第5話
「もうこんな時間か」
空の色は薄紫に変化しており、月が顔を出している。
「ちょっと危ないかなぁ……」
光源のない書斎は真っ暗というほどではないものの、やや視界が悪く前が見えにくい状態だった。
ハニエルは魔力を左手に集中させ光の玉を出現させる。彼の使用したものこそ魔術のそれだった。
現れた光は周囲を明るく照らす。薄暗い部屋を照らす光は、空と同じ紫色をしていた。紫は全ての魔力に共通する色である。
部屋から出ると廊下には燭台に火が灯されており、黄色の灯が優しく照らしていた。ハニエルは左手の光を消すと、ゆっくりとした足取りで自室に向かう。
「ひとつ聞きたいことがあるのだけれど」
廊下には見張りの兵士が点在していた。だが、ハニエルは彼らに話し掛けているわけではない。訝しんだ一人の兵士が彼を見るが、ハニエルは困ったように笑みを返すだけで、そのまま何事もないように歩いていく。
「昼間の夢で最後に妙な声を聞いたよ。君にしては随分と優しくて温かい声だった。それと、君とは違う碧い光を見た」
ハニエルの声以外、ここでは何も聞こえない。
「あれは君かい?」
開いた窓から風が吹き込んでくる。
「君ではないの? それなら彼は何者だい? 僕の夢に介入するなんて、君の友人だったりするのかい?」
木々が激しく葉を揺らし警鐘を鳴らしている。周囲の兵士が騒めき始めた。
そんな様子を横目で見ながら、ハニエルは涼しげな顔をして
「随分な物言いだね。僕の夢から追い出されたくせに」
と言って話し相手——魔王を挑発した。
形容しがたい紫の衝撃がハニエルの内に駆け巡る。
獣の咆哮のような風の音が響くと、窓を割るほどの突風が廊下に吹き荒れた。見張りに立つ兵士がハニエルを守ろうと飛び込むが、吹き荒れる風はそれを許さない。砕けた硝子片がハニエルを正確に捕らえて飛んでくる。
「はー……」
辟易した様子でハニエルが深く、大きく溜め息を吐く。
彼は特に焦ることなく向かってきた硝子片に対し真っ直ぐ腕を伸ばし、そして伸ばした手の先から対抗するように強力な風を発生させた。弾き飛ばされた硝子片はハニエルを傷つけることなく散っていく。
凶悪な風は止んでいた。
「ハニエル様、お怪我は?!」
「僕は大丈夫だよ。それよりごめんね、怪我はないかい? 少し彼を怒らせてしまってね」
駆け寄ってきた兵士に笑顔で応対すると、ハニエルは自身の左目を指差す。それを見た兵士は「ああ、」と引きつった笑みを浮かべた。
指された左目は、鮮やかな紫色に発光していた。
「散らかってしまったね。僕のせいだし、手伝うよ」
「いけませんハニエル様! 王子に雑用をさせるなど……! ここは我々に任せて、どうか自室でお休みになってください。魔術の使用は体に負担を伴いますから」
騒ぎを聞きつけ、従者たちが集まってきていた。そして誰に指示されるわけでもなく、彼らは迅速に片付けを行っていく。
いよいよ忙しくなった現場に、当事者であるハニエルは申し訳なさが込み上げてきて、自主的に硝子片を集め始める。すると従者たちが血相を変えて走り寄り、
「大丈夫ですから! 王子はお休みください!」
「どうか無理をなさらないでください!」
と、口を揃えて言ったのだった。初老の兵士から年端もいかない侍女にまで休むように促され、ハニエルは肩を竦めて苦笑する。
——ここは彼らに任せよう。そう思い大人しく部屋に戻ろうと歩き出す。
だが、ほんの一瞬、ハニエルはなにかの気配を感じて足を止めた。「きゃっ!」っと背後で短い悲鳴が聞こえたのはちょうどそのときだ。
「なにごとだい?!」
振り返ると侍女の一人が窓の外を指している。彼女の白く細い指はかすかに震えていた。
目を凝らす。
すると暗闇の向こうから、得体の知れない力を感じた。
「下がって!」
ハニエルの行動は早かった。
彼は立ちすくむ侍女を背後に庇うと、瞬時に魔術を発動させ強烈な光を生み出す。紫色の光は松明の炎より明るい。
窓の外には月が輝いており、草花が風に揺れていた。
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