2章
第1話
目覚めたのは太陽がすっかり顔を出していた頃だった。自分では平気だと思っていたが、やはり体は疲れていたらしい。久しぶりに味わう冴えた感覚を喜び、ハニエルは上機嫌に起き上がる。
昨夜は魔王も夢に干渉してこなかった。ここ数ヶ月以来の快眠である。
今まで控えていた運動も、今日なら大丈夫かもしれない。
あまりに体調が良かったのでこれは都合のいい夢ではないかと手の甲を軽くつねってみたが、皮が伸びるだけで痛みは感じなかった。やはり夢ではないようだ。
足取りは軽い。いつも以上に手早く身支度を済ませる。
ハニエルが自室から出ようと扉の取手に手を掛けるのと、扉の先からロゼの声が聞こえたのはほぼ同時だった。
「おはようございますハニエル様。起きていらっしゃいますか?」
「ああ大丈夫だよ。入っておいで」
部屋に入ってきたロゼはいつもと違い、コートの上に外套を羽織っていた。目深に被られたフードから紅玉の瞳がわずかに覗いている。
外出時に身に着けるそれを見るなり、ハニエルは彼女に尋ねた。
「出掛けるのかい?」
「ええ。昨晩の一件が気掛かりなので、王都の周辺を少し探してみようかと……」
「なにかあったのかい?」
ロゼは少し間を置いたところで「獣のような足跡が……」と呟く。その表情は険しい。
「大きな野良犬だったら良いんだけどね」
そう言ったハニエルの表情も穏やかな声とは裏腹に厳しい。——彼の頭には、とある存在がちらついていた。
ロゼと目が合う。彼女はゆっくり頷くと
「そうですね」
と同意を示す。声は重々しい。
——魔獣。
ハニエルもロゼも、彼らの存在を意識していた。
魔獣とは、古の時代この世界を支配していた魔王が生み出した化け物である。
その性質は魔王より強く引き継がれており凶悪だ。魔獣は人を襲い、そして喰らう。
彼らは別に人を——否、なにかを食べずとも生きていける。しかし魔獣は人を喰うことをやめない。それがこの世界の摂理だと言わんばかりに人を襲い続けた。
当然、その在り方は人間と相入れることはなく、彼ら魔獣は人類にとって敵であった。
「どれくらいで行くつもりなのかな」
「確認された足跡は一体だけでしたので、魔術師三名を含めた十名。それから私を入れて十一名で捜索を行うつもりです」
「少人数の割には魔術師が多いね。……まあ、魔獣相手なら仕方ないか」
魔獣はその名の通り魔の獣。類い稀な強暴性、優れた体力と攻撃性を持ち、さらには魔力まで有する凶悪な生物だ。
一般的な武器で防衛するには魔獣の使う魔術に対抗するのにあまりに心許なく、魔術師の力が必要だった。
「私の剣もあります。あまり本来の力を使ってやれないので、丁度いい機会ですから魔獣相手に試してこようと思います」
「君のことだから滅多に失敗はしないだろうけど、油断してはいけないよ?」
「肝に銘じておきます」
ロゼは自身の持つ双剣を握り締めると足早に部屋を後にする。出発時刻が近いのだろう。
「心配だなぁ……」
ハニエルの口から弱々しく本音がこぼれる。
武芸に秀でた屈強な兵士たちの中にあってもロゼは一際強く頼もしい。それは彼女の血を吐くような鍛錬と努力の賜物であったし、ハニエル自身彼女の剣の腕を疑ったことはない。一度たりとも。
だがしかし、騎士として信頼を寄せている一方で、異性として好いている自分もいる。どんなに強かろうと心配なものは心配なのだ。
「こういう時、王子って身分は辛いね……」
彼女の背中は、ハニエルの不安を振り払うように遠のいていった。
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