第4話
「急いでこの場を離れなさい!」
悪寒が全身を駆け巡り、ロゼは反射的に叫ぶ。あれはただの獣ではないと、彼女の勘が告げていた。
その目の大きさから大型の生物だということがわかる。恐らく王宮にいた魔獣なのだ。……そんな気がした。
ゆっくりと草木を掻き分け、巨体がこちらに近づいてくる。
「なんだあれは……」
「魔獣か!」
ロゼの声を聞いた兵たちが足を止めた。魔獣を確認するや、怖気付いてその場に立ち尽くす。彼らの顔はその足同様に固まっていた。
「狼狽えるな、足を動かせ!」
ロゼの叱咤を受け兵たちが我に帰る。
「ロゼ様……!」
ただ一人剣を構えたまま動こうとしないロゼに兵士が呼び掛ける。
すると彼女はその場に似つかわしくない綺麗な笑顔でこう言ったのだ。
「私が後方で時間を稼ぐ。早くハニエル様のところへ! あれの存在は見過ごしてはおけない!」
「お一人では危険です!」
「わかってる! あなたたちが無事逃げられたら後を追うから! だから早く行きなさい!」
ロゼは動かない。
「……っ! どうかご無事で!」
兵たちは転がるように山を下る。彼女の意志を無駄にしないためにも、いち早く王宮に戻る必要があった。
兵たちが退いたのを見送ると、ロゼは前方へ視線を戻した。
巨体が間近に迫る。彼女は改めてその化け物を見た。
「これは……魔獣?」
軽く見上げるほどの大きな獣は、畏れこそ抱くが不快感は抱かなかった。
——それは上半身が鷹、下半身は馬という奇妙な見た目だった。加えて頭からは巨大な巻き角が二本生えており、純白の羽を生やしている。背には鞍を乗せており、勇壮ささえ感じられた。
よく見てみれば、魔獣の特徴である紫の双眼ですらなく、目の前の獣は碧い瞳をしていた。
限りなく魔獣に近いがそうではないなにか。
目の前の化け物はそうとしか言いようがなかった。
純白の化け物はロゼのことを見ているものの、敵意は感じられない。
——下手に刺激するより今のうちに立ち去った方がいいか。
そう思い始めた時、突如巨体が落ち着きを無くし暴れ始めた。
「なに……!?」
化け物はグァグァと鳥の声で鳴くと、羽を羽ばたかせる。どうやら飛び立つ気らしい。
砂埃が舞い視界が悪くなる中、ロゼは化け物の体が碧く発光していることに気が付いた。
「まさか、魔術!?」
風が強くなる。化け物の羽ばたきだけでは起こらないはずの強い風がロゼを襲った。
魔術で発生させた風だと判断した彼女は、急いで自身の双剣を地面に突き立て盾にする。彼女の剣は魔術を断ち切る特殊な作りだ。
刹那、一際大きな風が吹く。
「え、うそ……」
ロゼは我が目を疑った。魔術を受けると紫に輝くはずの刃が輝いていなかったのだ。
双剣は強風を和らげることはなく、彼女はまともにその風を受けた。突き立てた剣にしがみつき、飛ばされぬよう踏ん張りを効かせる。舞い上がった砂利が頬を掠め、浅い傷を作った。
どうにかこらえたところで視界が鮮明になってくる。
目の前にいた化け物はどこかに飛び立っていた。
「あれはなんだったのかしら」
周囲には白い羽が舞っている。まるで季節外れの雪のようだ。
「ロゼ様!」
呆気に囚われていると背後から呼び掛けられた。
彼女を呼んだのは下山したはずの兵士だった。
「ああ良かった! ご無事でなによりです!」
「戻ってきてくれたのね、ありがとう。私は大丈夫よ。それよりさっきの化け物のことを早くハニエル様に——」
「その化け物ですがっ!」
急いで戻ってきたのだろう。若い兵士は息を切らしながらも言葉を続ける。
「たった今、王宮の方へ飛んで行きました……」
「おう、きゅう……」
ロゼの顔から表情が抜け落ちた。頭が真っ白になる。
王宮に居るのは……
「ハニエル様が!」
「ロゼ様?!」
ロゼは駆け出した。山を下る彼女は速く、青年兵士ですら追い掛けるのがやっとだ。生い茂る草を斬り伏せ、細かな切り傷を作りながら前へ進む。
——早くハニエルのところへ。
脇目も振らず走る彼女の頭には、いち早く王宮に戻ることしかなかった。
「待ってください! もう少し慎重に下山しないと、大怪我をしてしまいます!」
「待てない! あの化け物が王宮へ向かえば、誰があれを倒すの?! 王宮に居るのは誰か思い出しなさい!」
王宮には多くの兵が居る。恐らく彼らが応戦するだろう。
だがしかし、間近で化け物と対峙した彼女にはある予感があった。
「あれは並みの兵では太刀打ち出来ない。そうなれば、ハニエル様が対処をするわ」
息が上がっていた。心臓が苦しい。先に下山させた兵の姿はまだ見えない。
兵士が叫ぶ。
「ロゼ様はあの方が魔獣に負けるとでも言うのですか?!」
「馬鹿言わないで! 王子が負けるなんて、そんなのこの国の終わりよ!」
前方から複数の足音が聞こえてきた。それと同時に、繋いでおいた馬も見えてくる。
肩で息をしながらロゼは声を張った。
「王宮へ急ぎなさい!」
前を走っていた兵たちはロゼの身なりに目を剥いた。
美しいミルクティ色の髪は乱れ、顔や手足には泥と傷が目立つ。一目で彼女がなりふり構わずに山を下ったことがわかった。
ぜーぜーと苦しげに呼吸を繰り返すロゼを気遣い、兵が休息を促す。しかし彼女は咳き込みながら、
「馬を走らせて。ハニエル様が、魔王の力を使う前に……!」
と言った。
鬼気迫る様相だった。斬り殺さんばかりの気迫だった。
気圧された兵士たちが慌てて馬の準備を済ませ、その場を後にする。
王宮まではまだ遠い。駿馬の足ですら、遅く感じた。
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