第6話

 月光すら霞むほどの強烈な光でハニエルは周囲を照らすが、そこにはなにもなかった。


「外に、目が……」


 落ち着きを取り戻した侍女が話始める。彼女曰く、窓の外に獣のような鋭い双眼を見たというのだ。


「僕も妙な気配を感じた。もしかしたら魔獣かもしれない。悪いけど、都の見回りを強化してもらえるかい? 王宮警護の兵もそちらに回すからさ」


「ですがハニエル様、それでは王宮の警護は?!」


「急な指示だからとりあえず今夜だけで良い。王宮は見回りに重点を置いて、魔獣に遭遇次第速やかに僕に連絡してくれ。下手に兵を向かわせるより僕が始末した方が早いからね」


 笑顔で告げるハニエルに詰め寄っていた兵士が顔を青くする。


「王子自ら魔獣退治など、そんな危険なこと頼めるわけがありません! 陛下が亡くなられて、この国はあなたが事実上国王です。ただでさえ民が不安がっているのです。どうかご自愛ください!」


 兵士の言うことはもっともだ。王子、いや国王として現在この新ヴィクトリア王国を統治しているのはハニエルだ。

 前王の死から半年、彼の体調が優れなかったということもあり、この国は慌ただしかった。最近ようやく体調が安定し、臣下をはじめ国民がようやく落ち着きを取り戻したのだ。それでもまだ体調を崩しがちなハニエルを気遣い、上は大臣から下は末端の庭師まで、やや過保護に接しているのが現状である。

 魔獣退治など、とてもじゃないが任せられる状況ではなかった。


「君の言うこともとてもよくわかる。けれどね」


 それでもハニエルは折れなかった。

 彼は滑らかな声で、しかし意志の強い口調で話を続ける。


「闇雲に兵を危険に晒すのは却って良くないよ。兵が負傷すればその分守りが薄くなる。僕はその方が民の不安を煽ると思うんだ。だったら、より被害の少ない方法を選択するのが賢明じゃないかな」


「ですが——」


「それにね?」


 遮るように話を重ねると、ハニエルは意地の悪い笑みを兵士に向けた。


「僕が魔術で魔獣を退ければ、王子は回復したと知らしめるいい機会じゃないか。そうすれば民の不安は消えるだろうし、国も安定する。それとも君は、僕が魔獣に倒される人間だと、そう思っているのかな?」


 ハニエルは相変わらず笑顔だった。しかしそこには反論を許さない威圧感があり、もはや命令である。

 言い返す余裕など、一介の兵士に残されているはずもなく——

 閉口した兵士を確認すると、ハニエルは「ありがとう」と礼を述べ柔らかく笑った。


「ハニエル様、あまりいじめては可哀想ですよ」


 凛とした声が響く。荒れた廊下にやってきたのはロゼだった。

 白いコートをなびかせ、ミルクティ色の髪を揺らして歩く彼女はその美貌も相まって荒野に咲く可憐な花のようだ。

 男たちが途端に色めき立つ。


「騒がしいので来てみたら……。王子、無理は禁物です! 今日も体調が優れず休まれていたのですから今からでも寝てください」


「いや、でも寝るにはまだ早いんじゃない?」


 日が落ちて景色が暗くなっているとはいえ、まだ眠るのには早い時間だった。時刻にして夜の七時前といったところだろう。


「先ほど魔獣退治はご自身でなされると言ったばかりじゃないですか。万が一そうなった場合、動けないのでは困ります。あなたが休まれている間は私が指揮を受け持ちますから、いざという時に備えて休んでおいてください」


 そう言うと彼女は近くにいた兵士や侍女から事情を聴き指示を出していく。

 上品で柔らかな顔から一変して、騎士として表情を厳しくしたロゼは磨かれた剣のように鋭く力強い。その逞しさは男性にも勝るとも劣らず、異性である男性兵士たちはもちろん、同性の侍女までうっとりと彼女のことを見ていた。同じ女性でいて、美しさと強さを兼ね備えたロゼは彼女たちの憧れなのだ。


「さすがエルトーツの剣姫だ」


 見事な手腕で采配を振るロゼに、鼻の下を伸ばした兵士が囁く。

 彼女はエルトーツの剣姫という異名を持ち、王宮でも一目を置かれる存在だ。凛々しくも優しいロゼの周囲には、いつだって誰かが近くに居た。


(なんだかちょっと妬けちゃうな)


 大好きな幼なじみを取られた嫉妬か、愛する臣下を取られた嫉妬か、あいにくハニエルにはどちらかわからない。

 とりあえずこうなっては出る幕はないと、彼は言われた通り自室へ向かう。


「碧かった……」


 その小さな声は風音にかき消されてしまうほどに弱々しかった。

 獣の目に怯えていた侍女の呟きをハニエルは聞き取ることが出来ないまま、その場を後にする。


 ——その日、ハニエルは悪夢を見なかった。

 記憶にあるのは、湖底を思わせる澄んだ碧だった。

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