第3話
「客人を待たせているんだもの、急がないと!」
「本日の面会は三日後に延期になっています。ハニエル様も手紙を読まれていたのをお忘れですか?」
そこでハニエルは数日前に届いた手紙の存在を思い出す。
面会予定の客人は、この国——新ヴィクトリア王国でも極めて希な他国からの来訪者だ。予定通りに船の手配が進まず、どんなに急いでも約束の日程から三日は経ってしまうと綴られていた。
ハニエルは手紙の存在を失念していたことに羞恥が込み上げてきた。誤魔化すように頭を掻くと、ロゼに引きつった笑顔を向ける。
「あはは……。僕としたことがすっかり忘れていたよ」
「きっとお疲れなんです。部屋で休まれてはいかがですか?」
彼を見つめるロゼの表情は複雑だ。しかし、彼女が表情を曇らせるのには、やむを得ない事情があった。
ハニエルはここ数ヶ月ずっと体調が思わしくなかったのだ。危篤状態だったこともある。
そんな状態を知るロゼが心配するのも無理はないというもので、ハニエルに異変があればすぐに休養を促していた。
「以前は私より丈夫でしたのに……」
「十年も前の話だろう? 君が騎士になったあとは、僕よりずっと丈夫だよ」
二人は主人と従者である以前に、幼なじみだった。ロゼは小さな頃からハニエルをよく知る人物で、唯一の友人といってもいいだろう。
「私は良いんです! それより、ハニエル様はもっとご自愛なさってください。普通ならまだ仕事ができる状態ではないのですから」
以前からずば抜けて体力があったとは言い難いハニエルであったが、それでも人並みかそれ以上には体力があった。少なくとも、一般的な成人男性程度には健康だった。
それがどうだろう。彼は先代国王から魔王を受け継いで著しく脆くなってしまった。
「それは甘えだよ。僕はこれ以上悪化することはあっても、良くなることはないんだ。脆弱な体に慣れなくちゃ今後の職務は務まらないよ」
言ってハニエルは左目を撫でる。紫の瞳は落ち着いているようだった。
ロゼは黙す。彼女はハニエルが左目を気にする所作が、無意識のものであると察していた。彼のこの癖は半年前から顕著に現れ始めたものだ。
半年前。この国の国王、ハニエルの父が逝去したあの日……
「ですがやはり……」
陰った声でロゼが呟く。ハニエルはそんな彼女に苦笑した。
「ロゼ、そんなに心配しないでよ。僕は魔王様のおかげで滅多なことじゃ死なないからさ!」
——否、〝死ねない〟と言った方が正しい。
ハニエルが死ねば、彼の左目に封印されている魔王も道連れに死んでしまう。それを魔王が許すはずがない。
誰だって死ぬのは嫌だ。それは魔王だって例外ではない。
「面会が延期になったのなら僕は仕事に戻るよ。戴冠式の日程も決めなければならないし、大陸からの難民問題にも向き合わなきゃならないしね」
太陽はまだ沈んではいない。仕事を片付けるには十分な時間がある。
「もう! しょうがないですね! 休めと言ってもどうせ仕事をなさるのですから、私ももう止めません。王子はこうと決めたら意志を曲げない御方ですから」
「さすがロゼ! ものわかりが良くて助かるよ!」
「で・す・が! また体調を崩されて倒れたなんてことがあれば、今度こそ怒りますからね!」
きりりと整った眉を吊り上げ「私も仕事に戻ります」と告げ、ロゼは踵を返してハニエルの前から去っていった。
彼女のコートがふわりとはためく。コートの下に隠れていた彼女の双剣が垣間見えると、ハニエルは肩をすくめて困ったように笑った。騎士の証である彼女の見事な双剣は、頼もしいと同時にハニエルの気を重くさせる。
ハニエルにとってロゼはなによりも大切で、絶対に守りたい女性だった。身を危険に晒す騎士などやって欲しくないのが本音である。
「僕のことなんて気にせずに、幸せになってもらいたいんだけどな……」
彼の呟きがロゼに聞こえることはない。
甲高いブーツの音が遠ざかると共に、陽光に照らされた双剣が応えるように金色に輝いていた。
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