第7話 〈鈴木 恵〉

「結構めちゃくちゃなことしたね」


 ダイニングのイスに座り、脚を組んでいるこのみ。気怠げに片足をぶらぶらさせていた。


「仕方がないでしょ。私はこういう性格なんだから」


 洗濯物を畳みながら、恵はこのみに向かってそう言った。


「そうやってると新妻よね」

「洗濯物くらいで新妻になれるかっての」

「いやでも貫禄が出てきたわ。エプロン姿で洗濯物畳んで料理してさ」

「だって外に出るような仕事じゃないんだもん、仕方ないじゃない」

「なんかまんざらでもないみたいでちょっと寂しいわね」

「これが仕事なんだってば。私の気持ちとかそういうのはこの際どうだっていいでしょうに」


 光輝のシャツを畳み、パンツを畳み、自分のシャツを畳み、パンツを畳んだ。


「ほら、なんの抵抗もなく彼のパンツなんか畳んじゃって」

「別に男のパンツを畳むくらい普通でしょ?」

「そもそもそういう状況にならないから」

「うむ、それは確かに」


 畳み終わった洗濯物をソファーの肘掛けに乗せた。光輝はスーツで出勤するため、基本的に肌着とパンツくらいしか洗濯物は出ない。恵も基本的には光輝のスウェットを借りている。


「で、今日はどうして来たんだ?」


 キッチンへと行き、コーヒーを入れた。もちろんカップは二つ用意した。


 二つのカップとシュガーポット、それと牛乳を乗せてダイニングに運ぶ。このみの前にコーヒーを置くと、彼女は「どうも」と言いながらブラックで飲み始めた。


「お前はブラック派なのか」


 恵はたっぷりの牛乳と二杯の砂糖を入れた。


「メグちゃんは逆に甘くするんだ? しかも牛乳入れたら、もうそれはコーヒーじゃなくてカフェオレだと思うんだけど」

「いいんだよこれで。そもそも私はコーヒーが苦手なんだ。カフェオレしか飲めない。なにか文句でも?」

「ううん、文句はないわよ。ただ純粋に可愛いなって思って」

「うるさいなあ。子供舌なのはわかってる。でも仕方ないだろ、苦いんだから」


 頬を膨らませてこのみを睨んだ。


「人間界に来て、そこで初めて自分の好みを知るのよね私たちは。人間で言えば二十才を超えて、ようやく人間みたいなことができるようになる。なんだか不思議よね」

「それは、そうだな。人間界は面白いし楽しいよ。排泄とか生理とか睡眠とか、いろいろ面倒なこともあるけどね。美味しいものを食べるのも、漫画を読んだりテレビを見るのも楽しい」

「私も思ってるわ」

「それよりもお前、なんでちょいちょい現れるの? 自分の仕事はどうしたの?」

「私も共生任務中。ただしこの時間は特にやることがないの」

「家事は?」

「お手伝いさんとかいるし」

「金持ちかよ。って、そういう場合はどうするの? 自分の存在を隠すのは難しいでしょ?」

「なんのために記憶操作っていう超絶能力があると思ってるの? 例えばアナタがこの家に住んでいても、近隣住民はおかしいとは思わない。つまりそういうことよ」

「天使っていうのは怖いな、ホントに」

「そうよ、なんだってできる。だから自制も必要。誰かに窘められ、咎められるだけではダメ」

「なるほど、ね」

「中級天使になりたてのアナタは、これから覚えることがまだまだいっぱいね」

「先輩面しないでよ。まったく。さっさとコーヒー飲んで帰れ」


 カップの残りを飲み干した。


 不機嫌そうではあるが、カップを置く音は静かだった。


「でも今のメグちゃんは楽しそうでなにより」

「そりゃ楽しいからね」

「ターゲットが光輝くんだったのもよかったのかな」

「どういう意味で言ってる?」

「メグちゃんの性格にピッタリってこと。押しが弱くて尻に敷かれやすい」

「私のことを一体なんだと思ってるんだよ、お前は」

「でも割りといい感じだと思ってるでしょ? それなら今度どこかに行ってきたらいいわよ。デートしてらっしゃい」

「デートって言われてもなにすりゃいいかわかんないしなあ」

「別に特別なことは必要ないわ。散歩するだけでも立派なデートよ。光輝くんに余裕ががあるときに誘ってみなさい」

「散歩でもしようって?」

「そういうこと。スーパーに買い物に行く、でも可能。その場合は恋人というよりも夫婦感が出ちゃうけど」

「どっちでもないんだけどな」

「光輝くんとしては、メグちゃんと出歩いてデメリットはないと思うけどね。メグちゃんは美人だし、そんな美人とデートできるんだから、男はきっと喜ぶわ」

「そういうもんかね」

「男なんてちょろいちょろい。基本的にはバカなのよ、男って」


 その後、このみもカップを空にした。


「ごちそうさま」

「おそまつさま。私はこれから夕食の準備だ」

「わかった、じゃあ帰ろうかな。今日は本当にありがとうね」

「なにに対してのお礼よ」

「勝手に来た私にコーヒーを出してくれたこと。やっぱりメグちゃんは優しいわ」

「当然のことだろうに」

「人間にとってはね。でも天使にとっては違う。コーヒーなんて飲まないもの。誰かが勝手に部屋に入ってくることがあっても、もてなすという習慣がない。そういう状況がそもそもない」

「優しいって言われるのは嫌いじゃないけどね、面と向かって言われると照れるからやめて」


 視線を外し、頭を掻いた。


「それじゃあ私は行くわ。またね、メグちゃん」


 スッと立ち上がり、ドアから出ていった。最後に見た顔は、柔らかい笑顔だった。


「律儀か……」


 カップを片付けながら恵も笑った。


 気恥ずかしいが、悪い気はしない。こんな話ができる友人がいるということの喜びを、少しだけ実感した。


 今度は自分も、このみの良いところをちゃんと伝えるべきだろう。彼女が自分と向き合っていてくれるように、自分も彼女に向き合うべきだ。そう、思った。

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