第5話 〈鈴木 恵〉
「はー、なんでこうなっちゃうのかねー」
大きめのソファーに寝転び、頭の後ろで指を組んだ。
昨日のことを思い出して思考を巡らせる。線香を上げることがそんなにいけないことだったのだろうか。なぜあそこまで怒っていたのか。最終的には普段の光樹に戻ったが、普段を通り越すほどの静かさがあった。冷静というよりも淡白だ。
「よし、あんまりやりたくないけどこれも仕事だ」
意を決して立ち上がる。部屋中のカーテンを締めてテレビを消した。
手を二回叩き「我が命に応えて顕現せよ」と唱えた。すると、頭上に黄色い光の輪が出現した。天使の証であり、階級証明書にもなっている。
下級天使は青色、中級天使は黄色、上級天使が赤色、大天使は緑色、支部天使が紫色、それ以上は白く一際光が強い輪になる。この輪が出現しているときは人間からは見えなくなる。が、輪を出現させるときは見えてしまうのでカーテンを閉めた。
この輪を天界ではホーリーリングという。ホーリーリングがなくても天使の力の一部を使える。が、ホーリーリングがあることで天使の力を最大まで引き出せるのだ。
「ターゲット、伏瀬今朝弘。アドレス固定」
と言いながら指を鳴らす。すると、一冊の本が空中に出現した。表紙には〈伏瀬今朝弘〉と書いてある。
「ターゲット、伏瀬夕夏。アドレス固定」
もう一度指を鳴らし、もう一冊本が出現。表紙には〈伏瀬夕夏〉の文字が書かれていた。
名前の下にはナンバリングが施されており、生まれた順番で番号が振られる。その人が生きた経緯が書かれている、天使が見られる資料の一つだった。人生録と呼ばれる資料であり、天使であれば誰でも呼び出せる。ただし天界にある大図書館に収められており、呼び出しているのはレプリカである。
今回恵が呼び出したのは光樹の両親の人生録だった。
「まずはパパンの方だな」
独り言を言いながらめくったのは表紙からではない。後ろからだった。
死んだのは五年前、光樹が大学生の頃。交通事故だった。光樹が体調を崩して歩くことさえできなくなり、両親が車で病院に送っていった。その帰りにトラックと衝突した。衝突というにはあまりにも酷く、前後にいたトラックの間に挟まれたため車が完全に潰れてしまった。当然のように中の人間も原型をとどめていなかった。空き缶が潰れたように、数分の一以下に圧縮されてしまった。
「これは、何度見てもきっついなぁ……」
実はこれを見るのは二度目だ。仕事の関係上、最低でも一回は確認する。今朝弘のこともそうだが、光樹のことを考えると非常につらい。
夕夏の人生録の最後も同じだ。光樹の両親は同じ車に乗り、ほぼ同じ時刻に死んだ。光樹は一瞬で両親を失った。肉親は兄だけになった。その兄は光樹のことを嫌い、一人で県外に出ていった。
光樹にとって事実上の孤立だった。
恵には親がいない。正確に言うのであれば神天使から生まれたが、人間で言う親とは少しだけ違う。それに神天使は天使よりも寿命が長い。恵より神天使の方が長く生きるだろうと彼女自身もわかっている。だから親が死ぬという危機感や辛さがわからない。知り合いや肉親が死ぬという感覚までは理解できないのだ。
天使が死ぬことはない。一定期間生きた天使は光に帰る。神天使が光を吸収し、新しい天使として産み落とす。子供の期間はない。最初から大人の状態で生まれる。仕事を与えられるため、学校を出て仕事につくという苦労もない。今まで苦労し、悲しみを背負ってきた光樹の気持ちなどなに一つとしてわからない。
あるのは知識だけ。経験のない知識は、信憑性もなければ説得力もない。
知識しかないけれど、肉親が死ぬということが悲しいこと、辛いことであるということはわかる。感性や精神構造は人と同じだからだ。
人生録を何度か見直してからそっと閉じた。「リターン」と言うと本が煙のように消えていった。
もう一度ソファーに寝転ぶ。
「どうしたもんかなー」
「珍しいわね、アナタが人生録を何度も見返すなんて」
艶かしくもゆったりとした声に、弾かれるように上体を起こした。
「このみがなんでアンタがここに?」
イスに座り、テーブルに肘をつく女性が一人。天使であり同僚の永村このみだった。同僚であり、姉妹でもあった。恵の一個前にこのみが生まれたため半ば腐れ縁のようなもの。けれど仲は悪くない。同僚ではあるが、このみの方が中級天使にるのは早かった。階級として見ればこのみの方が先輩と言っても間違いではない。
ウェーブがかった長い髪の毛、垂れ気味の目尻の下には泣きぼくろ。唇は少し厚く、実年齢よりも少しだけ年上に見えそうな色っぽさがある。体つきも豊満で、スタイルがいいというよりも男性ウケする体型というのが正解だろう。ふわっとしたブラウスにタイトスカートというのが自分のことをよくわかっている証拠だ。
しかし、恵と年は一緒だ。
「アナタが心配になって様子を見に来たのよ。アナタって、仕事をするときは人生録一回しか見ないでしょう? 記憶力がいいからなのか知らないけど、今までそれでやってきたじゃない」
「いろいろと思うことがあるんだよ。いつも以上に面倒くさいんだ。特に初めての共生任務だしな」
人に寄り添い、共に生活し、その人間のマイナス要素を排斥する。中級天使にならなければ与えられない任務だった。
「なるほどね。いつもヘラヘラしてるアナタにそんな顔をさせるなんて、随分と面白いことになってるみたいじゃない」
「面白くねーから。だー、もう。どうしたらいいかわかんねー」
髪の毛をぐちゃぐちゃと掻き乱す。細くて艷やかな髪の毛は、それでもサラサラとなびいていた。
「アナタはなにが知りたくて人生録を開いたの?」
「あん? あー、昨日なんか怒られた」
「なんで?」
「それがわからないから人生録を呼び出したの。ただ両親に線香を上げただけなんだけどな」
「うーん、つまり線香を上げられたくなかったってことでしょう?」
「その理由がわからないじゃんか。使者への手向けじゃないけど、そうするのがやっぱその礼儀としては正しいかなって」
「仏壇の戸は開いてたの?」
「閉じてた」
「なんで閉じてたんだと思う?」
「そりゃ使わないからでしょ?」
「なんで使わないの?」
「んなもん知るかい!」
「アナタの契約者、伏瀬光樹は両親のことをどう思っていたんでしょうね」
「もったいぶらないでもらえる? 言いたいことがあれば言って」
「それはダメ。自分で考えて、自分で行動なさい。アナタの仕事でしょう? アナタが契約者と向き合って解決しなきゃいけないの。私があげられるヒントはここまで」
スッと立ち上がり、出口へと歩いていった。
「じゃあね、メグちゃん」
手を数度振ってリビングから出ていった。しばらくしてから玄関が開く「キーッ」っという音がして、後から「バタン」と聞こえてきた。
「帰るときはドアから出てくんかい、律儀かよ……」
ニヤニヤと笑いながらツッコミを入れる。
自分の姉のように振る舞うことも多く、その部分にイラつくことも少なくない。少なくはないが嫌いではない。矛盾していることはわかっているが、そこがこのみの愛嬌であった。
「さて、やるか」
今度は光樹と誠治の人生録を呼び出した。伏瀬誠治、光樹の兄だ。
一冊をテーブルの上に置き、もう一冊を一ページ目から読み進めていく。仕事だからとは思っているけれどそれだけではない。口は悪く態度も大きいが、とても素直で真面目な部分がかなり大きい。
外が暗くなり、夕食を作る時間が来るまで、彼女は人生録を読み続けた。
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