第14話
恵は二日間寝込んだ。その間は、恵が来る以前の生活に戻った。厳密に言えば、もう少しだけ忙しい毎日だった。
朝起きて、自分と恵の朝食を作って、食べて、家を出る。帰ってきて、洗濯をし、風呂を沸かし、食事を作って食べる。もちろん、恵用に消化がいい食事を用意した。
額に乗せるタオルは、次の日から額に張る用のシートに変わった。汗を拭くタオルは彼女が自分で用意したが、服までは用意できなかった。なので、母のお下がりを三着ほど渡した。
日を追うごとに回復し、一日ごとに動きが機敏になっていった。トイレに行くときやキッチンにいくときなど、フラフラしなくなった。
やがて彼女は自分で食事を作るようになった。帰れば風呂が沸いていて、洗濯も終わっていた。
「もういいの?」
「大丈夫大丈夫。もう頭も痛くないし」
「熱は計った?」
「うん。微熱って感じかな。でもホント大丈夫だから。さすがにこれ以上家事をサボるのは気が引けるというかなんというか。元々じっとしてるの得意じゃないんだなこれが」
恵がテーブルに食事を運んで来た。
「まだちょっと時間かかるからお風呂入ってきなよ」
「そうする」
寝室にへと行き、スーツを脱いだ。最近だとスーツのまま家事に追われていたため、少しばかり開放感があった。
風呂のお湯は少し熱めで光輝の好みだった。恵が自分のことを理解し始めているのだと肌で感じる。
彼女がいる生活は、本来ここにあるべき生活ではない。しかし、彼女が家事をしてくれる姿を妙に懐かしく感じていた。
髪の毛を拭きながらリビングに入れば、恵がダイニングで待っていた。足をパタパタと揺らしながら、頬杖をついてテレビを見ている。テレビを見るのならばソファーに座ればいいのにと、つい吹き出してしまう。それが律儀さの現れで、また可愛らしくもあった。
ドアを閉めると「おっ」と言いながらこちらを向いた。
「待たせちゃったかな」
「よくわかってるじゃん。そう思うならとっと座れ」
ハッキリとモノを言うところも悪くないと思える。人とあまり関わってこなかった光輝は、急にむくれられても謝ることしかできないからだ。
イスに座り、二人で手を合わせた。
彼女の顔色がよくなっていくたびに安心する。家に帰ってきて、彼女が立っていると落ち着く。こうやって対面して食事をしていると、恵のおかげで家が明るくなったなと改めて思った。
「そういえば明日から三連休なんだけど、どこかに遊びに行かない?」
「ん? 私に言ってる?」
「恵さんしかいないでしょ……。他に誰かいたら逆に怖いよ」
「いや、別のなにかが見えてるのかなって」
「普通に怖い方じゃん。ホラーじゃんそれ」
「んーそれならそろそろ服が欲しいな。ちょっと可愛いやつ」
「そこで戻すんだね、急だね。でも一緒に出かけてくれるんだ」
ホッと胸を撫で下ろした。断られることはないだろうとは思っていたが、万が一断られた場合のことまでは考えていなかった。
「そりゃ、ねえ。特に断る理由はないし」
「そういう意味か。まあいいや、明日はお昼過ぎから出かけようか」
「おっけー。じゃあ午前中は掃除と洗濯だ。ちゃんと手伝えよ?」
「そりゃもう。でも以外だな、可愛い服が欲しいだなんて」
「テレビとか見ててさ、可愛いのも着てみたいなって思ったんだ。なんというか、毎度毎度同じ服っていうのもあれでしょ?」
「その服、何着あるの?」
「五着くらい? 一度デザインを決めちゃうとさ、同じ物しか支給してくれなくなっちゃうんだよ。天界ってそういうとこ融通きかないんだよね」
「そっちもなかなか世知辛いね」
「天使ってのはさ、絵本とか、漫画とか、そういうふうにもいかないんだよ。特に娯楽もないし、食べ物もないし、同僚との雑談なんて仕事のことばっかり。これならずっと人間界にいた方がいいかも」
笑いながら、箸を口に運んだ。
きっと、彼女の言葉に他意はないのだろう。けれど、とても寂しい気持ちにさせられた。
「でもそういうわけにもいかないんでしょ? これは、仕事なんだからさ」
「そう、仕事なんだ」
ふと、表情が曇った。ここまでコロコロと表情が変わる人を今まで見たことがない。
「どうした? なんて顔してんだよ」
「ボク、今どういう顔してる?」
「眉毛の端っこが下がってて、今にも泣きそうな顔してる。欲しい物を買ってもらえなかった子供みたい」
「ごめんごめん、空気悪くしちゃったかな」
「大したことない。光輝が辛気臭い顔するのは今に始まったことじゃないから」
また食事に戻っていく。口が減らない人だなと、光輝の顔から笑みがこぼれた。
「そうそう、そういう顔してなよ。アンタ、顔は悪くない」
「顔はってなんだよ、失礼じゃないか」
「思ったことを言ったまでだ。大丈夫だ、私は嘘はつかない」
「いやいやいや、それが問題なんだって。言うにしてももう少しマイルドにできないもんかな」
「できない。それが私だ。ほら、さっさとご飯食べなよ」
なんだかんだと言いながらも、彼女には笑顔が一番似合う。そんなことを考えながら、光輝は箸を動かした。
久しぶりに口にした恵の料理はとても美味しかった。懐かしく、また食べたいと思わせてくれる。このまま彼女がいてくれたらと、茶碗に残ったご飯を口に含んだ。
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