第3話

 ハニエルは息苦しさを感じ、唇を噛む。まるで青空が重くのし掛かってくるようだ。


「僕は」


 オリアスが口を開く。


「僕はあなたが魔王ではないことを知っていました」


「うん。そうだろうと思っていたよ」


「ヴィクトリア王族の歴史も、知っています。血生臭い歴史があったこと、王族——特に王となる者には気が触れた者が多いこと。……全て知っています」


「僕たちのこと、ちゃんと調べてくれたんだね」


 ハニエルがありがとうと礼を述べれば、オリアスが声を詰まらせた。そして、微かに鼻を啜る音が聞こえてくる。どうやら彼は泣いているようだった。


「多くの代償と血を流し、心を病まれても尚世界の為にその身に魔王を封じ込めてくださっている事実を知りました。あなた方の犠牲なしでは、世界は既に魔王の手によって破壊されていたでしょう」


 熱の篭った声でオリアスは捲し立てるように話し続ける。


「ハニエル様。今この時この世界を守っているのは紛れもなくあなたです。だからっ……」


 オリアスは一瞬言い淀む。


「だからこそ僕はあなたに知ってもらいたい! あなたが身を削り守っているその世界の現実を、その目で見て、その耳で聞いて、その肌で感じて頂きたいのです! その上で——」


 熱く強かったオリアスの口調が、氷水を浴びせられたかのように途端に静かになる。そして静かな声で、しかし鋭く彼は言った。


「僕と殺し合いをしてください」


 その声はもう震えてなどいない。強固な意志を感じるしっかりとしたものだった。


「なるほどね。そういうことか」


 ハニエルの返事はとても短かった。納得した声で呟くが、しかしその表情はどこか浮かない。


「残念だな、君とはきっと良い友人になれると思ったのに」


 わずかな時間ではあったが、オリアスとの会話は有意義な時間だった。生まれた時から王子という身分だったため、友人と呼べるのはロゼだけで、同性の友というのはハニエルにとって一種の憧れでもあった。

 大きな溜め息を吐きハニエルが諦めたように呟けば、オリアスもまた同じように溜め息を吐く。


「僕もあなたとは良き友人になれる気がしています。けれど……それはできません」


「教えてよ。どうして殺し合いを望むのか。君のことだ、僕が死んでしまったらどうなるかくらいわかっているんだろう?」


 淡々と問うハニエルの声は厳しい。


「知っています。あなたが死ねば魔王が死ぬこと、そして代わりに〝ハニエル様が新しい魔王になる〟ことも……」


「全部理解しているんだね?」


 念を押すように確認すれば、オリアスはゆっくりと縦に首を動かした。そのうえでハニエルは疑問を投げ掛ける。


「殺し合いと言ったけどさ、君が僕を殺せる見込みはあるのかい? 僕は強いよ。そして、その先に居る魔王はより強力だ」


「大丈夫です。それも僕が殺してみせます。そして世界から完全に魔王を消してみせます」


 顔は見えていないがきっと彼の目は真剣そのものなのだろう。そう感じさせるほど、オリアスの声は強い。

 ハニエルはまた深く溜め息を吐くと、鋭く目を細めてオリアスを睨みつける。彼の目からは、オリアスに対する敵意がありありと読み取れた。

 その瞳に負けないくらいの強い口調で彼は告げる。


「そんなことになればどれほどの被害になるかわからない。言っただろう、僕は強いって。国の一つや二つ、僕の力で滅ぼすことだってできるんだ。そもそも君が確実に僕を殺せる確証はないし、仮に僕を殺したとしてヴィクトリアはどうなる」


 オリアスの実力はわからない。しかし仮にハニエルを討つほどの力を持っていたならば——


(僕とオリアスがまともに対峙すれば、甚大な被害は免れない)


 強大な力と力の衝突は、どうにかして避けたいのがハニエルの心情だった。


「ヴィクトリアは大きく混乱するでしょう。力の強い王が居なくなったとなれば、他国の侵攻も考えられます」


 そう答えるオリアスの声は極めて冷静だった。


「僕がそれを認めると思うかい?」


 それに対しハニエルの声は低く獰猛で、さながら繋がれた獣のようである。

 獣をなだめるように、オリアスは努めて静かにハニエルを諌めた。


「いいえ。あなたはきっと僕を許さない」


「そうとわかっているならなぜ——」


「ですから……!」


 切迫した声でオリアスが叫ぶと、ハニエルの口が自然と閉ざされる。


「ですから、どうかあなたはあなたの立場を貫いてください。僕は僕の立場を貫きま

す」


 そう言い切ったオリアスだったが、語気の強さとは裏腹に、その内容からは繊細な彼の心が読み取れた。懇願するように告げられた言葉はハニエルに同情を抱かせることを許さず、まるで彼を突き放すようだ。しかしそれと同時に、お互いに分かり合えなかった悔しさ、友として歩めなかった葛藤も感じられ、ハニエルは眉を潜めて苦しげに唸る。そして、悟った。

 ——オリアスは意志を変えないと。


「オリアス、君が本気なら僕も容赦をするつもりはない。ヴィクトリアの王として、民を守らねばならないから」


 彼の声に迷いはない。ハニエルはもう覚悟を決めたようだった。

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