第4話
「……碧に心当たりがあります」
「聞かせて」
ゆっくりまばたきすると、ハニエルは言った。
「その色を見たのは、僕の夢の中です」
夢。そう聞いた瞬間ミラージュの目がきつく細められる。彼女はハニエルの夢がどんな内容か知っていた。
「おかげで快眠ですよ」
驚きを見せたミラージュの顔を認めると、ハニエルがかすかに笑って告げる。彼の顔は確かに血色が良かった。
考えれば分かることだった。毎夜悪夢に苛まれている人間が、きちんと眠れているわけがないのだ。
疑うような声でミラージュが言う。
「魔王が押し負けているの?」
「ええ。少なくともここ数日は」
魔王が負ける。それはこの世界の頂点、食物連鎖の最上位が屈したことを意味していた。
「他人の夢に入り込む魔術っていうのも気掛かりね。そんな術あったかしら?」
「一応この部屋の中は探してみたのですが、残念ながらそれらしい魔術書は見つけられませんでした。師匠でも知らないとなるとお手上げだな」
その後、二人は夢に関わる魔術について調べたのだが、やはり何も情報を得ることは出来なかった。
一通り本棚を探し、少し疲れたところでハニエルが呟く。
「声が聞こえたんです」
「声?」
「ええ、聞き覚えのない声でした。多分、僕と同じくらいの青年だと思います」
その発言を受け、ミラージュが呟く。
「ミシェルの再来かしら……」
「僕を差し置いてですか?」
「子孫が必ずしもそうとは限らないわよハニエル。ミシェルだって、言ってしまえば突然変異のようなものだし」
ミシェル——ミシェル・リオンはハニエルの祖先にあたる人物だ。
かつてこの世界を支配していた魔王を自身の左目に封印し、世界に平穏をもたらした英雄である。
「ミシェル……」
ハニエルは記憶を頼りにミシェルについての知識を掘り起こして行く。
およそ一千年前の人物であること、類い希な力の持ち主であったこと、ヴィクトリア王国の最初の王であること——それぐらいしか思い出すことが出来なかった。
ミシェルの記述は少ない。大昔の人物であることも勿論だが、度重なる戦乱で資料が消失してしまったことも原因である。
「その声はなんて言ってたの?」
「えっと、確か——」
そうして思い出した言葉をミラージュに告げる。すると彼女は少し考えた後、一つの可能性を口にした。
「あなたを、魔王から救おうとしている?」
「はあ?」
思わず雑な口調でハニエルが答える。それを聞いたミラージュは咳払いすると、「下品よ」とたしなめた。
〝救う〟ということがどういうことなのかハニエルには理解出来なかった。彼は自分が不幸だとは思っていないし、現状に充分満足している。
そんな自分を救うとは一体……
「僕ってそんなに幸薄そうに見えますか?」
「幸が薄いというより肉付きが薄いわよね」
そう言って彼女はハニエルの腹部を小突く。骨格こそしっかりしているが、必要最低限の肉しかない薄い体だった。
触りがいのない体と揶揄して、ミラージュは続けて話す。
「端から見たらそうねぇ、呪われた運命に抗うことすら許されない可哀想な王子様、と言ったところかしら」
それを聞いて堪え切れなくなったハニエルが吹き出す。
随分と悲劇的な扱いだ。だがしかし、どこか納得出来る節もあった。儀式を始めた当初がそのような考えだったのを思い出す。
幼いハニエルはなぜ自分が苦しい思いをしなければならないのか、わからなかった。不幸だと運命を呪いもした。しかも、世界ではその犠牲を知らずに、ヴィクトリアの王を魔王だと罵り、蔑んでいる。
納得がいかなかった。いくわけがなかった。
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