや違わない。だからオリアス、僕が君を殺したらちゃんと世界と向き合って差別根絶に努めるよ。安心して死んでくれ」


「いいえそれはいけません。僕があなたを殺して魔王を消した後、ヴィクトリアを守

ります。どうぞ心置きなく召されてください」


「ついでに僕が信仰の対象になるように広めてくれると嬉しいな」


「でしたら僕だってヴィクトリア史に名を残す英雄として語り継いでください!」


 同年代の友人が出来たようでつい笑みがこぼれる。今後対立し殺し合いをしようと誓った者同士であるにも関わらず、彼らは互いに認め合い、そして笑い合った。


「僕は世界をなにも知らない。だから君が言うようにきちんと確かめて、そして現実を受け入れた上で君を殺しに行くよ」


 光が強くなっていた。空を見れば青空にひびが入り、硝子のように砕け落ちていく。不自然なほど明るい光がひびの間から差し込んでいた。それは紛れもなく夢の終わりを告げていた。


「僕もあなたを殺せるよう精一杯努力します」


 空の崩壊は激しさを増していき、ついにはオリアスの体も光の粒子となって消え掛かっていた。ハニエルも自身の体を確認すれば、同じように消え掛かっている。

 崩落間際の空間でオリアスは最後に


「ブライゼンでお待ちしております。正々堂々、殺し合いをしましょう」


 と言った。

 深々とお辞儀をしたままオリアスがハニエルの前から姿を消す。


「また会いましょう」


 そう言い残して……


「ああ、また会おう」


 聞こえているかはわからないが、ハニエルも同じ言葉を天に向かって言い放つ。天からは数多の光がはしごのように伸ばされていた。青空は割れ、花畑が風に浚われて消滅する。

 目覚めまで、あと少しだった。

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