第4話
「やはりこの国に来るのには骨が折れる」
男は鬱蒼とした山道を歩いていた。現在地は新ヴィクトリア王国のグローリア山脈南部。彼の目的地はここからさらに進んだ先にある王都アリダ・ヘルバだ。
背中に背負われた大剣が荷物に当たってがちゃがちゃと音を立てている。たくましい体格から察するに傭兵かなにかなのだろう。大柄な彼が大剣を背負い、そして無造作に生えた草木を掻き分けて歩く様は見ていて些か窮屈そうだ。
鬱陶しげに伸びた雑草を払う。急ぎ足で乱雑に進んでいるせいか、男のブーツはひどく土で汚れていた。
季節は夏。木漏れ日が暖かい。青々とした葉が目立つうえ、我先にと背丈を伸ばした草木がとても煩わしい。しかし冬に来訪するよりずっと楽だ。真冬にこの国は酷過ぎる。
男は北国の冬を思い出して身震いした。
「もう少し早く来れれば良かったんだがな……」
〝北の魔王が死んだ〟
風の噂でその話を聞いたのは四ヶ月前のことだった。その時期は暦の上では春だったが、北に位置するこの新ヴィクトリア王国ではまだまだ寒さが厳しい季節だ。旅慣れているとはいえ、たった一人で残雪の目立つ山脈越えは自殺行為も甚だしい。
さらにこの国はかなり閉鎖的で他国との交流が一切絶たれている鎖国状態。渡航には相当な困難を要する国で、船を手配するのにも一苦労だった。
渋る船乗りをどうにか説得し、ようやく北の大陸に上陸できたのが二日前。
余裕をもって予定を組んだつもりだったが見積もりが甘く、結局約束より三日遅れて王都に到着となりそうだ。
〝北の大陸は呪われている〟
〝あの国には春が訪れない〟
〝人間の住む土地ではない〟
ヴィクトリア渡航の際に聞いた根も葉もない話を思い出す。船乗りたちの話は実に面白くないものだった。
その話に根拠はない、言ってしまえば真っ赤な嘘だ。しかし彼らはヴィクトリアの大地を騙り、恐ろしい場所だと語っていた。彼らはまるで道化のようで、知りもしない国の悪態を吐くその心根の方がよほど恐ろしく感じられる。
噂は尾鰭が着いて広がっていくもので、北の王国ヴィクトリアはそうして〝呪われた大陸〟となった。
「もう少しか?」
木々に覆われた場所が開けてくる。山の頂上に辿り着いた彼は、麓に小さな集落があるのを見つけた。
「あれから七年か……」
目深に被ったフードからでは、彼の表情を窺うことができない。
「ただいま」
大きな体で発せられた声は小さくか細い。しかしそれと同時に、とても優しく慈しむような声だった。
*****
〝ヴィクトリアは呪われた大陸である〟
仕事もそこそこに済ませたハニエルは、他国から取り寄せた書物を読んでいた。薄っぺらな歴史書は十年前に初版が発行されており、八版まで発行されていることがわかる。
教育に用いられている教科書なのだろう。他にも似たような文献があるが決まってハニエルの住む国、新ヴィクトリア王国の記述は〝呪われている〟といったものだった。
溜め息を吐きながら彼は持っていた書物から目を逸らす。
「そんなに酷い国じゃないんだけどなぁ……」
静かな書斎にハニエルの声が虚しく響く。
彼は窓から橙に変わった空を見る。——先ほど目を通していた書物には、ヴィクトリアの空は常に厚い灰色の雲で覆われていると書かれていた。
「君のせいだよ」
恨みがましく左目を押すと、そのまま抉り出してやりたい衝動が湧いてくる。
ぐっと力を込めるが、しかしそうしたところで現状が変わるわけではない。
妙な虚無感を覚えると、ハニエルは添えていた手をそっと左目から離した。
「魔王を肯定している国家、魔王が統治している国ねぇ……。ほんの数百年引きこもっただけでこんな間違った解釈が広まるんだから困ったものだよ」
ハニエルは書物に書かれた文を指でなぞっていく。ときにはどこでそんな情報を手に入れたのか目を疑いたくなるようなものまであり、憤りを通り越して笑いが込み上げてきた。
人に教えるはずの教材が間違いだらけである事実に、彼はがっくりと肩を落とす。いっそヴィクトリアからきちんとした書物を贈答したいくらいだ。もちろん正しい歴史と文化が紹介されている新ヴィクトリア王国公認のものである。
新ヴィクトリア王国を正しく説明するなら——。そんな書き出しで始まる新しい教科書だ。
——新ヴィクトリア王国を正しく説明するなら、まずこの国は他の国と何も変わらないということを最初に言っておきたい。そこに住んでいるのはあなた方となに一つ変わらない同じ人間なのだ。
教科書というより、伝記か御伽噺の冒頭のような文だった。見方によっては聖書の書き出しにも似ているかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら、ハニエルは別の書物を手に取る。するとそこに〝魔術〟という記載を見つけた。
「ああ、すごく曖昧な表現だけどこれについてはあながち間違ってないね」
魔術とは。そう始まる文章の続きはこうだ。
——魔王の力、魔力を用いて超常的な現象を発現させるヴィクトリアの土地で発展した独特な技術である。
技術というより学問に近くて、超常的という一言でまとめられているけど実はあらゆる計算と公式が存在するんだけど——と、ハニエルは注釈しておいた。彼の魔術に対する知識はヴィクトリア国内でも屈指のもので、専門知識がぐるぐると頭を過っていく。
さらに読み進めようとしたところで、ハニエルは部屋が薄暗いことに気がついた。
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